Res.3
「おはようございまーす!!!!」
「うっさい」
朝と呼ぶには遅すぎる。しかし、昼と言うにはまだ早い時間帯。寝ぼけ眼のまま登校していた僕の前に見慣れたリュックサックを背負ったラフな格好のテンプレヘアが見えた。
大学名の掘られた表札の側を通る浦波さんの背中に明るい気持ちを届けようと元気よく挨拶をしたのに、そっけない挨拶で返されてしまった。
「すいません」
「……朝から元気ね」
呆れる彼女の隣に並んで歩く。お風呂に入って来たのか、シャンプーかリンスの良い匂いが僕の男性ホルモンを刺激した。
「てか、並んで歩かないでよ」
「なんで?」
「きっと落ち込むと思うんだけど、理由言わなきゃダメ?」
無言のまま、彼女の少し後ろに下がる。いや、これくらいは予想の範囲だ。まだ落ち込む時間じゃない。
視線をリュックの下にパンする。時折覗かせる臀部を見つめて(安産型だな)と、失礼な事を考えた。
「……」
しかし、何かを察したのか、数歩歩いて彼女はこちらを振り向く。
とうとう考えている事まで伝わるようになってしまったのか。いや、そんなはずはない。永久名誉ぼっちの僕ともなれば、心を閉ざす事など造作もない事だ(※この能力には個人差があります)。彼女が勘付いたのは、何か別の事だろう。
「なにかな?」
だから、僕はなるべく凛々しい表情を作り、彼女に応じた。後に鏡で確認したその表情は、自分で思っているよりも30倍ぐらい凛々しくなかった。
「何かヤらしい視線を感じたんだけど。脚とか見てたでしょ」
「? 見てないけど」
僕が見ていたのは尻なのに、あらぬ疑いをかけられ、紳士的な態度で彼女に応じる。
「ていうか、なんで脚なの?」
「だって、奏介って脚フェチなんでしょ? 高校の時言ってたじゃん」
自分でさえ忘れていた設定を彼女に指摘され「あぁ」と短く納得した。そういえば、高校の時に、そういう会話をした気がする。あの発端はなんだったか。というより、僕は本当は脚でも尻でも胸でも腋でも※※(自主規制)でもなく、声フェチなのだけど、やはり女子に自分のフェチズムを話すのは恥ずかしい気がするので、ここはそのままにしておいた方が良いだろう。多分、高校生の時もそうやって誤魔化したんだと思う。
なので、少ない知識の中、ごく一般的な知識を駆使して必死に脚フェチを演じる事にした。
「バレたか。いやぁ、脚って良いよね。特に女の子の脚は。白くてスベスベしてて、一日中触っていたくなるというか、舐めたくなる……いや、しゃぶりつきたくなる。というかもう、しゃぶりつきたい。それぐらいの気持ちなんだよ。基本的には細い足も不健康そうで良いんだけど、程好く肉付きの良い足……あ、太っているのはNGね。少しぽっちゃりぐらいの足が良いんだよ。胸だってそうでしょ? 貧乳好きな人もいるけど、大きすぎない美乳が好きな人が大半だ。うらなみさんの足も僕好みだけどさ、残念ながら、僕は素足が好きなんだよね。でも、今日は僕の好きな素足じゃなく、黒タイツなんだね。悔しいよ。その短パンに素足でデッキシューズでも履いててくれたなら、しゃぶり尽くしてやるのに。でも、短パンの下に覗かせる黒タイツはやっぱり実に魅力的だね。それって何デニールくらいなの? 僕は60デニール以外は認めない主義なんだけど引かないで、お願いだから」
「キモ……」
話の途中からすでに引いている彼女はそのまま僕の視界からフェードアウトする。
ごく一般的な知識の中で必死に脚フェチを演じきった僕は複雑な気持ちの中、精一杯やった事を自分に言い聞かせた。
[sage]
開いていた携帯を閉じる。
少し前までは土日ぐらいしか書き込みをしていなかった“こよ☆こよ”さんが、最近になって平日にも書き込みをするようになっているので、定期的に携帯を見るのが癖になっていた。挙句に、日によってキャラを変えるという趣向を凝らした事をしているので、彼女の心境に何の変化があったんだろう、と考えずにいられなかった。
やっぱり何か話したい事があるのかもしれない。本人は適当に流していたけれど、「なんでもない」と言っていた言葉がどうにも引っかかる。彼女の心境の変化と関係があるのなら、なおさらだ。それで困っている訳ではないが、僕に話すことで解決するのなら、聞いておきたい。
……煩わしい。ネット上で出来た友人とは、やはり何かしらの壁があるんだと思う。顔が見えていない、現実での関わりが無いという安心感と引き換えに、決して壊すことのできない壁が立ち塞がっている。
一応、自分なりに空気は読んでいるつもりだ。彼女がやはり言いたくないと判断したのなら、無理に聞く事は無いし、今こうして思っている事自体、余計なお世話なのかもしれない。それでも、付き合いが長ければ情も移る。
コンビニで買ったメロンパンをもそもそと咀嚼しながら、考えていた時、正面に影が出来た。見上げるとそこには、僕の前でだけ仏頂面、でお馴染みの浦波さんが陽の光を塞ぐように立っていた。
「となり、良い?」
「……あ、はい」
不意の出来事に、素の反応を返してしまう。僕の返事を聞いた浦波さんは、少し間隔を空けて、宣言通り僕の隣に腰を下ろした。それだけの動作なのに、彼女から発せられるふわりと甘い、洗剤のような香りが、男心を柔らかく弄んだ。隣に座る、それだけの動作なのに、穢れのない男心を、ここまで揺さぶる事の出来る女子という存在は凄い。ただ残念なのは、彼女が僕に対して好意を全く抱いてないという事だ。
見覚えのあるコンビニ袋から、チョココロネとアンパン、パックのミルクティーを取り出す。
「うらなみさんも今日はパンなんだ。珍しいね。いつもは人の多い学食とかで食べてるのに。あ、もしかして今日は特別、人が多くて座れなかったとか?」
「関係ないでしょ」
「あ、はい」
この有様だ。僕はツンデレも嫌いではないが、さすがにこれはツンの方に傾きすぎている。比率にすると、99.9%ぐらい傾いている。だが、嫌いではない。
「ここも人はそれなりに多いけど、学食ほどではないからね。でも、うらなみみどりさんが僕の隣に来てくれるなんて思わなかったよ。てっきり、気づいても無視して別の場所に座るかと思ってた」
「関係な……てか、フルネームで呼ばないで」
高校の時からそうだったが、下の名前で呼んだり、呼び捨てにするのは何となく嫌らしい。だから、フルネームで呼んでみたのだが、これも駄目だったようだ。
「なんで? せっかく、うらなみみみどりって可愛い名前があるのに」
「“み”が一個多いから。あと、褒めるならちゃんと褒めて」
「ちゃんと褒めたら怒るでしょ?」
「うん」
(りふじーーーーん!!)
とツッコミそうになったけど止めておいた。何となくツッコミを入れても怒りそうな気がしたからだ。結局嫌いな人間に対しては負の感情しか起こりえないということか。女心って難しい、本当に。
空になったメロンパンの袋をくしゃくしゃと丸める。彼女の機嫌がこれ以上傾かないように早いところこの場を去ろうと立ち上がった時「待ってよ」と彼女の方から声をかけてきた。
「最近、携帯ばっか見てるね。何見てるの?」
「あぁ……良い感じのエロサイトがあって。一緒に見る?」
「さいってー」
軽蔑を込めた彼女の視線を背中に感じながら、僕はその場を後にした。
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