第2話 女神様が見ているチュートリアル

 『救世の剣』を抜いたミコトは、すぐに魔族を討伐する旅に……出られたら良かったのだが、現実はそれほど甘いものでは無かった。

 女神アストラによるチュートリアル、戦闘訓練というシゴキが待っていたのだった。


 アストラは色ボケ気味だが、戦闘の準備などに関しては一切の妥協を許さなかった。この点だけなら、まごうことなき剣の女神である。

 戦闘訓練は、主にミコトの家の庭で行われた。昔はともかく、今のシグムント村は農業と狩猟で生計を立てている家が大半であり、ミコトの家も家屋はともかく、庭そのものは比較的広かった。

「ええと、ではまず私とミコトちゃんが口づけをします」

「なんでだよ!」

「今私の唇と唇を合わせると、もれなく今までの救世の剣の所有者の戦闘記録を、自分の記憶にすることが出来ます」

 ミコトは疑わしげな視線を向けたものの、アストラはいつになく真剣だった。

「今から普通の方法で特訓してたら、最低限戦える練度になるまでの時間だけでも相当かかると思うけど。それでも、その方がいい?」

 ミコトは少し黙考したが、言われてみれば最もだ。ミコトは戦闘に関する諸々の知識もなければ、戦闘術そのものの基礎理論すら学んだこともない。今からそれらを覚える時間だけでも、相当な時間がかかる。ただ……

「本当に、キスしないとダメなのか?」

「……うん」

 アストラは頷いたが、それにしては微妙な間があったのが気になる。とても気になる。だが、女同士のキスだ。あまり深く考えない方が良いかもしれない。

(そうだ、ただ唇と唇を合わせるだけ……それ以上の意味は無いんだ)

「分かったよ……」

「はい、じゃあいただきまーす!」

 了承はしたものの全く乗り気でないミコトと違い、アストラはやけに嬉しそうな口調だった。そして、アストラの方からミコトの両頬を両手で優しく掴んで、唇を近づけてくる。

「ん……んっ……!」

 唇と唇が合わさる。ミコトの唇に柔らかい唇が触れて、僅かな動きで擦れる。それらがもたらす甘やかな快感に、思わずミコトは目をつぶってキスがもたらす快感に酔いしれてしまう。

(入ってくる……頭に……これが、所有者たちの記録……?)

「はぁっ……」

「うふ、ミコトちゃんってば、意外と敏感なんだから。素敵な顔ね」

 思わず陶然とした表情で惚けるミコトと違い、アストラは女神らしからぬ妖艶な笑みを見せた。その口元は、雫が溢れて糸を引いていた。それを、アストラはこれみよがしになめとる。

 その仕草をみて、ミコトはようやく我に返った。震える唇で、言葉をつむぐ。

「……一つ質問してもいいか……?」

「なあに?」

「確かに、頭に色々な知識が入って来たんだけど……口の中にも何か入って来た気がするんだが!?」

 そうである。冷静になってみると、口の中をまるで蹂躙じゅうりんするかのように、なにか柔らかい物がかき回していた気がする。口の中を走る快感と、頭に流れ込む情報の違和感によって、まるで抵抗出来なかったのだが。

 自分の口元にも、雫が糸を引いているのに気付いて、それを乱暴に拭いながら、アストラに向かって怒声を発した。

「ええ、舌を入れたわよ。情報と一緒に。気持ちよかったでしょ?」

「誰が舌まで入れろといった!?」

「あんまりただの口づけで気持ち良さそうだったから、もっと気持ち良くなってもらおうと思って……気持ちよかったでしょ?」

「気持ちよかったでしょ? じゃない!!」

「大丈夫……! ミコトちゃんには、女の子を好きになる素養があるわ! 今の口づけで確信した!」

「せんでいいわ、そんなこと!」

 ……その後もしばし、終始アストラがのらりくらりする口論は続いたものの、終わってしまったことは仕方ない、とミコトはようやく割り切ることが出来た。




 しかし、落ち着いてアストラから剣の所有者から受け継いだ記録を整理していると、その膨大な情報量とその研鑽のために積み重ねられた年月の長さに、驚かずにはいられない。

 それと同時に、なんでまだ本格的に訓練を始めたわけでもないのに、これほど自分は疲労困憊ひろうこんぱいなのだろうか、と疑問に感じずにもいられないが。

「なんだか情報が多すぎて、頭が混乱する……これからどうすればいい?」

「さしあたっては……状況に応じて最適な情報を、素早く的確に判断出来るようになるまでは、手当たりしだいに型稽古かな」

 それまでは大分時間がかかりそうだとミコトは思った。

「型稽古?」

「そう、取り敢えず頭に思い浮かんだ型を、片っ端から試して剣を振ってみて。ただし、最初は軽くよ……間違いなく、失敗するから」

 なんで断言出来るのかとは思ったが、素直に言うことに従うことにする。さっきまでと違って、アストラにはフザケている様子がまるで無かったからだ。

「……っ! 頭では、分かっているはずなのに……!」

 もどかしいほど、身体の動きが鈍い気がする。頭では、もっとキレのある動きが出来る気がしているのに、とにかく身体の動きが鈍い。

 言われた通り、加減して身体を動かして正解だった。たしかに、頭に浮かんだ型通りに剣を振るおうとするが、全く思い通りに身体が動かない。加減をして再現出来ていないのだから、全力で再現しようと無理をしていたら、大惨事になっていたかもしれない。

「そうそう。大抵の子は最初はそうなるの。これに関しては、別にミコトちゃんが特別に才能がないわけじゃないのよ? ただ、剣の所有者は皆体格が違う。筋力も違う。身体の柔軟さも違う。場合によっては、剣の形状や重量のバランスも違う……その意味が分かる?」

 女神アストラは、セリフとは裏腹にむしろ穏やかで優しい口調で語りかけて来た。その言葉はミコトの胸に、ゆっくりと染み渡っていく。そういうことか。

 不意に、霧が晴れたように頭が理解する。

 あたり前の話だ。剣の所有者は全員、研鑽を重ねた上で自分に合わせた型を編み出している。自分はその情報だけを受け継いだ。その過程の違いがあるのに、そう簡単に再現出来るはずもない。

「そう。だから始めは試した後に、どうして再現が出来ないかを考えてみて。体格、筋力、柔軟性、剣の性質……それらを加味して、将来的に再現が出来る型だけを、選別していくの」

「……全部を再現していくわけじゃなくて?」

「ミコトちゃん……特に体格の違いは大きいのよ。リーチの長さを活かせる場合もあれば、小柄な分小回りが利くことだけを武器にしようと、それだけを考え抜いた末の型もある……型は戦法の根幹にも関わるの。どうしてその型なのかを考えて、自分の体格にあったものを厳選する必要がある」

「…………」

 幸いなことに、ミコトの体格はやや高めよりの中背だ。剣士としてはそれでも恵まれているとは言い難いだろうが、小柄なことをどう補うのか考え抜かなければならない、というほどでもない。

 向き不向きはともかく、体格が違い過ぎて意味をなさない型そのものは、比較的少ないと思われる。

「筋力や柔軟性は、鍛錬しだいである程度は向上するけれど、それにも限度や根本的な向き不向きがあるし。剣の性質は……まあ、これだけはあまりに自分に合わないと思ったもの以外は、最初の方は無視していいわ」

「……?」

「最初の選定のこと、忘れた? 今の剣は練習用に調整された形状……これからどういう形状になるかは、ミコトちゃん次第」

 アストラの解説は、そこで一旦終了した。

「試行錯誤の末、貴女が自分に最適化した型がどんな代物になるのか。剣の最終調整と旅立ちは、それからよ」




 ミコトは言われた通り、剣を振るう型を色々と試してみる。型を試すたび、それがどういう意図を持った型なのか、自分に今足りないのは筋力なのか柔軟性なのか体幹なのか、そもそも自分が比較的得意な攻撃方法は何なのか?

 考える事は多い。恵まれた体格を活かすための型や、逆に小柄ゆえに俊敏さや小回りを極端に追求した型は、おそらく自分には合わない。自分には特段長所となる身体能力など、今のところ見つけられないからだ。

 アストラも、戦いの才能を見込んで選んだわけではないことから、それは自ずと分かる。あえて口には出さなかったが、ハッキリと分かるほど戦いに関する才能があったのなら、きっともっと前にアストラが話しかけてきたはずだ。

 決意を買われたということは、言い換えれば決意以外で特段選ぶ理由が無かったから、ということだろうと思う。


 しかし、今はそれで構わない。仄暗い感情はまだ胸にくすぶり続けている。だが、今は努力が形になる機会が与えられている。自分の無力さや才能のなさを嘆いている時間はないし、幸運にも機会を与えられた自分にはその資格さえ無い。

 大丈夫。復讐の炎と、希望の灯火がこの心にある限り、自分は戦っていける。頑張れる。決意は消えない。

「だぁ!」

 ミコトは咆哮ほうこうと共に、今は疲労して動きが鈍り始めた身体で、それでも無心に剣を振るい続けた。

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