第4話 愛の妖精に祝福を

 その神父は若い頃、自分自身に絶対な自信を持っていた。

 容姿に恵まれ、環境に恵まれ、神に仕える身として才能に恵まれた。

 神父が最も得意としていたのは、人々の悩みを聞くことだった。心を軽くさせたり、解決策を導いたり、悩みを取り除いたことで体の怪我が早く癒えた人もいる。美しい容姿もあいまって、天使のようだと言われてきた。

 自信が儚くももろく崩れたのは、戦場に赴いて兵士の手当てをしていたときだった。砲弾で破壊された石壁の破片が片目を直撃した。目はつぶれ、神父は隻眼となった。つぶれた目をさらしたくないので、眼帯をつけるようになった。

 眼帯をつけ始めたことで、神父は邪眼持ちだと噂されるようになった。誰も神父に相談しなくなった。

 神父は追い出されるように、村の教会に赴任した。神父の噂を知る人は誰もいなかった。神父は村人から慕われるようになった。

 村には“魔女”と呼ばれる老婆とその孫がいた。神父はその一家が目障りで仕方なかった。その気になれば村から追い出すことができる。しかし、追い出せば「運命の書」に――しいてはストーリーテラーに背くことになる。だから、神父は我慢して“魔女”を黙認しなくてはならなかった。

 老婆の孫である“魔女”の少女は特に、殺したいほど憎らしかった。小鬼か醜い妖精のような容姿で村中を駆け回り、いたずらをする様子は、神父には耐え難いものだった。聖アンドッシュ祭では双子の弟にちょっかいを出し、一緒に踊っていた。聖なる鎮守の祭りに“魔女”を参加させたくなかった。しかし、「運命の書」に従って見逃さなければいけなかった。

 “魔女”の少女は嘘のように美しく聡明に成長し、村中の評判も良くなった。神父はそれが気に入らなかった。

 転機が訪れたのは、“魔女”の老婆が死んだときだった。双子の兄に提案されたのだ。“少女を守るものはなくなった。今なら悪い評判を広めて少女を陥れることができる。それに協力してほしい”と。

 神父は双子の兄の提案に乗った。その頃、神父はなぜか黒い化け物を従えることができていた。その化け物を村に放ち、化け物を操っているのは“魔女”の少女だと嘘を広めることに成功した。

 神父は気付かなかった。自分自身がカオステラーになっていたことに。



 双子の兄は、自分に自信を持つことができなかった。

 心も体も弱く、丈夫な弟と比べられていると思うと、気が気でなかった。

 双子の兄は、とにかく“魔女”の少女が嫌いだった。

 少女は美しく賢く成長し、村人から信頼されるようになってきた。それが憎らしくて仕方なかった。少女を殺したいとさえ思うようになった。

 自分の抱えているどす黒い感情を教会の神父に告白し、神に懺悔した。すると、神父は聖職者らしくないことを話してくれた。神父の過去の話だ。根拠もなく悪者だと決めつけられ、追い出されるようにこの村に来たこと、神父も少女を憎んでいること。神父は、双子の兄の感情を否定せず、共感してくれた。

 双子の兄は、ある思いつきを神父に提案した。

 ――ふたりで協力して、“魔女”を陥れましょう。悪い評判を広めて“魔女”を自滅させるんです。かつて神父様が遭ったのと同じ目に、あいつも遭わせてやるんです。

 それはとても上手く遂行された。“魔女”の少女と恋仲になった自分の弟を教会の地下室に閉じ込め、化け物を村に放った。それを“魔女”の仕業だと吹聴した。村人に迫害される少女に追い打ちをかけるように化け物に襲わせ、彼女の弟を誘拐した。少女に絶望を味わってほしかった。

 双子の弟は気付かなかった。少女に、憎悪とは対照的な感情も抱いていることに。神父がカオステラーになっていたことに。自分もカオステラーになりかけていることに。



     ◇   ◆   ◇



 教会の地下室から逃げ出したファデットの弟は、意外にも双子の両親にかくまってもらえることになった。双子の両親は、頻繁に教会に行くようになった双子の兄の方を何か企んでいるのではないかと疑っていて、悪い噂が出ているファデットのことは心配していた。

 ファデットも身を隠した方が良いのではないか、と言われたが、彼女はそれを断った。

「……いよいよ討ち入りだと思うと、わくわくしますね」

「ファデット、怖くないの?」

 言葉に反して足が震えているファデットに、レイナは声をかけた。

「怖いです。でも、怖がっていても始まらないじゃないですか。だから、少しでもモチベーションを上げないと……吐いてしまいそうで……」

「怖いと吐いてしまうんですか」

「さあ、強気で行きましょう!」

 シェインの突っ込みはファデットの耳に入っていなかった。

 ファデットは教会の扉を大きく開ける。

 神父はそこにいなかった。その代わりに、とでも言うように、双子の兄である青年がいる。

「……ファデット? しぶとく生きていたんだね。よかったよ」

 彼は、にこりと笑ってファデットに歩み寄る。一行に「“魔女”をやっつけてくれ」と頼んだ張本人だ。その人が、なぜかファデットの無事を喜んでいる。

「皆さん、この間はすまなかった。やっぱり、彼女に死なれては困るんだ」

「何を言っているの。あなたはヴィランを使って人を誘拐したり、村を襲ったり、ファデットに汚名を着せたのよ」

 レイナは青年に確認するように訊ねる。

「うん。確かにそんなこともしたさ。でも、今はとても反省しているんだよ」

 青年はレイナを見ずに答えた。それどころか、一行のことは気にも留めていないようだ。彼は周囲に耳を傾けていても、目はファデットしか見ていない。

「俺は、あんたのことが好きで好きでたまんないんだよ」

 ファデットは絶句してしまった。俗に言う、”ドン引き”だ。しかし、青年は自分に酔っていてファデットの様子に気付いていない。

「あんなに憎らしかったのに、あんたを追い込むたびに心が痛んで仕方ないんだ。これって、愛しているってことなんだな。ファデット、俺と一緒に逃げよう。俺は『運命の書』に従って、あんたのことを諦めて生涯独身の軍人になるなんて、御免だよ。この村を出て、俺と幸せになろうよ」

 ファデットは、青年の熱い視線から目をそらし、エクス達4人に顔を向ける。「この人、どうしたら良いですか?」と言いたげに困った表情で。

「おい、ファデット嬢! こんな野郎とここで結婚式を挙げるんじゃねーぞ!」

「シェイン達は間違ってもキスをはやしたてませんよ」

「僕達はサンバに合わせて踊らないからね!」

「赤いリボンの花籠をあげたりなんかしないわ……って、何だったかしら、これ」

 レイナは我に返って感覚を研ぎ澄ませる。

「ヴィランとカオステラーが近くにいるわ。皆、気をつけて! ……あなたもファデットのことは後にして逃げなさい!」

 一行は戦闘態勢に入った。レイナは赤ずきん、シェインはテルミエ、タオはドン・キホーテ、エクスはアラジンではなく、金槌を携えたヘンゼルと接続コネクトする。

 柱の陰からヴィランが現れ、一斉に襲いかかる。青年はそれを涼しい目で眺めてから、力ずくでファデットを祭壇につれて行った。

「ファデットはここで待っていて。俺は、あの邪魔者を駆逐するから」

 ファデットは、青年が恋狂いろぼけしているように見えていた。しかし、この瞬間、また違う風に変わった。何かがおかしい。

「……ねえ、シルヴィネ!」

 ファデットの声は青年には届かなかった。

 青年の口から、人間とは思えない咆哮が発せられた。青年は、人間ではない姿に変化する。

「メガゴーレム!」

「こんなところで暴れるつもりか!?」

 青年だったメガゴーレムは、己のこぶしをエクスとタオに向かって振り下ろす。それをふたりがかわすと、メガゴーレムはシェインに突っ込んでいった。シェインは逃げるのをためらい、体当たりをもろに食らった。勢いで壁にめり込んでしまう。

「シェイン! なんで逃げないんだ!」

「……だって、タオ兄」

 タオに言い返そうとしたシェインだが、口が回らず、黙るしかなかった。先程の戦闘でファデットに怪我を負わせてしまったことがトラウマになっている。

 エクスはメガゴーレムの背後にまわり、打撃をお見舞いする。メガゴーレムはくるりと向きを変え、エクスを殴りにかかる。エクスは寸前で防御した。メガゴーレムは連続で殴りかかる。エクスは全て盾で止めているが、長く保ちそうにない。レイナもタオも重傷のシェインを守りながらヴィランと戦うので精一杯だ。メガゴーレムの相手をできるのはエクスしかいない。

「エクス!」

 祭壇の机の後ろに隠れていたファデットが戦いに加勢しようとしている。メガゴーレムはそれを見逃さない。攻撃対象をエクスからファデットに切り替えた。もはや、守りたい人と敵の区別もないようだ。

「ファデット、危ない!」

 エクスは、ファデットに近づくメガゴーレムを見据える。

 そのときだった。

 ――この子を守りたいんだよね。

 ヘンゼルの魂が語りかけてきたのは。

 ――この子の前では、強いエクスでいたいんだよね。

 こんな真剣なときにからかわないでくれ、とエクスは思ったが、ヘンゼルの真意は違うようだ。

 ヘンゼルの物語が頭の中に映像のように流れ込んでくる。

 飢餓による口減らしのために母親に捨てられた兄のヘンゼルと妹のグレーテル。

 つらくても苦しくても、ヘンゼルは妹思い。グレーテルの前では優しく強い兄でいたいから、グレーテルのために無茶をしてでも活路を切り開こうと頑張る。

 ――この子に害なすモノを鎮めてしまいなよ、エクス。

 エクスはヘンゼルの言葉に強く頷いた。メガゴーレムの背に向かって跳躍し、金槌を投げつけた。

「どっか行けよ!」

 ヘンゼルの必殺技、“心優しき兄の子守唄”が決まった。

 スタン状態になったメガゴーレムに、もう一撃打ち込む。

 メガゴーレムが音を立てて倒れた。その姿は、元の青年に戻る。

「よかった。ヴィランに完全に呑まれていなかった」

「エクス、油断しないで。カオステラーも近くにいるのよ」

 クラリスに切り替えたレイナは、全員を“ホワイト・バベルの詩”で回復させ、気配を探る。

「ファデットはその人をつれてここから逃げて」

「わかりました。シルヴィネ、立って」

 茫然としている青年に肩を貸したファデットは、教会を後にした。レイナはそれを見届け、声を張り上げる。

「出てきなさい! そこにいるのはわかっているのよ!」

 それは柱の陰からゆっくりと出てきた。姿形は壮年の神父だが、それから発せられる禍々まがまがしいオーラは、もはや人間のものではない。

 ――オマエタチハ、“魔女”ノナカマカ?

 二重にも三重にも響く低い声が、教会の中で反響する。

 ――ムラノキリツヲミダス“魔女”ノナカマタチヨ、カミノオンマエデハジヲカクガイイ!

 それは黒い霧でおおわれる。霧が引くと、それは人間の形をしていなかった。

 馬のような体躯にコウモリのような双翼、頭には金の冠、爬虫類のような大きな尾。尾の先はかぎ針のように鋭い。手にしているのは、

「カオステラー! 覚悟しなさい!」

 禍々しい図体のカオステラーにも、レイナは毅然と言い放つ。

 シェインはカオステラーを見つめ、ぱちぱちとまばたきをした。

「あの尾の怪物……もしかして……」

 カオステラーの槍をエクスが防いでいたところ、早速隙ができた。

「食らいやがれ! 『ラ・マンチャの栄光』!」

 タオはカオステラーの背後から必殺技をしかける……はずであった。

「タオ兄、近づいては駄目です!」

 シェインはありったけの声を振り絞って叫んだ。

 カオステラーの尾が、すばやく動いてタオをとらえた。かぎ針のような尾が肩に突き刺さる。

 タオは自分の槍を尾に突き刺した。尾は大きくしなり、振り払われたタオは床に叩きつけられた。

「そいつのモデルはおそらく、堕天使アバドン。伝承通りであれば、そいつの尾はサソリの……」

「シェイン、ごめんなさい。話は後にして」

 レイナはタオに駆け寄り、回復魔法を施す。

 話を遮られたシェインは少々不服だったが、再び戦闘に参加する。

「ほいほい!」

 シェインはテルミエの力を借りて矢を放つ。攻撃しながら、話を続ける。

「アバドンの毒は、すぐには抜けません。5か月間の苦痛を与えられると言われています」

「5か月!?」

 レイナは素っ頓狂な声を上げた。

「カオステラーは本物のアバドンではありませんが、痛みはすぐに引かないでしょう。新入りさんも姉御も、尾には絶対に近づかないで下さい。……タオ兄、忠告が遅くてごめんなさい」

「シェイン、こっちのことは気にしないで任せてちょうだい!」

 レイナはタオに回復魔法をかけた。怪我は治ったが、体をくの字に曲げて歯を食いしばっている。痛みどころか激痛が体を駆け巡るようだ。

「タオ、接続コネクトを解いて。これ以上は……」

 タオは小さく首を横に振った。痛みがひどく動くことができないのである。接続コネクトを解かないと体力をひどく消耗してしまうのだが、解くことができない。

 カオステラーはエクスに向かって槍を振り下ろす。エクスはそれを避け、カオステラーから距離を置いた。

 シェインはすかさず必殺技を撃つ。

「スケエルの裁定、いきます!」

 必殺技がカオステラーに命中し、大きく爆発する。スタン状態になったところにもう一撃お見舞いした。しかし、大打撃というわけではない。

 シェインはエクスに駆け寄り、耳打ちする。

「新入りさん、作戦会議をしましょう」

 こっちです、と柱の陰から陰へ走りながら、シェインは話す。

「新入りさんも察しているとは思いますが、カオステラーは戦線離脱したタオ兄と回復魔法に集中する姉御には興味がありません。つまり、ターゲットは新入りさんとシェインです。幸か不幸か、カオステラーはスピードがあまりなく、翼で飛ぶこともしないため、こちらは隙を見て攻撃しやすいのです」

「でも、どの攻撃も充分には効いていない」

「いえす。しかも、尾に刺されたら戦えなくなってしまいます。そこで、新入りさんの知恵を拝借です」

「僕の知恵!? 急に言われても……」

 エクスは空を仰ぐように教会の高い天井を見上げる。外が曇っているせいか、ステンドグラスから入ってくる光は少なく、室内も暗い。目を凝らすと、教会内部の装飾は意外と華美である。ロココ調というものか、花のような水のような曲線の飾りが柱から天井近くまで施されている。

「あっ……」

 エクスは立ち止まった。ひらめいてしまったかもしれない。正面からの攻撃はいまひとつ。背後からは無理。でも――

「その作戦会議、私も参加させて下さいな」

「ファデット!」

「ファデットさん、いつの間に」

 ファデットが戻ってきた。カオステラーになりかけた青年と安全な場所へ逃げた後、もう戻ってこないものだと、皆思っていた。

「あの双子の兄に、爽やかに求婚されました。それなので、潔く断ってきました。時間がかかってしまって申し訳ありません。私はもう逃げません。私を陥れようとしたモノと決着をつけたいんです。……そのモノが、今までお世話になった神父様であっても」

 ファデットの決意は揺るがない。もう震えてはいなかった。

 エクスはファデットとシェインに作戦内容を話し、実行に移した。

 エクスはヒーローを切り替え、アラジンとなって駆け出した。

 無残になぎ払われたベンチを踏み台にして跳躍する。複雑な曲線模様を足場にし、さらに上へ跳ぶ。身軽なアラジンだからこそできる技だ。天井近くの装飾まで上ると、今度はヒーローをヘンゼルに切り替え、金槌を振り上げた。

 カオステラーがエクスに気付き、上に向かって槍を構える。

 ファデットとシェインはカオステラーの足をめがけて攻撃した。

 足を掬われたカオステラーは、派手に横転した。エクスにとって好機以外の何物でもない。

 重さと引力で威力が増した金槌を、カオステラーの脳天を狙って振り下ろす。

 カオステラーの頭に乗っていた冠が砕けた。首を大きく振って暴れまわる。

「シェイン!」

「がってん承知です」

 シェインは必殺技を撃とうと天井に向かって弓を引く。しかし、痛みで暴れるカオステラーの尾がシェインの腕を掠めた。想定外の動きに、避けることができなかった。体が裂けるような痛みが全身を駆け巡る。シェインは一瞬で意識を失い、その場に崩れるように倒れた。

 あと少し。あと一撃、大きな技を与えれば、カオステラーに勝つことができる。

 厄介なのは、毒を持った尾だ。これまで脳があるかのようにエクス達を狙っていた尾は、ただ暴れまわっている。それだけに、動きを読むことができない。

 有利かもしれない点はふたつ。ひとつは、尾は伸縮せず一定の長さであること。距離を置けば、尾にとらわれずに攻撃できる。ふたつめは、尾はそれほど高くまで上がらないこと。せいぜい人間の平均身長くらいまでの高さだ。先程と同じように高いところから攻撃をすれば、ほぼ確実にダメージを与えることができる。

 しかし、それは容易なことではない。空中でのヒーローの切り替えにとてつもない集中力が要る上、その間は敵の動きを抑えてもらわなければならない。

「あの、エクス」

 ファデットが控えめに訊ねてきた。

「お願いがあります。私をあそこまで投げてくれませんか?」

 ファデットが「あそこ」と指差すのは、天井近くのとび出た装飾だ。

「あそこから、私が矢を射ます。だから、お願いです。あそこまで投げて下さい」

「それは……できませんか?」

「やってみるけど、きみは……」

「大丈夫です。私は生まれ変わったんです」

 大胆な発言に、エクスは一瞬耳を疑った。「生まれ変わる」といえば、クラリスが“ホワイトバベルの詩”を行うときの文言のイメージがある。

「逃げてばかりの“魔女”はもう私の心にはいません。私の心に生まれたのは、ストーリーテラーをと言わせてやる、いたずら好きの愛の妖精です。失敗なんか恐るるに足りません」

 ファデットには大変失礼だが、それは何の根拠にもなっていない。

「エクス! ファデット! こっちは大丈夫だから、私達のことは気にしないで思い切りやってちょうだい!」

 レイナがシェインを安全な場所に移動させながら声を張り上げる。

 カオステラーが重い体を上げた。戦う体制は未だ整っていないようだ。これが最後のチャンスとなる。

「ファデット、いくよ!」

「はい!」

 エクスは、自信満々なファデットを信じることにした。今の彼女なら、本当に成功しそうな気がするのだ。

 ヘンゼルの金槌をカオステラーに投げつけ、痛みにうめいている間にファデットの手を引いて走り出す。ベンチを踏み台にし、力を込めてファデットを宙へ放った。

 ファデットは地上のカオステラーをしかと見据え、弓を引く。どこからか鬼火が集まり、矢の形をつくる。集まった鬼火は炎となり、ファデットの腕にものぼってくる。なぜか腕は焼けず、熱くもない。昔から“鬼火に愛された魔女の子”だとからかわれてきたが、今は自分から言える。鬼火が力を貸してくれているのだ。

炎の矢は、槍ほどの大きさまでに膨れあがった。

「今だ!」

 エクスは力強く叫んだ。

 ファデットも力強く声を出し、渾身の力で炎の矢を放つ。

「よっしゃあ! 祭だぜコノヤロー!」



 ファデットが放った炎の矢は、カオステラーを貫通した。

 カオステラーは炎に包まれ、それでもなお暴れまわる。

「ファデット!」

「エクス、ただいま!」

 エクスは無事にファデットをキャッチした。ファデットはエクスに抱きつく。

「ちょっと、ふたりとも! ここから逃げるわよ!」

 レイナは、シェインとタオに肩を貸し、教会から外に出る準備ができている。なぜだろう、彼女の声は苛立っていた。

 エクスはファデットの手を引いて外へ出た。

 外からはカオステラーの様子がわからない。しかし、炎のはぜる音とカオステラーがうめく声は聞こえてくる。

 その両方が聞こえなくなったとき、シェインが意識を取り戻し、タオから苦悶の表情がなくなった。

「……はっ、カオステラーは!?」

「あれ……痛くねえな」

 カオステラーの毒が抜け、痛みも消えたようだ。カオステラーの力が効かなくなったと判断し、皆、接続コネクトを解いた。

「あっ……」

 ファデットは、思い出したように教会へ入っていった。エクスも慌てて追いかける。

 教会の中は、悲惨な状態になっていた。床の広く焦げた跡や壁の大きな傷、なぎ払われたベンチに、戦いの激しさが伺える。

 ステンドグラスから陽光が降り注ぐ。

 陽光に晒されたカオステラーは、黒こげの体躯を動かそうとしているが、立ち上がる力も、腕一本動かす力も残っていない。

「ファデット、どうしたの? カオステラーはきみが倒したんだよ」

「エクス、未だ終わっていません。だって、双子の弟が見つかっていない――」

 ファデットが言い終えないうちに、祭壇の机の前の床が開いた。「ぱかっ」と音がしそうな、観音開き式に。

「おねーちゃん!」

 そこから、ファデットの弟がひょっこり出てくる。続いて、剣を腰に下げた双子の兄と、彼に引き上げられて、もうひとり。双子の兄と似ている青年である。双子の弟だ。

「ランドリ……!」

 ファデットは、軽やかに駆け出した。羽のように跳び、双子の弟に抱きつく。

「ランドリ、無事だったのですね」

 双子の弟はファデットを抱きしめ、傷だらけの手で彼女の頭を撫でた。

「シルヴィネとジャネが助けてくれたんだ。驚いたよ。地下室から祭壇の下が隠し通路になっていたなんて」

「ふたりとも……安全なところに隠れてて、と厳重注意したのに」

「ファデット、化け物を倒してくれたんだね」

「うう……ただ、あなたを救いたかっただけです」

「ありがとう、もう大丈夫だよ。泣かないでよ、俺の最愛の妖精さん」

 祭壇から離れたところにいるエクスは、再会した男女カップルについていけなかった。

「あーあ。振られちゃいましたね、新入りさん」

 すっかり回復したシェインが、エクスの顔をのぞき込んで楽しそうに笑う。

「あのふたりに割って入るのは、野暮ってもんだな」

 すっかり調子を取り戻したタオが軽口を叩く。

「おにーさん、おねーちゃんに散々からかわれたんだね?」

「愚痴だったら、町の酒場で聞くけど?」

 ファデットの弟と双子の兄からも、肩をぽんぽん叩かれてからかわれるエクス。

「もう、おふざけ禁止!」

 普段から真面目なレイナだけが、真面目に「“調律”しましょう」と言い出した。この想区は“調律”しなければならない。

 レイナは背中から「箱庭の王国」を下ろし、開いた。



 ――混沌の渦に呑まれし語り部よ。言の葉によりて、ここに調律を開始せし――



 「箱庭の王国」のページから、蝶の形をした光が一斉に飛び出した。教会の天井まで一気にのぼり、外へ、想区いっぱいに広がってゆく。

 エクスは、一瞬だけひそかに祈った。

 赤いリボンと黒髪のポニーテールを揺らす“妖精”に幸あれ、と。

 祈られた本人は、陽光と蝶の織り成す光景を、おもてを上げてしっかり見つめていた。

 想区が元通りになっても、嫌な思いをすることがあるだろう。しかし、今の彼女なら乗り越えてゆける。前向きで素直な心と、彼女を信じて寄り添う人々がいるから。



     ◇   ◆   ◇  



 霧を待ちながら、エクスは何気なく溜息をついた。理由はない。それなのに、シェインが目ざとく「おやおや」と気にしてきた。

「新入りさん、元気がないようですが、どうしました?」

「ちょっと、シェイン。わかり切ったことを訊かないの」

「姉御、今のは残酷ですよ」

「うっ……ごめんなさい、エクス」

「ううん。元気はあるよ。ちゃんと元気いっぱいだって!」

「無理すんなよ、坊主。今回の霧のタイミングは見送って、あの子の花嫁姿を見に行ってもいいんだぜ」

「タオ兄、あれですね。教会に乗り込んで『その結婚、ちょっと待った!』っていうやつ」

 いいかも、とレイナも乗り気でいる。

「やらないから! ほら、霧も出てきたし、次の想区へ行くよ!」

 エクスは3人を急かし、一行は霧の中に入っていった。

 一行は、異なる“物語”の世界へと旅を続けるのだ。



     ◇   ◆   ◇



 ぶどうの収穫をしていた夫のところへ、妻がやってくる。ふわふわした足取りは遠目からでもよくわかる。落ち着いて大人びた雰囲気の妻だが、こういうところは年齢より幼く、可愛らしい。

「あなた、お義兄さんからお手紙が来ましたよ」

 幼い頃は見た目に気を遣わず、口調も乱暴だった彼女は、いつの間にかこの地方一番の才色兼備になっていた。

「お義兄さんは何とお書きになって?」

「また功績をあげたらしいよ。賞をもらえそうだって。それと、きみに……『弟に飽きるな。絶対に俺のところに来るな』って」

「あら、未練たらたらじゃないですか。強がっているのが見え透いてますよ」

 妻はいたずらっぽく笑った。

 軍隊に入隊した双子の兄は、弟の妻に淡い恋心を抱いていたのだ。

 しかし、手紙の内容は、強がりではないと思う。兄は以前言っていた。彼女に求婚したような気がする、断られた気がするけど彼女を祝福したくなった、と。多分そのとき、妻は言ったのだ。

 ――私は、「運命の書」以上に充実した人生を送ってやるんです。ストーリーテラーにと言わせてやりたいんです。

 妻がよく口にする言葉だ。妻の努力は、本当にストーリーテラーが白旗を上げてしまいそうなほどである。

「あなた、どうしました?」

「何でもないよ。せっかく来てくれたんだから、畑仕事を手伝ってくれるかい?」

「もちろんです。最初ハナからそのつもりです」

 妻は頬をほんのり赤らめて言葉を続ける。

「家では話しづらいこともありますし」

「子どもは何人つくりたいとか?」

「違います!」

 ぷいっ、とそっぽを向いた妻の綺麗な黒髪に、赤いリボンが踊る。それはまるで、彼女を象徴する鬼火のようであり、彼女の“愛”を具体化したようでもあった。

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愛の妖精に祝福を 紺藤 香純 @21109123

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