帰還
レオナルドは今なお、人を雇って娘クラリッサを探させていた。彼自身、期待を持っているわけではない。自分の金を、娘のために遣いたい、という願望故のことでしかなかった。
だからこそ、「クラリッサ発見」の報を
使いの者によれば、隣国辺境の農場で下働きをしている少女が、年齢や容姿、奇跡的に残っていた人買いからの買い付けの記録などから、クラリッサに間違いないというのである。
レオナルドは呆然と「馬鹿な、そんなことが……」と呟き、しかしすぐに、「神よ、御慈悲に感謝を……」と跪いた。
そして事態は手早く運び、冬のうちに、レオナルドの邸に二頭立ての馬車が到着した。
使いの者に手を取られ、馬車のドアから降り立った少女は、美しい顔を、貴族と見紛うばかりの豪奢な衣装から覗かせていたが、その表情にあるのは困惑ばかりであった。
レオナルドは、寝室に入って来たその娘を一目見て震えた。ここ数年はなかったほどの元気の良さでベッドから起き上がると、少女に駆け寄り力強く抱きしめた。
「クラリッサ、クララ……ずっと悔いていた、富も名声も要らなかった、私は、お前とともにあるべきだったのだ、それを私は……この愚かしい男を、どうか赦しておくれ……」
「レオナルドさま……お、お父さま……?」
「ああ、慈悲深き神よ、神よ感謝します、感謝します、感謝……」
少女は、そんな激しい愛情を見せるレオナルドに困惑をなお深めていた。彼女は人買いに売られてから、最近レオナルドの使いに発見され保護されるまで、ずっと下働きとして働き続けていたと語った。過酷な労働の中、既に物心ついた頃の記憶は薄れ、今では自分がどんな親を持っていたのか、まるで覚えていないというのであった。だからなのか、少女の表情には、自分を売った父に対する憎しみや怒りはない。突然、訪れた運命の変転に戸惑う、美しい少女の顔がそこにあった。
レオナルドは少女の――娘の身体をかき抱き、涙を流した。娘の不憫と、それをもたらした己の罪とに、彼は激しく泣いた。
そしてクララは、そんなレオナルドの胸に、そっと顔を埋めた。
こうして、十数年振りに親を、娘を取り戻した二人は、レオナルドの邸宅で暮らすことになったのである。
初めの何日かは、クララも戸惑いを消せずにいた。それまでの習慣なのだろうか、少ない従者達に混じり家事をこなしては、レオナルドにたしなめられることが続いた。
「クララ、もうお前はそんなことをせずとも良いのだよ。お前は、今まで私が不幸にしてしまった分、これからこの家で、誰よりも幸福に暮らして欲しいのだ」
「でもレオナルドさま、わたし、どうしても、じっとしていることが出来なくて……」
レオナルドは、クララの過去そのものである、堅くなった彼女の掌を優しく撫で、こう言うのである。
「クララ、赦しておくれ。……そして私を、父と呼んでおくれ」
「はい……お、お父さま……」
レオナルドにとって限りなく幸運だったのは、クララが、自分が売られたことをまるで覚えておらず、また自分のこれまでの境遇を呪ってはいないということであった。
「記憶のどこを探しても、わたしは働いていました。だからわたしには、それが当然で、当たり前のことだったのです。誰を恨もうとも、自分が哀れだとも思いませんでした。ただ、それが当たり前なのだと」
そう呟くクララを、レオナルドは、ベッドの上に身を起こし、また涙を流して抱きしめるのである。
「私は罪深い男だ。地獄の門をくぐらねばならぬ父親だ。だがお前には罪はない。お前は清く、美しい。どうかこれからは、新しい暮らしを受け入れ、幸せになっておくれ」
クララと生活をともにするようになり、レオナルドの体調と機嫌は、目に見えて改善していった。通いの医師も、これなら持ち直すかも、と呟いたものである。少なくとも、庭の花園に春が訪れるのを見ることは出来るはずだ、と。
しかしそれでも、レオナルドは、自分の命数が尽きるのを恐れるように、寸刻を惜しんでクララと同じ時を過ごした。クララとともに食事をし、花園を眺め、彼女に文字を教え書物を与えた。邸宅の一室にある祭壇の前で、神への感謝を捧げた。
いよいよ春めき、花園が色づく頃には、レオナルドはクララに付き添われ、花園を散歩することさえ出来るようになったが、それでも彼は、片時でもクララの側を離れることを恐れた。
どんな物語よりも美しく、静かに燃え盛る愛情を、彼は娘に注ぎ続けたのである。
そんな中で、クララは時折、今まで埋もれていた五歳以前の――つまりはレオナルドと暮らしていた頃の記憶を掘り起こしては、レオナルドをこれ以上無いほどに喜ばせた。レオナルドも、いかにクララが死んだ妻、つまりクララの母親にそっくりであるかを語って聞かせた。
『地獄門』の傍らに腰を下ろして、レオナルドはそこに咲く花の名を、クララに教えた。クララもそれを喜んだ。今まで知ることの出来なかったことを知る、それはクララにとって大いなる喜びのようであった。
花の名を覚え、その花弁の色を、漂う香りを覚え、彼女は花に負けない美しい笑顔を、レオナルドに向けるのである。微笑み返すレオナルドの表情には、確かに、親としての限りない愛が満ちていた。
そうして、春は深まっていった。
(続)
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