愛の花

 春が、穏やかに過ぎ去ろうとしているある日の夜である。

 レオナルドの容態は急激に悪化した。医師とともにその枕頭ちんとうにあったクララは、医師の瞑い表情を見ようとはせず、ただレオナルドの苦しげな呼吸を見守っていた。

「クララ……クラ、ラ……」

 あれほどに愛を込めて呼んだ娘の名前すら、今の彼には、口にすることが激しい苦痛のようであった。

「テーブルの……手紙を……」

 震える手で、彼は傍らのテーブルの上を指差した。そこには白い手紙があった。レオナルドに頷きかけ、クララはそれを手にした。

「私が死んだら……『地獄門』でそれを……読んで欲しい……」

 既に、医師は姿を消していた。振り返ってそれを確かめた少女の貌に、何か人ならぬものの表情が閃いた。その表情には、痛ましい決意が潜んでいる。

 その貌で、彼女はレオナルドを見下ろした。

 何かを言おうとして彼女はためらい、表情を崩した。唇が歪み、わなないていた。固く握られた拳も、スカートの脇で細かに震えている。

 部屋に響くレオナルドの苦しげな息遣いは、彼女にどんな思いを抱かせているのだろう。

 彼女の表情は、困惑と悲哀に乱れた。懸命に何かに耐えている風であった。

 そんな彼女に、レオナルドは力無く首を横に振った。その目から涙があふれて落ちた。

「もう、いいんだよ……」

 彼に残された全てを込めて微笑んだレオナルドは、「君を、愛して……」と呟き、幸福を手にした表情で、魂を旅立たせた。彼の魂は部屋を飛び出し館を巡り、花園で舞い、地獄門を愛おしげに撫でた。幾度も、幾度も。門の花々は香気を発し、まるで燃えさかるような幻の光を放った。それはまるで、咎人の罪を洗い落とす、地獄門の炎のようであった。

 そして天から降りてきた白い翼を持つ者達に導かれ、レオナルドの魂は、はるかな天上への旅路についた。


(続)

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