第2話 この後一緒にお風呂入った
夜。八坂邸。食後のひと時である。
「相性的にきついか。どうにか使える手はないかな……」
ソファに座る八坂韻之介は、言葉通りに自分の手の平を見る。
決勝トーナメント、次戦は間近に迫っている。現状での勝率はさほど高くはない。今の手札で元B級の手練れであるグラナダに勝つには、それなりの幸運に加え複数の読み勝ちが前提になってしまう。
(要は、新しい手札がいる。欲を言うなら、これから上の戦いでも使い回せるような基盤になり得るものが)
そこで、と韻之介は考える。『欠片』支配の感覚は覚えている。
仮にではあるが。戦闘中に相手の『欠片』を支配できれば、その時点で勝ちだ。その後もずっと支配を続けるかは別問題として、それ自体はティアの『欠片』の能力なのだから一時的に利用するのはアリ――
(のはず、たぶん)
少し考えて。
「朱馬。ちょっといいか」
「んー、何ー?」
夕食の洗い物を終えた朱馬がエプロン姿のまま韻之介の隣に座る。春も過ぎて暖かくなったせいか、ショートパンツから伸びる脚線美が眩しい。が、それよりも、
「ちょいと今度の試合対策で頼みがあるんだが」
「試合の? でもそんなの、イムルさんの方がずっといいんじゃないの?」
朱馬は庭の方でティアといるはずのイムルを示す。韻之介は言葉に詰まった。
「えーとな……そのね……イムルには頼みにくくて……。キングーじゃないといかんからティアにも無理だし、お前にしか頼めん」
「私にしか?」
これに朱馬は興味を惹かれたようだ。やや上機嫌そうな表情になって胸に手をやった。
「ほー。ふーん。じゃあしょうがないかなー。言ってみ? この朱馬ちゃんが望みを聞いてしんぜよう」
ふふん、と笑ってみせる。韻之介は胸をなで下ろした。
「いやそう言ってくれると助かる……じゃあ朱馬」
「うん、どうぞ」
「上着をめくって腹見せてくれ。下からぺろんと」
ひゅ、と側頭部めがけて足刀が飛来した。
「な、なにをする……」
どうにかそれを止めて、押し合いながら韻之介は問う。
「なんでここでセクハラ……? そういう流れだった今!? 違うわよね……! もっとなんかこう、いいのあったよね?」
「誤解だ……! セクハラじゃない! ほんと! マジで! 真面目な話で!」
剣呑レベルまで行った朱馬の視線が懐疑レベルまで回復し、足を戻し、腹部を腕で隠して疑わしげに告げる。
「じゃあ何なのよ……。女の子のお、お腹見る理由って。言っとくけどね、相当デリケートなとこだからね!」
ご飯後だし! 付け加える朱馬を韻之介は拝み倒す。
「いやらしい意味ではない! お前の『欠片』の位置が下腹部だからなんだ! イムルに聞いたら内太股って言うし、流石に頼めん! というか殺されかねん」
お腹を押さえる朱馬がむー、と唸って。覚悟したように息を吐いた。
「正直に答えなさいよ。……下心、本当にない?」
「い……いち、いや二割くらいは」
「……なら良し」
ふん、と朱馬が鼻から息を吐く。
「いいんだ」
「完全にゼロだとそれはそれでショックなのよ」
顔を上げる韻之介にそう言って。赤面する朱馬がおずおずとエプロンを脱ぎ、シャツの裾を掴んだ。
「ど、どのくらい見せればいいの?」
「しばらくは。『欠片』に触れて確かめにゃならんし」
「さ、触るの!?」
「お願いします! 必要なんです!」
ソファの上で土下座。むむむ、と眉を八の字にした朱馬だったが。意を決したようにシャツを引き上げた。
「……!」
韻之介が目を見張る。なだらかな流線形を描く白い肌がある。へその辺りから圧縮神字である『欠片』の記述がタトゥーのように下腹部を彩っている。
(これは……エロいな!)
ごく、と息をのむ。朱馬の裸体は先だってのバシュムの件で見たが、何しろ非常時であったし、朱馬の体も毒やら傷やらで大変な有様だった。しかし今見る朱馬の体には傷一つない。
「は、早くしてよ……」
韻之介から視線を逸らしながら朱馬が言う。
「お、おう」
見入っていた。はっと我に戻って、韻之介はおずおずと右手を伸ばした。
肌に触れる寸前で一度手を止める。直接触れずとも、朱馬の体温を指が感じ取るような感覚を覚えた。
「……触るぞ」
「い、言わなくていいから……」
返事に、韻之介の指先が『欠片』の書板記述ーーへその下辺りに触れた。びくり、と朱馬の体が震え、息を漏らす。
「んっ……」
韻之介は指先の感覚に集中する。自分と接続する、バシュムの『欠片』に。バシュムは一度支配・制御しているが、それを頭からもう一度繰り返す。
「あ……ん」
書板記述から光が漏れ、反応するように朱馬が身じろぎする。
(やっぱ、一瞬で出来るもんでもないか)
今度は書板記述から離れた場所に触れ、干渉を試す。『欠片』への干渉自体は不可能ではない。
(『欠片』の支配制御はとても無理だ……が)
手応えはある。
「やれそうだな」
「ざけんな……ふぅっ……やらせないからね……っ」
何か勘違いしたらしい。熱っぽい吐息に顔を上げれば、上気した朱馬と目があった。
「えっち。お腹だけって言ったのに……」
「あ、ああ悪い。済んだぞ。ありがとな」
「韻之介……」
礼が聞こえなかったかのように、名前を呼ぶ朱馬の瞳が潤んでいる。咄嗟に返す言葉が見つからない。
「ねえ」
眉を寄せて、少し寂しそうに彼女が続けた。
「あんた、わたしのこと、好き?」
少し面食らうが、ここは笑いに走る場面ではないなと直感する。
「……そりゃな。一生守るつもりなくらいには好きだぞ」
「っ」
答えに朱馬は息をのんで――僅かに笑う。
「何番目に?」
「え」
予想外の返しが来た。
「答えて」
「いやその、何番って」
慌てる韻之介へ、
「ごーお。よーん」
「何だよそのカウントダウンは!?」
「さーん。にーい。いーち」
「えっちょ、待て待て待て」
「……時間切れ」
そ知らぬ顔でカウントを続けた朱馬の指が、韻之介の背後を指した。首筋に堅い感触。
「待てイムルちゃん、もうちょい見物を……!」
「いーえ太母様。最早忍耐も限界です」
背中から聞こえる声に、朱馬がやれやれと嘆息した。ぎぎぎ、と韻之介が振り向けば、
「……少し目を離した隙に何をしている? こともあろうに太母様のすぐ傍で。この色情魔が」
「もーちょっと見てたかったのにー」
果てなく冷たい表情で、『朱馬のシャツをはだけさせ肌に触れる』韻之介を睨むイムルと、その肩に取り付いて残念げにしているティアの姿があった。無論、韻之介の首筋に触れているのはイムルの愛刀、ギルタブリルである。
「相も変わらぬ不肖の弟子だ。少し性根を入れ替える必要がありそうだな」
しゅるり、とギルタブリルの刃が鋭くなる。朱馬の時とは全く異なるタイプの息を呑んで、韻之介は答えた。
「ぐ、具体的にはどういう」
「血を半分ほど流してから新しい血でも入れるか。太母様の能力で創って」
(やばいこれガチなランクの怒り方だ)
瞬時にそう判断した韻之介は、ソファから転げ落ちるようにして退避。即座に立ち上がり逃走に移った。
「誤解ですししょー!」
「ならば何故逃げる! 待て!」
すぐさまイムルも追走に入る。
廊下から庭に出て行く二人を見届けて、朱馬とティアは同時にため息を漏らした。気づいて、二人でおどけた様子で肩をすくめあった。
「すまんの、せっかくのいい雰囲気を邪魔してしもうた」
「ううん、ティアちゃん。……ちょっとね、答えを聞くのが怖くもあったし」
返す言葉に、ティアが苦笑した。
「気の多いあやつには不得手そうな質問じゃったな。順位付けなど、考えたこともあるかどうか」
「ごめんね。なんか勢いで変なこと言っちゃって。……怒ってる?」
今度はからからとティアは笑う。
「何を怒ることがあろうかよ。韻之介は我が主。あやつの言葉は妾の言葉よ」
ひょいと朱馬の股の間に座り込み、ティアは朱馬の顔を見上げた。
「あやつが愛したなら妾も愛す。加えて朱馬ちゃん、そなたも愛しい我が子じゃよ。母は韻之介がそう想うに負けぬくらい、お主が好きじゃよ」
言って、ティアは後頭部を朱馬の胸に預ける。
それに朱馬は、泣いているのか笑っているのか分からない表情になる。その顔を隠すように、ティアの蒼い髪へ顔をうずめた。
(……かなわないなー)
悲喜いずれか、本人にも判別つかぬまま。朱馬はティアの細い体を抱きしめた。
直後、目をぱちくりさせながら色めき立つ。
「……わ、ティアちゃん髪超サラサラで良い匂いー。シャンプー同じのだよね?」
「うひょひょ、これ、つむじを嗅ぐでない。妾はのー、水で流すのみじゃ。それで基礎の状態にできるでの」
「ええー、なにそれずるい……」
「こんなナリでも神じゃからのー」
朱馬は、嘆息しながらティアの髪に頬を擦り付けた。
ライバルは、強大である。
天命の書板 あれこれ 佐伯庸介 @saekiyou
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