エピローグ ファム編 「それぞれの玉手箱」
浦島太郎は1人、カオステラーになった潮(うしお)に近づいていった。後を追おうとする私たちを軽く手を上げて制し、親子2人が向かい合う。
「潮、お前なのか?」
「そうだよ、父さん。」
「随分とまた、変わったもんだな。」
「それはまた、随分と控え目な表現だね。」ははは、と潮が笑う。
「懐かしいよ、そのぶっ飛んだ図太さが」
クスッと私もつられて笑ってしまう。
それはそうよね。
元々背の高い子だったけど、今の身長は3メートルを優に超えている。極彩色の錦で着飾った体は父親のそれとは異なり、よく均整が取れていた。
そういう点ではまだ、カオステラーにしては人の形を保っている。でも、恐らくカオステラーの想念を最も色濃く反映してるのは、
「あの腕ね」
潮の肩からは逞しい4本の腕が生えており、それぞれが異なった獲物を握りしめていた。大きな出刃庖丁と銛、金槌とあと1つは何かしら?
「ファム、あれはチェーンソーですよ!まともに受け止めたらヤバイ奴です。」
武器マニアのシェインが解説してくれる。
危険を察したレイナ達が一歩前に出ようとすると、潮が初めて私たちに目を向けて言った。
「悪いけどあなた方は下がっておいて貰えませんか?父と2人で話がしたい。」
言葉は丁寧だけど、その言葉にあわせ、砂を割ってヴィラン達が現れた。ヴィラン達は浦島には目もくれず、まるで私たちを分断する様に襲いかかってくる。
不意を突かれて砂に足を取られたシェインをタオが引き起こした。
「面目無いです。」
なんか、この想区に来てからずっと、足場の悪いところで戦ってるわね。。。こういうの、誰に文句を言えばいいのかしら?
私たちの剣戟の音には構わず、2人は向き合ったままで話を続ける。
「お前、えらく老けたなぁ。今何歳だ?」
「54。今のあなたと同い年ですよ。この歳にあなたと会いたかったから。」
「独り身なのか?」
「ええ、1人です。ずっと1人でした。母の顔は覚えていないし、爺やも苦労で早くに逝ってしまった。」初めて潮の声に微かな震えが混じる。
せいっ!タオの槍がメガヴィランのうちの1体をつき伏せる。残る大きいのはあと4体ね。
「まあ、それは良いんです。自分の性にあっているから。」ふぅ、と息を落ち着かせて潮が言った。
「それよりも周りがうるさくてね。やれ、親父の頃はもっと飯が旨かった、やれ、吸い物の味が違う、やれ、尾頭付きのタイが小ぶりだって、ね。」
すっ、と潮が出刃庖丁を持った手を上げる。
「だから、決めたんです。私は貴方を超えてみせる。超えたことを証明してみせるって。」
「撃ち抜く!」シェインの矢がようやく2体目のメガヴィランにトドメをさした。ん〜、これは加勢が間に合わないかな?
ガハハッと浦島が天を仰いで豪快に笑う。「いいなぁ。そういうの大好きだぜ、俺は。だがな、潮よぅ。」
浦島も手に持った銛を構え直す。
「そう簡単に親父を超えられちまったら面白くないだろ?人間が小さくまとまっちまうぜ。」
ざっと音を立てて浦島が足元の砂を払う。
「何より、人様にメイワクかけてんじゃねぇよっ!このドラ息子がぁ!」吼えた浦島が砂を蹴る。
「性根を叩き直してやらぁ!」
「それが女にうつつを抜かして家を出た父親の言うことかっ!」チェーンソーが唸りをあげて浦島の銛を受け止める。
あらら、これはまた、壮絶な親子喧嘩が始まったわねぇ。いい歳したおっさん同士だけど…
メイワクって点では50歩100歩よ、浦島さん。悪いけど、そっちはそっちで頑張ってねぇ。
激しい戦いは太陽が西に傾き、最後の残照を惜しむ様に浜辺に投げかける頃まで続いた。
浦島太郎の影が長く伸びる浜辺に、潮は静かに横たわっていた。
「よう、なかなかやるじゃねえか。」
「嫌味ですか?コテンパンに人のことを叩きのめしておいて…」
ごろごろと血で喉を鳴らしながら潮。
「ちげぇよ。お前の店の事さ。寿司も悪くなかったぜ。」
「はは、父さんには敵わなかったけどね。どうやら僕は大工の方に才能があったらしい。」
「それはそれで立派な事さ。」
「バニィさんの事はスルーしたな。」
「あれは潮さんの独創じゃないですからね。」
タオとシェインが砂浜に並んで腰掛けながら話している。
「おい、嬢ちゃん。そろそろ頼むわ。こいつ、もう辛そうだからよ。」
呼ばれたレイナが近づいていく。
「いいの?調律してこの世界が元に戻ったら…」
苦しそうに喘ぐ潮を見下ろしながら浦島が応える。
「ああ、こいつにはもう会えないな。」
「十分さ。俺の息子は父親を越えようと血の滲む様な努力をする男だった。それが見られれば十分だ。」
「ふふ、本当に酷い父親だ。誰のせいで大量の血を流してると思ってるんですか。」ごほっと潮が咳込んだ。
「もういいだろう。これ以上、息子の苦しむ姿を父親に見せるのも残酷なだけだぜ。」遠く、海に沈みゆく太陽に目を移して浦島が呟いた。
「こいつの中に超えるべき理想がありゃ、それでいい。もう、こいつの人生に俺は必要ないのさ。」
こくりと頷き、レイナが空白の書を開く。
「混沌の渦に呑まれし語り部よ。我が言の葉によりて、ここに調律を開始せし…」
拡がり始めた夕闇に緑色の蝶が輝きを増しながら舞い始めた。。。
白い砂浜に柔らかな海風が吹いている。波の上に家路を急ぐのだろうか、数羽のカモメが飛び交っていた。間もなく穏やかな夕陽が波間に沈んでいくことだろう。
その人は流木に腰掛けて、穏やかに凪ぐ海を見つめていた。
腰まで届く白髪が風に揺れている。
玉手箱を開けたあとなのね。面影を残してはいても、顔の皺と真っ白な眉が彼の年齢を雄弁に物語っていた。足元には空になった玉手箱が、転がっている。
おや、という顔で年老いた浦島が私たちを振り返った。歳に似つかわしくない、しっかりとした声で問いかけてくる。
「あんたたち、何処かで会った事がなかったかな?」
「私たちは旅人なの。だからあなたとも初対面じゃないかしら?」とレイナ。
調律した世界の住民は私達の記憶を無くしてしまう。私達も彼と似たもの同士なのかもね。決して故郷に戻ることはない、誰の記憶にも残らない旅人。浦島さんと話をするレイナも心持ち寂しそうな横顔をしている。
「そうか。それじゃあ、浦島の店って言っても分からんよな。」
「それは…」
問われたエクスが思わず口ごもる。
もう、素直なんだから。そんなんだから、いつまでたっても良い人と進展がないのよ。ま、それがあなたの良いところなんだけど。
しょうがないわね、特別に助け船を出したげる。
「あら、私は知ってるわよ。」
「ファム?」レイナが目を丸くしてこちらを見ている。
「私のおばあちゃんも旅がすきでね。若い頃にこの地方にも来た事があったんだって。」
おばあちゃんどころか、母親の顔さえ知らないけど、ま、この程度の嘘は方便、方便。
「ウラシマって名前の凄く美味しいお店があったって教えてくれたわ。若い頃に父親を亡くした息子が頑張っててね、あなたもあんな風になりなさいって。困るわよね〜、会ったこともない人を見習えって言われてもさ。」ニシシッと笑顔で続けてみた。
「そうかい。お婆さんが…。あんたに似てベッピンさんだったかい?」
こういう所は枯れない人ね。
「あの〜。」
いつの間にか波間から顔だけ出していたウミガメがおずおずと声をかけて来た。
「やっぱり、玉手箱を開けてしまったんですね。」
「ああ。」よっこらしょと浦島がよろけながら立ち上がる。そこに往年の身体のキレはない。
「やっぱり連れて帰ってくれるか?」
「いいんですか?今度はもう戻ってはこれませんよ?」
「ああ。でも後悔はしてないぜ。いい話が聞けたからよ。」
「では、参りましょうか。」
浦島の身体を気遣ったのか、私達の時よりよほどゆっくりしたスピードでカメの背が遠ざかる。その上で手を振りながら、浦島が叫んでいる。
「じゃあな、嬢ちゃんたち!気をつけて故郷に帰れよ。」
浦島さんが水平線に消えるまで見送ったエクスがポツリと呟いた。
故郷にはもう、帰れないけどね…
「あ?辛気臭い顔してんなよ。」タオが腰についた砂を払いながら言う。
「それに故郷に帰るばかりが幸せじゃねぇしよ。」
そうね。エクスが本当に帰りたいのはシンデレラが婚約する前の、そしてカオステラーが現れる前の昔の想区。でも、そこにあなたを連れて行ってくれる人はどこにもいないわ。
「だからよ、楽しい思い出だけを玉手箱に詰め込んで、大事に抱えてりゃ、それでいいのさ。玉手箱を無理にこじ開けようとしたって、皆んなが不幸になるばかりだぜ。」
あら、今日は詩人じゃない、タオ。
でもその通りだわ。だって…
クルルルルゥ
その時、あの音があたりに響きわたった。
「これは?」
まわりを見渡すエクス。
「誓っても良いです。今のは断じてシェインではありません。」
「ああ、もうわかったわよ!」
顔を真っ赤にしてレイナがいう。
「しょうがないでしょ。あれだけ魔法を使えばお腹も減るわよ!」
「ですね。レイナが暴れ出す前にどこか食べる所を見つけましょう。」シェインが提案する。
「はは。きっと浦島さんの子孫がやっている美味しいお店があるよ。行こう。」
並んで歩き出すみんなに一歩遅れながら、心の中で言葉を続ける。
(その通りだわ。だって、こうしてみんなでいられる時間は思っているより、ずっと短いはずだから。)
(だから、私だってもっとみんなと思い出を重ねたい…)
「ファム〜。早く来ないと置いて行くわよー。」
「はいはーい!私だって空腹の巫女様に逆らう勇気はありませんよ〜。」
いいながら私も足を早めた。
5人の影が砂浜に伸び、仲良く並んで揺れていた。
完
グリムノーツ 「それぞれの玉手箱 ー 浦島太郎の想区にて」 Zhou @Zhou
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