文明の手
近くの山に向かうことに対して、気にしなくてはならない点は幾つかあった。
まず、その山は登りやすい山なのか。
サルカケが確認したところ、比較的登りやすい山らしい。
運動はできるサルカケが『比較的』とつけるのだから、運動不足のネナシや俺にとっては登りづらい山なのだろう。とはいえ、切り立った崖があるわけでもなさそう。ということなので、そこらあたりは安心した。
次に鳥の存在だ。
火によって追い払えることは分かったが、茂みしかないこの世界において、松明のようなものをつくることは難しい。さすがにライターの火だけでは怯えはしないだろう。
周りの茂みを燃やしながら移動したらいいのではないだろうか。とサルカケは提案してきたが、それでは自分たちの逃げ場をなくすだけだ。どうしてけむい中を移動しなければならない。デメリットを許容できるのは、それを上回るメリットがあるときだけだ。
どうしたらいいものか。
鳥への対処を考えておかないと、これからの移動は大変だろう。
そう考えている間に、日は登った。
途中から眠っていたサルカケとナンテンが目を覚ます。
むくり、と一斉に起き上がった四足族に顔を踏まれる形で、目を覚ました。
「いってえ!」
「なんだなんだ?」
顔をおさえながら二人は起き上がる。
そんな二人を無視して四足族の子どもたちは洞窟の外へと向かう。
その中にミィスラの姿もあった。
あれだけ、外は危険だということを意識していた四足族が、えらく簡単に外にでている。
明らかに防衛力がなさそうな小さな小さな子供でさえだ。
「……もしかして、今の時間帯なら危険は少ない。のか?」
四足族にとっての危険。それはあの鳥だと仮定しても大丈夫だろう。
つまりあの鳥は、朝は眠っているということか。
だったら夜に活動すればいいのに。と思わないでもないが、恐らく夜は夜でなにか危険があるのだろう。
四足族の行動時間帯は朝〜夕方。
鳥が寝ているのが朝とするなら、子供たちが外にでれるタイミングというのは朝ぐらいなのだろう。
昼や夕方はミィスラのような年長者たちが茂みの中を徘徊して食物を持ってくる。鳥たちの位置を確認する。それだけに留めている。
それだけはなんとなく理解できた。
「じゃあ、いまのうちに移動して山の方に向かおうぜ」
サルカケは言う。
こいつにしてはえらくマトモな意見であった。確かに一番危険地帯だと考えられる茂み地帯を比較的安全に抜けることができるのはでかい。
俺たちは四足族に続いて洞穴からでることにした。
洞穴からでるとき、昨日のようにミィスラが止めてくるのではないだろうか。と思ったが、どうやらその様子はないようで、俺たちが洞穴からでても、ミィスラはなにも反応を示さなかった。やはり今は、外で遊ぶ時間のようだ。
外で遊んでいる小さな四足族を観察する。
彼らは互いの体に絡みつくようにして転げている。ネコ科の動物がじゃれあっているときみたいな光景だ。彼らはネコに近いのだろうか。いや、見た目からして人間なのだろうけれど。この世界の人間なのだろうけれど。
「そう言えばさ」
とナンテンが思いだしたように言った。
「どうしてこいつらは、二足歩行に進化しなかったんだろうな」
「必要がないからだろ」
ネナシが言った。
言いながら、四足族の様子を伺いながら茂みの中に入る。俺たちも続いて茂みの中に入る。
「必要がない?」
「まあ。俺の勝手な想像に過ぎないけどな。生物関係の勉強はしてない」
茂みを両手でかきわけながらネナシは続ける。
「この世界には木がない。どこを見ても木が見当たらない。だから彼らは『木の枝』をつかむ必要がなかった」
動物の猿にどうして手があるのかを考える。
それはおそらく、木の上を素早く移動するためだろう。木の枝の上を四本の足で移動するよりも、二本の手でぶら下がるように移動したほうが素早い。
しかし地面を踏みしめるための足では木の枝を掴むことは叶わない。
つまるところ、手のひらというのは木を掴むための足である。
なにかを掴む必要があるから手のひらはある。
しかしこの世界では掴む必要がない。
そしてこの異世界で視界からなくなることがない茂みの中に身を隠し続けるには四足の高さの方がちょうどよかった。
なぜ二足歩行ではないのか。の答えは二足歩行になる必要性がないから。
「必要のない進化は訪れないか、淘汰されるかのどちらだ。この世界ではどちらが起きたのかは分からないが、結果的に四足族だけが残ったのだろう」
「武器を掴むために手のひらを手に入れてもよかったと思うけどなあ」
「その武器をつくるための
それに。とネナシは続ける。
「戦ったところで勝てない相手に立ち向かうために進化しても、それは真価を発揮する前に淘汰されるよ」
「まあなあ……」
サルカケの意見はあっさり否定された。しょんぼりとするサルカケだったが、慰めたりはしない。どうせすぐに回復する。
先を進んでいたナンテンが足を止めた――今は並んで移動している。順番はナンテン、サルカケ、ネナシ、俺だ――。俺は体を少し列から反らしながらナンテンに尋ねる。
「なにかあったのか?」
「しっ」
ナンテンは振り返って、真剣な面持ちで俺を睨んだ。なにかあったのはよく分かった。俺たちは顔を見合わせてから、ナンテンの元へと進んだ。
ナンテンと同じように茂みをかき分ける。
それだけで、どうしてナンテンがそんな表情をしているのかよく分かった。
そこには鳥がいた。
シナュールャと、四足族が叫んでいたあの鳥がいた。
しかし、鳥はこちらに気づいている様子はない。いや、そもそも目を開いていないのだから、見てすらいない。
すう、すう。という寝息が聞こえてきた。
……寝てる?
鳥は硬い皮膚に覆われた足を折りたたみ、しゃがみ込むようにして眠っていた。長い長い首はそのまま前にだらんと伸ばしている。
完全に油断しきっている状態だ。
この様子から、彼らには天敵と呼べるような存在がいないのだということが推測できた。
草食動物と肉食動物の睡眠時間の差というか。
油断ができる余裕というものが、鳥にはあるのだろう。
まあ、その油断ができる余裕があるのは、今はありがたい。起きていたら、もう一度逃げ切れるかどうかも怪しい。一度できたからと言って、二度できるとは限らないのだ。
息を呑む音すら大きな音に聞こえるぐらいの静けさの中、俺たちは鳥の横を通り過ぎるように移動した。あのだらんと伸ばされている長い長い首がいつ伸びて、俺たちに襲いかかってくるかと冷や冷やしたものだったが、鳥の睡眠は深いらしく、襲ってくることはなかった。
茂みで眠っている鳥の姿が見えなくなったあたりで、俺たちは安堵の息をもらした。これほどまで緊張したことはなかったかもしれない。
とりあえずこれで、一匹の鳥の居場所は分かった。
この場所にどれだけの鳥がいるのかは分からないが、一匹でも場所が分かり、そしていまは眠る時間なのだと確定できたのは、充分な収穫だ。
さて。
茂みの中を歩き続けて一時間ほどすぎた。
早朝特有の爽やかな空気はなりを潜め、空気も段々と色濃くなってきた。
昼に頂上に歪みが現れるらしい。という山のふもとに到着した。
山には茂みどころか緑が生える様子もなく、細かな土と大きな岩がゴロゴロと転がっている。岩山。確かにこれは『比較的』登りやすそうだ。
サルカケなら。という前提があるが。
一言文句を言ってやろうかとサルカケの方を見たが、サルカケはすでに山登りを開始していて、大きな岩の上に座っていた。まるで猿山の猿みたいだ。
「ほら。さっさと行こうぜ。山登りは想像以上に時間かかるんだからよ。早く着くのは問題ないけど、遅く着くのは大問題だろ」
「……ああ、そうだな。はやく登らないと」
ナンテンが呆れたように言いながら登る。続いて、ネナシと俺も登る。
サルカケは自慢でもするかのように、登りづらそうな道をすいすいと登っていくが、俺たちも同じように移動する必要はない。きちんと登りやすい道があったからだ。
まるで誰かが何度もここを通ったかのように。
石と岩の獣道。
この山も、なにかの動物の通り道。
「まあ、この世界にたった二種類の生物しかいないとは限らないしな。むしろ三種四種でてきても違和感はないんだ。気をつけていこう」
「おう」
ネナシの言うことに頷いた俺は、岩山を登ろうと足を動かして――滑らせた。地面にはたくさんの石と岩が転がっている。そりゃあまあ、転がりやすくはあるはずだ。
バランスを崩しながらも、どうにか地に足をつける。
崩れた石と岩が、斜面を転がりふもとの方へと転がっていく。
岩雪崩にならなければいいが。と、考えるほどの高さでもないし、その石と岩が転がっていく姿を、俺は追いかけるのをやめた。
だから。
コーーン。という音と。
ボウ、という鳴き声が聞こえた時には、すでに俺は頂上を向いていた。
背後から鳴き声。
それはとてもとても聞き覚えのある鳴き声だった。
太いパイプの中に音を通したような鳴き声。
俺はゆっくりと振り返る。その途中に視界に入った顔は、驚いていて、怯えているようだった。
完全に、振り返る。
ボウ、ボウ、ボウ。
鳥が鳴きながら、頭にかかった石を払いのけるように長い長い首を大きく振っていた。
近くには岩が落ちていて、よくよく見てみると片目から赤い血が流れていた。
とろとろどろどろ、血が流れている。
どうやらさっき転がっていった石と岩が、ちょうどいい感じにふもとで眠っていた鳥の頭に命中したらしかった。
「お前、なにしてくれてんだよ……」
「俺は悪くねえぞ。偶然だ、偶然」
「偶然ならなんでも許されると思うなよ」
ネナシが鳥から目を離さずに、じりじりと後退しながら言う。
俺を責めたい気持ちは分かるし、多分俺以外が同じようなことをしたら俺も同じように責め立てただろうけれど、これは本当に不慮の不運な事故であり、俺を責めたところでなにも変わらない。
鳥は俺たちの姿を捉えると、血がどろどろ流れている片目をぎゅう、と瞑んだ。
血が溢れだす。
ぎろり、と残った目は確かに俺たちを睨んだ。
一体誰が石と岩を落としたのか理解したらしい。
鳥は長い長い首を天高く伸ばして。
ボウ、ボウ、ボウ、ボウ、ボウ。
と鳴いた。
声を振りまくように、首をぐるんぐるんと回している。
威嚇のつもりだろうか。
「どう考えても遠吠えだろう! 仲間を呼んでんだよ! 逃げるぞ!」
ネナシが走りだし、それにつられるように俺たちはまるで、津波から逃げるように山の上へ上へと走りだした。
しかし困ったことになった。
不本意ながら、不慮の事故ながら、鳥に追われてしまっている。
しかしながら俺は、二度目はうまくいくとは言い切れないが、一度はうまくはいった方法で追い払ってしまえばいいだろう。とどこか安心感を覚えながら逃げていた。
二度目もうまくいくとは限らない。と緊張していた頃の俺は一体どこにいったというのか。
その謙虚さがと緊迫感を取り戻したのは、ちょうど山を登るように逃げはじめてから一分ほど過ぎた頃だった。
まずい。しまった。
この山――燃やせれそうなものがない!!
岩と石しか見当たらない!
さっきまであんなに茂みばかりだったのに!
「おい、燃やせるものがないぞ! どうするんだよ!」
同じことに気がついたらしいナンテンが、ライター片手に叫んだ。
あの巨体を相手に、あのライターの小さな火では心もとない。
やはり、なにかを燃やして大きな火で脅さないと、意味がないだろう。
「周りの石とか岩を燃やしてみろ! ここは異世界だ! もしかしたら燃える石とか岩かもしれない!」
俺は走りながら叫んだ。
ナンテンはライターを近くの岩にこすりつけてみたり、拾い上げた石を炙ったりしてから、舌打ちをした。
首を横に振っている。
石は普通の石らしい。
微かにあった希望は分かりやすいほどあっさり瓦解する。
「くそ!」
ナンテンがムカつきをそのまま表現するかのように、持っていた石を地面に投げつけた。
石は斜めの地面に弾かれて、下へと飛んでいく。
固い皮膚に覆われた足に、蹴飛ばされた。
鳥だ。
山を登るのは苦手だとか、そういう生態があったならば大いに助かったのだけれども、しかし残念なことに鳥の三本の指――そのうち前方に伸びている太い指と爪は地面をしっかり捉え、二本の指は斜めの地面でも変わらず体をしっかりと支えている。
車のような速度だった。
巨体を大きく揺らして、長い長い首を左右に大きく振りながら迫ってくる。
その目は明らかに、血走っている。
殺意と敵意に満ち満ちていた。
俺たちはひたすら坂道を駆け上がる。
野生の中で生きているあの鳥とインドア派の俺とネナシの体力差は明確であり、このままだとジリ貧の消耗戦になってしまうことは誰の目から見ても明らかである。はやく、どうにか手をうたなくては。
「サルカケ!」
俺たちが走っている坂道の隣。大きな岩が並んでいる。その岩の上を、それこそ猿のようにひょいひょいとんで移動しているサルカケに向けて、声を張り上げた。
「他の鳥が来る様子はあるか!」
叫ぶ分の体力もおしい。俺は要件だけを端的に叫ぶ。サルカケの位置は、鳥よりも高い位置にある。あの鳥が飛ぶことができるとか、そういうことがない限り、安全な位置だ。
サルカケは岩の一番上からふもとの方を見下ろしてから、叫んだ。
「いない! 見当たらない!」
「分かった!」
さっきの鳴き声が威嚇ではなく遠吠えであるとするなら、他の鳥がやってくることが危惧していたが、どうやらやってくることはないらしい。
初めて鳥とでくわした時、まるで追い込み漁でもするかのような動きをしていたから、群れで行動するタイプの動物なのだろうかと考えていたが、個々に、一匹だけで眠っているところを見て、もしかしたら『集団で行動することもあるが、基本的には個人行動』なのではないだろうか、と仮定をしていた。
そしてその仮定はいま、確定に変わる。
他の――恐らくまだ眠っているであろう他の鳥にとって、俺たちを追いかけてきている鳥の遠吠えは、寝る時間を削ってまでわざわざ駆けつけるほどのメリットがない。ということだろう。
それは俺たちにとってはありがたい話だった。
一匹でも厄介な鳥を何匹も相手取るのはほぼ不可能だっただろうし。
まあ、一匹だけでも充分に厄介であるのは変わりないし、相手取ることができるわけではないのだが。
走る足は止めない。
考える。走る。考える。走る。考える。走る。考える。
先の道が二手に分かれていた。
大道と小道に分かれている。大道は頂上の方へ。小道の方はそれてどこかに続いている。
「…………よし」
俺は走っている足を止めた。
石は目をつむってでも拾うことができる程度には転がっている。
俺はそれを拾い上げると、走る足を止めて、その石を鳥の胸のあたりにめがけて思いっきり投げた。
狙いはそれた。てんで方向違いに飛んでいった。
しかし、目的の方は果たされた。
てんで方向違いに飛んでいった石は、鳩の胸に当たることはなかったが、ぶんぶんと長い長い首が振られている頭の方に直撃した。
それもあの、潰れている目の方に、だ。
鳥は嫌そうな声をあげて、足を止めた。
「お前ら、走れ! 今のうちに逃げろ!」
俺は叫ぶ。
ナンテンとネナシは一瞬俺の方を見てから走りだした。
俺も走りだそうと思ったが、少し我慢。鳥の様子を確認する。
鳥は頭をブルブルと振るう。
石はまた、目玉に当たっていた。
よくもまあ、当たるものだ。
眼窩の形にはまるように石ころは引っかかっていた。もうその眼ではモノをみることはできないだろう。
鳥は残った眼で俺をにらむ。
明らかに憎んでいる眼だ。あからさまに恨んでいる眼だ。
殺してやる。殺してやる。
そんな感情が明らかに滲みでている。
鳥頭だから三歩歩いたらすぐに忘れてしまうみたいなことがあったらありがたいのだけれども、それならこんなに長く追いかけてこないだろう。
とにかく。こいつの意識は俺の方に向いたはずだ。
二度も自分の目を潰してきたやつなのだから。
俺なら逃がさない。絶対に殺す。
鳥が俺をねめつけながら、地面を蹴る。
それを確認するかしないかのタイミングで、俺は走りだした。
向かったのは、大道、つまり山の頂上へと続く道――ではなく、小道、つまり逸れた道の方である。
その先になにがあるのかは岩壁に阻まれて分からなかったが、ほかの三人とは別行動がとれることは確実である。
予想通り、鳥は俺の方へと向かって走ってきた。
小道の先は川になっていた。川の先は滝。滝つぼに落ちる水の音が足元の方から聞こえてくる。飛び降りたら絶対生きて帰ってこれそうにない。
この世界で初めて見た川だ。こんな状況でなかったら感動しただろうし、水の中に入ったり飲めるのか確認してみたりしたかったのだけれども。
川の向こう側にいけないものだろうか。水の勢いはそれほどでもないし、滝つぼに向かって落ちている辺りに近づかなければ、渡りきることはできるだろうが。
川岸で立ち往生している間にも、鳥は血走った片目で俺をねめつけながら迫ってくる。
ぶんぶんと長い長い首を振っている。
俺は川の中に足をいれる。ちょうど、川の真ん中の辺りに立つ。
一つの可能性を信じてここまでやってきたが、うまくいっているのだろうか。
俺はとりあえず川の底に沈んでいる石の中で比較的尖っているものを拾い上げて、鳥と相対する。
あれ。
石にしては、細長い。それに感触が違う。
石じゃあない?
これは、骨か?
噛み砕かれた骨。
透き通った水の底に、転がっている。
滝壺の方に行くとたくさんある。
鳥が来る。
来る。
迫る。
水が撥ねる音。
撥ねる。撥ねる。
撥ねる。撥ねる。
二つ聞こえる。
二つ。
二つ……?
違う方向から、なにか来る?
鳥の頭が伸びる。長い長い首が俺のもとへと頭を伸ばす。
その頭が、弾かれた。
なにかの体当たりを受けたのかのようだった。
いや。実際受けている。
ミィスラの全体重を載せた体当たりを、受けている。
どうしてここにミィスラが。
どうしてミィスラが俺を助けるようなことを。
不思議は俺の頭の中で忙しく動き回る。
しかしその答えが現れるよりも先に、ミィスラと鳥はもつれ合うようにして川の中に倒れた。
水しぶきがあがる。
長い長い首に巻かれるように倒れたミィスラはそのまま前足で何度も何度も何度も鳥の頭を踏む。
その攻撃的な行動を見ながら、俺は昨日、ネナシと話したことを思いだしていた。
「四足族の群れの平均年齢は恐らく二桁にも達していない」
「短いな」
「一番の年上がミィスラで、それでも恐らく12、13歳だろうからな」
「ウサギみたいだな。あれ、確か野良なら最長で10歳ぐらいまでしか生きられないんだろう」
「四足族はウサギじゃあない。人だ」
「……? どうしてそれを強調する必要がある? 確かにこいつらは人だよ。この異世界の人間だ」
「人間の成長スピードのままなら、やはり子供しかいないのはおかしいんだと言ってる」
「…………」
自然界で子供しか残らないほどの弱者なら、とうに淘汰されているはずだ。
ノウサギは最長でも十年だが、その間にすぐ大人になる。
人間とウサギの成長スピードは恐ろしいほど違う。
四足族の成長スピードは、俺たちと一緒。
比較的ゆっくりと子供を育てる進化を遂げている。
すぐ大人になって、すぐ繁殖しなければならない環境にいるわけではない。ということだ。
もしもミィスラが大人の個体であるのなら、この違和感はない。
しかし彼女はどう見ても『子供の個体』だ。
この状況から考えるなら。
「寿命が短いのではなくて、大人が率先的に死んでいる。と考えるべきだとでも?」
「率先的に死んでいる。というよりは率先的に死地に向かっている。そう言った方がいいかもな」
ネナシはそう言った。
その意味が今ならよく分かる。
四足族は、年長者が危険地帯にいく習性がある。
より正確に言うなら、年長者が身を呈して群れを守る習性がある。
どうやら俺は、いつのまにか群れの一員にされていたらしい。
ミィスラは何度も鳥の頭を蹴る。目にケガをしていることに気づくとそこを重点的に蹴り始めた。
川に鳥の血が流れる。赤々とした血が、滝壺の方へと流れて落ちていく。
鳥はそのまま動かなくなる――わけもなかった。
その程度で倒せるのなら、四足族は逃げることを覚えていないだろうし――あの男子の四足族は自分を犠牲にするように鳥の方へは向かわなかっただろう。
鳥は体を持ち上げ、首を振るい、ミィスラを弾き飛ばす。
水しぶきをあげながら彼女はごろごろと川の中を転がる。滝壺の方とは逆であったがために、落ちたりすることはなかった。
ミィスラは四本の脚で体を起こす。口からたらりと血が流れる。
脚は震えている。体へのダメージは大きいようだった。
鳥がミィスラの方を見る。
水しぶきをあげながら、ミィスラの方へと走りだす。
やっぱり鳥頭だ。
俺のことをもう忘れている。
俺はミィスラの体を抱え込むようにして掴むと、そのまま川岸の方まで跳んだ。着地はうまくいっていない。体中を川岸の石で削る。
痛い。けれども死ぬよりはマシだ。
鳥は川の中から川の外にいる俺たちを見ている。
大丈夫だ。どうにかなる。
あの川底に沈んでいた骨が食べ残しであるのなら。
運が良ければ。
どうにかなる。
ザバア、と滝壺の方から水が撥ねる音がした。大きな音だ。滝の上の方から大きな岩を投げ捨てたような音だ。
滝の上にいる俺たちはそんなことはしていない。だからそれが原因ではない。
上から物が落ちたのではなくて、下から物が撥ねあがったのだ。
空が暗くなった。突然雲行きが怪しくなったのではない。大きな生き物の影に俺たちは入り込んだのだ。
頭の上を見やる。
柔らかそうな腹が見えた。
それは俺とミィスラの横に着水した。
感想とすれば『デカい爬虫類』だろうか。
はじめは魚かなにかだと思っていた。
ただ、エラのようなものが水の上にあるのに聞こえる呼吸音と上下する体を見て、そうではないのだと理解した。
水をかく尾っぽが長い尻尾の先に小さくついているだけだ。
四本の短く太い脚が巨体を支えている。頭の部分はつるりとまるまっている。首はなくて、頭と胴体がそのままつながっている。
見た目はカエルになる途中のオタマジャクシ。を想像すると分かりやすいかもしれない。
口の間からは鋭利な牙が何本も見える。なにを見るまでもなく、肉食の生き物だ。
頭の部分が横に裂けるようにして、口を開く。
ごっ、ごっ、ごごっ。
なにか毎回ぶつかっているみたいな声が俺と鳥の体を揺らす。
――まあ。
――この世界にたった二種類の生物しかいないとは限らないしな。むしろ三種四種でてきても違和感はないんだ。気をつけていこう。
石と岩の獣道をみたネナシの言葉を思いだして、もしかしたらこの小道の先にはこの獣道をつくりだした獣がいるのではないか。という考えを思い浮かべてここまでやってきたわけだが、やはりいたらしい。
ミィスラが鳥を倒して、鳥の血を川に流してくれたのも大きい。あのオタマジャクシは鳥の血に誘われてやってきたのだろうから。
ボウ、ボウ、ボウ。
ごっ、ごっ、ごごっ。
鳥とオタマジャクシが相対して鳴き声をあげる。
オタマジャクシの方が大きいが、鳥は戦意を失っていない。
既に俺とミィスラからは意識を切り離していた。
俺はゆっくりと立ち上がり、ミィスラを抱えたまま音をたてないようにこの場から立ち去った。
鳥とオタマジャクシの鳴き声は段々と強くなっていった。
***
「なんだお前。帰ってきたと思ったら羨ましい状況じゃあないか」
「鳥に追われてオタマジャクシに驚いて全身を石で削るこの状況が羨ましいのかそうか」
大道の方へと戻り、山の頂上へと命からがら移動してみると、さきに頂上へと登っていたナンテンからそんなことを言われた。
ナンテンの趣味は小さな女の子だ。
全裸の女の子を脇の下で抱え込むようにしていることに反応しているのだろう。
やましいことはなに一つない。
「鳥の方はどうなった?」
「デカいオタマジャクシと喧嘩してるよ。多分というか恐らくというか、まあ十中八九オタマジャクシが勝つだろう」
「デカいオタマジャクシ?」
「鳥よりもデカい水陸両用のオタマジャクシ。この山の獣道をつくった主」
俺は端的に説明する。ネナシはそれだけで理解してくれた。理解がはやい奴は助かる。
「それで、歪みは?」
「もうそろそろ出現する。早くミィスラを離してやれ。そいつはこの異世界の住人なんだから」
それとも、俺たちの世界に連れていくか? 食事が合うかどうかも怪しいぞ。とネナシは言った。
もちろん、連れていくつもりはない。彼女がいなくなったら、あの群れは終わりだ。
俺はミィスラを地面におろしてから、その頭を撫でた。
「これでお別れだ。いいか? 命は大事にするんだぞ。お前がいなくなったらあの群れの子供たちはどうなるのか、しっかり理解しな」
「歪みがでるぞ」
「それじゃあな」
俺はミィスラに向けて手を振った。ミィスラは首を傾げて────────。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――。
――――――――――――――――――――――そう言えば――――――――――――――――――――――。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――この歪みの先は――――――――――――――――――――――。
―――――――俺たちの世界―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――。
なのだろうか――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――。
次に目を覚ました時、俺は街の中にいた。
どこからどう見ても人工物にしか見えない建物が、さきの異世界の茂みのようにひしめきあっている。
確認をする。ネナシもナンテンもサルカケもいる。
どこからどう見ても人の手によってつくられた街だ。ああ、よかった。どうやら元の世界に戻ってこれたらしい。
しかし、この街は現代アートでも取り扱っているのだろうか。あそこの扉、どういうわけか取っ手が三つあるけれど。
「■■、■■■■■■■■■■■■■■■■■。■■■■■■■■■■■■■?」
声をかけられた。
知らない言語だったから、もしかしてここは外国なのだろうか。と思いながら俺は声のした方を向いた。
結局この街には一年と半年ほど住むことになり、彼らの言語もある程度は覚えたので、今なら彼らの言っていたことは理解できる。
その時彼は、こんなことを言っていたのだ。
「おい、どうしてお前ら腕が二本しかないんだ。事故で吹っ飛んじまったのか?」
カズラの異世界旅行記 空伏空人 @karabushi
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