使天墮ノ色鈍(ニビイロ ノ ヒーロー)
キモくて金のない狂ったボロボロのおっさん
ニビイロ ノ ヒーロー
※世界観を共有しますが、本作は単品でお召し上がり頂けます。
暗黒街のヒーロー外伝 兼 読み切り短編作品
EPISODE 090.5 「
――その地域は日本の関東北部に存在する。
関東、といっても暗黒のネオンと欲望のマネーの輝く東京の街や、腹に一物、毒蛇を抱え、野心に燃える横浜の街ほどに煌びやかな土地ではない。
少々のリゾートと観光を抱え、野良猫が陽射しの下を歩き、田には素朴なイチゴを実らせる。今はまだ凍える季節だが、夏になれば美しい星々と月夜の下、蛍の美しい輝きを見る事ができるだろう。
しかしまあ、その程度の場所だ。美しくはあるが……「美しい」という一点それだけであって、さほど力のない場所だ。たとえば神奈川や大阪のように、首都に抗うだけの力を持たぬ哀れな土地であり、この列島には収まり切らぬと言いたげな、東京という巨大な怪物がより肥え太る為に、栄養を奪われる生贄の一つでしかない。
栃木県宇都宮市。
――ここもまた、涙の降り止まぬ街だった。
だが、この街にはたった一人、涙を信じない男がいる。彼は
――その男は、久しぶりにこの街へと戻って来た。再びこの場所に帰って来た時、この場所が無くなっていたらとも一抹の不安をよぎらせたが、それは杞憂に過ぎなかった。
外付けの螺旋階段を登る。夜の街を照らす吊り下がりの電球は、
「ヘイタイサン オカエリナサイ」と優しく男を迎え入れてくれるようであった。
男は階段を登りきると、木製の扉を開いた。
白髪の少しばかり目立つ、薄汚れた格好のサングラス男がジャズバー「ルシフェル」の店内に足を踏み入れた。
外見年齢は四十代の半ばから、五十代の前半といったところか。
背丈は175センチほどで特記するほどのことはないが、その体つきたるや筋骨隆々の男で、男の仕事が肉体労働者か何かなのではないかと思わせる。
男の格好で最も印象的なのは、彼の羽織ったコートだった。彼の羽織る
とても社交場向けの清潔な格好とはいえない鈍色のコートの背中には、セピア色の
男は実に久方ぶりの来店であったが、バーのマスターは印象深いその男の顔を覚えていた。
「あっ――」
「どうも」
「テーブルでも、カウンターでも」
マスターが言うと、男は空いているカウンターの一席へと座った。
マスターは古い記憶を絞り出すと
「随分とお久しぶりですね、ええと確か……
と、奇跡的な記憶力で見事男の苗字を言い当てた。
男の名は「
「よく覚えていたな」
立峰は無表情だったが、マスターの記憶力には感心を示した。
「ええまあ、印象的な方だったので」
「みんな俺の事を忘れるよ」
立峰は吐き捨てるように言葉を返す。
「そうは見えませんがね。お飲みものはお決まりですか?」
「コーラでも何でもいい、糖分と量のあるものを」
立峰はアルコールにこだわりを持たない。アルコールなど、ただの薬物でしかない。大昔に配られていたメタンフェタミンと同じで大したものじゃない。彼にとっては潤いをもたらせるだけの量と、エネルギーを補う糖分が入っていればそれで良い。
「では、アマレットジンジャーなどはいかがでしょうか」
「ああそれで良い。それよりも腹が減った」
立峰は適当に指示すると、アルコールメニューに一瞥さえもせずフードメニューを広げ、上から下へと舐めるようにメニューを見た。
「カレーライスを一つとホットドッグを三つ、ポテトを二つにからあげを一つ」
そして次々と注文を行う。フードメニューの提供も行ってはいるがここはファミリーレストランではないし第一、一人が頼むような注文量ではない。
「以上で?」
「――”まずは”それぐらいでいい」
だがマスターは異常な注文量に対して驚きもしなかったし、立峰も涼し気な様子であった。
調理に時間のかかる間、通しのスナックと共に喉を潤すためのアマレットジンジャーが立峰のもとへと供される。
小皿の中のスナックをまるごと口に放り込みボリボリと音を立てて喰らうと、アマレットをジンジャエールで割ったセピア色のドリンクを、ロクにも味わいもせずにゴクゴクと一気に飲み干す。
……あっという間に飲み干してしまった。
「これをもう一つ」
立峰はこの飲料がそこそこ気に入ったようだった。彼にしてみればビールの旨みなどはまるで理解できぬ。マティーニのような少量の薬品も同様、彼は満足できぬし、やはり旨みを理解できぬ。
すぐにグラスは入れ替えられ、新たなアマレットジンジャーがカウンターの上に置かれた。
これならばジュースと大差ない感覚で飲み干せる。何より、この淡いセピアのような色を見ていると落ち着きを感じる。嫌いじゃなかった。
栃木は、さほど大した土地ではない。宇都宮周辺こそ栄えているものの、奥へ行けば自然ばかりで何もなく、不便極まりない地だ。到底、東京から電車に乗って日帰りで行けるような場所とは思えない土地でもある。
だが、立峰はこの地がそれほど嫌いではなかった。むしろ好感さえ抱いていた。この街は羽根を休める事に向いている。飯もわりと美味い。
――そして、もう一つ好きな事がある。
店のステージに一人の女性が立つと、演奏と共に歌が始まった。
その歌は、決して流行りの歌とは云えなかった。今となってはもう、テレビ放送では全くといって良いほどには聞く機会のなくなってしまった歌だ。
女性の歌うのは、ヘレン・メリルの「ワッツ・ニュー」。この曲では時が移り変わり、互いの気持ちがすれ違ったとしても、変わらぬ想いがここに在ると歌ってくれる。
立峰は、愛などというまやかしの情を信じない。彼は、女性も、男性も、誰一人として愛さない。
しかしこの曲は悪くない。少なくとも、都会で流れている陳腐で唾棄すべき「会いたい」だの「好き」だのを便所紙のように安売りする今時の
セピアやモノクロームのカーテンに覆われた時代は、歌は、今なお素晴らしい。例えそれらが時の黒雪の降り積もると共に、陳腐なものの中へと埋もれ隠れてしまったとしても……決して、その事実は美しいものの価値の低下を意味するものではない。
立峰は二杯目のアマレットジンジャーを、今度はすぐに飲み干さなかった。彼はグラスの中に満たされたセピアの海を眺めながらジャズの歌声に聞き入り、遥か遠い時代に思いを馳せていた。
――かつて、世界を導いた存在があった。
彼らは強靭な肉体を持ち、神々の知恵と奇跡の力を操り戦った。
すべては弱き人々を守る為、あるいは己の思想信条や信仰のため。
いつしか彼らは「
だが殆どの人々は、この世界に神々の力が存在する事も、その力を操る存在が在ることも、そして彼らがかつて民衆の代表者として戦ったことさえも知らない。
――あるいは、忘れてしまった。
曲が終わる頃には、カレーライスとホットドッグが立峰の前に置かれていた。彼はセピア旋律と美しい歌声に満足するとサングラスを外して後ろを振り返り、ステージ上の若い女性に小さな拍手を贈った。
サングラスを外すと、かけていた方がマシだったと思うほどの、厳つい顔つきをした髭面を立峰は露わにした。今ではその印象は、肉体労働者というよりも、どこか港湾沿いのマフィアといった風だ。この店に来るのは初めてではないが、その風貌のために彼を恐れる客さえ居た。
しかし当人はまるで気にせず、ガツガツと飯を喰らい始めた。
人によってはこの街を、辺鄙な田舎町としか捉えぬ者もいるだろう。あるいは、イチゴと餃子が少しばかり美味い場所とか、猿と猫の街ぐらいにしか思わぬ者も多いだろう。
――だが、知る人ぞ知る事として、時代の先頭を走りそびれたこの街は実のところ、ジャズの街としても知られている。彼がこの地にわざわざ足を運んだのは、ここが故郷だからというわけではないし、仕事のためですらない。
このセピアの街で、セピアの歌声を魂に吸わせる為だ。
立峰の今居るジャズバー「ルシフェル」も、宇都宮市内に多数存在するジャズバーの、その内の一つだ。この店には連日、プロ・アマを問わず様々な者が歌を歌いに、あるいは演奏をしにやってきて、人々も歌声と酒を求めて寄って来る。
この街に再び足を運んでよかった。あっという間にカレーを喰らい終え、二本目のホットドッグにかじりつくと、立峰はそう思った。
立峰は少々格好が薄汚れている事と、やたらと大食いである事以外は、マナーの良く大人しい客だった。大食いで沢山注文をしてくれるから、むしろ優良客とさえ言って良い。彼が問題を起こすことはなかった。
――店が騒がしくなり始めたのは、先ほどの女性がもう一曲を歌い終えた後のことだった。
立峰が後ろを向くと、テーブルに座っていたグループの一つが騒いでいた。
「いいぞー!」
「もう一曲歌え!」
野次を飛ばしているのは若年から中年の、全部で五人のサラリーマン風の男たち。彼らの襟元にはすべて、全てを見渡す邪悪な瞳を太陽のように赤く染め、それを六芒星の星が囲う禍々しいデザインのバッジが留められていた。
立峰は快適な時間と空間にポルノ動画を流されたような気分で、内心居心地を悪くしたが、しばらくはそのまま黙ってポテトを喰らっていた――男たちが立ち上がり、興奮して女の尻に触れるまでは。
女性が拒絶の叫びをあげ、周りの客、あるいはマスターが止めようとしていたが、立峰が立ち上がると、恐ろしい眼光を光らせ集団を睨んだ。
「小僧共、ここはちょんの間じゃねえ、迷惑だから出ていけ」
立峰は低い声で男たちを威圧した。
「ああ?」
男たちは振り返ると、眉間にしわを寄せて立峰を睨み返した。
「何か言ったかジジイ?」
「出ていけ、そう言った」
立峰は言葉を荒げず静かに、無表情で。しかしドスの利いた深い声を発した。
「正義の戦いを知らぬ常人(モータル)め、我々が何者かわかっていないようだな」
集団の一人がバッジをチラつかせ、意味深な言葉で立峰を脅そうとする。
「お前らの正体を知っている」
が、立峰は彼らが何者――いや、かつて何者”であったか”を知っていた。
しかしその事実は、今の立峰 標にとって大した問題ではなかった。ただ、快適だった時間を邪魔されたことが気に食わなかった。
「だが関係ない。失せろ」
立峰の両の瞳が、セピア色の超常の輝きを放った。
「こいつ……」
五人の男は、彼が普通の人間ではない事を瞬時に察した。
「お前、能力者だな。許可証を見せろ」
「そんなものは、ない」
立峰は答えた。
「国の許可のない能力者は国家英雄連法に違反する。重罪だぞ」
男性の一人が免許証のようなものを取り出し、威圧的にかざした。これはある組織が秘密裏に発行する国家資格証で、重大な価値を持つ。
それと共に、この資格証を持たない者が超常の力を操る事は、21世紀の日本では禁じられている。闇の国家資格である為に店の者たちはその資格を見た事も聞いたこともない。
ただ五人と、立峰のみがライセンスの存在を認知していた。
「俺は昔からこうだ。知ったことではない」
だが知った上で、立峰はそれを一蹴した。
「我々五人は正式な許可を得ている。悪意の違反者に関しては”処罰”を認められている」
「よせレシプロ、これは我々の任務じゃない。本来の仕事を思い出せ」
グループの中から一人の男が、先頭の男を「レシプロ」と呼び、肩に手をかけた。
「パワード、こいつは無許可のサイキッカー、つまり我々の敵だ。悪の結社ハンムラビと通じる怪人かもしれん」
レシプロは言うと、再び立峰を睨む。無資格かつ正体不明のこの男のことを、非常に警戒しているようだった。
「下らん。あの連中に興味はない」
立峰はやはり一蹴した。彼は集団に属さない。その結社とやらにも興味がない。
「卑しい
レシプロは立峰を指差し、堂々宣言した。
「殺れるとでも思っているのか? 小僧」
立峰は力強い眼光で敵に問いかけた。
「お、お客さん困ります、店内でのトラブルは……」
マスターが怯えた様子で、消え入るように訴えかける。その姿を見た立峰は
「ここは迷惑がかかる。表へ出ろ」
と、五人の狼藉者に退店を促した。
「良いだろう、このチンケな小屋は少々狭すぎる」
レシプロと呼ばれた男を始めとした五人組は、万札を数枚テーブルの上に叩きつけると、店の外へと出て行った。
そしてそれに続き、立峰も店の出口へと向かった。
「あ、あの……警察を……」
歌手の女性がスマートフォンを取り出し、警察に電話をかけようとする。だが立峰は手をかざし、それを引き留めた。
「必要ない。呼ぶな」
「でも……」
「心配要らん。少し話をしてくるだけだ」
立峰が木製の扉を開けると、それに取り付けられた鈴がカラカラと鳴る。 立峰は怯えた様子の歌手の女性を一瞥すると一言
「15分ほどで戻る」
と言い残し、食事もそのままに店の外へと出ていってしまった。
扉の閉まる勢いで、カラカラと鈴がもう一度鳴った。
鈴の音は「ヘイタイサン ドウカ カッテキテクダサイ」
と、男を応援の言葉で送り出しているかのようだった。
☘
男たちは、しばらく無言で夜の街を歩いた。言葉は交わさなかった。
やがてフェンスを飛び越え、小学校の校庭へと男たちは入場した。
――夜のため、生徒たちは不在。広さもあり、どれだけ暴れても問題ない。言葉を交わさずとも、自然とここが決闘場として選ばれた。
グラウンド中央まで歩むと、男たち五人は距離をとりつつも立峰を取り囲んだ。闇の中で、五人の瞳が
「我ら! 英雄連認可サイキッカー! 対「ハ級怪人」特別臨時 威力偵察隊!」
突如、レシプロが声を張り上げた。そして、スーツ姿の男たちは次々に名乗った。
「俺はパープル・ライトソード!」
「俺はグリーン・ドラグーン!」
「俺はイエロー・ファルコン!」
「俺はブルー・パワード!」
「俺は……レッド・レシプロ!」
全員名乗ると、代表してレシプロは威圧的に宣告する。
「……俺たち五人は英雄連の許しを得た
五人の瞳から放たれる超常の輝きは強まる。パープルが腕に光の剣を纏う。グリーンが手から火の粉を散らす。イエローが短剣を構える。ブルーがスーツを脱ぎ捨てると、筋肉を膨らませブチブチとワイシャツのボタンを飛ばす。
この五人が普通の人間でない事は明らかだった。
彼らはサイキッカー。神々の知恵の実、そして生命の樹の実を喰らい、人を超越した人外なる存在である。その存在そのものが一般人の精神を侵す有害な存在であるため、世間には超常の存在は秘匿されている。
並の人間が彼らを目にする事は非常に良くない。彼らが身に纏う超常の粒子「エーテル」にあてられると、常人はエーテルに精神を侵され、拒絶反応を起こし、最悪その場で発狂してしまう危険性さえあるだろう。だが――
立峰は、彼らに対し微塵にも臆する事はなかった。
「逃げ帰っておれば良かったものを……」
彼もまた、サイキッカーであったからだ。立峰は、グレーのコートを脱ぎ捨てると、その両の瞳をセピアの色に輝かせた。
「良かろう、儂が貴様らに戦争を教えてやる」
立峰 標。いいや、もはや彼の名乗るべき名はそれではない。
今の彼の名は――【リキッド・グレイ】。
「ほざけ!」
最初に行動を仕掛けるのはイエロー・ファルコン。彼には恐ろしい能力がある。超常の力によって多数の魔法の短剣を生成する事が可能で、それらは恐るべき切れ味を持ち、更には必殺の技「ファルコン・ダガーフォール」を持つ。その威力は凄まじく一度発動すれば――――
「遅い」
イエローの顔面にリキッドグレイの拳が叩き込まれた。
多くの戦闘サイキッカーが固有能力と別に保有する個人バリア機能が発動し、イエローは致命傷を免れる。しかし地面をバウンドし吹き飛ばされる。
レッド・レシプロの固有能力、高速移動が発動し一瞬で間合いを詰める! だがリキッドグレイの反応速度は、レッド・レシプロの高速移動能力に追いついていた。
レッドの放った高速パンチをリキッドグレイは腕で受け止める。通常ならばこの高速移動パンチを受ければ例えガードしていても大ダメージは必死。
しかし……拳を受け止めたリキッドグレイ、ノーダメージ!
瞳をセピアに輝かせるリキッドグレイの左腕が、鈍色の金属質物体に変化していた。
リキッドグレイの反撃、最初に選択する攻撃は眼球破壊! 右の二本の指による突きで、レッド・レシプロから光を永遠に奪い去ろうとする!
レッドはこれをガード、しかし直後、レッドの股間へ強烈な痛みが襲う、金的!
リキッドグレイが下がったレッドの側頭部へと肘打ち。ダメージを受け転倒したレッドは受け身を取りながら側転し一旦距離を取りなおす。
後ろからブルー・パワードがリキッドグレイを抑えつける。彼の固有能力は肉体強化の追加ブースト! 恐るべきパワーによってリキッドグレイであっても力ずくでは拘束を抜け出せない。
そこへパープル・ライトソードがその名の通り、腕に纏ったレーザーソードを構え向かってくる。危険! ――レーザーソードがリキッドグレイの腹部を貫いた。立峰死亡!
――いや、様子がおかしい。手ごたえのなさにパープルは違和感を覚えた。ブルー・パワードの腹部が血に滲み、拘束の力が弱まる。
確かにレーザーソードはリキッドグレイの腹部を貫いている。だというのに、リキッドグレイは表情一つ変えることがなかった。よく見ると、奴の腹部からは赤い血の一滴さえ流れてはいない。
その代わりに鈍色の滴がポタリ、グラウンドの砂の上へと零れ落ちた。
リキッドグレイの両腕が鈍色に変色し、形態変化! 金属のような硬質から、液状へと変質を遂げると、両腕はブルー・パワードの拘束をすり抜けた。
そして前方のパープルには右の直突きを、後方のブルーにはその反動による左の肘打ちを打ちこむ! 二人が飛ばされる。リキッドグレイはパープルに追撃の狙いを定める。
パープルの振り回したレーザーソードを左腕で受けると共に踏み込み、左肘を胸へ打ちこむ。右手の外側に金属の刃を生成すると、それで目元を切り払う。左のフックで顎を打ち抜く。右肘を振り上げバリアを貫通、顎を砕く。
そして必殺の左貫手を脇腹に突き刺す――。
「かはっ……!」
パープルが吐血。素早く左手を引き抜くと、そのまま血に濡れた手刀によってパープルの首を横に裂いた。
「必殺拳「スメラギ:
――リキッドグレイは必殺の技名を呟くと、左手の血を払い残心する。
パープル・ライトソードが首から血を噴き出し……倒れた。
敵の一同は戦慄した。
一瞬の出来事だった。ただの一瞬の隙……しかしそれを突かれ、刹那の間に恐るべき高速の連打を一点突破で叩き込まれ、パープルは瞬殺された。
「よくもパープルを!」
グリーンが両手から超常のジェット火炎を放った。パープルごとリキッドグレイが炎に包まれる。だが炎の中から、全身を鈍色の金属に変質させたリキッドグレイが飛び出してきた!
「ひっ」
思わずグリーン・ドラグーンは下がろうとするも、悪手だった。
リキッドグレイが両手を軽く握り、指をパチンと弾くと液状に変化した金属の肉が彼の肉体を離れて飛び、空中で鈍色の弾丸の形を形成した。
リキッドグレイの指弾がグリーンへと次々に命中。彼は全身に半透明の薄い膜をバリアとして展開させ、この殺人的攻撃に耐える。
リキッドグレイは決断的に急接近し、全身に炎をまとったまま、右のかかとをグリーンの膝へと振り下ろした。グリーンの膝が逆方向に曲がった。グリーンが絶叫した。
レッド・レシプロが超高速かつ低空のタックルを横から放った。リキッドグレイはタックルを受け吹き飛ばされるも身を捻り、レッドの金的を蹴り上げながらの巴投げを放ちこれを振りほどく。
リキッドグレイは受け身を取ってから二連続バックフリップで立ち上がる。五本、十本と飛んで来るナイフの群れが彼の視界に入った。リキッドグレイは鈍色の両手で次々にナイフを弾き、打ち落としてゆく。
最後の二本を掴むと、一本をイエローに向けて投げ反撃。もう一本を暴走トラックの如く向かってくるブルーへと投げつける。
ブルーはナイフ投擲を喰らうも、パワータイプのために頑丈でダメージはほとんどない。
相手がパワータイプと知っていて尚、リキッドグレイはブルーを正面から迎え撃つ。
リキッドグレイが突きを放つ。ブルーはリキッドグレイの首を掴もうとするが、首から上を液状に変質させ攻撃を回避する。リキッドグレイにとって首から上は彼の急所足りえない。
右の貫手、左の突き、再度右の貫手、パープルとの同士討ちによって発生したブルーの傷口をこじあけようとする。ブルー・パワードの腹部に滲んだ血が更に広がる。
ボディー狙いのダメージに耐えかねて下がった頭部を狙うように、サマーソルトキックをリキッドグレイは高く放つ。
鬼神の如き男は、戦後の夜空に鈍色の三日月を描いた。
――かつて男は「霊銀」と呼ばれた伝説の戦士だった。日本という国に忠誠を尽くし、人々のために戦う男だった。
誰もが彼の強さを讃えた。敵のすべては彼を恐れた。
人々が彼を国家の英雄、真のヒーローと呼んだ。
戦争が終わるあの日までは――――。
天使は空より堕ちた。
伝説のヒーロー「霊銀」は日本国政府によってその全記録を抹消され、歴史から葬り去られた。
誰もが霊銀の事を死んだものと思い込み、僅かに記憶していたものたちも、半世紀以上の時の流れの中で忘却の内に生涯を終えた。
――だが堕天し尚、生きていた。
戦後70年過ぎて気が付くと、彼はヒーローとしての輝きを完全に失っていた。血で血を洗う事を好む人斬りでしかなくなってしまっていた。天使は堕天使となりて白き翼を血に染めた……だが彼は、不思議とその人斬り行為に充実を感じた。
自身を英雄たらしめていたのは、彼の生きた戦争の世がそうさせてくれていただけなのだと、彼はある日気づいた。
英雄としての地位を、過去を、名声をすべて失った。真の名を奪われた。日本という国自体は存続しているものの、彼の生まれ育った「大日本帝國」という国家さえ無くなってしまった。
時の流れは残酷で、老化の遅いその男一人残して、当時の人々はほとんどが逝ってしまった。
彼は世界のすべてさえ失った。
しかし、全てを失ったかに思えた老人にもまだ残されているものがあった。
それは、戦士としての経験・矜持――
レッド・レシプロが狙いを外し、真下をすり抜ける。リキッドグレイはその後に着地すると、レッドとイエローを無視し、ブルーの命を狙う。
鋭い貫手がブルーの傷口を精確に射貫いた。リキッドグレイの腕は肘まで突き刺さり、刃のような手刀がブルー・パワードの背中から飛び出していた。
リキッドグレイに容赦の言葉は無かった。彼は腕を引き抜くと、ブルー・パワードの腹の中にあったものを引きずり出した。致命の業であった。
――そして何より、戦士としての天賦の資質。彼にはそれがあった。それを永遠に眠らせておくことなど、リキッドグレイにはできなかった。
後方から飛来するイエローの投げナイフを察知し、リキッドグレイは転がり避ける。狙いを外した投げナイフはフレンドリーファイアとなり、ブルーへと突き刺さり追い打ちとなってしまう。ブルーはそのまま仰向けに倒れた。
リキッドグレイは起き上がるとレッドと殴り合う。さすがに高速移動能力者、男にとっては見切れぬ速さではないものの、手数が多く数発の被弾を許す。
だがその中でリキッドグレイは的確に防御と反撃を行い、レッド・レシプロに畳みかける事を許さない。
――戦いの高揚感が、アドレナリンと共に彼の全身を駆け巡る。彼の超人的な肉体と魂は喜びに打ち震えていた。
――男はすべてを失った。だがまだ、戦いの道が残されていた。
戦いこそが全て、戦いこそが救い、戦いこそが男の血であり、肉であり、今のリキッドグレイにとっては、それが存在理由だった。
レッド・レシプロの視界が突如傾いた。頭部への被弾を許したのかと彼は思い、足に力込めた。だがその時、彼は自分の足の感覚がないことに気が付いた。
頭部への被弾を許したから視界が傾いたのではない。足が…………彼の右脛が、リキッドグレイの足から形成した金属刃によって切断されていた。
倒れ込むレッドの顔面に膝蹴りを喰らわせると、リキッドグレイは残るイエローへと向かった。イエローが恐怖に絶叫し、闇雲にナイフを投げまくった。リキッドグレイを倒すことは叶わなかった。
それから10秒もしないうちに、イエロー・ファルコンの両腕と首は切断された。
圧倒的に強すぎた。強さの次元が違った。彼ら五人は国の精鋭のはずだった。しかし伝説の戦士を前にして、彼らはまるで歯が立たなかった。
パープルが死に、ブルーが死に、イエローが死に、グリーンもトドメを刺され……最後に瀕死のレッド・レシプロだけが残った。
レッドはもはや能力を発動する余力もなく、地べたを必死に這う事しかできなかった。
「バ、バカな……俺たちヒーローがこんな……なぜ……」
血の混じった汗を滝のように流しながら、レッドは恨み節を呟いた。
「こんな事をして、許されると思っているのか……」
リキッドグレイは首から上の硬質化能力を解くと、軽く鼻を鳴らした。
「貴様らの事情など儂には関係の無い事。日の丸のよしみ、あのまま大人しくしていれば見逃してやったものを……」
リキッドグレイはレッドの首にかかとを落とし、踏み砕いた。
「まあ、鍛錬には丁度良かったぞ」
すべての敵が死に絶えると、彼は亡骸たちに背を向けた。
男は夜空を見上げた。世界のすべてが彼を残して変わってしまったとしても、月の輝きはまだ変わらないでいてくれた。
リキッドグレイはぼろぼろのコートを拾い上げると、フランク・シナトラの「フライミー・トゥ・ザ・ムーン」の歌を口ずさみながら、闇の中へと消えて行った。
読み切り作品「鈍色のヒーロー」完。
同一世界作品「暗黒街のヒーロー」本編時系列に続く。
使天墮ノ色鈍(ニビイロ ノ ヒーロー) キモくて金のない狂ったボロボロのおっさん @Eijitsu
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