第6話 ダブル・ゴリラ
満員のさいたまスーパーアリーナ。
会場の熱気は、最高潮に達していた。
シン・ゴリラとシャドー・ゴリラ。
数多くの強敵を打ち破ってきた二匹のゴリラが、ついにその雌雄を決するのだ。
リングに上がった二匹の間では、異質な闘気がせめぎ合っている。
シン・ゴリラの凍るような青い闘気と、シャドー・ゴリラの禍々しい赤い闘気が、会場の観客たちの目にもはっきりと見えている。
「待ちわびたぜ、この時を」
シャドー・ゴリラが、目でそう語る。
シン・ゴリラは、その視線を受けて静かにうなずく。
アナウンサーと解説者の声が、会場に響く。
――剛坂さん、ついにやってきました、シン・ゴリラ対シャドー・ゴリラ。剛坂さんはどのような試合になると見ていますか?
剛坂:まず、この闘いは古来から続く「フィスト・オア・ツイスト」の延長と捉えることができるでしょう。
――フィスト・オア・ツイスト……打撃と組み技の闘いということでしょうか?
剛坂:そうです。シン・ゴリラは神速のタックルを起点に、流れるような関節技を得意としています。対するシャドー・ゴリラは、立った状態での打撃はもちろんのこと、グラウンドでの優れたポジションワークに裏打ちされた強力なパウンドを得意としています。どちらも現代化されたファイト・スタイルでありながら、対照的なまでに、組み技と打撃それぞれに特化しているのです。
――なるほど、現代版フィスト・オア・ツイストですか。では剛坂さんはどちらに分があるとお考えですか?
剛坂:両者とも優れたファイターですが、私としては、シン・ゴリラがこれまで一度も打撃を使っていないことが気になります。
――シャドー・ゴリラが打撃だけでなくグラウンドでのポジショニングにも優れているのに対し、シン・ゴリラは打撃ができないのでは、と……
剛坂:いえ。彼は打撃ができないのではなく、何かの事情があって打撃を避けているように見えます。しかし、シャドー・ゴリラは打撃を封印したまま勝てるような相手ではないでしょう。
セコンドが離れ、運命のゴングが鳴った。
しかし、二匹はリングの中央まで進んで向かい合ったまま、動かない。
いや、動けないのだ。
二匹とも、互いの間合いを読み合いながら、踏み込めずにいる。
シャドー・ゴリラが、その間合いを潰そうと、じわりと半歩、足を進める。
シン・ゴリラは、それに応じて、半歩下がる。
再びシャドー・ゴリラが半歩進む……
その瞬間、シン・ゴリラが一気に距離を詰めた。
反射的に腰を落とし、タックルに応じようとするシャドー・ゴリラの顔面に、シン・ゴリラの拳がめり込む。
右ストレート。
シンプルな、右ストレート。
美しいまでに、完璧な打撃だった。
シャドー・ゴリラの膝が、ぐらりと揺れる。
勝機!
すかさず第二撃を放つシン・ゴリラ。
しかし、その拳は空を切った。
シャドー・ゴリラは、ダッキングして紙一重でその拳をかわすと、カウンターのフックをシン・ゴリラの腹に叩き込んでいた。
ほとんど意識が飛んでいる状態からの、執念のカウンターだった。
シン・ゴリラの表情が歪む。
追撃を警戒し、ガードを上げるシン・ゴリラ。
しかし次のシャドー・ゴリラの一手は、完全に予想を裏切るものだった。
一瞬の隙を突いて、シン・ゴリラの背後に回るシャドー・ゴリラ。
シャドー・ゴリラの太い腕が、シン・ゴリラの腰に巻き付く。
「ウホッ!!!!」
裂帛の気合いとともに、シン・ゴリラの体を、地面から引っ込抜くように投げる、シャドー・ゴリラ。
ジャーマン・スープレックス。
首から激しくマットに打ちつけられる、シン・ゴリラ。
危険な角度だ。
かろうじて受け身を取り、意識を失うことを防いだシン・ゴリラが見た光景は、絶望的なものだった。
腹の上に、どっしりと腰掛けるシャドー・ゴリラ。
マウント・ポジション。
絶対的な窮地だ。
会場は沸きに湧いている。
シャドー・ゴリラは憎しみに満ちた笑みを浮かべ、シン・ゴリラを見下している。
「信彦、なぜおれを憎む」
シャドー・ゴリラを見上げながら、シン・ゴリラがそう語りかける。
「貴様の胸に聞いてみろ!」
シャドー・ゴリラは叫びながら、シン・ゴリラの顔めがけて拳を振り下ろした。
鋭いパウンド。
一撃一撃に、激しい怒りの闘気が込められている。
「なぜだ、おれにはわからない」
シン・ゴリラは顔面をひたすら守りながら、問いかける。
「思い出せ、貴様が旅立った日、俺から何を奪っていったかを!」
無数に降り注ぐ拳が、シン・ゴリラのガードを切り裂いていく。
シン・ゴリラのガードが、わずかに開く。
その隙間に叩き込まれる、シャドー・ゴリラの拳。
しかし、打ち込んだ瞬間、シャドー・ゴリラは自分の失策に気づいて青ざめた。
シン・ゴリラが、打ち込まれた拳を捉え、手首を掴んでいる。
二匹の間で、凄絶なアイキの応酬が行われる。
わずかにシャドー・ゴリラの体がのけぞった。
一瞬の隙を突いて、シン・ゴリラの足が大きく跳ね上がる。
まるで大きなハサミのように、背後からシャドー・ゴリラの上体を挟み込む脚。
マウントポジション脱出の秘策、TKシザースだ。
シャドー・ゴリラの体を引きはがし、マウントから脱出するシン・ゴリラ。
逃すまいと腕を伸ばすシャドー・ゴリラ。
その動きが、致命的な失点となった。
シン・ゴリラは、掴んだ手首をまだ手放していなかったのだ。
伸びた腕に絡みつく、シン・ゴリラの脚。
一瞬で、腕ひしぎ逆十字の形が完成する。
みしりと音を立てる、シャドー・ゴリラの腕。
絶体絶命の状況からの、奇跡的な逆転だった。
「くおおお!」
渾身の力を込めて耐えるシャドー・ゴリラ。
「タップしろ、信彦! 折れてしまうぞ!」
叫ぶシン・ゴリラ。
しかし、シャドー・ゴリラは歯を食いしばり、降参を拒否する。
折れる!
そう見えた瞬間、シャドー・ゴリラの腕が激しく光った。
目もくらむような閃光。
一瞬ののち、二匹のゴリラは、リングの端と端に立っていた。
「……まさか、ここまでアイキを極めているとはな」
シン・ゴリラが、ぶすぶすと煙を上げる手のひらを見つめながら言う。
「俺は負けんぞ……貴様だけには、なんとしても負けん!」
そうつぶやくシャドー・ゴリラの口元に、光が集まる。
「かあっ!」
シャドー・ゴリラの口から、怪光線が放たれる。
かわすシン・ゴリラ。
怪光線を浴びた観客が、爆裂する。
大パニックに陥る会場。
観客たちが、我先にと逃げ出してゆく。
「やめろ、この先は殺し合いになるぞ!」
シャドー・ゴリラが二発目の怪光線を放つ。
シン・ゴリラもまた、拳から光弾を発した。
光がぶつかり、爆発がさいたまスーパーアリーナを揺るがす。
「やるな、光太郎……ならばすべてを出し尽くそう。アイキの真髄を見るがいい」
シャドー・ゴリラが、直立し、胸に手を当てる。
ドムドムドムドムドムドムドムドム!!
ドラミングの音が響き渡る。
そしてなんと、見よ、シャドー・ゴリラの肉体が、ドラミングの音に合わせて、大きくなっていくではないか!
対抗するように、シン・ゴリラもまた、胸を叩き始める。
ドムドムドムドムドムドムドムドム!!
ドムドムドムドムドムドムドムドム!!
二匹のゴリラが、すさまじいスピードで巨大化していく。
崩壊するさいたまスーパーアリーナ。
逃げ惑う群衆。
大晦日の夜、関東平野に二匹の巨大なゴリラが立った。
「ここからが本番だ」
大地を揺らしながら、シャドー・ゴリラが殴りかかる。
身を沈めてその拳をかわしながら、タックルを放つシン・ゴリラ。
さいたま新都心が、二匹のゴリラによって崩壊してゆく。
「やめるんだ信彦! このままでは世界が崩壊してしまう!」
マウント・ポジションを取られたシャドー・ゴリラが、ニヤリと笑う。
「かあッ!」
シャドー・ゴリラの口から放たれる怪光線。
光線がシン・ゴリラの頭を吹き飛ばす。
シャドー・ゴリラはすばやくマウントから脱出する。
同時に、頭の取れたシン・ゴリラの首から、肉が盛り上がり、新しい頭が生えてくる。
そして、その背中からは、光り輝く十二枚の翼が生えてきたではないか!
その姿に対抗するように、シャドー・ゴリラの背からも、蝙蝠のごとき禍々しい翼が、肉を突き破って生え出てくる。
再び相対する二匹のゴリラ。
いや、もはや彼らはゴリラではない。
ゴリラを、生物を超越した存在だ。
二匹が絶叫する。
激しい衝撃波。
そして繰り出される、核の一撃にも匹敵する光弾。
二匹は重力を無視して浮かび上がり、超高速で飛行しながら、戦闘を続ける。
二匹がぶつかるたびに、地球が焦土と化していく。
それでも二匹の闘いは終わらない。
それどころか、二匹はますます巨大化し、その大きさはすでに月ほどにも膨れ上がっている。
やがて二匹は地球を離れ、銀河系をリングとしながら、その戦場を拡大してゆく。
打撃は星を砕き、宇宙の闇を震わせる。
ゴリラの口から放たれる光の剣が、空間を裂き、宇宙の一隅を無へと帰していく。
それでもなお、傷つけば傷つくほど、彼らはより強く、より巨大になっていく。
際限なき闘い。
あらゆる生命と文明の意義を破壊しながら、彼らは闘う。
なんのために闘うのか?
その問いはもはやむなしいものとなった。
すべては破壊され、ただ闘いだけがある。
いや。
もしかすると、この世界には、初めから闘いだけが在ったのかもしれない――
**********
――そして、時が流れた。
シン・ゴリラが目を覚ますと、そこは砂漠だった。
熱砂吹きすさぶ、広大な砂漠。
ふと自分の姿を見ると、元のゴリラの姿に戻っている。
「おれは……勝ったのか?」
わからない。
ただ、生きていることだけは確かだった。
しかし、生き残ったところで、何のことがあるだろう?
砂漠を当てもなく歩くシン・ゴリラ。
やがて彼の目に、人影が映った。
小さな子どもが、人の亡骸にすがりながら泣いていた。
「……坊や、どうしたんだい」
静かに語りかけるゴリラ。
子どもは突然の事態に驚きながらも、彼に助けを求めた。
「助けて! お父さんが殺されたんだ!」
見ると、子どもがすがりつく亡骸には、槍のようなもので刺された痕が認められた。
そして、いくつかのエンジン音が近づいてくるのを、ゴリラは感じていた。
「ヒャッハァ! 見つけたぞ!」
武装した車が彼らを取り囲み、武器を持った男たちが降りてくる。
問うまでもなく、野盗の群れのようだ。
「事情を聞くつもりはない。貴様ら、この子を狙うつもりなら、容赦はせんぞ」
ゴリラの低い声が響く。
「なんだァ? このゴリラは……てめえら、やっちまえ!」
一斉に襲い掛かる野盗たち。
しかし、ゴリラの敵ではなかった。
次々と車ごと破壊され、野盗は蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
野盗の退散とともに、吹き荒れていた砂嵐も晴れた。
開ける視界。
シン・ゴリラの目に映ったのは、砂に埋もれた自由の女神像だった。
「なんてことだ……ここは、地球だ! おれたちが破壊した地球だ!」
「あの……おじちゃん……ありがとう」
愕然とするゴリラに、子どもが感謝のしるしに宝物を捧げるようにして、握っていたおもちゃを手渡した。
「これは……」
そのとき、シン・ゴリラに衝撃が走った。
それは、ホットトイズのムービーマスターピースシリーズダイキャスト製アイアンマン・マーク46(定価5万円)だった。
「これは……おれがブラジルに行く日、信彦の部屋から餞別代りにパクったのと同じやつ……そうか、奴はこれを……」
すべてを理解したシン・ゴリラの目から、涙が伝う。
「おれは……信彦に謝らなくては……」
涙するシン・ゴリラの耳に、再びエンジン音が聞こえてくる。
さきほどの野盗が、仲間を連れて復讐に戻って来たようだ。
悲しむ間もなく、再び拳を振るうことを余儀なくされるゴリラ。
果たして彼に安息の時は訪れるのか?
そしてシャドー・ゴリラはどこへ消えたのか?
荒野と化した地球で、シン・ゴリラは贖罪の旅に出る。
しかし、それは現代アクションとは別のジャンルでの話だ――。
シン・ゴリラ 完
シン・ゴリラ 既読 @kidoku1984
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