第5話 インドラ・リバース

 2016年12月1日、深夜。

 さいたま新都心駅前、人の消えた広場に、老人が一人で立っている。

 シン・ゴリラが飛騨高山の研究所を訪れてからひと月。格闘技団体「SLIDEスライド」から、年末のメイン・イベントのオファーが、シン・ゴリラのもとに届いた。

 対戦相手は当然、シャドー・ゴリラ。

 シン・ゴリラはこのオファーを快諾、大みそかに世紀の一戦が実現する運びとなった。

 しかし――。

 老人は、自らが招いた事態のけじめを、教え子にゆだねることをよしとしなかった。

 さいたまスーパーアリーナを背に、黒い影が立つ。

「ジジイ、久しぶりだな」

 黒い影、シャドー・ゴリラが、鋭い眼光でそう語る。

「信彦、貴様にアイキを教えたのは、わしの間違いじゃった」

 シャドー・ゴリラの口元に、笑みが浮かぶ。

「ならば、どうする」

 老人はその問いに、決然として答えた。

「もはや言っても聞くまい。かわいそうじゃが、貴様が二度とアイキを使えないようにする」

 その答えに、シャドー・ゴリラは高く笑った。

「ジジイ、年寄りに冷や水だぜ」

 シャドー・ゴリラがゆっくりと老人のほうに歩いてくる。

 近づくと、その体格差は歴然だった。

「確かに、アイキは体格差を凌駕できる技術だ。しかし、それはあくまで、相手がアイキを知らないからできること。アイキを極めた者同士が闘うのなら、その差は絶対的な戦力差になる」

 ゴリラの言葉に、今度は老人がにやりと笑った。

「その通りじゃな」

 そのとき、ゴリラは見た。

 老人の背から、紫色の炎が立ち昇るのを。

「光太郎の闘気は毘沙門天に見えたというが……これがアイキの究極奥義よ」

 なんということであろう。

 ゴリラの視界に映る老人の姿が、みるみる巨大になっていく。

 筋肉が隆々と盛り上がり、骨格までが伸長していく。

「強力なセルフ・イメージをかたどった闘気をまとうことで、体格差などどうとでもなるのじゃ。数十年かけて練り上げた我が闘気は、身長にして約220cm、体重にしておよそ150kgに匹敵する。さて、受けてみるかい、わしの拳を」

 その言葉とともに、巨大な老人が拳を放つ。

 両腕で腹をガードして受けたゴリラが、大きく後ずさる。

「……化け物め」

 老人の拳が、次々と降り注ぐ。

 受けるゴリラ。

 脇腹を打ち抜かれ、ガードが下がった瞬間、あごに強烈な一撃をもらい、ゴリラが膝を突く。

「……すまんな、腕を折らせてもらう」

 言いながら近づく老人の足が、ぴたりと止まった。

 シャドー・ゴリラの背で、青色の炎が燃え盛っているのが見えたのだ。

「ジジイ、おれが地下で闘っていたとき、なんて名前で呼ばれていたか知ってるか?」

 シャドー・ゴリラの闘気が、ゆっくりと人の形をとる。

「“闘神の再誕インドラ・リバース”。それがおれの二つ名だよ」

 ゴリラが再び立ち上がり、拳を握る。

 撃ち出される拳が、老人の腹にめり込む。

 胃液を吐き出す巨大な老人。

「殴りっこしようぜ……」

 ゴリラの第二撃と、老人の反撃が、同時に互いの顔面を打つ。

 シャドー・ゴリラの顔に、凄惨な笑みが浮かぶ。

 そこから先は、ノーガードの殴り合いだった。

 激しい打撃の応酬。

 体格差から初めは有利に見えた老人が、次第に後ろに下がっていく。

 ゴリラの打撃が、次第に速くなっていくのだ。

 老人が一発の拳を放つ間に、ゴリラの左拳、右拳、さらには左の蹴りが、老人に浴びせられる。

 やがてゴリラの攻撃は、典型的な対角線コンビネーションを繰り返しながら、信じられない速度にまで加速していく。

 その姿は、まさに韋駄天インドラ

 嵐の神。

 たまらずタックルを仕掛ける老人。

 それを待っていたかのように、ゴリラは老人の首を捕らえる。

「おやすみ、ジジイ」

 老人の首を脇の下に抱え、立ったまま全身の力で首を締め上げるゴリラ。

 ギロチン・チョーク。

 頸動脈を絞め上げる、最も基本的で、シンプルな絞め技。

 やがて、老人は動きを止めた。

 ゴリラの腕には、小さな、痩せこけた老人が、力なくぶら下がっている。

 気絶した老人を、静かに地面に横たえると、シャドー・ゴリラは胸の前で両の拳を握り込んだ。


ドムドムドムドムドムドムドムドム!!


 激しいドラミングが、さいたまの夜に響く。

 待っていろ、光太郎。

 大晦日おおみそかの夜、ここで決着をつけてやる。

 そう叫んでいるかのようなドラミングだった。

 いつの間にか、雨が降っている。

 血に濡れたゴリラの顔を、雨が洗う。

 決戦の地、さいたまスーパーアリーナを寿ぐように、ゴリラの血がゆっくりと流れていった。


 次回、最終回「ダブル・ゴリラ」。心して待て。

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