第4話 ミステリアスパワー・アイキ

 2016年9月下旬。

 カンガルーの結城城二との戦いの後、シン・ゴリラはかつて彼が過ごした研究施設を訪れていた。

 飛騨高山わくわく霊長類研究所。

 彼は、ここで生まれ、育った。

「そんな……まさか」

 研究所の前に立ったシン・ゴリラは、驚愕の表情を浮かべた。


飛騨高山わくわく霊長類研究所は本日をもって閉鎖いたします

長年のご愛顧まことにありがとうございました

2011年3月29日


 そう書かれた看板を前に、シン・ゴリラはしばし呆然として立ち尽くした。

 およそ5年前に、この研究所は閉鎖されていたのだ。

 自分がこの研究所を去ってから、丸1年ほど後のことだ。。

 いったい何があったのか。

 困惑するゴリラの前で、研究所の扉がゆっくりと開いた。

 そして、中から一人の老人が現れた。

「よく戻って来たな、光太郎」

 シン・ゴリラは、老人の出現に驚きながらも、深く頭を下げた。

「懐かしいだろう。まあ、入れ」

 ゴリラを招き入れる老人。

 研究所の中は荒れ果て、たくさんいたはずのサルたちは、もう影も見えなかった。

 老人は登山用の簡易ポットから、紙コップにコーヒーを注ぐと、ゴリラにそれを手渡し、古びた椅子に腰かけた。

「なぜ研究所が閉鎖に? 何があったのですか、老師!」

 ゴリラの瞳が、老人にそう語りかける。

「事業仕分けじゃよ……」

 老人は首を振ってそう言った。

「事業仕分けで、予算がなくなってな。みんな動物園に売却されてしまったんじゃ」

「えっ、事故とか誰かの裏切りとかそういうのじゃなくて?」

 ゴリラが思わず聞き返す。

 ここまで隠してきた重大な事実がここで明らかになった。

 このゴリラは喋ることができるのだ。

「うん、そういうのじゃなくて、事業仕分け。ほんと不採算だったから、この研究所」

 老人が肩を落として答える。

「まじかー、いやまじかー。そんな理由かー」

 不満そうに言うゴリラ。

 老人はゴリラの不満をよそに、静かに語り出した。

「お前がブラジリアン柔術を習うためリオに発ってから、わずか1年後のことじゃった。なんとか伝えたかったが、連絡がつかんでな」

 ゴリラはすまなそうにうつむく。

 当時、ゴリラはブラジルで麻薬密売業者との抗争に巻き込まれ、しばらくの間、貧民街に潜伏していたのだ。

「研究所の閉鎖が決まってからというもの、サルたちも所員たちも、元気がなくなってのう。中でもお前と仲のよかった信彦の落ち込みようは、見ておれんかった。飯も喉を通らんようで、日に日にせていった」

 シャドー・ゴリラこと信彦の話に、ゴリラの目が真剣な光を帯びた。

「あんまりかわいそうじゃったから、わしは墓までもっていくはずの禁断の技を、奴に教えてしまったのじゃ」

「禁断の技!?」

 ゴリラがその驚きを瞳で表現する。

「そうじゃ。それが間違いのもとじゃった。やつはその力を得たことで慢心し、動物園を脱走した。地下に潜り、技を磨いておったのじゃろう。やつは非情の拳を身につけ、我々の前に姿を現した。お前も見た通りじゃ」

 ゴリラは、カンガルーを打ちのめしたシャドー・ゴリラの姿を思い浮かべる。

「まさか、あの心を読んだかのような動きは……」

「そう、あれが、ミステリアスパワー・アイキじゃ」

 ゴリラが真顔になる。

「いや、合気あいきってそういうんじゃないでしょ。怒られるよ?」

 老人は構わず語り続ける。

「アイキを極めた者は、相手が動く前からその動きを予見し、心を読むこともできる。しかもやつは、アイキの暗黒面ダーク・サイドに堕ちてしまっておる。暗黒面のアイキは強力じゃ。年老いたわしでは、もはややつを止めることはできん」

 老人は、ゆっくりとゴリラの手を取って言った。

「光太郎、お前にもアイキを伝えよう。光のアイキと暗黒面のアイキで、世界はバランスをとらなければならん」

 そのとき、老人の手が、ゴリラにはなんか輝いているような気がした。

 あくまで気がしただけで、実際に輝いていたわけではなかった。

「老師……教えてください。おれは、信彦に勝たなくてはならない」

「よかろう。しかし、わしの修行は厳しいぞ。心しておけ」




 かつてゴリラたちが老人から柔術を学んだ研究所の道場に、彼らは再び立った。

「まずは、握手をしようか」

 そう言って、老人がゴリラの手を握る。

 握った瞬間、ゴリラの膝がガクリと落ちた。

 老人の身長は、わずか160cmほど。体重にいたっては、どう見積もっても50kgを超えないだろう。

 その老人が、体重100kgを超えるゴリラを、片手でひざまずかせている。

 老人が手を離すと、ゴリラはふつうに立ち上がって言った。

「なんか……ふつうですね」

「なんで!? すごいじゃん! こんな老人がゴリラを片手でひざまずかせるんだよ!?」

「いや……すごいっちゃすごいけど……ビームとか出せないんです?」

 ゴリラの不満げな問いに、老人は即答する。

「ビームは出ない。それだけはあらかじめ言っておく」

 それから、老人はゴリラに背中を向けて言った。

「これからひと月の間に、わしを転ばすことができたら、修行は完了じゃ」

 瞬間、ゴリラが背後から神速のタックルをしかける。

 容赦がない。

 老人はゴリラのタックルを受け、道場のマットに――

 転がされたかに思えた。

 少なくともゴリラには、完全にその胴を捕らえたように思えた。

 しかし、マットの上に転がされていたのは、ゴリラのほうだった。

 ゴリラの頭を押さえながら、老人が言う。

「いや、『わしを転ばせてみろ』とか言って背中向けたら、ふつうそれフラグでしょ? こんなのひっかかちゃうの? ちょっとベタすぎない? だいじょうぶ? バナナ食べる?」

 満面の笑み。

 森の賢人と言われるゴリラも、この笑みには殺意に近いものが芽生えるのを感じた。

 ともかく、こうしてゴリラと老人の特訓が始まった。

 すべては、信彦をフォースの暗黒面から救うために。

 そして、この世界にアイキの調和をもたらすために――。


 次回、ついに物語の舞台はさいたまスーパーアリーナのリングに。心して待て!

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