第3話 アナザー・ゴリラ
カンガルーが、倒れたゴリラの頭に拳を振り下ろす。
しかし、彼の攻撃はそれでもあくまで慎重だった。
一撃で決めるような無理攻めはしない。
細心の注意を払い、腕を捕られないよう、素早く引き戻す。
無数にある関節技の中でも、今、城二が警戒しているのは、主に二つの技だ。
腕を捕り肘関節を極める「腕十字」と、脚で首を極める「三角絞め」。いずれも、極めるためには相手の腕を捕ることが必要になる。
だから、腕を捕らせない。
腕を捕らせないように警戒しながら、打撃を放つ。
優位を保ったまま、勝利を絶対的なものにしようとする戦術だ。
しかし、シン・ゴリラの瞳の光は消えていない。
その背には、毘沙門天を思わせる真っ赤な闘気が立ち昇っている。
彼はまだ、闘志を失ってはいない。
顔面を打たれながらも、ゴリラの手がカンガルーの腕を掴もうと伸びる。
城二はすばやく拳を引いて、それをかわす。
ゴリラは、自分の脚を頭の上まで持ち上げて、カンガルーの上体を自分の体に引きつける。
ラバー・ガード。
身体の柔軟な柔術家が得意とする、変則的な防御手段だ。
城二は、腕を守りながら、ガードをかいくぐろうと動く。
その時、ゴリラの脚が、カンガルーの肩を超えた。
奇妙な、実に奇妙な動きだった。
カンガルーの脇の下から、ゴリラの脚が肩に巻き付くように伸び、足が首の下に差し込まれる。
まずい――
城二がそう感じたとき、すでに彼の首は、ゴリラの脚と腕でがっちりと固められていた。
城二の頭を抱え込むように引き込むゴリラの手は、城二の首の下にある自身の足を掴んでいる。
まるで断頭台のように、ゴリラの腕と足が、城二の首を上下から締めつける。
なんという驚異的な柔軟性!
圧倒的な優位にあったはずの城二が、力なくゴリラの脚をタップする。
ゴリラはゆっくりと技を解いた。
その顔面からは、鼻血が滴っている。
その頭部は、ヒザを受けて赤く腫れている。
対する城二の体には、傷ひとつない。
しかし、勝利したのはゴリラだ。
関節技による、相手を傷つけない、無血の勝利。
鮮やかなセルフ・ディフェンスの技。
ふらつきながら立ち上がったゴリラの腕を、レフェリーが握り、高く掲げる。
シン・ゴリラの一本勝ちだ。
決まり手は、ラバー・ガードからのフット・チョーク。
再びの、鮮烈な勝利だった。
ゴリラはセコンドから渡されたタオルで血を拭い、カンガルーに握手を求めた。
悔しさをにじませながらも、その手を握る城二。
城二の瞳は、言葉を発せぬながらも、あたかも次のように語っているかのごとくであった。
「おれの完敗だ、シン・ゴリラ」
そして、彼の瞳がリングの外に動く。
次の試合の選手が、スクリーンに浮かび上がったのだ。
それは、城二とうり二つのカンガルーだった。
再び城二の瞳が語る。
「だが、兄はおれの10倍つよい」
頭部を氷で冷やしながら、シン・ゴリラは控室に戻る。
その道の途中。
一頭のゴリラが、壁に背を預けてたっていた。
鋭い眼光が、シン・ゴリラを射抜く。
「ぶざまな試合だったな、
そのゴリラを、シン・ゴリラは知っている。
ゴリラはゆっくりとシン・ゴリラと向き合う。
「きさまが研究所を抜け出してから、おれがどんな日々を過ごしてきたか、想像してみろ」
その瞳が、そう語っている。
シン・ゴリラは、その視線を受けて、彼の目を見返す。
「
シン・ゴリラの釈明の眼差しを一顧だにせず、信彦は去る。
「おれの試合を見ておけ」
その背中は、ただそれだけを語っていた。
「赤コーナー、188cm、102kg!
コールとともに、カンガルーが軽やかなステップでリングの中央に向かう。
「青コーナー、180cm、113kg! シャドー・ゴリラ!!」
シン・ゴリラによく似たゴリラが、ゆっくりとカンガルーに歩み寄る。
「Let's Get It On!!!!」
ゴングとともに、カンガルーが鋭いジャブを放つ。
ゴリラは、それを片手で軽く弾く。
城二の兄、城一は、一瞬の交錯から、シャドー・ゴリラと名乗るこのゴリラが、極めて優れた打撃技術をもっていることを、すぐさま読み取った。
そして、すぐさま必殺の拳を放った。
超長距離から異常な踏み込み速度によって撃ち出される、右ストレート。
並の選手では、その射程と速度の前に、ガードすら間に合わない。まさに一撃必倒の必殺技だ。
しかし、ゴリラはそのストレートを、上体を振って難なくかわし、不敵な笑みを浮かべた。
「もう何度も見たぜ、その技は」
その笑みは、そう言って城一を挑発しているように見えた。
このゴリラは、シン・ゴリラとはタイプが違う。
恐らくは、打撃系。
それもかなり高度なボクシング・テクニックを有しているに違いない。
全戦力をもって、一気に倒すべき相手。
そう決断した城一は、奥の手を出した。
槍のような蹴りが、ゴリラの
100kgを超える体重を、一蹴りで10mも跳躍させる脚力、それを爪先一点に込めた、究極の蹴り技だ。
その軌道はあくまで直線、最短距離。
いかなる回避動作も間に合わない速度。
しかし――
城一は、蹴り脚とともに、滑るように
まるで時間がゆっくりと引き伸ばされたような感覚。
蹴りを出すタイミングが、完全に読まれていた。
なぜ、読まれたのか。
この技は、公の試合では初めて見せる技だ。
このゴリラは、心を読むのか。
そうとしか思えない。
距離と速度を殺され、威力を失った蹴りが、ゴリラの腹を打つ。
ゴリラは、その脚を抱えて、そのままカンガルーとともに地面に倒れ込む。
城一は、脚を抱えられて、まともにガードワークがとれない。
気づいたときには、すでに腹の上にゴリラが乗っていた。
不敵な笑みを浮かべる、シャドー・ゴリラ。
彼は、真っ黒な腕を振り上げると、それをカンガルーの顔に向けて振り下ろした。
ゴリラの圧倒的な腕力から繰り出される鉄槌。
一撃で、城一の視界が揺れる。
しかし、攻撃は止まらない。
無数の鉄槌が、次々と振り下ろされる。
ゴリラ・パウンド。
非情の拳。
すでに意識を失ったカンガルーの頭に、何発もの鉄槌が容赦なく打ちつけられた。
レフェリーがゴリラの横から、決死のタックルを敢行し、それを止める。
打ち鳴らされるゴング。
血塗れになった兄に駆け寄る、弟のカンガルー。
兄は、弟の呼びかけに答えることができない。
不敵な笑みを浮かべたまま、それを見下ろすゴリラ。
シャドー・ゴリラ、戦慄のデビューであった。
次回、シン・ゴリラの過去が明らかに。心して待て。
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