第2話

2

「それだけは決してなりませぬ」


彼は跪いたままで答えた。震え声ではあるものの強い語調だった。


「なぜじゃ」


王女は美しいお顔を歪めて言った。

輝くような金髪に、澄んだ青色の瞳。透き通るような白い肌。スッと通った鼻筋。形の良い真っ赤な唇。


「怪物を生かしておくとは何事ぞ」

「怪物ではありませぬ。健気な少女でございます」

それ以前に……、と言いかけてやめた。言ってしまえばますます追い詰められる。


「聞き分けの悪い奴め。少女をどこに隠した」

王女は彼を睨みつけた。

彼の頬を汗が伝った。

「隠すなどと、とんでもない」

王女の鋭い視線を感じつつも、彼はきっぱりと答えた。


「少女は、逃げました」


彼はチラリと王女を見上げた。誰が見ても美しいと感じるであろうその顔は怒りで赤く染まっていた。


「逃がしたのじゃな」

「いいえ」

「逃がしたのか、逃げたのか、どちらにせよそなたの失態じゃ」

「申し訳ございません」

「責任を取れ。すぐさま捜し出して」


王女は玉座から降り、彼に歩み寄った。指を彼の顎にかけた。顔を上げさせた。

視線が絡み合う。


「殺れ」


おぞましく冷たい声だった。

彼は答えなかった。ただ王女を見上げ、睨みつけていた。

「もうそなたには生け捕りにせよとは言わぬ。殺ってしまえ」


王女は指を離した。

「そうじゃ、期限を決めよう。いつまでに怪物の首を私に差し出す」


弱音を吐けば、王宮での生活は終わりを告げる。しかし、嘘を吐けば命が終わる。


ならば、少女を殺るか?


「それだけはならない」

彼は静かな声で呟いた。


「ん? 何か言ったか?」

「いいえ。何も」

彼は頭を下げると言った。

「必ずや1年以内に」

「ハッ」

王女は鼻で笑った。

「1年もかけるな、この能なしが」

王女は無表情に戻ると低い声で告げた。


「1ヶ月」


彼は肩を震わせた。

「1ヶ月後には、怪物か、そなたが死んでいようぞ」

身体の震えはいよいよ激しくなった。そんな彼を意地悪い目で見て王女は言った。


「そんなに恐ろしいか? 死ぬのが。それとも殺すのが」

王女のこの一言は、嘲りのこの言葉は、彼を決心させるに十分だった。


「いいえ、殺りましょう」


彼は気付かれないようにひっそり笑った。

「ふむ。失敗は許さぬからな」

それだけ言うと、王女は靴音高らかに部屋を出て行った。

彼はゆっくり立ち上がった。


殺りましょう、王女さま、貴方を。


王宮の外では雪が降っていた。

白い雪が舞い散る様は、命の散り際を連想させた。彼は頭を降って幻想を追い払った。

そして帽子を深くかぶると、真っ白な空の下へ歩き出した。


♢♢


「チョナ」

彼は小さく呟いた。

家に中にはひと気がなく、ガランとして静かだった。

最愛の娘は今、別居している。単身赴任などという単純な理由ではない。複雑というわけではないが、少しばかり特殊な事情があるのだ。


「元気でいるかい? 父さん、頑張るからな。もう少しの辛抱だ」

空っぽな家に独り言が空しく響く。

彼はコートを脱いで雪を落とすと部屋に入った。


頭が、くらくら、する。

彼はとっさに机の端に手をかけた。頭にもう片方の手を当てて彼はうずくまった。

頭痛の原因は、普段のあれだけではないようだった。

頭の中で先程の会話がぐるぐると渦巻いている。


「そんなに恐ろしいか? 死ぬのが。それとも殺すのが」

「いいえ、殺りましょう」

「ふむ。失敗は許さぬからな」


王女を、殺る。


考えるだけでもゾクっとする。鼓動が速くなって、身体が熱くなる。

彼は懐から短剣を取り出した。鞘を抜く。短い刀身がギラリと光る。

銀色の刃にそっと親指の腹を当てる。

ひんやりした金属が、指を軽く押し返してくる。

その接触しているわずかな面積から、冷たいものが身体の中へ染み渡って行く。


王女を、殺る。

大事な命をひとつ、守るために。


これは殺人の立派な理由になるだろうか。

「理由としては立派かもしれないが、正当な理由にはなり得ない、かな」


彼は独り、呟いた。

相変わらず独り言が多いな、なんて、短剣を片手に考える。

そしてそんな自分を可笑しく思う。


「でも、私は二人いるんだろ? なあ、もう一人の私よ」

それならば可笑しくはないのか。

では、もう一人の自分、お前に尋ねよう。


私は、王女を殺すべきか。


いや、こう訊くべきだな。


お前は殺人に協力してくれるか?


もちろん、返事なんてない。二人目は今はここにはいない。既に帰ってしまったから。


しばし経って彼は低い笑い声を洩らした。

「もう、お前からの答えは聞いていたよな。あの王宮で」

彼は短剣を鞘に戻した。


猶予は1ヶ月。

彼か、少女か、王女か。

誰の血が、白い雪原の上を流れることになるだろうか。

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終わらないナイトメアに生きる 琴々 @kotokoto18

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