今日この海は遊泳禁止です

毒島伊豆守

 今日この海は遊泳禁止です


「あーっ、せぇっかくいい波来てるってのによ、ファッキンシャーク!」

 沖合に向かって中指を突き立てたリュウトの心からの叫びは、海岸に鳴り響く警報の音に半ばかき消されてしまった。

「......車にボード積んでくる。」

 サーフボードを抱えて、リュウトのザ・チャラ系の金髪日焼けな背中が小さくなっていく。



 波打ち際を用心深く走って、海の中に誰もいないかチェックするライフセーバーさん達。

 ワイシャツにスラックス姿の町役場の職員が拡声機で、沖合にサメが現れたため今日は全面遊泳禁止になったと繰り返し告げて回っている。

 夏休みの稼ぎ時にわざわざ来やがって本当に迷惑だ。職員さんの顔には、そんな文句がぶっとい字で書かれてた。

 8月の土日、この田舎町にレジャー客が落とす予定だったかなりの額のお金は確実に消えたわけで、町の税収も下方修正。

 そして、俺が働いてる実家のコンビニも大打撃。いつもより多めに仕入れたアイスや飲み物は売れ残る。

 今日は収支考えるのやめよ。遊ぶときはとことん遊ぶぞ......サメのせいですることなくなっちまったが。

 

 この夏初めて使ったサーフボードを傍らの砂地に立て、腰を下ろす。

 遊泳禁止&避難指示が出てるが、波打ち際から離れたここまでやって来るサメなんていないだろ。

 一緒にサーフィンを楽しんでたレイカが俺の横にしゃがみこんだ。

「来ちゃったねえ...サメ」

 ノンファスナーのウェットスーツを脱いだ彼女は、水着の上に着こむラッシュガードに覆われててもわかる巨乳を自身の太ももに押し付けるようにして背を丸めた。

 リュウトはこの胸を狙っているらしいが、相手にされてない。

「マジでかいな」

「は?」

「いや、波がでかいのに乗れないってつれーなーって。リュウトじゃねえけどファッキンシャークだわ」

「おとといの台風で海水の温度が上昇したからねー。去年も台風のあとに来たじゃん。サメ」

「そうだったな(誤魔化せた)」

 台風の置き土産の力強い波がいい感じで押し寄せてる浜に目をやると、去年は毎日のように乗ってたことを思い出す。そのときは4人だった......。



「苦労して休みとったのに残念だったね」

「まったくだ。実家のコンビニ継ぐから就活もせんでよかったけど、いざ働いてみりゃあ、人手不足で店番ばかり。シフトやりくりしてなんとか丸1日ひねり出したらサメに邪魔される。俺の22歳の夏は 三角波 Aフレーム に4回乗って終わったわー」

 三角波とは、正面から見ると底辺がながーい△の波で、波の左右どちらにもいい感じで滑れる。Aに似てるんでAフレームとも言う。

「まあまあ、そうくさんないの。海はいつもここにあるし、波はいつも来てるぜダイキぃ」

 右の頬をぐいーっとひっぱられる。痛えよ。

「なんも考えんと遊んでられた去年までと、社会のゲンジツってやつを思い知らされた今年じゃ、なんか海も波も違って見えるわ」

「まだ4か月ぽっちの社会人が言いますねー」

 ニカッと笑うレイカ。

「またやりくりしてさ、来月乗ろうよ。ダイキはこの浜の 地元サーファーローカル なんだから頑張って時間つくること。あたしもリュウトもダイキの休みにあわせるからさー 」

「4か月はお前らも同じだろ」

 この春に地元の大学を一緒に卒業して、町のJAにうまくもぐりこんだレイカと地主の次男でフリーターのリュウトはほぼ毎週この浜で波と遊んでる。

 こいつらは勝ち組だ。

 

 コンビニで穴だらけのシフトを埋めるため、休みなんてろくにとれない次期店長予定の俺は社会人4か月にして早くも『もしかして俺、ずっとこのままかよ』と思い始めていた。


 そして、去年はここにいて今はいないあいつは、この田舎から東京に出て行ったわけで。一番仕事頑張って、一番22歳の夏を楽しんでるはずだ。

 アカリ。

 サーフ同好会のメンバーでただひとり東京の大手メーカーに就職した。

 俺とつきあっている......たぶん。

 遠距離になり、お互いに社会人最初の4か月は多忙をきわめて一度も会わずに今日にいたる。



「ダイキさ、このあとアカリと会うんでしょ」

「お盆でやっと帰れるからっていうから」

「アカリとはたまにしかLINEしてないけど、あいつ背伸びして大手メーカーなんか入っちゃうからメチャメチャ忙しいみたいよ」

 背伸びってのは、ちょっと違う気が。

 アカリはあいつなりに、どうせ働くならでかいところで活躍したいってつもりで、就活勝ち抜いたんだって。

 まあ、田舎でくすぶってる俺やレイカから見たら、スーパー勝ち組?

 いや、生まれたところで友達と楽しくやってるこっちが勝ち組?

 

 ......俺が一番イケてない気がする。

「アカリ、就職してから戻ってくんの初めてじゃん。あー、あたしも会いたいな」

「今日のところは俺に譲ってくれや。一応彼氏なんだからよ」

「一応......か。まあ、あんた達はそれぞれ違う道行っちゃってるからね。大学から社会人になると景色が変わってそっちが楽しくなっちゃうもんだしなあ」

「おい、なんか別れるの前提で言ってね?がんばれって応援するのが仲間じゃね」「別れたら言ってよ。飲み屋で愚痴聞いてあげるから」

「応援しろって言ってんの。そういえばアカリは俺のことどう言ってた?」

 

 自信なさげな一言がレイカの男らしい琴線に触れたようだ。

「今アカリがダイキのことどう思ってるかとか?実は東京で彼氏ができたんじゃないかとか心配?知りたかったら自分で聞けよ。事前に情報仕入れておこうって、ヘタレすぎて泣けるよ」

 図星突かれすぎてヤバかった。

 顔が真っ赤になるのが止まらない。

「わ、わりぃ。今の、なかったことにしてくれね?」

 レイカはニカッと笑って俺にデコピンした。

「ぐぁっ」

「今回は聞かなかったことにしといてあげよう。その代り、気合入れて会えよ、ダイキくんよ」

「あ、あざーす」

 


「アカリとはここで待ち合わせてるんだ。残念だったねえ、イケてる波乗りを見せられなくて」

 これもまた図星。今の俺はサーフィンくらいしかアピールできるものがねえし、

 波乗ってればあまり会話はいらねえかなって思ったけど、サメ出現のおかげでそれもできなくなっちまったなあ。

「お、何も知らないリュウトが戻ってきた」

 リュウトは染めたばかりの金髪をタオルでワシャワシャこすりながら、スマホ片手に、

「波に乗れない浜に用はねえ。これからファミレスでケンケンたちと合流すっけどどうする?」

「あたしパフェ食いたい!リュウト御馳走様☆」

「お、おう。んで、ダイキも行くっしょ?」

「俺はちょっと大事な用事あるんでもうちょっとここいるわ。みんなによろ言っといてや」

「ここいてもファッキンシャークしかいねんじゃね?」

「おう、浜まて来やがったらボードでボコってやるぜ、ファッキンシャーク」

「がははは。ファッキンシャーク!」

 リュウトが再び沖へ向かって中指を立てる。 

 レイカが立ち上がり、自分のボードをリュウトに押し付けた。

「ほら、あたしのボード運んで。行こ行こ」

「じゃ、ダイキ。9月にまたここで波待ちしよね。じゃーね」

「く、9月はクラゲがなあ」

「けっ、波乗りがクラゲ気にしてんのか。シャークもクラゲもファーック!」

 レイカのボードを抱えてリュウトは去っていく。

 サンダル履いてそのあとを行くレイカが俺に向かって拳を突き出した。

「今夜LINEしてってアカリに伝えて。あと、がんばれ」

 俺は自分の心臓の上を片手でたたいた。



 それから小一時間、俺は缶コーヒー片手にぼーっと海と空を眺めて過ごした。

 考えに浸る時間たっぷり。


 卒業して離れたって、電話もLINEもあるよ。インスタグラムで近況報告できるし。

 そう言って上京していったあいつ。しかし、だ。

 お互いの生活サイクルがずれてるからLINEはすれ違い気味。

 環境が違うと話はあまり噛みあわない。

 それが続くと自然とやりとりの回数は減っていった。嫌な予感がした。


 俺はツイッターでつぶやくこともインスタグラムに画像アップするのもやめた。 店番してるか疲れて寝てるかの生活なんて何もアップすることがない。

 仕事の愚痴をつぶやくとフォロワーは減ってった。


 アカリのインスタは、俺から見て華やかだった。

 新しいスーツ、新人歓迎会の様子、同期といったオサレカフェのインテリア。うまそうなスイーツの数々。仕事先の湾岸で撮った東京湾の画像。

 ボーナス(なにそれうまいの?)で買ったワンピースにバッグ。

 去年より増えたリップの色。


 サーフィンは卒業したの。これからは美白アカリちゃんで仕事頑張るの。

 大学卒業前に宣言したアカリ。

 俺たちの共通の楽しみを一方的にやめてまで、東京での新生活に溶け込もうとする彼女の選択に、俺は寂しさを感じつつも、見守るしかなかった。


 インスタが更新されるたびに俺はため息をつく。田舎のコンビニ跡取りのプライドは少しぐらついてきた。すごいね、東京。すごいね、大手メーカー。

 俺の中にもやもやした疲れる塊がおおきくなってった。

 昼も夜もせわしないコンビニの自転車操業シフトに忙殺されてたせいもある。

 俺は毎日の生活の中で、無理にでも彼女を忘れるようとしていたのかもしれない。


 お盆にようやく休みがとれたアカリと、親父に頼み込んでシフトをあけてもらった俺がゆっくり会えるのは今日だけだった。

 きっとこの前インスタに載せてた白系のワンピですかした足取りで来るんだろうな。

 俺は去年と同じウェットスーツ。



 青い青い空に白い白い入道雲を見上げるのにも飽きた。

 波が飛沫をあげて砕ける。

 あー、今最高にいい波来た。眺めてるだけじゃもったいない。乗りたい。


 サメはどこにいるんだ?見えないぞ。もしかしたら、もうこの海から出て行ったんじゃないか。遊泳禁止は解除されてないが、幸いライフセーバーさんたちの姿もない。

 そう、この浜は今俺一人しかいないっぽい。

 一回くらい乗ってもいいかな?

 

 傍らのマイボードに力強く手を伸ばしたときだった。


「今日この海は遊泳禁止です」

 体が硬直した。今日何千回も聞いた波の音が今までと違って聞こえる。

「で、ですよね」

 油の切れた機械のようにぎこちなく振り向いた先、ウェットスーツ姿のアカリがいた。

 卒業して以来、季節ひとつ飛ばしての再会。



「お、おま!サーフィン卒業で美白ОLめざすんじゃなかったのかよ」

 予想もしていなかったアカリの出で立ちに戸惑い、声が上ずる。

 

 少し責めるような口調になったのは、遊泳禁止を知りつつ、ウェットを着てきた彼女のサインに気づいて慌てたからだ。


アカリは俺のパニくりを気にもせず、真っ直ぐ海を見据えてサラリと言った。 


「あー、やっぱり今は『これ』が一番の勝負服かなーって」


俺の中に溜まってたくだらないもやもやが一気に蒸発していく。


「お前、そのウェットきつくなってね?」

急に照れくさくなって少しからかい口調になった。

しかし、半分冗談で言ったつもりが、アカリの図星を突いていたらしい。

今日は図星を突いたり突かれたりか多いわ。


あいつはわざと怒ったように睨んで低い声で呟く。

「ダイキくんよぅ、フツー、女子にそういうこと言うか?しかも久々の再会で」

もう馬鹿な俺の軽口は止まらんかった。

去年の夏の俺が戻ってきて、あの頃のやりとりが自然になってた。

「せっかくだからサメにその肉ちょっとおすそ分けして来いよ」


彼女の背中を両手で支えて、キラキラとはじける波打ち際へ連れていく。

「ちょっ、押さないでよ!マジで係の人に怒られるよ!」

「うるせー、田舎の海、お台場よりいいべ?サイコーだべ」

「キャー、サメコワイ!」


海も波も、俺たちの間みたいに気まぐれに荒れるけど―――

いい波はまたやってくる。


遥か沖でサメが波間から飛び跳ねた。



(終)


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