二月十四日担当の彼
放課後の教室に早野くんを呼び出した。同じ中学出身で、クラスが同じになったこともあるし、席がとなりになったことだってあるのに、彼とはちょっとしか会話したことがない。「おはよう」「これ、落としたよ」「小テストの範囲ってここまでだっけ」、それだけ。へたれのあたしは、端正な彼の顔を見ているだけで、どきどきしてうまくしゃべれなくなっちゃうんだ。
だけど今日こそ、そんな引っ込み思案の自分を変える。二月十四日、バレンタイン・デー、当たって砕けろ大作戦。あたしは彼のためにそこそこ値の張るチョコを用意した。いきなり手作りじゃ重いかなって躊躇したの。でも、本命だってことは伝えたい。今度(、、)こそ(、、)。
教室の窓から見える空は鉛色の雲に覆われている。顔が熱く火照ってうまく話を切り出せないあたしに業を煮やしたのか、早野くんはぽりぽりと頭を掻きながら言った。
「ていうかチョコくれるんだよね?」
こくりとうなずくあたし。早野くん、慣れてるんだな。呼び出されて告白されるというシチュエーションに。ちょっと泣きそうになっているあたしに、
「前から聞こうと思ってたんだけど、義理なの? 本命なの?」
と、彼はたたみかけてきた。前からってなに? って、ちょっとひっかかったけど、今はそれどころじゃない。
「ほんめい、です……」
消え入りそうな声で告げる。同級生相手なのに丁寧語になっちゃうのはなんでだろう。
「あ、本命か。そっか」早野くんの、どこかほっとしたような声。「もっと早く聞けばよかったな。ずっと気になってたんだ、川辺さんのチョコの意味。でも直球で聞くのはさすがにどうかなって遠慮してた。あー、すっきり」
すっきり? ずっと気になってた?
「何を言ってるの?」
恥ずかしさも忘れて、あたしは顔をあげて素朴な疑問を口にした。告られたリアクションとしてどうなの、それって。
「信じられないかもしれないけど、俺は川辺さんにチョコをもらうの、これで五回目なんだ」
「は?」
からかってるの? ていうか意味がわからない。
「いや、いいんだ。気にしないで。ところで本命ってことは、つまりきみは俺を」
続きのことばを言うかわりに、早野くんは顔を赤らめた。首すじから、耳たぶにいたるまで。またもや無言でうなずくあたしの手を、彼はいきなり握りしめた。
「きゃっ」
「ごめん。でも俺には時間がない。川辺さん、つき合おう。これからどこかふたりで行こう。もう四時まわってるからあんまり遠くには行けないけど……。ふたりでいられるなら、どこでもいいよね?」
みょうに切迫した顔して、あたしの手をぎゅっと握りしめる早野くん。素直にうれしい。夢みたい。ろくに話したこともない、容姿も人並みのあたしとつき合ってくれるなんて……。でも。
「時間がないってどういうこと?」
彼のことばのはしばしが、妙にひっかかるの。
「日付が変わるまでしか一緒にいられないんだ」
早野くんはひといきに告げた。日付が変わるまでって、そんな、いきなり。顔から火が出そうに熱い。早野くんはあわてて、や、ちがうんだそういうイミじゃない、と否定した。
「俺は二〇一五年二月十四日を繰り返しているんだ。一日過ごして眠って、目が覚めるとまた二月十四日。寝ないで起きていてみても、深夜十二時近くになるとひどい眠気が襲ってきて、気が付けばまた十四日の朝。これで五回目。ループしてるんだ、抜け出せないんだ」
早野くんが何を言ってるのかぜんぜん理解できないけど、彼の顔は苦悶に満ちていて、あたしはとりあえずつないだ手に力をこめた。
すると早野くんは気を取り直したように、あたしに笑んでみせた。
「えーっと、とりあえず学校を出よう」
ふたりで歩く道すがら、あるいは寄り道したカフェで。彼はぽつぽつと自分の状況を説明してくれた。ずっと「二月十四日」から先に進めないって話。信じられないけど、嘘を言っているような顔でもないし、正直困惑している。だけど一緒にいられることはうれしい。
ふたりならんで腰かけた公園のベンチ、つないだ手は未だ離れない。赤い夕陽が彼の横顔を照らす。
「最初は川辺さんのこと、何とも思ってなかったんだ。でも、何度もチョコを渡されてるうちに、気になって仕方なくなって」
早野くんがあたしをぎゅっと抱きしめる。かわいた冬のにおいがする。
「でもきみは、俺を置いて明日へ進んでいってしまうね」
「……十五日の世界には、早野くんはいないの?」
「わかんないけど、たぶんいると思う。俺も十三日までの記憶はちゃんと持ってるし。明日の俺も、今日のことは覚えてるんじゃないかな」
「でもそれって、ほんとうに早野くんなの?」
あたしは彼の背中に腕を回した。
「わかんない。二月十四日をループしてる俺がイレギュラーなだけで、明日の俺が本物なのかもしれない。もしかしたら、俺が十四日担当なだけで、明日の俺は十五日をループしてるのかもしれないし、明後日の俺は十六日をループしているのかもしれない」
「やだやだ、わけわかんないこと言わないで」
「ごめんね。俺にもわかんないんだよ。頭がおかしくなりそうだ。いや、むしろ、すでにおかしくなってるのかも」
やだよ早野くん、そんなこと言わないで。
「あたし何度もチョコ渡すよ。何度だって」
そう、何度だって。――え?
何かが引っかかる。大事なものを忘れたまま家を出たのに、それが何だったかどうしても思い出せないときみたいな……。さらに深く自分のなかに潜ろうとした瞬間、名前を呼ばれて我にかえった。見つめられて、あたしは目を閉じる。
あたしにだけ明日が来る。彼のいない明日が。それならばいっそのこと、この瞬間で、世界が止まってしまえばいい。
止まって。
そう強く願った瞬間、ふっと、世界から音が消えた。ゆっくりと目を開けると、早野くんの顔も手もろう人形みたいに固まっている。慌てて周りを見わたすと、散歩しているおじいさんもぴたっと動きを止めているし、犬も駆け出しそうな姿勢のまま動かないし、家路を急ぐ鳥たちは空中に固定されている。
――ほんとうに、止まった。え?
思わず自分の手のひらを見つめる。あたしの、せい?
もう一度、念じてみよう。動け、動け。世界よ、時間よ、進め。
「川辺さん?」
早野くんが首をかしげた。犬が鳴いた。風が吹き、雲が流れて夕陽を隠した。時間が、流れ出したんだ。
あたしが念じたから? あたし、時間を止めて、また、動かした?
いまだぼんやりする頭の中で、早野くんはもう二月十四日のループから抜け出せるんじゃないかなって、考えていた。だって、あたしの思いが届いたから。五回目にしてやっと。そうだ、彼を閉じ込めていたのは、あたしだ。あたし自身も、今日という日を、繰り返していたんだ。
「川辺さん? どうしたの、ぼうっとして」
「あ。……ううん。なんでもないよ」
明日はきっと来る。だけど、あたしはまた、彼をどこかに閉じ込めてしまう日が来る。そんな気が、している。
デイドリーム 夜野せせり @shizimi-seseri
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