第6話 サスミナの声
「さて、残るはおまえだな、ハルック。長い話だって言ったな」
ヤールクがガラスの目玉をこっちに向けた。ペンキの缶みたいな頭部に埋めこれた目玉はいやに精巧で、紺色の瞳孔が美しく描かれている。ちょっとどきっとする。悪い意味で。
「私の話は…まあ…端折れば短いよ。どこから話したらいいのかなあ。まず、私はこの国の生まれではない。というかたぶん、この世界の生まれではない」
ライナルが小さな目を大きくした。
「私が生まれ育ったのは日本という場所で、こことは言葉も生き物もなにかもかも違う。似ているところはあるけど。同じところもたくさんあるけど。私が日本でどんな暮らしをしてたかは重要じゃないから話さない。ある夜、私は居間でテレビを見てた。ニュースキャスターが、非常に強い台風が来ますと騒いでいた」
「テレビってなあに」
マーシが口をはさんだ。
「うーん。遠いとこの映像を伝える箱みたいなもんだよ」
「ノシム博士の便利な箱みたいなもんかな」
「よくわかんないけど。とにかく大きな嵐が来るって言うから、家の外に置いてあるバイクを物置にしまったほうがいいなあと思ったんだ。それで外に出た。雨は降ってなかった。だけどそれはそれはすごい風でね。こりゃあ急がなきゃとバイクに手をかけた。すると恐ろしい突風が吹いてきた」
「バイクってなんなの」
今度はライナルが口をはさんだ。
「乗り物だよ」
「おまえの話はどうもわからん単語が出てくるなあ」
「まああんまり気にしないでくれヤールク。遠い国の話だ。とにかく私はバイクを物置にしまおうと思って、バイクに手をかけたんだ。するとものすごい風が吹いてきて、私の身体はバイクごと浮き上がった。他にしがみつくもんがないからバイクのハンドルに必死にしがみついて、そのまま私は意識を失った。気がついたら、スクードラーの海岸にいたんだ」
「バイクとやらはどうしたんだ」
「どこにもなかったよ、残念な話だ」
バイクがあれば、もう少し旅が楽だったかもしれないなと考えたが、ここにはガソリンスタンドがなかったなと思い直した。
「砂浜で目覚めて、起き上がると、耳元で小さな声がした。それがサスミナだった。サスミナってのはこいつだ、このリーリールウの名前だ。ねえ、サスミナ、少しは喋れよ」
(聞こえないかもしれないもん)
「今の声、聞こえた人、手を挙げてー」
ライナルがまず手を挙げた。
「サスミナ、もうちょっとがんばって」
(聞こえないよう、たぶん。ていうか本気出し過ぎたらよくないでしょ)
マーシが手を挙げた。続いて、ためらいがちにヤールクが手を挙げた。
「聞こえるようだから話しなさい」
(あたしはサスミナ、リーリールウです。良い魔女ダディダに命じられてハルカと旅をしています)
ライナルが顔色を変えた。マーシは変わりがない。ヤールクは表情がわからない。
「良い魔女ダディダだって」
大きな声を出したのは、しかし表情のわからないヤールクだった。
「あいつはもう五十年くらいこのかた『良い魔女』じゃあないぞ」
「どういう…」
そのとき轟音が響いた。口に出しかけた私の言葉は空中に消えた。
「なに今の」
マーシが目をぱちくりする。続いて食堂のドアが開いた。硫黄臭い煙とともに入ってきたのは、人間ほどもある巨大な緑のバッタだった。ショウリョウバッタじゃなくてトノサマバッタタイプ。バッタは触覚と触覚のあいだにちょこんとシルクハットをかぶり、燕尾服を着ていた。
「お帰りなさいー。ノシム教授」
「やあ、ただいま、マーシ。いいこにしてたか」
「してましたー」
「ヤールクもいるな。実は緊急事態だ。内密の話をしたいので、すまんが、そこのおふたり、ちょっと席を外してくださらんか」
「あ、はい」
ライナルと食堂の外に出た。扉を大きく開けた吹きっさらしの倉庫のまんなかに、異様な物体があった。逆さにしたダイニングテーブルに、ドラゴンの頭と布製の翼がロープでくくりつけてある。テーブルには可愛らしいハート柄のクッションが乗っていた。
「まさかと思うけど」
ライナルが言った。
「ノシム教授はこれに乗ってきたのかな…?」
「その通りだ」
ドラゴンの頭が答えた。硫黄臭い煙が口から吐き出される。もうたいていのことには驚かないつもりだったけれど、私は思わず額に手をやって溜息をついた。
(でも、でも、ハルカ、これに乗ったら死の砂漠を越えられるよ)
サスミナが囁く。ドラゴンの頭がぐいと動いて、大きな眼球がぎろりとこちらを見つめた。
(ひっ)
「そこなリーリールウ。さよう。わしは死の砂漠を越えてきた」
「ねえ、サスミナ、あんたの声が普通は聞こえないって、ほんとなの、嘘じゃないの」
(嘘じゃないよう。それにここにいるみんな、全員普通じゃないよう)
それは全くごもっともなことだと私も思った。
勇者かもしれない 佐々宝砂 @pakiene
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