第5話 危険な職業
マーシは「言わないほうがいいお肉」を見せると言ったが、ヤールクが止めた。私もライナルも断った。どう考えても見ないほうがいい気がする。
「あそこには俺の身体もあるんでな、そんなに見てもらいたいものじゃない」
自身の脳髄を収めた容器の液体を入れ替えながらヤールクが言った。脳みそをひとさまに見せて平気なのに、自分の元の身体を見せるのには抵抗があるらしい。
「順序的に、次に話すのは俺か?」
「きっとそうだよ、ヤールク」
「ライナルの話はあっけなかったなあ。もっとないのか、猫人だからいじめられたとかそういうの」
「特にないよ」
ライナルの性格ならないだろうなと素直に思えた。
「俺もとりたてていじめられたことはない」
ヤールクは脳髄入り容器を頭に収めなおして言った。
「俺は小さなころから木樵をやってきた。親父もそうだったしな。木樵ってのは危ない職業なんだが」
「木樵って言うからには、もちろん、ヨウボクをやっつけるんだよね」
ライナルが言った。
「そうさ。ヨウボクをやっつけて材木にするのが仕事さ。俺は物心ついてこのかたずっとその仕事に専念してきた」
「ヨウボクってなによ」
あやしい木と書くような気がしたんだけど、一応訊いてみた。
「ヨウボクってのはな、針のような葉っぱを持つ木で、たくさんある木ではない。しかし材木として腐りにくく、丈夫で、粘りもあって、いい木なんだ。それを切り倒すのはえらいことなんだよ。切り倒そうとすると俺たちを食いにかかるんだ」
「食いにかかるの?」
「そうだ。やつらは枝のそこここに口と牙と、恐ろしい酸液を持っている。切り倒そうとするとそいつで襲ってくる。俺は何度もやつらと戦った。最初俺は左腕を溶かされた。森で苦しんでいるところを助けてくれたのがノシム博士だ。博士は俺に金属の腕を作ってくれた。それからしばらくして俺はもう片方の腕と、両足を切り落とされた。博士は俺に右腕と両足を作ってくれた。それから俺は胴体をまっぷたつにされた。博士は俺に胴体をくれた。最後に俺は首をちょん切られた。博士は俺の頭から脳みそを救い出しこの容器を作ってくれた。それから俺はこういう身体で生きている、とそういうわけだ」
「あのさ。素朴に疑問なんだけど」
言い出したものの、どのように尋ねたものか考えあぐねた。
「どうしてそれで死ななかったの。普通胴体まっぷたつとか、首ちょんぱとか、死ぬでしょ。ノシム博士ってどれだけすごい博士か知らんけど」
「何言ってるんだ。俺は動物じゃないから死なんよ」
「どういうことよ」
「それこそどういうことだよ。俺が死ぬわけないだろう、死の砂漠に行かないで死ぬなんて下等生物のすることだ」
「獣人も死なないよ」
ライナルが口をはさんだ。
「そうだな。獣人も死なない。ここで死ぬのは下等な生き物だけだよ。人間は決して死なない。手足を失おうとも。どんなひどい病気になろうとも。どんな老いさらばえようとも」
「それって…切り刻まれても死なないってこと?」
「そうだ。俺は見たことがないが、ミンチにしても死なないって話だぞ。だから俺の身体だった足も手も、倉庫で生きてるんだよ。そうした足や手を使ってマーシができたんだ。まあ、マーシの材料は俺じゃないけどな」
誰も死なない世界について考えようとしたが、どうにもうまくいかなかった。老いさらばえても、手足をなくしても、ひどく病んでも、それでも死なないとしたら、どうしてこの世界は成立しうるのか。
「私がいたところでは人は必ず死ぬものだったよ。どうしてこの世界は満員にならないんだ?」
ヤールクが鉄でできてるくせに笑った。表情は変わらないが、声音は表情豊かだ。
「お迎えがくるんだよ。大きな翼を持った黒い鳥が来る。そいつにさらわれてもいいやと少しでも感じたらおしまいだ。その鳥は俺たちを死の砂漠に連れてゆく。死の砂漠にほんのわずかでも触れればみんな死ぬ」
「死の砂漠って…」
サスミナが私の耳元でささやく。
(そこをあたしたちこえなくちゃいけないのよ)
「世の中には、人生もういいやって思うやつが案外たくさんいるんだな。だから俺たちの世界は満員御礼にはならんのだ」
「ちょっとわかんないんだけど。ライナルのおかあさんは死んだんじゃないの」
「そうだよ」
ライナルは静かに言った。
「ぼくの母さんは、年取って、身体もしんどくなって、生きてるのがつらかったんだ。父さんをずうっと待ってたけど、父さんがこないんだと、もうわかってた。それで…」
「わかるよ。それで黒い鳥を呼んだのだろう」
「そうだよ、ヤールク。黒い鳥は母さんを運んでいった。きっと死の砂漠へ」
「死の砂漠に行こうという気分になるまで、俺たちは死なない、あたりまえの話だがね」
「ヤールクの場合は博士が手や足を作ってくれたんだよね。そうじゃない場合はどうなっちゃうの、怪我することは誰だってあるよね」
「そりゃああるさ。手や足がないまま生きるか、黒い鳥にきてもらうか、二択だ。俺は博士がいて幸運だった」
「マーシは…」
「ありゃあまた特別さ」
「あたしの同族はいないのかしら、あたしの王子様」
「いねーよそんなもん」
ヤールクが断言した。
「そこまでいうのちょっとかわいそうじゃないか」
「優しいなあ、ライナル。どうしてあんた獣人なのよう」
「どうしてかなあ」
ライナルはマーシにむかって微笑んだ。こいつ、間違いなくモテると思う。獣にしておくのはたぶんもったいない。
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