第5話 会議とチキン・スタンプマン
「おはよう、シセル。指の感覚はどうだ?」
「おはよう……どうだかな、痺れる感覚は無くなったんだが。これ、元通りになるんだよな?」
森の外れの廃教会で繰り広げられた脱出劇から丁度一週間ほど経った日の朝。
血みどろの戦いに身を投じていたのがほんの数日前の出来事だというのが、信じがたいほど晴れ晴れとした朝で窓の外には、澄んだ青空が広がり窓からは赤い輝きを放つ朝の陽光が差し込んでいる。
しかし失った指の痛みは、未だ癒えない。まだ完治した訳ではないからだ。
「任せておきなよ、私は足を吹っ飛ばした兵士を治療した事がある。指一本の再生ぐらいやってみせるさ」
「……頼むよ」
シセルはすまなそうに顔を曇らせるとベッドの毛布の下から腕を上げて右手をリーゼに差し出した。失った筈の中指の部分には、指の形をかたどった透明な柔らかな素材で出来た謎の物体が生えていた。
まるでガラスの様な透明感を持つそれには血管らしきものや骨さえ通っていて、切断された箇所と繋がっているかの様。
水、炭素、アンモニア、石灰、リンなどといった二十数種類の人体を構成する元素を薄めて混合したものと古来より魔女の一族に伝わる治癒術魔法の合成物質。
それが今シセルの指にあるものの正体である。
硝子の肉と呼ばれる今では、殆ど知る者が居ない秘術だ。
だが当然これではまだ完治とはいえない。最後の仕上げは未だ残ったままである。
「さぁ、手を貸して……最後の仕上げだ、いくよ」
リーゼがシセルの手を取ると左手の人差し指と中指を硝子の肉に覆われた中指へと向ける。そして自身の指先に魔力を集中させ、魔女の血を引く者にのみ発声可能な古代の言語の呪文を唱え始めるのだった。
そうすると驚く事に、リーゼの指先に眩い光が宿り、その硝子の指に皮膚の色と質感が宿らせていく。
シセルの健康的な肌の色が硝子の肉にそのまま吸収され染みこんでいく様だ。
「……不思議な光景だ」
「そうだね、この秘術を使うのは私も二回目だ。一回目の時と比べて再生させる箇所が少ないとはいえ、久しぶりにやる治癒術だから緊張するよ……でも、もう大丈夫だ」
そうして言葉を交わしている間にも硝子の肉で覆われていた指は、切断される前と寸分違わぬものになっていた。
動きを確かめる様にシセルは拳を握ってみるが、元々指があった頃の様には動かないかもしれないという心配は、杞憂だった。
まるで、そこに元からあったかの様に滑らかな動き。正しく魔法だ。シセルが普段扱う他人を攻撃する為のものとは全く毛色の違う類いの魔術である。
「……驚いたな、元通りだ……指の動きにも何の違和感も感じない……」
「ふふ、そりゃ良かった。リーダーの指が欠けたままだったら、医療担当の私の立場が無いからね」
治療の出来に満足がいったのか、普段はポーカーフェイスを浮かべているリーゼのクールな表情には、若干の喜色が窺えた。
「……着替えるよ、いつまでもベッドで寝ているわけにもいかないからな」
「そうしな、クロムもエイジェイやスカーと一緒にあんたが起きるのをリビングで待ってる。あいつら次の指示が待ちきれなくてうずうずしてるみたいだよ。私たちの次なる目標を教えてやってくれ……即反撃か、それともさらなる攻撃のための前準備か……」
ぱちん、音がなる。すちゃ、音がなる。
ぱちん、刃が開く。すちゃ、刃が閉じる。
「ねぇ、ちょいとクロムさん?いい加減そのナイフを閉じたり開いたりするのお止めになったら如何?」
「あ?やだね、お断りだ。お前こそそのチキンスープ?だっけか、さっきから顔の傷にあちこちホチキスの芯留めやがって。ばちばちうっせぇんだよ」
リビングではリーゼの言った通りクロムと新人の二人組、エイジェイとスカーが中央に置かれた長い食卓テーブルの椅子に座ってシセルの帰還を待っていた。
しかしそのムードはとても良いものだとは言えない。スカーとクロムは、どうにも仲が良くない様だった。
スカーはクロムが手慰みにやっていた折りたたみナイフの刃の開閉に文句を付けて、クロムはスカーのホチキスの芯で傷を留めるという身だしなみに言いがかりをつけまさに一触即発の状態となった。
「あら、クロムさんが淑女の身だしなみにも文句を付けるほど不寛容な方だなんて知りませんでしたわ。貴女が朝ヤスリでその金属の歯を磨いてる時の方がよっぽど騒々しく感じますけれどねぇ……あと、これはスキン・ステープラーですわ」
「上等じゃねェか、この貴族気取りがァ……!そのチキン・スタンプマンとやらで、その口も閉じてやるよ。貸せ、このヤローッ!」
いよいよとっくみあいの喧嘩になろうとした所にエイジェイが距離を詰める二人の間に割って入って制する。哀れにも同期と先輩の間に板挟みになった状態のエイジェイだ。
「ちょ、ちょ、やめましょうよ!シセルさんが復帰する前に喧嘩して怪我なんかしたら洒落になりませんって!スカーも謝れよぅ!」
「その心配はありませんわエイジェイ。クロムさんはこう見えて聡明な御方でしてよ、この私に喧嘩を真正面から売って無事で居られた方はおりませんもの。それが分かってるならきっと退いてくださりますわ、そうでしょう?」
そのお嬢様言葉は、ここら一帯では珍しく感じられてしまう程気品があるがその裏に潜むは他の者とも全く引けを取らない熾烈な感情である。正しくギャングやマフィア、反社会的な人間が持つのであろう自身が気に入らない物に対する反発心の塊だ。
「うっせぇボケッ!!一発痛いの食らわしてSONMから追い出してやらァ!テメーは前みたいにアイスクリームの配送車に乗ってヤクの密輸でもやってりゃ良いんだよッ!」
クロムが我慢の限界だと言わんばかりに握り拳を固めてスカーにつかみかかると、それを大きな無骨な腕が遮った。ごつごつとした筋肉に覆われたそれは、リーゼの腕だとすぐに分かる。
いつの間にリビングに戻ってきたのやら、やれやれといった呆れた表情でため息をつきながらリーゼは、がしりと広い掌を顔の前に被せる様にして掴むと無理矢理にクロムは今し方立ち上がった椅子の上に強制的に座らせてしまう。
「目を離した隙にすぐこれだ……行っただろ、シセル。あまり放っておくと何するか分からないって……」
「おい、お前ら。あたしを待ってるのは嬉しい限りだけどちょっとの間くらい仲良くできねぇのかよ?」
聞き覚えのある声が響いた。その瞬間誰よりも嬉しそうにぱっと顔を明るくしたのはクロムだったがそれを悟られぬ様痛みで表情を押さえる為に、反射的に思い切り自分の膝小僧を叩いた。
ばしん、という大きな音に肩をびくりと振るわせるエイジェイと勢い余って強く叩きすぎて強烈な痛みを味わう事になって目尻に涙を浮かばせるクロム。それを見てにやついた笑みを浮かべるスカー。三者三様の有様となっていた。
「へッ、漸くお出ましかよ。行っとくけどなァ、あたいは全然お前の復帰なんか喜んでないからな!中指が無くなってメソメソしてるオメーを見るのが暫くの楽しみになりそうだったのによ!」
減らず口は相変わらずの様でその様子を見たシセルは、普段ならば拳骨の一発でもくれてやる所を今回は珍しくそうしなかった。しかし、その代わりに。
「ん゛に゛ゃァッ!さわんなっ、きッもちわりィんだよッ!!あ゛ーっ!!ん゛ぎぎィー!」
「あたしはお前がこうやられんのが一番嫌いだってよーく知ってるからなぁ!へへ、ばーか!」
いつもなら、固く握りしめられた拳は今日に限ってはその真逆。
シセルは両手をクロムの頭に被せて、ぐちゃぐちゃに撫で繰り回した。元々髪の量が多い上に伸び放題だったそれは、当然乱れまくって酷い有様になる。
予てから女幽霊の様な風貌だったクロムは、よりその雰囲気を増す事となった。
「あァ~!!クッソ、あたい頭撫でられるの大嫌いなんだよォ!」
「へッ、挨拶代わりだよ!オラ、さっさと定例会議始めっぞ!」
数十分後、そこにはシセルの宣言通り定例会議に備えてしっかりとテーブルの椅子に座ったシスターフッド・オブ・ナイト・ミストのメンバーが居た。
クロムに関してはまだ自分の髪が気になるのか、しきりに前髪を摘まんでいたがそれ以外は何も問題は無い。
クラブの長であるシセルがテーブルの最奥にある最も作りのしっかりとした革張りの一人がけソファーに座ると、ぴりりと空気が引き締まったものを皆一様に感じるのだった。
そしてシセルが目の前のテーブルの上に置かれたジャッジ・ガベルを手に取り台を叩いて音を打ち鳴らせば、それが会議の始まりの報せだ。
「あー、皆。ここ最近は本当に色んな事があった。見習い二人が今からほんの二ヶ月前に正式にメンバー入りしたのもあったし、それから間もなくジェダ……あのクソタレのお陰で取引の商品の魔弾が、計六千発がリングレスの堕天使どもに奪われちまった」
ぎり、と音が聞こえてきそうな程に悔しそうに、屈辱の味を確かめる様に歯噛みするシセルの表情を見て思わずリーゼは目を伏せる。
取引の期限が差し迫っているのだ。責任感の強いシセルの事を思うとリーゼは、つい顔を曇らせてしまう。
しかしそれを周囲に悟られぬ内にまた普段のポーカーフェイスに調子を戻す。
「一応、シセルが療養している間私とエイジェイとで徹夜でリロードベンチを使って二千発を製造した。クラブ内から掻き集めた在庫を合わせれば三千発になる……契約では五千発を売る事になってたからまだ二千発も足りないが……」
「ふわ……随分造ってたんッスね……俺、途中から数えるの止めちゃいました……もうクラブ内には魔鉱石コーティングの弾頭もありませんし、プライマーと薬莢も全部使い切っちったッスよ……材料が無いんでこれ以上は造れません……」
リーゼは平然とした様子だったが、エイジェイはというとそうはいかなかったらしい。
両目の下に隈をくっきりと浮かべて欠伸をする様子は、見るからに疲憊していて心なしかトレードマークのスカルプリントのニット帽もいつもよりくしゃくしゃになっている様に感じられた。
「いや、リーゼとエイジェイはよくやってくれた。ここまでやってくれれば、後は私が交渉で何とかする。とはいってもまたお前達に色々無茶をさせる事になると思う。やってくれるか?」
メンバーの全員の目を見据える様にして、真剣な表情で言うシセルには謎の説得力というか、なんというかその話を聞く者全員に「ついて行ってやろう」と思わせてしまう不思議な力がその言葉にはある。
魔術の様だったがそれは紛れもないシセル本人から発せられる言葉の力なのだった。
「へッ、残り二千発もの魔弾を交渉で何とかするってェ?面白ェなぁ、リーダーの腕の見せ所じゃねぇか……安心しなよ、SONMは無茶が大好きな奴らが集まって出来た様な組織だぜ」
「その通りだ。新たに正式なメンバーになった奴らもいる。エイジェイとスカーだ」
自分に任せろ、とばかりに言っていたクロムだったが唐突に出てきた新人達の名前に怪訝そうな顔をする。ちぇっ、と舌打ちの音さえ聞こえてきそうだった。
「エイジェイ、フルネームはエイプリル・ジューン。ロードネームは名前と姓の頭を文字をとってAJって事になった。二年ぐらいだが、あたし達と同じように従軍経験もある。エンジニアとしての技術はそこで培ったものらしい。エイジェイ、良い機会だから挨拶しとけよ」
そんなクロムを何処吹く風と受け流しながらシセルは新メンバーの紹介に移る。
シセルに名を呼ばれた新人の一人、エイジェイは名前を呼ばれると慌ててがたりと立ち上がった。スカルプリントのニット帽に鼻の柱に貼った鼻づまり解消用の鼻腔拡張テープと黒と赤のチェックが入った長袖シャツといった風貌の彼女はまるであどけない少年のようにさえ見える。
「あっ、ハイッ!エイジェイことエイプリル・ジューンと言いますッ!従軍時代のエンジニアの腕を買われて一応メカニック担当としてクラブには加入しましたッス!よろしくお願いします!」
「堅いですわねェ、もうちょっと肩の力をお抜きになったら如何?見てるこっちが肩こりを起こしそうですわ」
ガチガチに緊張しながら自己紹介するエイジェイをそう揶揄するのは、ハニーブロンドの縦巻き髪とスキンステープラーの芯でむちゃくちゃに顔の傷を縫合したあまりにもユニーク過ぎる容貌のスカーだ。
くつくつと喉を鳴らしながら笑うその姿には、少しばかりの優雅さを見る者に感じさせる。
しかしそれが見せかけの、危険な内面を覆い隠す為の極めて繊細かつ、脆いコーティングである事は、誰の目から見ても明らかだ。
ほんの少し爪先で削れば、微笑でコーティングされた顔の皮がべろりと剥がれて血にまみれた恐ろしい人食い鬼の如き表情が覗くのだろう。
「丁度良いな、スカーの事も紹介しておく。名前が長すぎるから正直後回しにしたいんだけどよ……えーと、もう一人の新人。ロードネームは、スカーだ。本名は、エルセール・リト・フォルセ……なんだっけ?」
ぼりぼり、と頭を掻きながら面倒くさそうな表情で見習い加入時に送られてきた履歴書に目を通しながらシセルは、名前を読み上げようとするがどうやら本当に長々しい名前らしい。徐々にその表情に『面倒くさい』という思いが、じんわりにじみ出てくる。
「エルセール・リト・フォルセ・リアミドルガッド・ロクスタリア・シルエール4世で御座いますわ。長いので顔の傷をそのままロードネームにスカーと致しました。戦時中は前線に行かせたくないという父上の計らいで事務官をしていましたの、事務所がテンプル団に襲撃されて顔の傷はその時に……まぁ…シルエール家が戦争終結後すぐに没落したのはご存じでしょう?ですから……」
そこで言い淀むスカーを見やれば、ふっと短く息をついてシセルが助け船を出す。
「スカーは、かつては高名だったシルエール家のご息女だ。魔女軍にも多額の援助金を出していたから名前を知っている奴も居ると思う。だが、知っての通り……魔女軍は勝利を得たが戦争で荒廃した土地は一気に価値が落ち、経済も破綻しかけた。その結果軍を支援していたシルエール家は多額の負債を抱え込んで一気に没落。屋敷も土地も売り払って離散した……それからというものスカーは様々な職を転々として……」
「最初は知り合いの伝を頼ってとある貿易会社の会計をやらせてもらっていたんですが武器とドラッグの密輸に関わっていたので、二重台帳の書き方と密輸のスキルはそこで覚えましたの。そこを辞めてから借金取り、宝石強盗、詐欺、外界からの誘拐と、国境線越えの手引きもしましたわ」
ふふ、と笑いながら自嘲気味に自身の過去を語り出すスカー。しかし若干の哀愁の滲むその表情とは裏腹に、紡がれる言葉の節々に滲むのは熾烈かつ不穏なワードの数々。思わずクロムが顔をしかめて言う。
「元貴族のお嬢様が密輸ゥ?宝石強盗ゥ?国境線越えだァ?口から出任せも大概にしやがってんだ、あたいが知ってるのはこいつがアイスクリームの配送車に乗ってしょぼいシケたヤクの密輸をやってたのだけだったぞ」
「そりゃあたしだって最初は疑ったさ、幾つかテストもさせてもらった。……だが吃驚するぐらいの様々なスキルを取得しているよこいつは。その腕を買ってあたしがSONMのフィクサーとして彼女を雇ったんだ。戦闘だけじゃない、こいつは盗み、潜入、金策まで何でも御座れだ。万が一リーゼやお前が負傷した時の為のバックアップの為にも居てもらってる」
シセルはスカーを雇った経緯をそう話すが、入ったばかりの新人がべた褒めされるのは面白くないらしいクロムは不満げだった。ちっ、と短く舌打ちすると流石にもう色々言うのは諦めたのかすっかり黙ってしまう。
「とにかく、以上が新人二人の簡単なプロフィールだ。エイジェイにはSONMの箒のメンテナンスや銃火器類の調整を主に担当してもらい、スカーには情報収集やちょっとした問題が発生した時のトラブルバスターとして動いてもらう。勿論戦闘に人手が必要な時には手伝ってもらう事になるだろうからそのつもりで居てくれ」
SONMは適材適所、が基本の組織だ。個人の能力に合わせて担当する業務に配置するのもシセルのリーダーとしての仕事でもある。
シセルは二人の履歴書をファイルにしまいなおすと今度は、また新たな書類を引っ張り出した。それは、シセル達の生活するクロークタウンのさらに外側に位置する砂漠地帯を表した地図と一枚の写真である。
シセルはその写真を見てすっと目を細めると他のメンバーにも見えやすい様にそれを机の中央へと滑らせた。その写真に写っていたのは人影である。
暁月をバックにこちらを睨み付ける数人の人影……否、人馬一体のその奇妙な影こそが例の魔弾の取引の相手である。
「見れば分かると思う、これが今回の取引の相手。砂漠地帯を牛耳るケンタウロスギャング『ブラッド・トレイル49』だ。故郷の森林地帯が堕天使の巣窟になって、追い出されてからは砂漠地帯を拠点に活動している……といってもまぁ、最近は同じく森を追い出された他の種族との抗争が激化していってるみたいでな。ずいぶん高値であたし達の商品を買ってくれているお得意先だ」
「……かつては弓や槍が得意だったケンタウロスが今や銃火器と防弾ベストを手にして他種族と抗争をしているとは……今に始まった事じゃないが、やはり時代だな」
リーゼがぼやく様に呟いた。シセル達が済む世界と地球と呼ばれる科学技術が発達した世界とがゲートと呼ばれる異次元の入り口で、繋がったのはもう随分昔の話だ。
シセル達が生まれる以前の話になるが、それ以降絶対に崩れる事が無いと言われていた種族間対立の均衡は、糸の切れた天秤の如く容易くバランスを崩して崩壊していったのだった。
暁月を背後に銃を構え、雄々しく立つ三つの人馬一体の人影たちは、正しくそんな過酷な競争社会で生き残り続けている有数の組織だ。SONMもそうだと言えるだろうが正直ブラッド・トレイル49と並んでいるかどうかは微妙な線だ。
この残酷なまでの生存競争で最強を決めるのは容易い事ではない。幾つも修羅場をくぐり抜けてきたSONMですら最強の座を手に入れるには、さらに長い道のりが待ち受けているのだろう。
それを暗示するかの如くリーゼは、一瞬だけ暗い表情を浮かべると再びシセルから差し出された写真に目を向ける。今は、取引相手だが敵となって相まみえるのはいつになるのやら。
「……それでこれからどうする、プレジデント」
「……打てる手は全て打った。あとは交渉次第だな。念のために各自武器のチェックと箒の点検をしておく事……取引の予定日は今から3日後だ。本当なら魔弾の製造もして何とか指定の数量を用意しておきたいんだが材料が無いんじゃ仕方ない、放っておきゃ良いさ」
シセルが、腹をくくったかの様に言って椅子の背もたれに背中を寄りかからせると、キィと小さく軋む音がする。天井を見上げてふっと息をつく様は、少々疲れている様にも見えた。
「間に合いそうも無いものを無理に造るより、体を休めておけ。あたしの予想がただしけりゃ、また鉄火場にあたし達は立つ事になりそうだぞ。全く中指を再生させたばかりだってのにまた落としちまったりしたら最悪だ」
「へッ、そうならない様に神様にお祈りしといてやるよシセル。次は小指にしといてくださいってな。ほら、小指ぐらいだったら無くなっても困りゃしねぇだろ?」
「……クロム、今の言葉。覚えておくからな、お前が小指を失っても私は知らん」
シセルに対して挑発めいた事を言うのはいつもの事だが、リーゼは当然それを許さない。 無表情で、目力だけで睨み付けながらクロムに対して釘を刺す。
びく、と体を大きく震わせる様を見れば本当にクロムはリーゼが苦手なのだな、とわかりやすく理解出来るのだった。
「ともかく、今日はこれで解散とする。さっきも言った通り各自準備を怠らずにおけよ、三日後の明朝に出発だ。それまではバーで好きなだけ酒を飲むなり、近所に出来たばかりの淫魔のダンサーばかりのストリップクラブにでも行ってくりゃあ良いさ。それじゃ定例会議を終了する!」
ガン、とジャッジ・ガベルが再び台を叩くのだった。
「なぁ、リーゼ。この後少し良いか?」
会議終了後、なんだかんだで仲の良いエイジェイとクロムは、早速シセルが話題に出したストリップクラブに繰り出したらしい。早々に部屋から姿を消していた。
スカーはというと、いつもの遊び仲間をクロムに取られた腹いせからか不機嫌そうな顔をして自室に煙草を吸いに戻っている様で、そんなわけでリビングにはリーゼとシセルしかおらず。
そんな状態でシセルは、至っていつもと同じな、普通の調子でリーゼに声をかけた。いつもより少しばかり真剣な表情だった。
「……どうかしたか?何か、さっきの会議で話し忘れた事でも?」
「いや、そうじゃないんだ。だけどよ、改めて礼を言っときたくて。指の事だ」
なんだ、そんな事か。とリーゼは思ったが、態々口に出しては言わなかった。シセルは何より義理人情を大事にする性格なのは随分昔から知っている。
こんな場所では、話しづらいからと自然に体を移動させてリビングから外に繋がる出口へと二人は出る。
起きた頃には、まだ日が昇ったばかりだったが知らぬ間に時刻は昼時になっていた。
ぎらりとした輝きの太陽は中央に昇り始めており、暖かな陽光が庭の草花に降り注いでいる。
シセルは、そこに咲いている一つの花に留まる蝶々を見つけて、その前にしゃがみこんだ。
人の顔を見て礼を言うのは苦手なシセルにとって、それは美しくも丁度良い、気を紛らわしてくれる生き物だった。指で軽く触れようとすると蝶は、ゆるりと羽を羽ばたかせてまた何処かへと飛んでいく。気安く触るなと言いたげだった。
「……ありがとな」
リーゼに背を向けたまま、言った。
「……良いんだ、あんたを助けるのが私の役目だから」
リーゼも、またいつもの台詞を返す。
こんな風に言われた時はこう返すのがいつものお決まりなのだ。
私はお前を助けるのが仕事であり、役目なのだからと。リーゼは、それで良いと思っている。
「……さて、飯でも食いに行こうぜ。キャシディーズ・ダイナーでクラブハウスサンドでも食おう、外界から輸入したコーラがコカじゃなくてペプシなのが不満なんだが、まぁ良いさ」
「私はペプシもコカコーラもあんまり変わらないと思うんだけどなぁ……」
二人はそうして、昼食を取りにその場を後にする。
ふわりと蝶が二人の頭の上を舞っていったが、やがてさらりと吹いてきた風に乗って何処かへと消えてしまうのだった。
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