第2話 堕天使に輪は要らない
その夜は月が紅かった。まるでこれから起こり得る惨劇を予期しているかの如く不吉な色に堕天使サキエルはその無感情な眼差しを向けると、くいっと自分のパーカーの袖を引っ張るその小さな存在に気がついた。
「浮かない顔だね、髑髏顔さん。こんなに綺麗な御月様が昇っているのにそんな顔してちゃいけないよ」
「……大天使様……。いえ、今宵は月がいつに増して紅く感じまして……まるで血の色の様だと」
髑髏顔、そう呼ばれたサキエルの顔には全体にかけて黒々としたインクで髑髏がタトゥーとして施されていた。また背中まで伸びた漆黒の髪は右側頭部を大胆に刈り上げており逆さ十字が剃り込みで描かれている。
恐ろしげな容貌の彼女だったが大天使と自らが呼ぶ可憐な西洋人形の様な少女―――否、その硝子の様な瞳の奥から感じる仄かな強かさから辛うじて男性だと判別出来る程の見目麗しい美少年……その人物と話している時だけは、その表情に幾分かの優しさが感じられるのだった。
「血の色?血の色って大好きだよ、サキエル。赤い血は生命の証、天使にも堕天使にも人間にもエルフにもみんな同じ色の血が流れている……それってとても素敵な事じゃないかな」
水兵服に紺の半ズボンといった服装のその少年の背中からは、一対の真白の翼が生えている。汚れ一つ無い正しく純白のそれは淡く輝きさえ発している様に見えた。
そして何よりそのブロンドの髪の頭の真上にゆっくりと回転しながら浮かんでいるの黄金色の金属の輪。人間と神に仕える者を識別するにこれほど明解な物があるだろうか、その少年は紛れもない天使族の者だった。
サキエルは血の色が好きだと微笑をその顔に湛えながら言う大天使の少年に優しげな笑みを返事として返すと視線を自身の背後にある倉庫へと向ける。
そこにはサキエルと同じく頭に輪の無い堕天使の者達―――堕天使至上主義組織リングレスに所属する数人の構成員達が、その倉庫の扉に掛かった大仰な程に大きい施錠された南京錠の前に手をかざし天使にしか識別出来ない言語による封印解除の魔術で解錠を試みているのだった。
しかしその南京錠には重々しさすら感じられる極めて精巧なレリーフが施されており、それは当然単なる装飾ではなく魔力の込められた物だった。幾重にもかけられた複雑な術式のそれは当然単なる解錠魔法で開けられるものではなく堕天使たちも何とか複数種の解錠魔法を同時に掛ける事によって少しずつ時間を掛けながらその封印を解こうとしているのだが、サキエルは気が気でない。自身がリーダーを務める組織の大事な支援者でもある大天使を前にこの様な難航している事態を見せてしまっているという事実に、その微笑の奥では苦々しく歯痒い思いを感じていたのだった。
「……この扉が開くのはもう少し時間がかかりそうだね」
それを悟ったらしい、大天使は相手に気を使わせない為か極めて冷静に努めてそういうのだった。
「……申し訳ありません、大天使様。これでも急がせている方なのですが思いもよらず術式が複雑な為にもう少しばかり時間を下さい。時間をかければ決して解錠できないものではありませんので。」
す、と頭を下げるその姿はその見た目に反する程の生真面目な性格が表れている。そんな様子に思わず大天使は容姿そのままの少年らしい笑顔でぷっと吹き出すのだった。
「はは、頭なんて下げなくて良いよ。僕は幾ら時間がかかっても待ってるさ、でも……あの人達が待ってくれるとは思わないけどね」
大天使がそう言って指差した先には、三つの謎の光があり闇の奥で揺らめきながら次第にこちらへと近づいてくるのが分かった。やがて次第に大きくなってくるあの魔導エンジンの音……機械のキメラの咆哮が夜の闇に響く。
そしてそのバイクと箒のキメラ達は堕天使たちの前で急停止するとそれに跨ったまま三人組のリーダーである金髪の短い髪の女が、両目に装着していたゴーグルを額までずり上げると、じろりと目付きの悪い三白眼のその赤い眼差しで大天使とサキエルを睨みつけるのだった。
シスターフッド・オブ・ナイトミストの
「ほぉ、良くわかってるじゃねぇかよ。そこの坊っちゃんはよ。でも、こっちもそいつが開くまで待ってやったって構わないぜ? 一生かけたってどうせ開きやしないんだからよ」
「イヒヒッ、寄ってたかって数人がかりで鍵こじ開けようとしてビクともしねぇってのは、お笑いだねェ。アホ丸出しだぜ、能無しのリングレスども」
シセルのその表情には余裕の笑みが浮かべられていた。安い挑発を投げつけ、それに乗ずる様にクロムもその凶悪な歯を剥き出しにしながら嘲笑うのだった。
倉庫は魔女の血統にのみ伝わる封印術で強固に封じられておりそれを開く唯一の方法は、シセルの中指に輝く、正しく今この夜空に浮かぶ暁月の如く色を発している宝玉の配らわれた指輪のみ。これが鍵となっているのだった。
「……ね、言ったでしょ?」
「その様でございますね、大天使様。これは我々の不手際が呼んだ事態です、ここは私達が引き受けますので大天使様はご帰還下さい」
予想通りだ、とにっこり笑っていう姿は正しく見た目相応の少年らしいものだったがその落ち着き払った振る舞いは大人顔負け、というよりきっとその大天使には見た目こそ少年だが何百年、何千年とすでに生きているのだろうと簡単に察する事の出来る妙な説得力があった。
「まぁ、そこまで言うのなら……キミの面目を潰す訳にもいかないし、大人しく退散する事にするよ。なるべくなら倉庫の中身も回収してきてね、例の計画に必要な物だから……じゃ、いい報告を期待してるよ」
そう言って大天使は慣れた様子で指をぱちんと鳴らすと次の瞬間、目の前で角膜に焼き付くかの様な閃光が炸裂しほんの数秒視界が白む。元に戻る頃には大天使はその場から姿を消していた。見事この鉄火場になるまでの秒読みを既に開始しているこの場から逃げ果せたのである。
「ぐっ……例の計画だと? あたしらの魔弾を一体何に使うつもりでいやがるんだ、きっと碌なもんじゃないぜ……!」
不意をつく様な閃光の明滅に視界をやられ、未だグラつく視界を何とか両目を手で覆う事で収めようとしながらシセルは言った。見事敵の親玉に逃げられた、という苛立ちも含まれた声音だったが、今はその事による怒りよりもその少年が最後に残した例の計画という言葉の方が気になる。不穏な響きさえ感じられるそれは、シセルの脳の片隅に焼き付いて離れないのだった。
しかしそれとはまた関係なしにまた別の事でクロムは苛立っていた。ケッ、偉そうに。と吐き捨てる。彼女は生意気な子供が大嫌いだ。
例えその容姿が美しかろうとそうでなかろうと実年齢が幾つであろうと関係がない。しかし、その苛立ちをぶつける対象が今や光に呑まれて消えてしまったとなると、その矛先を向ける相手はただ一人しか居なかった。
「はン、なぁにが我々の不手際だよォ。愛しのお坊ちゃんの前でカッコつけ過ぎじゃねぇか?薄汚えペド趣味のクソったれがよォ!」
「………何?」
「聞こえなかったのならもう一度言ってやるよォ!薄汚え……」
「おい、よせクロム!何か様子が変だ……!」
少ない語彙で必死に相手に対する罵りを叫ぶ姿はまるで悪餓鬼の様だが、そんなクロムを制したのは先程から沈黙を貫き、状況把握に努めていたリーゼだった。
罵声による追撃によって自身の苛立ちをぶつけてやろうとしていたクロムは怪訝な顔をするがリーゼの緊迫した面持ちに何事かと、彼女の視線の先にある先程の髑髏面―――サキエルの顔へと眼差しを向けるとクロムはすぐにリーゼが自分を制した理由を察する事が出来た。
何故なら先程まで平穏だったその顔立ちは、眉間に幾つも皺を寄せて目つきは先程比べて極めて剣呑なものになっているのだから。……即ち、完全にブチ切れているのだ。クロムは完全に触れていはいけない地雷を思い切り踏み抜き、足を離せばすぐにでもその地雷は炸裂して脚を粉々に吹き飛ばさんとしている状態に事態を追い込んでしまったのだ。
「………どうした、続きを言えば良いじゃないか? 薄汚い、何だ?」
明らかに先程とは雰囲気が違う。サキエルの目は据わり周囲の気は、瘴気にも似た凶悪なオーラに満ちている。どうやらクロムの言葉が怒りの琴線に触れたらしく流石のクロムもこれには慄いたらしい、くっと息を呑みこみ、そして―――。
「このペド趣味のクソッたれ!!ド変態!!気違い野郎がァアアッ!!!!」
思いの丈を叫んだ。……あぁ、こういう奴だったなぁとリーゼは思い出す。気持ちの良い馬鹿だが、一流だ。三流、二流の馬鹿なら早々に墓の下に眠るのがこの世界。しかし一流の馬鹿なら……寧ろ一流の馬鹿こそがこういう局面を打開する。リーゼはその獰猛な鋼鉄の牙を剥き出しにして怒りをブチ撒けるクロムを見てそう思った。その様子は正しく吠え立てる狂犬。恐れ知らず。死神すらその吠え声に慄き命を刈り取るのを躊躇する厄介な手合だ。
「嘗めるなァッ!!!貴様ら魔女風情に私とあの御方の関係が分かるかァッ!八つ裂きにしてくれる!!!!」
クロムの挑発、と呼ぶのすらまだ言葉足らずな程の暴言の嵐に怒り心頭に発したサキエルは、叫ぶと同時にばきばきと異音を発しながらその翼を背中から出現させた。着込んでいたパーカーの生地さえ容易に突き破って出てきたそれは、今まさに堕天使と魔女たちの頭上に輝く夜の闇よりも更に深い漆黒に彩られている。
その美しい翼に見惚れる間もなくその場に居る魔女たちは直ぐに察しがついた。仕掛けてくると。
実際その予想は的中した。サキエルはその一対の黒い翼を羽ばたかせてほんの数センチ僅かに地上から足を離すと、他の二人には全く目もくれずに一直線にクロムへと距離を詰めていく。素早い。閃光の如き俊敏さだ。
「クロム!!避けろ!!」
それに反応したのはリーゼだった。彼女は即座にその場にしゃがみこむと足元のマンホールのフタに触れる。そして下水道のガス抜き用に開いているその小さな穴を見つけるとそこに指を引っ掛けて思い切りその豪腕を上に振り上げた。全く稀有かつ奇妙な事に、それは外界では野球と呼ばれるスポーツに見られるアンダースローと呼ばれる投法のフォームにそっくりで、リーゼの恐るべき怪力によってその鉄の塊である筈のマンホールは凶悪なまでの殺傷力を有する恐怖の殺人フリスビーと化してサキエルの髑髏面目掛けて飛んでいく。
「当たるかァッ!!」
頭部に命中すれば掛け値無しの絶命が待っているであろう渾身の一撃のマンホールへの期待は淡くも崩れ去る、一見か細く見えるサキエルのその左腕が難無く突如飛来した殺意と金属と質量の集合体を跳ね除けたのだ。その瞬間にぼきり、と響き渡る生理的な嫌悪感を煽る異音が響き渡り跳ね除けられたマンホールは、未だに倉庫の南京錠を解錠しようと躍起になっている堕天使達を掠めて、遥か遠くの枯れ木の幹に深々と突き刺さった。先程の異音には誰もが気づいたが当のサキエル一人のみがそれを全く気にも止めずクロムへと掴みかかった。あらぬ方向へと折れている左腕もそのままに、もう片方の手でクロムの首を掴んでそのままあろう事か羽を羽ばたかせて空中へとその身体を上昇させていく。
さすがのクロムも高所から落とされればただ事ではすまない、シセルが動く。
「クソッタレ、クロムに何するつもりだ!!」
ベストの下に着込んだM7ショルダーホルスターから銃を抜く。特注製造されたその革製のホルスターから表れたのは極めて精巧な
高貴さがその彫刻から溢れ出てくる様であった。しかし、それらがただの飾りに終わる事は無い。魔力を込められ製造されたその魔銃の名は……。
「魔銃エヴィエニスの出番だぜ……!こいつで蜂の巣にしてやる!」
「シセル、クロムの事は頼んだよ!私はこいつらを何とかする、下っ端程度なら私一人で十分だ!」
箒の魔導エンジンを吹かし空中へとクロムを捉えたまま走り去っていく堕天使を追う。倉庫を離れその場をリーゼに任せるとシセルは、いよいよ堕天使至上主義組織『リングレス』のリーダーを仕留めにかかる。エンジェルハンティングだ。
がちり、と撃鉄を下ろし左手にエヴィエニスを握ったまま追走を続ける。いつしか見慣れた倉庫街だった筈の景色は、いつしか青々しい自然が続く郊外へと変わっていった。
「テメェ!!離しやがれェ!!今すぐテメェのツラの皮剥ぎとって家のソファのクッションに縫い付けてケツの下に敷いてやらァあああ!!!ブッ殺す!!!」
クロムは相も変わらずサキエルを口汚く罵りながら、腰のベルトに備えられたシースから抜いたお気に入りの特大サバイバルナイフで、その宣言通り相手の顔の皮を削ぎ落としてやろうと腕を振り回すが首を捕まれ夜空を高速で飛び回っているこの状態では当然その攻撃はかすりもしない。
「良い加減お前のその耳障りな声にも飽き飽きしてきた、おさらば願おうか!!」
恐らく手始めの一撃を加えてから地上へと落下させて仕留めてしまおうというつもりだったのだろうが、狂犬のごとく暴れまわるクロムを前に余裕を無くしたらしい。サキエルはついにクロムを突き飛ばす様に手を離す。魔女も箒に乗っていない状態から宙に放り出されてしまえば、あとは重力に引かれて地面に叩きつけられ抜け殻の肉体だけを地上に残して魂は地獄までそのまま落ちていくだけだ。死。
それは恐ろしく単純な予想だったが、このままクロムが落下していけば彼女の魂は悪魔に貪り食われるだろう。鋼鉄の牙が役に立つかどうかも分からない。
「させるか!!!間に合えよ、畜生!!」
シセルは箒のアクセルを吹かして一気に加速する。獣の咆哮の様なエンジン音が鳴り響き、マフラーが武者震いの様に獰猛に震える。漆黒のロケットカウルが風を切り裂く。落下していくクロムに高度を合わせる為、一気に急降下しながら手を掴もうと距離を詰めて必死に右手を伸ばした。
届いてくれと願う。普段クロムとは顔さえ合わせれば口喧嘩の応酬ばかりだったがこういう状況に陥った時に心の底から助けたいと感じるのは、やはり私達が夜霧の姉妹の絆で結ばれた同胞同士だからだとシセルは思う。例え血の繋がらない他人同士であっても同じベストを身に着けているのなら、それは本物の姉妹の様な―――否、本物の姉妹以上の絆がそこにはあるのだ。
「つかまれェ!!」
「イヒヒッ!このまま落としてくれたって良いんだよォ!?」
「マジでそうするぞ、このクソ女ァ!」
濡鴉色の髪を風に靡かせながら転落していくクロムに腕を伸ばし、がしりと肘のあたりを掴んで自分の箒のタンデムシートの上に引き上げると再び高度を上げて急上昇する。こんな窮地でも減らず口は相変わらずのクロムに思わずシセルの口角も上がる、不敵な笑みだ。その笑みは逆襲の時にのみ訪れる凶悪なる愉悦である。狼が強敵の一撃を躱して、がら空きになった喉笛を見つめる時に唾液まみれの獰猛な牙を剥き出しにする様な、そんな瞬間に似ている。天国から地上の世界に堕ちてきた堕天使にはさらに下へと堕ちていってもらおう。善も悪も平等に焼き尽くす煉獄の炎の渦の中に。
「行くぜ!あの嘗め腐った態度の羽根女を地面に叩き落としてやる!」
「チィッ!良い加減死んでしまえば良いものを!」
自分の予想した通りの顛末にならなかった事にいよいよ痺れを切らしたサキエルは、進んでいた方向を変えてこちらへと向かってくる。両目に殺意を携え魔女二人と堕天使一人が今その戦いに終止符を打とうと必殺の一撃を互いに繰り出そうとしていた。
サキエルが折れていないもう片方の腕――右腕を振り上げると次の瞬間、瞳に焼き付く様な、稲光に似た閃光が瞬く。それと同時に表れたのは眩い光を全体に帯びた十字剣。それは彼女が天使であった頃から愛用している武器であり、堕天使に身を落とした今となっては贖い難き罪の証。神を裏切り、天使の為の楽園を創り上げようとあらゆる種族を排斥した、その悪行の象徴だ。
「クソッタレ、ありゃ聖属性の十字剣だねェ。アタイら魔女が食らったら一溜りもないよ。どうすんのさァ?」
「とっておきを持ってるのはあいつだけじゃねぇ、こっちにも魔弾がある!」
エヴィエニスのキャッチバレルを押し込んで、シリンダー後部を露出させる。中折れ式と呼ばれる構造だ。シリンダーに収められた六発の銃弾がきらりと夜空の星明かりを黄金色に反射させる。その銃弾には雷管を中心に五芒星が刻み込まれ、薬莢部分にはルーン文字による魔術が記されていた。これが魔弾である。
銃弾に魔術による
シセルは装填されている弾が自分のお気に入りである事をしっかり確認すると銃のシリンダーを戻してハンマーを下ろし、銃口をこちらへと向かってくるサキエルに向けた。
蹴りを付ける。そんな意志を指先に込めて引き金を引くと耳をつんざく様な轟音が鳴り響く。地獄へようこそ、悪魔が演奏するパーカッションだ。
260グレインの弾頭が炎の魔術と銃口が吹き出るドラゴンの息吹の様な銃火と共に発射される。その凶悪かつ獰猛な威力にグリップに刻み込まれた白百合は優雅過ぎたがその高潔さが圧倒的な殺傷力の虜になってしまうのを諌めてくれる様だった。
見事その銃弾はサキエルの左の翼を撃ち抜いた。シセルとしては頭を撃ち抜き即死した亡骸が地面に叩きつけられる様でも眺めてやろうと思っていたのだが狙いが外れてしまった。しかし魔法の銃弾はただその漆黒の翼の肉を穿つだけでは終わらない。
銃弾は翼を貫通すると同時に爆炎を上げ、一気にその黒い羽を燃やし尽くしていく。羽が焼け焦げ骨だけになっていくのが炎越しに分かる。
シセルの炎の術がエンチャントされたそれは恐ろしい火力で、サキエルから若干距離をおいた場所に居るシセル達にも十分に熱が伝わってくる程だった。
「う゛ぐあ゛あ゛あ゛ッ!!!貴様らァよくもォッ!!!」
「ヒャハハハハハッ!!!ざまァねぇなァ!そのまま地面に叩きつけられなァ!!暫く夜空を飛び回った後臓物ぶちまけたテメーの死体を見に行ってやるよォ!!!アハハハハア!!!イヒヒーッ!お腹痛い!!」
どうやら相当クロムはサキエルの事を嫌っていたらしく目尻に涙さえ浮かべる勢いで大笑いしている。腹を抱え、鋼鉄の牙を剥き出しにして笑い転げるその様子は、いつになく珍しく上機嫌なものだった。
だが、それは油断である。
紛いなりにもリングレスという巨大な組織のトップに立つ女がそう簡単にやられる筈も無く、一筋縄ではいかないのだった。
「私だけがここで死ねるかァ!!貴様らも堕ちてこいッ!!!」
左の翼を燃やされ、片翼の堕天使となったサキエルは急速に落下し始めるがその右腕を振るい、握り締めた光の十字剣をシセル達に向けて投擲した。
「畜生!!あの堕天使まだそんな力が残ってやがるのか!!」
勝利を確信していたシセルは不意をつかれ、箒の方向を転換して回避を試みるが間に合わない。十字剣の刃が箒の下部を切り裂いて、夜闇の向こう側へとそのまま消えていった。
乗っていた本人たちの肉体には傷一つ付かなかったがバイクと箒を組み合わせたそれのどちらか一方が欠けてしまえば、飛行能力は失われてしまう。魔導エンジンは停止しサキエルが望んだ様にシセル達もまた地面へと向けて急降下をし始めた。
「クソックソックソッ!!やっとあいつを仕留めたってのに!!死んでたまるか!」
まだ方向転換だけはハンドルで出来る、激突死のカウントダウンが始まりつつある中シセルは箒を旋回させ続けた。
やがてシセルとクロムの乗る箒は郊外の森林地帯へと近づいていく、木々の上に落ちればまだ衝撃が和らぐとの判断だろうが、何もない場所に落ちるよりはまだマシというレベルでの話しだ。木の枝やざらざらとした幹はシセルとクロムを無傷で生還させてくれるほど優しくはないだろう。自然の厳しさがこの時だけは憎らしい。
「クソ、落ちるぞ!!こんな目にあったのはテメェのせいだ!絶対に死ぬなよ、クラブハウスに帰ったらテメェの顔面を思い切りブン殴ってやるんだからよ!」
「上等じゃねぇかよォ!アタイに一発でも打ち込めたら酒でもなんでも奢ってやらぁ!」
そんな罵り合いの最中、二人が乗った箒はバキバキと枝をへし折りながら森の中へと落ちていく。シセルはがつんと後頭部を硬い何かにぶつけて、気が遠のいていくのを感じた。枝に肩をぶつけ、幹に足をぶつけながら一気に地面に衝突するとどすんと背中に響く衝撃は思いの他そんなに強くない。身体をあちこちにぶつけた分衝撃が和らいだのだ、シセルの読みは当たった――――。
箒はいつしかどこかへと消えてしまっていた、クロムも同じだ。
どちらも失い難いものだ、咳き込みながらあちこちにまとわり付いた葉や枝を払う事もせずに地面に横たわったまま視線を巡らせる。
これはどうやら地面から立ち上がって探さなければいけない様だとシセルは思った、身体中に感じる骨がきしむ様な痛みのことを考えるとそれはとてつもない億劫さではあったがそうしなければ事態は進展しそうもない。やれやれ、と苦しげなため息を付きながら上半身を起こすと丁度その時に背後からさくり、さくりと雑草まみれの地面をふみながらこちらへと近づいてくる足音に気がついた。
クロムだ、振り向かなくても分かる。どうやら近い場所に落ちたらしいとシセルは振り向きながらなんて言ってやろうか考えた。
「まだくたばってなかったのかよ、クロム。お前はホントに死に損な――――」
「残念だったな、人違いだ」
その言葉の直後、シセルの右頬に強烈な蹴りの一撃が繰り出された。先程後頭部をぶつけた衝撃から時間が立っていないのもあって視界がグラグラと揺れる。直感的に自分が窮地に追い込まれているのが分かった。サキエル、突如現れた死に損ないは片翼の堕天使だった。
「くそったれ、が……!殺るなら殺れ……!!」
「死をご所望か、魔女? だが私は生憎貴様らに情けをかけてやるつもりは無い、じっくりと時間を掛けて甚振ってから殺してやるよ……まぁ、まずは…一旦眠っていただくか」
二度目の蹴りが再び顔に打ち込まれる。ばきり、と奥歯が折れる音がして今度こそシセルはその意識を失った。視界が立ち眩みを起こした時の様に白んでいって、ぷつりとそのまま視界からの情報は途絶えて暗闇に包まれる。
サキエルは顔に大きな痣を作って意識を途絶えさせた怨敵を眺めて不敵に笑う、どのようにして苦しめてやろうか。その凶悪さに満ちた笑みはきっと悪魔が浮かべるものと然程差がないのだろう。
堕天使は魔女の足首をつかむとそのままずるずると引きずって森の奥へと進んでいく。奥に見える蔦に覆われた廃教会にてサキエルは魔女の拷問を始めるつもりだ。
訪れるのは魔女の死だろうか?それとも。
遠く離れた木々の蔦に引っかかる様にしてヘッドライトの明かりを時折点滅させる箒がある、内蔵された発信機はリーゼに位置を伝え呼び寄せつつあった。
まだ話は終わらない、これはシスターフッドオブナイトミストの伝説の序章に過ぎないのだから……。
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