シスターフッド・オブ・ナイト・ミスト

発狂大臣

第1話 夜霧の姉妹達

 シセル・ダスピルクエットは背中を突き刺す様な痛みに思わず呻き声を漏らした。びりびりと皮膚の下を駆け巡る電流の様な痛みでありながら、同時にそれは皮膚の表面をじりじりと焼きつける様な熱い感覚も有している。

 シセルにとってタトゥーを入れるという行為自体は初めての経験ではないものの、その感覚には中々慣れないものだ。上半身裸で施術台にうつ伏せになり、その色の白い背中に描かれていくのは、額に弾痕の付いた髑髏とその上に停まる一匹の鴉。使だ。

「……まだ終わらないのかよ」

 先ほどから永続的に続くタトゥーマシンの針が刻み付ける痛みに耐えかねたのか、今までずっと無口を貫いていたシセルは額に皺を寄せたまま自らの肌に人間の頭蓋と魔女の使いの姿を描く店主に口を開いた。

 目じりに若干小さな涙を溜めて怪訝そうな顔で初老の店主をにらみつけるその姿は、そばかす顔のせいで少年の様だが、手術台にうつ伏せになったおかげでむにゅりとその形をゆがめている二つのふくらみが表す様に歴とした女性だ。

「……ふん、痛いならもう途中で止めるか」

 初老の店主は鼻で笑いながらそう言った、当然年若い見た目の半裸の女性が自分のことを睨み付けようとも全く動じない。老人は仕事人なのだ。タトゥーアーティストという仕事柄多くの人間の裸を見てきたし、様々な個所にによる芸術表現を施してきた。故にその笑みには、幾分かの余裕さえ感じられる。

「ふざけんなよ、この野郎……あたしは偉大なる魔女様だぞ。それもシスターフッド・オブ・ナイトミストの総長プレジデント様だ、こんなタトゥーの痛みなんぞ音を上げる様じゃ総長なんてやってられるかって」

「終わったぞ、立って出来を確認してみろ。文句なんて出る筈も無い名作だがな」

 シセルの言葉を遮る様に店主が言う。もう十分、そう言わんばかりに店主はシセルの腕をゆっくりと掴むとその半身を施術台から起こすのを手伝ってやる。

 漸くタトゥーマシンの針先が皮膚を貫く痛みからは開放されたが未だ背中には焼ける様な、先ほどとは別の痛みが感覚として残ったままだった。店主の力を借りながら数時間ぶりに脚を地面に堕ろして痛みにうずく背中を気にしながら、施術台のすぐ側に置いてある姿見に背を向け後ろを振り向いた。


 そこにあるのは、見事な紋章エンブレムだった。

 額に銃痕を空けた髑髏は死を象徴し、その上には魔女の使いである漆黒の鴉が停まり虚空を睨みつけている。死してなお、魔女である事の尊厳を失わない。そんな意味を込めた絵画が背中の皮膚をキャンバスにして描かれている。真白の肌と漆黒のインクのコントラストが美しい。

「……割とカッコ良いじゃんか」

「割と、だって?おいおい、そりゃ無いだろう。今お前さんの背中にあるのはただのタトゥーじゃない。ギャングのエンブレムのタトゥーはな、心に刻む刺青なんだ。ただ皮膚の下にインクで描いただけのものじゃない。お前さんはこれからこの組織のリーダーとして背中のタトゥーに恥じない行動をしなきゃならないんだ。わかるか?」

 シセルの態度に呆れた店主は、眉間に手を当ててため息を付きながら言うが当の本人は自分の背中に出来上がったタトゥーに夢中で聞く耳を持たない。しかし鏡越しに自分の背中を見つめながら満足気な笑みを浮かべつつもシセルはこの背中に感じる責任の重みを感じていた。

「あぁ、しっかり分かってるよ……このタトゥーに背く様な真似は私も、他のメンバーの奴らも絶対にしない。仮にするとしたら……その時がきっと、この身からタトゥーを取り除く時なんだろう。入れた時よりも何倍も強い痛みで心に刻んだ紋章を取り除く……組織を裏切る人間に、こいつを背中に背負う資格は無いからね。」



                  ◇

「おい、おいシセル。何してる? 早くやっちまおう、こんなのいつまでも長引かせるべきじゃない」

「……あァ…? 何が…?」

 ここはどこだ。

 じりじりと肌を焼き付ける様な熱さが右手を包んでいる。羽織ったレザー製のバイカーベストが汗でシャツに引っ付いているのを感じる。

 ふらつく足元。ぐらぐらと揺れる視界。ぼうっとした様な意識の中で、シセルは漸く自分が今立っている場所が自身のアジトであるクラブハウスのガレージだと言う事に気がついた。そして、右手には自身の魔術によって地獄の炎が灯されている事に気がつく。攻撃用の危険な魔法だ。

 そして、シセルがそれ以上に気になっているのは……両手を天井のクレーンから吊り下げられた太い鎖によって戒められ、自身の目の前に力なくぶら下がる半裸の女性だ。背中には、。自身の背にも同じものが刻まれているのを思い出してシセルは、ごくりと唾を飲み込んだ。これから自分がやろうとしている事を思えばこの反応は至極当然。緊張で鼓動が早くなるのを彼女は感じていた。


「……何がって。裏切り者の背中からタトゥーを取り除くのはSONMのリーダーの仕事だ。そりゃ自分から進んでやりたい仕事じゃないのはわかってる、でもあんたがケジメを付けなきゃ一体誰がやらなきゃならない?」

「……わかってる、わかってるよクソ。ただ頭がぼーっとして……でも良いよ、リーゼ。確かにあんたの言う通りだ。こいつはあたしが蹴りを付けなきゃならねぇ問題だ……」

 作業台に腰掛けて煙草を吸いながら言うのはそう言うのはシセルの親友でもあり、SONMのNO.2でもある『リーゼ』だ。身長2m弱ある長身と、褐色の肌、ハンサムな顔立ちは女性らしからぬものだが背中辺りまで伸びた艶やかな銀髪はとても美しい。

 しかしその美しい外見とは対照的に服装や身に着けているものは威圧的で左目は黒革の眼帯で覆い、彼女もまた今のシセルと同じ様にバイカーベストを身に着けていた。背中には、あのSONMのエンブレムが刺繍で描かれている。

「リングレスの堕天使どもに私達の取引の情報を売った報いだ。悪いな、ジェダ。死ぬほど痛いだろうが……堪えろよ」

 ジェダ―――。自身の目の前で項垂れ両目をボロ布で覆い口に猿ぐつわを咬まされている。かつての仲間だ。これから自分の身にされる事を予想していたのか、それともしていなかったのか女に反応はない。ただ、只管両目を覆うボロ布を涙で濡らしながら嗚咽を漏らしている。その涙が自身の裏切り行為への後悔によるものなのか、それともこれから起こる事への恐怖なのかは分からない。

 その様子を見たシセルはぎり、と歯を噛みしめるが迷いを捨てる様に首を小さく横に振ると炎を纏った右手を相手の背中の前にかざして力を掌に集中させた。掌の皮膚がより一層熱さを感じた次の瞬間、ごッと酸素を燃焼させる轟音を響かせて極大のバーナーの様な炎が手の中央から吹き出て拘束された女の背を焼きつくしていく。

「ぐむ゛う゛ぅッ!!!ぐゥ゛う゛う゛!!!う゛う゛う゛う゛う゛!!!!!」

 狭いガレージの中に響き渡る女のくぐもった叫び声が鼓膜を突き破るかの様だったがシセルもリーゼも最早眉一つ動かさない。かりかり、と灼熱の炎が皮膚を焦がし細かくめくれ上がったそれは黒く変色してぽろぽろとコンクリートの地面に落ちていく。心に刻んだ筈のタトゥーもそれと一緒に少しずつ欠けていった。

「……当然の報いなんだよ、てめぇのその身からタトゥーが消えてなくなるまではこの痛みに耐えてもらうぜ。気絶しても無駄だ、気を失う度にリーゼの覚醒の魔術で意識を叩き起こす」

「……出来るならやりたくない仕事なんだけどね。私の本業は身体の苦痛を和らげてやる事だ。苦しみを長引かせる事は信条に反する……でもやりたくない仕事をやらなきゃいけないっていうのはあんたも同じだよね、シセル。付き合うよ、私はあんたの右腕だからね」

 誰もがやりたくない仕事、それに無理に付き合ってくれているリーゼにシセルは胸の内に感謝の気持ちと申し訳ないという謝罪の気持ちが入り混じった複雑な感情が浮かび上がるのを感じた。しかし、その一切を表情に出さずに彼女はリーゼにちらりと眼差しを向けるだけだ。

 分かっている、そう言いたげにリーゼは小さく頷くと再び背中を焼け爛れさせた裏切り者の末路に視線を向けるのだった。

 目に痛い程の明るさの蛍光灯とシセルの右手に宿る地獄の業火のみが薄暗いガレージの中で明かりとなっている。額に浮かび上がる汗すら瞬時に蒸発してしまいそうな熱風と肉の焦げる独特の臭気が立ち込める空間に押し殺された叫びが反響し続けるのだった。


                   ◇


「よーう!!!漸く終わったみてェじゃねェかよッ、あ゛ぁん?!全くアタイだけここでお留守番なんて寂しくて泣き出す所だったぜ、プレジデント様よォッ。アタイも見てみたかったぜ、裏切り者の背中の皮があんたの炎でバリバリに焦げ落ちてく様をさッ」

「うるさいよ、クロムティース!シセルは今しんどいんだ、余計な事を言ってまだ疲れさせるつもりならその口に拳を突っ込んで無理矢理にでも黙らせてやろうか」

 ガレージでのタトゥーの除去作業を終え、心身ともに消耗した二人を出迎えたのは『クロムティース』だった。

彼女の濡れた鴉の羽の様に艶やかな黒髪は美しいが伸び放題伸びたそれは目元まで伸びて、時折その髪の隙間から伺える黒目は狂気を帯びている。SONMの問題児で自らをSONMと呼ぶクロムは二人が自分に何も言わずタトゥーの剥奪というお楽しみイベントを遂行してしまった事に腹を立てていた。

「はッ、アタイ抜きでこんな面白そうなイベントを二人で独占しちまうなんてよ!随分時間かけてやってたみたいだけど結構楽しんでたんじゃないのか?」

ニッと歯を見せて意地の悪い笑みを浮かべるクロム。唇の隙間から除く歯はギラギラと磨き上げられた金属の様な輝きを持っていて、おまけにまるでサメかワニか、獰猛な捕食者が有する類のギザギザとした鋭さがあった。それは彼女の呼び名 ロ ー ド ネ ー ム の由来でもある。

「あたしが作業している間ずっとお前が喋り続けてるのは我慢ならないからね、きっと頭がおかしくなる。お前にやらせたって全然良かったんだけどな、加減の出来ないバカだからきっと殺しちまう。私達シスターフッドオブナイトミストは、一度そのエンブレムを肌に刻んだ者は殺さない……例え胸糞悪い裏切り者でもね」

 クロムトゥースの皮肉っぽい言い方にはもう慣れているのか、シセルは全く相手にせずに淡々と作業に同行させなかった理由を語る。クラブの創設当時はそれこそ衝突ばかりだったが今ではどう扱えば良いのか把握出来ている。


 いつでもどこでも殴り合う理由を探し求めているクロムにとっては自身の所属する組織のトップすら喧嘩相手だ。しかしそんな危険人物の対応策は至極単純、相手にしない事。発火性燃料の側で煙草を吸わない、というのとさして大差ない程シンプルかつ明快なものだ。そして、扱い方さえ分かればこれほど便利なものはない。という所もよく似ている。

「どうせケンカ相手が欲しくて私に安い挑発を投げつけてきてるんだろ、クロム。相手なら用意してあるよ……リングレスのクソ共だ。今頃奴らはジェダから聞き出した商品の隠し倉庫に向かってる所だろう、今すぐ箒を飛ばせばまだ追いつける。盗まれる前に見つけてぶっ殺すよ、全員ね」

「……イヒヒヒッ、良いねェ~いつかはあんたとマジの喧嘩をしてみたいけどさぁ、今はあの堕天使共で我慢してやるとすっかぁ」

 クロムが口角を目一杯広げて笑うと口の隙間から僅かに覗く程度だった歯が大きく剥き出しになって室内の照明の光をギラギラと反射させた。その獰猛なまでの輝きは自身の餌食となる者を熱望しているかの様だ。

「とにかく、奴らとやりあうなら準備はちゃんとしていかなきゃいけない。武器庫から使える武器は全部持ってきた。正直の予備がもっとあれば良かったんだけど」

 そう言ったのはクロムとシセルが言い合いをしていた僅かな時間に席を外して武器庫からありったけの弾薬と銃火器、防弾ベストを取りに行っていたリーゼだ。丁度その二人の前にテーブルの上に無造作に防弾ベストを投げやれば、自身の両手に持つ《M4ライフル》に弾の入ったマガジンを叩き込む。そのマガジンにはまるで何かの目印かの様に赤い塗料のスプレーで一本のラインが引かれている。

「魔弾、ね。取引の期限が迫ってたせいで出荷分しか製造しなかったのが仇になったか……余分に製造して武器庫のストックに出来ればよかったんだけど……」

 こんな所で過去の選択が裏目に出るとは。後悔先に立たず。がり、と苦々しげな表情でシセルは親指の爪を噛んだがいつまでもこうはしていられない。バイカーベストの下に防弾ベストを着込めば、もうその表情はどこかへと消え失せていた。

 魔弾の製造費は通常の弾薬と比べてもかなり高い、当然金と労力をかけている分威力も高いが今はある分で何とか間に合わせれば良い。無理矢理にでも前向きにシセルは考えて自身もリーゼが用意したライフルのスリングを肩にかけて背負うとベルトのホルスターに拳銃を収める。殺しの準備は万端だ。

 武装準備を終えてクロムとリーゼと共にシセルはクラブハウスの駐車場へと歩んでいく。外はすっかりと夜の顔を見せているが、どうやらは天気の機嫌は良くないらしくいつもなら無数の輝きを散りばめている筈の空は、鉛色の雲に覆われてさらりと小雨が降っている。


 だが、そんな中でもシセルの愛車である「ブラックオンブラック」が威厳を損なう事は無かった。箒とバイクを融合させた魔法と人間界のテクノロジーのハイブリッド。シスターフッドオブナイトミストの象徴でもあるそれ。

 本来タイヤがある部分に魔女が古来より扱っている空飛ぶ箒を結合したそれは三台並んでおり、中央がシセルが所有のブラックオンブラック、その右隣がリーゼのアトラス、左隣がタンクに髑髏のペイントを施したクロム所有のハーヴェスターだ。

 彼女たちがシートに跨り、キーを差し込みそれを回すと魔導エンジンが点火されマフラーから獰猛なエンジン音が鳴り響く。それにはこれより命を刈り取りに行く死神が駆る馬の嘶きとも形容できる冷酷ささえ感じられる。

「……今からリングレスの天使至上主義者どもを皆殺しに行くぞ!!グッドナイトアンドグッドダイ!!あたし達が夜霧の姉妹達だ!!!」

 シセルのその掛け声に合わせ箒が発進していく。ブラックオンブラックを先頭にその両隣に付く様にアトラスとハーヴェスターが続いて夜空を駆けていった。

 夜の闇の中にテールランプの赤い閃光のみが残されていく。その赤さはまるでこれから起こる血みどろの惨劇を象徴するかの様に虚空の中に取り残されて、また夜闇の中に染み込む様にして消えていくのだった……。

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