第6話 二人の中で燃える炎
テンドガラスから差し込む月明かりが、礼拝堂にて跪く修道女の顔を照らす。
鮮やかな色の光が白い肌の上に映し出されて、彩りが加えられるその姿には、神秘的なものさえ感じられた。
真白の肌、長いまつげ、目の下の黒子。どれ一つ取っても、妖しげな美しさがあり、きりりとした細めの眉の色は黒く、修道服のベールの下に髪の毛をただの一本も覗かせる事無く納めていても、さぞかし艶やかな黒髪をしているのであろうという事は容易に想像できた。
首からぶら下げたロザリオの十字架を握りしめ祈りを捧げている、その最中だった。
がつん。
堅く閉ざされた入り口のドアノッカーを叩く音が教会の中に響く。
その音を聞いた瞬間に、慈愛に満ちた修道女の眼差しが途端に剣呑さを帯びたものになる。
不審な足音を聞きつけた番犬の様だった。
神に仕える者にしては、その目つきはあまりにも鋭く丹念に研磨されたナイフの様だ。
修道女は、立ち上がると目の前に設置された十字架像へと歩み寄りその台座へと手を置いた。
そうすると磔刑に処された真鍮製の神の両目が一瞬だけ眩く光り、台座に触れている修道女の手を縁取る様に光の線が現れる。
修道女の掌に刻まれた微細な皺を高度な魔法が読み取り、次の瞬間には台座部分の隠された収納棚がスライドして現れるのだった。
「……神よ、願わくば私にこれを使わせぬ様に……」
収納棚の中に収まっていたのは、ポンプアクション式ショットガンだった。
シルバーモデルのM870をベースにカスタムされたそれには、修道女が持つには過剰と呼べる程の改良が加えられている。
樹脂製のピストルグリップとバーティカルフォアグリップ、そしてRISシステムによって五発まで予備の弾薬を保持出来るショットシェルホルダーをサイドに搭載し、
バレルを短く切り詰めたそれは、最早ただの狩猟用の散弾銃ではなく近距離で獰猛な殺傷力を発揮する
修道女は、それを手に取りシェルホルダーに搭載された弾薬とはまた別に用意されている銃本体の下スペースに五発並べられた弾薬を一発ずつ給弾口へと装填して、最後にがしゃりとフォアグリップをポンプする。
ドアをノックした唐突な訪問者の元へと歩んでいく。
それがもし、招かざる客だというのであればいつでもドア越しに強烈なスラグ弾を叩き込んでやる準備が修道女には出来ていた。
ドアに穴が空けば、きっとその穴越しに風通しの良くなった人体も見える事だろう。
ごん、ごん、と先ほどから何回もドアノッカーで扉を叩く様子により一層警戒心を強くしながら修道女は入り口の扉をゆっくりと押し開く。
すると、そこに居たのは―――。
「おいおい、来るって事前に連絡しといたろ?何だよその得物は?」
「……あなた方でしたか、予定より少し早めでしたので。……いつもよりお連れの方が少ないようですけれど、シセルさん?」
居たのはバイカーベストの二人組……一人は金髪のベリーショートのそばかす顔で目つきの悪い女……もう一人は2m近い巨体の褐色の肌の眼帯の女性だ。
シセルとリーゼである。
「残りは別件だ……おい、それあたしらが売った銃じゃねぇか。幾ら用心の為って言ったって買った相手に向けるかよ」
シセルは、すぐに修道女が右手に握りしめた凶悪な得物の存在に気がついた。
ぎらりとステンドグラスから差し込むカラフルな月明かりを反射させて、シルバーモデルはその輝きをより一層眩いものへと変わっている。
「こんな夜更けにやってくるのは、大体は何か良くないものですからね……用心にこした事は、ないでしょう? ……取り敢えず入ってください、この季節とはいえ夜風は冷えますし」
相手が敵ではないと分かると修道女は取り敢えずショットガンを降ろして少しだけ開けたドアを大きく開いてシセル達を招き入れる。
シセルがリーゼに目配せをすると、無言で彼女はうなずきその手に携えている大きな布袋の口を広げて中の物を、教会の入り口の脇に置いてある献金箱の中にぶちまけた。
どさどさと音を立てながら落ちていくのは、大量の100ドル紙幣だ。
この世界で外界との取引が行われる様になり、USドルが通貨として使われる様になって100年近い。最初はこの世界で取れる金や宝石で外界の武器や道具を買っていたが、今ではそれさえも昔の話だ。
大量のドル紙幣が水のように献金箱の中に流れ込んでいる様はまるでこの世界を浸食する外界の資本主義を暗示しているかの様で、痛快かつ皮肉な様相となっている。
「今回売ってくれた情報の代金と……それとあんたが経営してる孤児院の経営費分を少し上乗せしておいた……この街で飢え死にする子供が居ないのはあんたのお陰だ。この調子で頑張って欲しい」
「……ふ、ギャングが孤児院に寄付を? この街の復興のために金を稼いでいるというのは体制を良く見せるための話だと思ったのですが……」
シセルの言葉を聞けば、ふっと口元をゆがめて修道女は笑った。
その笑みには、裏社会で一位、二位を争う情報屋としての黒い一面が見え隠れしている。
「そう思ってくれて構わない、実際何も間違ってねぇしな。だが……この街は私たちの生まれ故郷だ。子供が居ない街に未来は無い……」
「ふふ……まぁ、善意からの事だという風にしておきましょうか……例の情報は、あの中に……」
口元にシニカルな笑みを浮かべながら修道女は、その手で教会の奥にあるブースで区切られた懺悔室を指し示した。シセルに罪を懺悔しろと要求している訳ではない。
気の利いたジョークだ、シセルは苦笑した。リーゼに外で待っている様に指示をすると懺悔室へと向かっていき、真鍮製のドアノブをゆっくり回して中へと入っていく。
聖書を置く為の小さなテーブルの上に、確かにそれはあった。
茶色い紙製のファイルだ。長い間厳重に保管されていたのだろう、紙の質の劣化さえあるものの埃一つ無ければ、折れも無い。
表紙には、バズエッドの機密情報と敵対組織について」と記されていた。
シセルはファイルを開いて中の書類を捲り始める。そして、やがて一枚の写真を見つけた。
写っているのは、砂漠の中を駆け抜けていく謎の巨大な黒い物体だ。鋭く先の尖った鉄筋の様な物が幾つも突き出しているそれは、手ぶれが酷く写りは悪い。
しかしそれを差し置いても生き物では無いと言うことだけは分かる、これは乗り物だ。
そして、何よりもシセルの目を引くのは――――。
「……こりゃ、一体何だ……?」
その漆黒の車体から無数に突き出した、鋭く先端を研がれた鉄筋に突き刺さる人の上半身の様なもの――――。
不穏な雰囲気を放つそれにシセルは眉をひそめるが、どうやらやがて自身の頭の中に黒雲の様に立ちこめていた疑念は確信へと変わっていたらしい。
気づきたくない事実に気づいてしまった時、底冷えするような悪寒を感じるのはこの魔女にも人らしい部分が残っていたという事だろうか。
「……クク、なるほどね……」
その頃、リーゼはというと教会の外で夜風が吹き荒ぶ瓦礫の街を眺めていた。
この町にやってきたテンプル団と天使達の諸兵科連合部隊によって、ナパームの雨が降り注いだのはもうずっと昔の話だ。
あれからだいぶ経ち、自分たちSONMの尽力によって少しすずつかつての街の形を成しつつあるが今でも片隅は瓦礫のまま。
戦争が終わり家に帰ってきた時、住んでいた街そのものが無くなって消える事の愕然とした気持ちを思い出しながらくたびれた煙草を一本口にくわえて、ライターを取り
出そうと上着のポケットに手を突っ込むが、そこにある筈の感触は感じられなかった。
「……落としてきたか」
ツイてない。口に咥えたこれを、どうしろというのか。眉間に皺を寄せてため息をつくと自分の脇をふっ、と誰かが通り過ぎて人差し指を自分が口に咥えた煙草の先に軽く当てた。
数瞬遅れて指先にマッチが灯すものより少し大きめの火が灯って、煙草が淡い紫の煙を夜空に立ち上らせる。シセルの火術だった。
「……ありがとう。本当にそれ、便利な術だよね」
「へっ、こんなもんお前の治癒術に比べたら。でもまぁ、馬鹿野郎を燃やしてやるだけが術の全てじゃないだろ」
笑いながら言うシセルは、小脇にファイルを抱えていたので用が済んだのだろうとリーゼは理解する。
態々取引の現場に向かう前に時間を作ってまで手に入れたその情報の内容は、シセルだけが知っていれば問題ない。そう思うのは彼女に対する信頼の表れでもあるだろう。
「用は済んだんだろ、このまま現地でクロム達と合流するのか?」
「あぁ……これで全ての準備が整った」
二人は、入り口の側に停めた箒に跨がるとキーを回して魔導エンジンを作動させる。マフラーがあの魔獣の唸り声を上げ始めると、やがて二台の箒が夜の闇の奥へと走り去っていった……。
「ちょっとぉ、クロム姐さん。俺の車の中でピザなんか食わないで下さいよぉ!」
荒野を走る一台の漆黒のライトバンの中に、悲痛な抗議の声が響いた。
その声の主は、車のドライバーでもありバンの所有者でもあるエイジェイだ。夜通しの運転で目元にはうっすらと隈が浮かび始めている。故にその声は少しばかりヒステリックにも感じた。
それもそのはず、自動車という移動する狭い空間においてはハンドルを握るドライバーこそが、その小さな世界における主であるべきなのだ。
だが現実は非情だ。後部座席に座り込む痩せた体躯の、鋭い歯を持った女……クロムによって愛しの空間は支配されてしまっている。
自分の隣の席にピザの箱を置いて、幾つも食べるせいで車の中には濃厚なペパロニピザの臭いが充満している。
平時であれば幸福感さえ感じるその芳香も、安定しない砂漠の地面の上では拷問でしかない。
おまけに「流さなきゃブン殴る」と脅迫めいた命令によってカーステレオからは、大音量でジョーン・ジェット&ブラックハーツのチェリー・ボムが流れているのだ。
さらば、快適なドライブ。
ようこそ、サラミとチーズの香りと大音量のギターサウンドによって引き起こされる偏頭痛。
エイジェイは半泣きになりそうになりながら、心の中で呟いた。
「うるせ、あたいは食いたい時に食うし飲みたい時に飲む。クソしたい時もしたい時にする!」
「全く、シセルとリーゼが居ないのを良い事にやりたい放題ですわね」
呆れた様に言うのは、エイジェイの隣……助手席に座ったスカーだ。寝不足気味らしいエイジェイとは打って変わって、スカーはというとだいぶ寝たらしい。両目を覆ったアイマスクを額にずらして、耳栓を外しながら欠伸を一つするのだった。
こうなる事を予測して事前に用意しておいたらしい。用意の周到さでは、スカーの右に出る物は居ない。流石フィクサーだ。
「ともかく、この前みたいに窓にサラミ貼り付けたりするのは絶対やめ―――」
「ハハ!!見ろこれ!!顔!顔みてぇだ!!アーハハハ!!!!」
言ってる側からウィンドウにサラミを三つ貼り付けて顔、と大笑いするクロムにスカーは苦笑した。憤死しそうになってるエイジェイと運転を変わってやってから取引現場についたのは数分後の事だった。
「やっと着いたか、取引開始時刻の10分前だ。ギリギリだが、間に合ってるし……あたしはその事は気にしないよ。だがなんでエイジェイが泣きそうな顔してんだ、クロムテメェまたこいつに何かしただろ!?」
取引現場には先に、シセルとリーゼが到着していた。商品を運搬する為にライトバンに乗って陸路で現場まで来なければいけなかったエイジェイ達とは違い、快適な夜間飛行でやってきた二人の顔色は良い。
だからこそエイジェイの車酔いで血色の悪い顔とそれとは対照的に、チーズとサラミの油でテカテカとした光沢を持っているクロムの唇が気になるのだ。
「知らねぇな、あたいはただピザ食ってただけだよ。こいつの車ン中でな」
肩を竦めながら言うクロムの姿に深いため息をつくシセル。エイジェイの肩をぽんと叩いてやって慰めると、ライトバンの積み荷を降ろす様に指示を出した。
クロムは手を頭の後ろで組んでぼーっと眺めているだけだったが、エイジェイとスカーは取引の商品を降ろし始める。
後部座席に詰まれているのは木箱に収められた山の様な数の銃、弾薬、防弾ベスト。SONMの資金源となる商品の数々だ。彼女たちは単なる魔女の無法者集団ではない。
戦場に死と救済の両方を与える死の商人なのだ。
リーゼは、エイジェイ達が荷物を降ろし終えるのを眺めながら自身のヒップホルスターに納めたオートマグのマガジンを抜いて弾がきちんと込められて確認した。
幾ら公正な取引とはいえ、常に警戒は怠らない。相手がこちらを攻撃してくる様な事があればすぐに応戦出来る様にしておかなければならない。瞳の奥の危険な色に臆病さは感じられなかった。
夜の風が緩やかに吹く中、純白のパールの様な満月が光を放って夜闇を照らしている。
その風が吹いて飛ばす砂の粒の音さえ、聞こえてきそうな静寂をシセルが感じていると唐突に奴らの来訪を報せる音が聞こえてくる。砂をしっかりと踏み締める力強い足音が幾つも……。
それがケンタウロスの蹄の音だという事は明確だった。
ブラッド・トレイル49のお出ましだ。
「……時間通りに来たな……あいつら……」
ケンタウロスの集団が砂の丘を越えてこちらへとやってくる。
圧観だった。
顔にはシュマグを巻き、人の上半身には砂漠迷彩のBDUを着込んだ上キャリアプレートまで身につけている。両手に携えたAKに馬の胴体の両サイドにも物資を満載したバッグを縛り付けている。
その姿に、最早森の民であった頃の名残は無い。
聖魔戦争の際にテンプル団に棲家である森を焼き払われたケンタウロス達は逃れる様にして、砂塵吹き荒れる荒野へと移り住んだ。あれからもう何年も経つが、彼らは慣れない土地に時間をかけて馴染んでいき今ではこの様にこの砂漠の覇権を握る為の戦いに身を投じている……。
ブラッド・トレイル49のメンバー達が取引現場にやってくると、そのうちの一人が一歩前に出たかと思えば、シュマグを外してその素顔を晒す。
ポニーテールで結った漆黒の長髪と褐色の肌、そしてまるで今夜空に浮かんでいる月の様な金色の瞳……その女こそがブラッド・トレイルのリーダーなのだろうという事は容易に想像出来た。
それほどまでに彼女の纏う雰囲気からは、組織を率いる人間が持つカリスマ性に溢れていたのだ。
顔の真ん中を真一文字に切り裂く刀傷からもそれは、見受けられる。傷跡は戦士の証だ。
「……我がブラッド・トレイル49の長。砂塵のスナだ、例の物は用意出来ているか?」
スナ。短い名前ではあったが、それこそが彼女の名だ。
「……あたしがシスターフッド・オブ・ナイトミストのシセル・ダスピルクエットだ。商品はそこに」
相手が名乗りを上げるのを見ると、それに続く様にシセルも名乗った。
本来ならば握手でも交わすべきなのかもしれないが、それは不要だった。その代わりに親指で示したのは、先程準備させた商品の数々だ。
リーゼが御自慢の腕力を披露しつつそこから一際大きな木箱を持ってくる。
そして自慢の腕力でバールを使う事無く素手で木製の蓋を引き剥がすと、中にはびっしりと先端を赤く塗装された弾薬が詰まっているのが見える。魔弾だ。
「……ほう、これが……見た目からは噂に聞く程の威力があるとは思えんが……」
「なら、試してみると良い」
シセルは、木箱の中に手をいれるとその中の一つをつまみ上げてピン、とスナの方へと指で弾いて放ってみせる。
見事な放物線を描くそれをしっかりと掌の中に受け止めたスナはまじまじとその弾薬を見つめる
7.62x39mm弾……ブラッド・トレイル49の主力装備でもあるAK-47の使用弾薬だ。
スナは慣れた手付きでAKからマガジンを外し、ボルトを引く。オープンになったチャンバーから装填済みの弾を一発抜くと受け取った魔弾を滑り込ませた。
ちらりと背後を見やれば、そこには一本の枯れ木があった。
太い枝の先には一本の荒縄がぶら下がっている。命を縛り上げ、やがて殻だけになった肉体だけを地面に落とす……そんな形をしているのだった。
きっとその枯れ木の根本には、その縄の使用者の姿があったのだろうが今となってはその姿も見えない。末法の世を象徴するそれも、今のスナにしてみればただの試し撃ちの的に過ぎなかった。
ライフルを構えてしっかりとアイアンサイトで狙いをつける。狙うはその枝だ。
引き金を引き絞った瞬間。銃口から爆炎が吹き出した。
どすん、という表現がふさわしいその銃声。
銃弾が命中すると木は一気に爆炎に包まれて、燃え上がった。炎属性のエンチャントを用いればこれぐらいは造作も無い事だ。これぞ魔弾の威力である。
「……驚いたな、これ程とは……」
「ウチの手製だ。堕天使どもに少し盗まれちまったが、まだそんなには流通してない筈だ……魔術によるカスタムが成されたワイルドキャット・カートリッジ。上物だ」
自身の製品を売り込んでいる間のシセルはどこか誇らしげだった。
にやりと緩んだ口元を隣に経つリーゼが軽く肘で小突いて指摘する、すぐにきゅっと引き締まった口になった。
「……分かった……だが、私が注文した弾薬の量はこれだけではない筈だ。残りはどこにある?」
「……さっきも言った様に堕天使どもに出し抜かれて少し盗まれちまった、そこにある箱で最後だ」
苦々しい表情でシセルがいうとそれに合わせてスナの表情も曇る。
「……では約束の代金の半分で手で打とう」
約束の分を用意出来なかった時点で取引は破綻してもおかしくなかったが、スナからの意外な申し出がきた。
約束の代金の半分、だいぶ取り分は減るがこれでも精一杯の妥協だった。
「いや、料金は全額頂く」
しかしシセルの言葉はそんな申し出を裏切るような言葉だった。
くくっ、それを聞いたクロムが思わず笑った。
面白い事を言いやがる、そんな笑いだった。
「……何を言ってる?あの、なぁ……これでも譲歩してるんだぞ、私は……!」
スナの顔にみるみる怒気が満ち始める。今まで冷静を装っていたが、こんな状況での笑えない冗談は彼女が最も嫌いなものだった。
しかし冗談ではない。もし冗談ならどれほど良かっただろう。
「……あんたが怒るのも無理は無い、でも当然こっちからも代わりの案がある」
「案、案だと?今私が提供した案以外に一体どんな物がある?!ふざけるのもいい加減にしろ……今回の取引は無しだ、おい引き上げるぞ!」
スナは怒り心頭だった。
当然だ、共に手を組み取引をしようとした相手に約束を反故にされたのだから。部下に命じて部隊を引き上げさせようとしたのその瞬間、シセルが叫ぶ。
「オークだ!!お前らの抱えている問題の全ての根源、そいつらを根絶やしにするのを手伝ってやる!」
しん、と静まりかえる空気。
背を向けて、この場を去ろうとしていたスナの動きが止まる。
「……貴様、その事をどこで知ったァ?!」
スナは一気に駆け出しシセルとの距離を詰めると、AKー47の銃口をその額に向けた。
「やめろ!」
リーゼが反射的に腰のホルスターから銃を抜きアイアンサイトの中央にスナの顔面を捕らえる。それに呼応するかの様にケンタウロス達も銃を構え狙いを定める。
エイジェイ、スカーも拳銃とショットガンをそれぞれ抜き、クロムは腿の投げナイフの柄に手を当てる。
クロムは思い出す。こいつは手詰まりメキシカン・スタンドオフってヤツだ。外界からやってきた商人から買い付けた映画のDVDの中で何度も見たその光景。一触即発の手詰まりのシチュエーションを差す言葉だ。
まるで映画の中みてぇじゃねぇか、くつくつと空気も読まずに笑い出すのだった。
シセルの髪型はブロンドのベリーショートヘアだ。
銃口を突きつけられても、短い前髪から強気に覗かせた額には〈撃ち抜いてみろ〉と言わんばかりの自信が溢れていた。
眉一つ動かさずシセルは続ける。
「タダで教えてやるかよ、今度はお前があたしの話を聞く番だ。良いか、金は約束してた全額を貰う。その代わり、お前らが欲しがっている情報……オークの乗る武装列車の情報をくれてやる。そして奴らをぶちのめす為に協力をする……」
シセルは何処からかファイルを取り出し、自分の額を狙うライフルの銃口の前でちらつかせる。私を殺せばこれも手に入らなくなるぞ、という脅しの様でもあった。
「……そんな条件をのむより、ここで今引き金を引いてお前を殺してしまった方が手っ取り早いとは思わんのか、あぁ?」
正しくその通り、殺して奪えば良いだけの事だ。
《情報》だけが欲しいのならば、という話だが。
「出来ねぇよ、お前にはな」
「試してみるか、小娘が……」
「あたしらが居なきゃ情報だけ手に入れても犬死にするだけだって言ってんだ、どうなんだ!!てめぇらの仲間の一人が奴らに殺られてんのはこっちだって知ってるんだよ!!それでもあたしを殺したいなら構いやしねぇ、殺れ!!引いてみろコラ!!!玩具かそれ!!」
漆黒の金属で構成された銃口を引っ掴み、自分の額へと押しつけるシセル。狂気の沙汰だが一世一代の賭けに出た。ここで引き金を引かれて死ぬのならば、そこまでの運だと言わんばかりの気迫。
その正気を失ったかの様な剣幕にほんの一瞬だけ怯むスナは、チッと舌打ちをして銃口を下げた。やってられない。ここで引き金を引いてしまってはそれこそ相手に乗せられてしまっている。相手の出す条件を飲むより他無いのだ。
「……クソ、お前はイカれてるぞ……!分かった、条件を飲む……おい!」
スナが指示を出すと、脇に居た部下達は銃を下げ、その内の一人が苦々しげな顔を浮かべてシセル達を睨み付けたまま、その自身の半馬の胴体に縛り付けられた4つのバッグのロックを外してシセルの下へと一つずつ投げ捨てた。
スカーが構えていた銃を下げて、手早くバッグに駆け寄ってそれらを全て引き寄せる。
バッグのファスナーを引き下ろすと中にあるのは、大量のUSドルだった。外界の
スカーはベストの内ポケットからツールナイフを取り出すと、収納されているツールの中から小さなルーペを引っ張り出して中の紙幣の一枚をそれで観察する。
フィクサーという特殊な役職についているスカーだからこそ出来る所行、彼女には紙幣の表面印刷を観察するだけで偽札か本物かの判断が出来るのだ。
「……どうやら、偽札ではない様ですわね」
「当然だ、この後に及んで貴様らをだまし討ちするような真似などするか」
スナが言う。取り敢えずは取引は成立だ。
それを聞いたシセルはふん、とため息を一つ付くと脇に忍ばせていたファイルを渡す。情報屋の修道女から手に入れたものだった。引っ手繰る様にスナがファイルを受け取ると数枚書類を捲って、ぴたりと手を止める。
その目は驚愕に見開かれていた。
捲られた次のページにはあの写真が挟まれていた。
砂漠の中を駆け抜けていく謎の巨大な黒い物体……全体から鋭く尖ったスパイクを剥き出しになった殺意溢れる鉄塊だ。
「……それがあんたらの敵のオークどもが密かに建造していた装甲列車だ。外界から持ってきた設計図を元に作り出したもので、化け物みたいな威力の砲塔を幾つも積んでる。貨物の積載量も半端じゃない」
「く、こいつら……こんなものを我らの砂漠で走らせようというのか?!」
「おォい、お馬さんよォ。忘れちゃいねぇかァ?ここらには聖魔戦争の時にテンプル団のクソどもが物資運搬用に築いた線路が今でもそこら中に張り巡らされてる。砂の中に埋もれちゃいるが、あの馬鹿力の緑肌野郎どもにかかりゃそんなもんを退かすのなんて朝飯前さ」
動揺の色を隠せないスナを追い込む様にクロムがライトバンのボンネットの上に腰掛けながら言った。
どう考えてもブラッド・トレイル49だけの力で解決出来る問題ではなくなっていた。
「その上、だ。あんたらの仲間が一人殺されたのは知ってる……それも相当無残な方法でな。上半身を切断し人間の部分と馬の部分を切り離したそうじゃないか……すでに息絶えた亡骸を弄びやがった」
「……私の側近だ。最も信頼していた人物だった。なのに私たちは不完全な葬儀しかしてやれなかった、残った胴体だけを埋葬する羽目に。ふざけた話だ」
死の悲しみは、とうに乗り越えたのだろう。スナは冷静に語る。しかしその瞳の奥にはまだ復讐の炎が消えていなかった。
「……そこに突き刺さってるのが、お前のその側近だろうな……確認してみろ。どうしてもこいつをお前に渡したかったのは、その為だ」
シセルはスナの瞳の中で揺らめく炎の色に見覚えがある。自身も燃やした事のあるその炎…いや、今なお燃えているかもしれないその色は決して忘れる事が出来ない。
角膜に焼き付いた光景は目を閉じればすぐに浮かぶ。それはきっと目の前の相手も同じだろう、こいつと私は同じ種類の人間なのだと意見の相違でいがみ合いながらもそういった同族意識の様なものがシセルの中で芽生えつつあった。
スナはシセルが指差した写真の箇所を見れば、すぐに口を閉じて飛び出そうになる誰に対するでもない怨嗟の言葉を堪えた。
シセルが指で指し示した場所。幾つも装甲の上から飛び出たスパイクの一つに突き刺さった上半身はスナの側近の肉体だった。
「……必ず敵を討つ、シスターフッド・オブ・ナイト・ミスト……協力すると言ったな……?過酷な任務になるぞ」
「当たり前だ、この問題はあんたらだけの問題じゃない。あの化け物みたいな乗り物が砂漠を越えてウチらの街の近くまで来たら大事だ。そうなる前に奴らを一人残らず皆殺しにしてやる」
夜の砂漠に吹き荒ぶ風が二人の中にある炎を消す事は無い。
自らの手でも消す事の出来ないその煉獄の炎は、体の内側をゆっくりと焦がしていき骨の髄まで焼き尽くして灰になるまで燃え続けるのだ。
しかしこの暴力と死に満ちた暗黒の世界で灯火となるものは、その復讐の炎のただ一つしか無い。
だから二人は今宵協力するのだ。
何処にたどり着くかも分からない迷宮の様な世界から抜け出す為に……。
より暗い場所にたどり着くか、一筋の光明を見つけ出すか……それが分かるのはまだ先の話だ。
シスターフッド・オブ・ナイト・ミスト 発狂大臣 @dokumusi_1
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