第4話 白き子狐と秘伝の書


「秘伝の書からメガ・ヴィランが……!?」

「そういえば、さっきのお兄さんが、父様に術を教えたって言ってた」

「マジかよ。じゃあ、お嬢の読みどおり、術が原因か!」

「どんな術かは知らないけど、元々は書かれるはずのなかったものだもの。ストーリーテラーが見逃しておくわけがないわ」


 術がヴィランを生み出すことも、ストーリーテラーがヴィランを送り込むことも両方考えられるが、どちらにしても術がある限りはヴィランが発生し続けるのだ。

 元凶が何か明確になった瞬間、常葉の纏う空気ががらりと変わった。


「じゃあ、あの妖怪さんが、父様の仇なんだね?」

「常葉?」


 刺さるような鋭い気配に、四人は驚いて常葉を見る。

 幼いその顔に愛らしさはない。ただ、憎悪に満ちた目でドラゴンを見据えていた。耳がピンと立ち、尾の毛が逆立っている。

 常葉の片手に光の片鱗がどこからともなく集まり、一振りの大太刀を形成した。


「あのお兄さんも、あの本も、全部……!」

「ストップです。常葉」

「いてっ」


 今にも斬りかからんばかりの常葉を止めたのは、背後から脳天に手刀を落としたシェインだった。

 何事だ、とエクス、レイナ、タオの視線がシェインに向けられる。

 常葉は痛む頭を片手で押さえつつ、犯人であるシェインを恨めしげに振り返って見た。目尻に浮かんだ涙のせいであまり怖くない。

 シェインは手刀の形をそのままに、左手を腰に当てて淡々と言った。


「事を急いて見誤ってはいけません。元凶はロキって人と、本に記された術です」


 ロキが言っていたように、『空白の書』を持つ常葉が影響を及ぼしていた可能性もあるが、ここまで長い時を共に過ごしているのだ。今さら、常葉が原因で『運命の書』に疑問を抱いて亡くなったとは考えにくい。

 ならば、残る原因は一つだけだ。


「でも、秘伝の書にあの術が書かれていなかったら、父様は死ななかった」

「そうかもしれません。けれど、あの本はあなたのお父さんの形見の一つなのでしょう? なら、本を消さずに術だけを消してしまえばいいんです」

「術だけを……? あ、そっか!」


 術が記されているのは最後のページだ。その部分さえ処分できれば、秘伝の書は無事に手元に残すことが出来る。

 シェインに言われて気づいた常葉は、改めて秘伝の書へと視線を移す。

 次々とヴィランを生み出す秘伝の書。元凶であろう術。

 父は、どんな最期を迎えたのだろうか。目の前に現れたヴィランに易々とやられるようなことはないはずだが、たった一人で大量のヴィランと対峙し、生きて帰るために戦ったのだろうか。

 ただ、疑問はやはり、父の体に傷一つなかったということだが。

 常葉は大太刀の柄をぎゅっと握りしめると、これから始まるであろう戦闘に心を落ちつかせるために息を吐いた。

 変に力の入る常葉を見て、シェインがその背を軽く叩いて緊張をほぐしてやった。


「難しい話ではありません。シェイン達もいます」

「……ありがとう。シェインお姉ちゃん」


 父と違って、常葉には戦ってくれる仲間がいる。

 今さらながらに気づかされ、常葉はふわりと笑んだ。

 タオは自身の『運命の書』を取り出すと、栞を挟みながら言った。


「さぁ、まずはここのヴィラン達をぶっ飛ばしてくぜ!」


 まずは目の前のヴィラン、そして、メガ・ドラゴンを倒す必要がある。

 五人の体が光に包まれ、ヒーローへと転じたと同時にドラゴンが森の木々を震わせる大きな咆哮を上げた。

 それを合図と言わんばかりに、ヴィラン達も一斉に襲いかかってきた。

 メガ・ドラゴンは最奥だ。口から炎の塊を吐き、標的にされていた常葉はそれを横に跳んで避ける。メガ・ドラゴンに近づこうにも、手前に蠢くヴィランが邪魔で上手く進めない。

 すると、盾を持つ蜂のようなヴィランを槍で串刺しにして消したタオが声を張り上げた。


「メガ・ドラゴンには剣の方が利く! エクス、常葉はメガ・ドラゴンを集中的に狙え! 周りは俺達が片づける!」

「了解!」


 ハインリヒの槍がヴィランを薙ぎ払い、後衛からのアンガーホースの援護によってメガ・ドラゴンまでの道が徐々に開けてくる。

 それでも、まだ道を塞ぐヴィランを見て、サヴァンは大剣を大きく振りかぶった。


「駆け抜けろよ? ジャック」

「え?」

「一刀両断! ってな」


 エクスもといジャックにそう言った直後、サヴァンは光を纏う大剣を振り下ろした。大剣がヴィランを地面ごと抉り、メガ・ドラゴンまでの道が開ける。

 サヴァンはジャックを見ずに叫んだ。


「走れ!」

「あ、ああ!」


 一瞬、呆気に取られてしまったジャックだったが、すぐに我に返ると開けたヴィランの波間を駆け抜け、メガ・ドラゴンに辿り着く。

 大きく口を開き、食らいつかんと迫ったメガ・ドラゴンに、サヴァンは怯むことなく剣戟を浴びせる。背後に回り込んだジャックが高く跳躍してメガ・ドラゴンの首を斬った。鱗が堅いせいで剣は通りにくいが、ダメージは確実に与えられている。

 ヴィランがサヴァンとジャックめがけて動き出すも、ハインリヒとアンガーホースがそれを阻む。また、傷ついたとしても時計ウサギが即座に回復をしてくれるおかげで、動きに支障はない。


「父様の仇!」


 サヴァンの声ではあるものの、高く跳躍した常葉は渾身の一撃をメガ・ドラゴンに叩き込んだ。

 最期の叫びを上げ、メガ・ドラゴンの体が地面に倒れ、煙となって消えた。

 身軽に着地した常葉は、振り返ってメガ・ドラゴンの消滅を確認すると、本から栞を抜きながら喜色を浮かべる。


「よし! これで本は大丈――」

「いえ、まだよ!」


 声を上げたのは、コネクトを解いたレイナだ。

 メガ・ドラゴンの後方に落ちていた秘伝の書だったが、再び独りでに浮き上がり、紫の煙を纏いながら開かれる。

 次は何が現れるのか。ヴィランか、それとも上位であるメガ・ヴィランか。

 やがて、光と共に現れたのは、端が破けたような布を纏うメガ・ヴィラン――メガ・ファントムだった。


「またかよ!?」

「メガ・ヴィランを連続で出現させるとは、なかなかやりますね。秘伝の書」

「えへへ。褒められちゃった」

「そこ! おふざけは禁止!」


 感心するシェインに常葉が何故か嬉しそうに照れた。

 一喝したレイナによって二人はぴしりと口を閉ざし、メガ・ファントムに向き直る。

 臨戦態勢の五人を見据えていたメガ・ファントムだったが、何を思ったか、五人には背を向けずに森の奥へと吸い込まれるように下がって行った。


「え? に、逃げた!?」

「ああ! 秘伝の書が!」

「どういうつもり……?」


 まさかの行動に誰もが驚いた。

 しかも、メガ・ファントムはちゃっかりしていると言うべきか、下がる途中、地面に落下していた秘伝の書を拾い上げ、そのまま持って行ったのだ。

 メガ・ファントムの意図が分からず、果たしてすぐに追いかけてもいいものか。

 悩むレイナの耳に、常葉が何かに気づいて上げた声が入った。


「あれ?」

「常葉?」


 秘伝の書以外にも何かあったのか、とエクスが言外に問いかければ、メガ・ファントムが消えた方向を見ていた常葉の表情に困惑と焦りが浮かんだ。


……」

「え? お父さんの気配って……どういうこと?」


 常葉の父は亡くなったはずだ。ならば、気配がするのはおかしい。

 だが、説明を求めようにも答えを知りたいのは常葉も同じだ。その上、常葉の焦りは別のことにもある。


「しかも、あっちは僕の仲間がいる方角だ!」

「ええっ!?」

「まさか、やられる前にここを壊すつもりで……?」

「そ、そんなぁ!」


 妖狐達ならばある程度は戦えるだろうが、問題はヴィランへと変貌してしまう可能性があることだ。常葉の母は話を聞く限りでは最も強いのだろうが、それでも、多勢ともなれば不利にもなる。

 涙を浮かべる常葉を見て、エクスは自身の『運命の書』を持つ手に力を入れた。


「早く追いかけよう!」

「ですね」


 メガ・ファントムはまだ距離が近いのか、気配は色濃く残っている。

 見失う前に、と五人は地を蹴った。

 途中、やはりヴィランの妨害には遭遇したが、すぐにヒーローとコネクトし、道を切り開くことに専念して先を進む。

 そして、山の麓でメガ・ファントムの姿を捉えることが出来た。

 身軽なシェインと常葉が高く跳躍し、メガ・ファントムの前に回り込んで行く手を遮る。


「そこまでです。ここから先へは行かせませんよ」

「…………」

「秘伝の書、返してもらうからね! あと、父様の気配がする理由も教えてもらうから!」

「いや、言葉は通じないと思うんだけど……」


 びし、とメガ・ファントムを指さして声を張り上げた常葉だったが、彼の父の気配がする理由については教えてもらえない気がする。

 ツッコミを入れるレイナの傍らで、エクスは一旦、ヴィラン発生の原因を食い止めるべきだと反対にいる二人に言った。


「常葉、シェイン! よく聞いて! メガ・ヴィランを倒したら、すぐに秘伝の書を取り返すんだ! 次のヴィランが生まれる前に!」

「常葉には辛いかもしれないけど、人間の術が書かれたところを破れば、恐らくヴィランの発生は止まるはずよ!」


 エクスに続けてレイナも大声で言えば、常葉はやや間を置いたものの、しっかりと頷いた。


「……うん。元は秘伝の書にはなかったものだもん。大丈夫。もし、母様に何か言われたら、僕がちゃんと説明する」


 破られた秘伝の書を見たら、母は間違いなく怒るだろう。だが、母は怒鳴る前に必ず理由を聞いてくれるのだ。話さえ聞いてもらえれば分かってもらえる。

 外見が幼い割にしっかりしている常葉に、レイナは小さく笑みを浮かべた。


「偉いわね。じゃあ、任せたわよ!」

「了解!」

「合点承知です」

「行くぜ!」


 タオの一声で五人は再びヒーローとコネクトする。メガ・ファントムも応戦態勢に入り、周囲にヴィランを発生させた。

 だが、五人にとってヴィラン退治はすっかり慣れてしまったもので、少しの時間稼ぎ程度にしかならない。

 あっという間にメガ・ファントムを追いつめたとき、常葉は何故、父の気配がするのか合点がいった。

 メガ・ファントムから気配を感じるのは、『ある物』のせいだ。


「嘘だ……」


 アランの力を借りていた常葉が愕然と呟く。

 震える手から杖が落ち、その場に両膝をついた。

 突然の異変に、そばにいたレイナが声をかける。


「常葉?」

「なんで、あいつが父様の宝珠を持ってるの……!?」

「はぁ!?」

「ちょ、ちょっと待って。どういうこと?」


 メガ・ファントムに一撃を浴びせようとしたタオだったが、常葉の言葉を聞くなり寸でのところで止め、距離を取ってコネクトを解く。

 エクスに力を貸しているジャックも困惑で攻めの手を止め、導きの栞を抜いた。

 常葉はコネクトを解いて胸の前で鞠を持つように手を掲げると、ゆっくりと目を閉ざした。両手の間に淡い光が発し、一つの水晶玉が現れる。


「妖狐には、霊力を貯めておく宝珠があるんだ。これを取られると僕達は死んじゃうの。だから、普段は隠しておくんだけど、でも、なんで……」


 困惑したまま常葉はメガ・ファントムを見る。外見には宝珠らしき物は見えないが、体内に取り込んでいるのだろう。常葉にはしっかりと親しんだ霊力が感じ取れた。

 すると、目の前で何度も人がヴィランへと変貌する様を見てきた一人であるシェインが、あることに気づいてぽつりと零した。


「もしかして、常葉のお父さんは、ヴィランになりかけていたのでしょうか? 最後の足掻きで宝珠を切り離し、ヴィランになるのを避けようとしたけれど、切り離した宝珠がメガ・ヴィランへと変貌してしまったのでは?」

「おいおい、それってつまり……」

「はい。自殺行為ですね」


 あっさりと言うシェインだが、その表情はどこか険しい。残された家族を思えば、簡単に言えるものではないと分かっているからだ。

 宝珠を握る常葉の手に力が入る。容易く割れるような物ではないが、どこかに叩きつければ話は別だ。あるいは、常葉が託された大太刀であれば、真っ二つに斬ることは出来るだろう。

 だが、どちらも妖狐自らが行うには相当の覚悟がいる。

 シェインは常葉の言葉を思い返しながら、彼の父は自殺行為を出来るほどに追いつめられていたのだろうと考えた。


「でも、仲間はもちろん、人間と親しかった常葉のお父さんからしたら、ヴィランになって誰かを傷つけるくらいなら……と考えたのではないでしょうか?」

「父様……」


 特に、父は人間と親しかった妖狐だ。仲間は距離を置いていたが、父だけは接していた。

 それを思い浮かべれば、父が自ら宝珠を破壊した理由も何となく分かった気がした。

 俯いた常葉にとって、メガ・ヴィランとの戦いは苦痛でしかないだろう。何せ、宝珠に残るのは父の魂とも呼べる霊力であり、宝珠の破壊は父を手に掛けるのと同義になるのだ。

 タオは常葉の頭に手を乗せ、最終確認のために問う。


「常葉。あのメガ・ヴィランを倒すのが嫌なら俺達がやるぜ?」

「…………」

「外見はああでも、中身はお前の親なんだ。無理しなくていい」


 妖狐にとって宝珠が命と同じならば、いくら見かけが親とは掛け離れていても倒すのは難しいだろう。

 現に、宝珠を持つ常葉の手は先ほどから小さく震えている。

 常葉はタオを見上げたあと、ゆっくりと視線をメガ・ファントムに向けた。

 こちらの動向を伺っているのか、それとも、中にある父の宝珠が動きを止めさせているのか、メガ・ファントムはじっとしたままだ。

 まるで、父が「止めてくれ」と言っているような気がして、常葉は一度、きゅっと口を引き結んでからしっかりと言った。


「……ううん。僕もやる」

「大丈夫か?」

「うん。父様は、仲間はもちろんだけど、人間も守るのが僕ら妖狐の役割だって言ってた。恩を仇で返しちゃいけないって」


 あのメガ・ファントムを放っておけば、被害はどんどん拡大するだろう。そうなれば、この世界は壊れてしまう。

 タオ達がいればそれも防がれるだろうが、果たして自分がそれで満足できるのか。父の言葉を、意志を知る自分が、状況を知っていた上で何もしなくて納得できるのか。

 宝珠を仕舞った常葉は、代わりに『運命の書』を持ち直した。


「父様が守った世界を、壊させやしない」


 常葉の目に迷いはない。

 タオはエクス達に目配せをすると、自らも『運命の書』を開いた。


「よっしゃ! タオ・ファミリー、喧嘩祭りの始まりだぜ!」


 五人が空白のページに栞を挿し、光に包まれる。

 メガ・ファントムが初めて咆哮を上げ、周りにヴィランが発生した。

 サヴァンが大剣でヴィランを薙ぎ払い、ジャックは飛来した矢をしゃがんで避けると、足を伸ばす反動で地を蹴って蜂のようなヴィランを斬る。メガ・ファントムが連続で放ってきた黒い影の塊をハインリヒの盾が防ぎ、止んだところで突きを食らわせた。


「退け! 邪魔だ!」


 鬱陶しい、と言わんばかりに声を上げたアンガーホースが放った火球は、地面から火柱を上げながら目の前のヴィランを一掃。また発生するヴィランを、時計ウサギではなくアリスにコネクトしたレイナが早々に斬りつけて消滅させた。

 秘伝の書から発生していたヴィランだが、段々と発生のペースを落としている。無限に湧き続けるわけでもないようだ。

 全員が攻めに徹していたためか、気がつけば残すはメガ・ファントムのみとなっている。


「一気に畳みかけるわよ!」

「常葉。大丈夫?」

「……うん」


 レイナの一声でタオとシェインも一気に攻め込む。ただ、常葉はやはり動きが止まっており、エクスは一旦、彼の隣に立って問いかけた。

 返答までに間はあったものの、常葉の――正確にはサヴァンだが――目に迷いは見えなかった。

 紫の光の柱で吹き飛ばされる三人に代わって、エクスと常葉が地を蹴って斬りかかる。態勢を立て直した三人も加勢し、五人で攻め込めばさすがのメガ・ファントムも一溜まりもない。


「――最後くらいは自分でやれよ」

「……ありがとう」


 ふらふらとするメガ・ファントムを見て、サヴァンは栞を抜いた。

 常葉は姿が戻ったのを確認すると、別空間に置いている大太刀を出現させて握りしめる。


「常葉!」

「父様の宝珠、返してもらうよ!」


 タオが叫ぶと同時に、常葉は高く跳躍。

 振りかぶった大太刀をメガ・ファントムに叩き込む。


「グオオオオォォォォ……!」


 最期の雄叫びを上げ、メガ・ファントムの姿が消える。そして、中にあった宝珠が出てきた。

 ひび割れていたそれは、常葉が視認するのを待っていたかのように、はっとして手を伸ばした常葉が宝珠に触れる前に砕け散った。


「っ!」


 きらきらと、粉々に砕けた宝珠の欠片が太陽の光を受けて乱反射する。

 父はもうこの世にいない。宝珠が残っていたのは、あくまでもメガ・ファントムが取り込んでいたからだ。

 砕け散るのは当たり前のことだが、また父を失ったようで胸が張り裂けそうだった。

 だが、常葉に感傷に浸っている暇もない。

 まだ完全に終わってはいないのだ。


「常葉! 秘伝の書!」

「う、うん!」


 消滅する際に飛んだのか、メガ・ファントムが消えた場所より少し後ろに秘伝の書が落ちていた。

 一番近い距離にいた常葉は、慌てて秘伝の書に手を伸ばす。

 常葉が拾い上げれば、秘伝の書からは再び紫色の煙が溢れ出した。


「うわわ。また出ちゃう!」

「常葉、急いで!」


 レイナに急かされ、常葉は震える手で本を開き、人間の術が記載されたページを出した。

 やはり、何と書かれているかは分からないが、字は紫色の光を放っている。元凶はこれで間違いないだろう。

 ページの端を破ったところで一瞬、躊躇ったものの、一呼吸置いてから手に力を込めて引き裂いた。


「これで、終わりだ! ……あ、あれ?」


 破いた一枚の紙から煙は溢れている。それどころか、常葉を飲み込まんと紙片を掴む指先から腕を伝ってきていた。


「うわっ!? 何これ!?」

「常葉! それを離して!」

「は、離れないよ!?」

「はぁ!? どういうことだ!?」


 レイナが叫ぶも、常葉の手から紙片は離れようとしない。

 四人が慌てて駆け寄ろうとしたとき、地面に散らばっていた宝珠の欠片が青白い炎を灯した。

 無数の火の玉となったそれが宙を浮き、ひとつの炎の塊へと収束すると、一匹の青い炎の狐が生まれた。


「炎の、狐……!?」

「ヴィランか!?」

「いえ、これは違うわ」


 新しい敵か、とタオが即座に構えるが、レイナがそれを制止した。

 炎の狐は常葉が持っていた紙片に食らいつくと、そのまま燃やし尽くしてあっという間に消えてしまった。


「収まった……?」

「みたいだな。最後の狐はなんだったんだ?」

「恐らく、常葉のお父さんですね」

「子供の危機を前にして、じっとしていられなかったんでしょうね」


 宝珠に残っていた霊力で、常葉の身を守ったのだ。

 霊力が尽きたことで宝珠は完全に消えてしまったが、常葉は一瞬だけ触れた炎の狐から、確かに父の想いに触れられた気がした。


(……ありがとう、父様)


 右手を見つめていた常葉は、手に残る微かな温もりを逃がすまいとぎゅっと握りしめる。

 そんな常葉の頭に、ぽん、と何かが乗せられた。


「常葉、よくやったわ」

「うーん。僕と言うより父様な気はするけど……」

「最終的にはそうかもしれないけど、破いたのはあなたよ。あれがなければ、まだヴィランが出てきたはずだもの」


 ページを切り離さなければ、最悪、秘伝の書ごと処分しなければならなかった。被害が最小限に抑えられたのは、常葉がページを破ったからだ。

 きょとんとレイナを見上げていた常葉は、褒められたことが嬉しくも気恥ずかしくもあり、はにかんで返した。


「ありがとう。レイナ、お姉……ちゃん……」

「と、常葉!?」


 突然、糸が切れたようにレイナに倒れ込んだ常葉に、咄嗟に支えたレイナは驚いた。

 まさか、ストーリーテラーがカオステラーへと変貌してしまったのか。常葉に取り憑こうとしているのか。

 冷や汗が流れたレイナだったが、常葉の様子を看たシェインは、「前言撤回です。やっぱり、まだまだ子供みたいですね」と小さく笑みを零した。


「寝ちゃってます。あれだけ派手に立ち回りしてましたし、当然と言えば当然ですね」

「よ、良かったぁ……」


 ヴィランに追いかけられ、秘伝の書を奪われた上に、慣れない人間と行動を共にしていたのだ。いくら信頼してくれていたとはいえ、無意識の内に疲れは溜まっているだろう。また、『導きの栞』でのヒーローとのコネクトは体力や精神力を削られる。

 秘伝の書も無事に手元に戻ってきた今、張り詰めていた緊張の糸が切れて寝てしまったのだろう。


「ははっ。そんじゃあ、一件落着ってことで、村に帰るか。常葉は俺がおぶって行ってやるよ」

「そうだね。あの男の子も無事か確かめないといけないし」


 タオはレイナに手伝ってもらって常葉を背中に乗せる。

 山を下りている今、村はもうすぐそこだ。村に発生していたヴィランも消えたのか、黒く犇めく影は見受けられない。

 五人が村の入り口付近に到着したとき、駆け寄って来たのは村人らしき一人の青年だった。


「ああ、良かった。見つかった!」

「『見つかった』?」


 青年とエクス達は初対面だ。また、青年の視線はタオが背負う常葉に向けられている。

 そこで、四人は常葉の姿を隠していないことに気がついた。


「やべっ。常葉の耳と尻尾……!」

「その必要はありませんよ」


 焦るタオに、青年は安心させるようににっこりと笑みを浮かべた。

 一足先に青年の正体に気づいたのは、やはりと言うべきか、シェインだった。


「あなたは常葉のお仲間さんですか」

「「「ええっ!?」」」

「首領……常葉のお母様から、彼を連れ戻すよう仰せつかっております。今は村近くのため、こうして村人の姿を借りているのです」


 青年――人の姿をした妖狐は、シェインの言葉に頷いてから答えた。そして、常葉の姿が見えない上に縄張りを荒らすヴィランを見つけたことで、仲間総出で常葉を探していたと話す。

 だが、子の危機に真っ先に駆けつけそうな母の姿はなく、レイナは訝る視線を青年に向けた。


「どうして、常葉のお母さんはいないの?」

「常葉が“悪しきもの”に触れられたとき、首領が全霊を持ってして防いでいたのですが、その反動か倒れてしまいまして……。代わりに私がお迎えに上がった次第です」


 どうやら、常葉がヴィランに変わらずに済んだのは常葉の母の影響だったようだ。

 そんなことが可能なのか、と三人がレイナに視線を向けるも、レイナにも初めてのことだったため、はっきりと「できる」とは言えなかった。

 青年はタオの背で眠る常葉を見て表情を和らげた。


「ふふっ。力を使い果たして寝るとは、さすが親子ですね。あとは私が仲間の元までお連れします。どうもありがとうございました」

「任せていいんだな?」

「大丈夫です。この子に何かあれば、即座に私の上に雷が落ちますから」


 苦笑を零す青年は、どうやら、母直々の監視付きのようだ。雷については常葉も口にしていたため、彼の言葉に偽りはないのだろう。

 託すことにまだ不安はあるものの、タオは彼に常葉を預けることにした。

 青年は常葉を背負うと、丁寧にお辞儀をしてから村から離れて山へと向かって行った。

 その姿が見えなくなったところで、四人も村に足を踏み入れた。


 少年を隔離した小屋に向かえば、常葉の結界は形を無くしていたものの、中にいた少年は無事、父と再会を果たしていた。父は妻と共に別の場所に隠れていたようだ。他の村人の姿もある。

 戦闘などのおかげで村は荒れているが、これから徐々に元の形を取り戻せるはずだ。

 少年の安否を確認したエクス達は、常葉に別れを惜しまれる前に想区を出ようと決めて村を出ることにした。

 『空白の書』の持ち主は、長く滞在していれば想区に影響を及ぼすことがある。そのため、問題が片づけばすぐに旅立つのがエクス達のいつもの流れだった。


 想区の外に出るために歩いていたエクス達だったが、遠くから四人の名前を呼ぶ声がして足を止める。

 見れば、仲間の妖狐に託したはずの常葉が全力で走ってきていた。


「お兄ちゃーん! お姉ちゃーん! 待ってぇぇぇぇ!!」

「いつかの新入りさんを思い出しますね」

「えっ!? 僕、あんな感じだった?」


 「いつか」というのは、エクスが一行に加わったときのことだろう。

 まさか、他の者で自分の過去を見ることになるとは思わなかった。

 追いかけられては足を止めないわけにはいかず、四人は常葉が到着するのを待つ。

 だが、エクスのときと違って、目の前まで来た常葉は足がもつれたのか盛大に転けた。


「あうっ!」

「だっ、大丈夫!?」

「ううっ……痛い……」


 慌てて転けた常葉に駆け寄れば、彼は自力で体を起こした。痛みで目尻に涙が浮かんでいるが、幸いなことに怪我はしていない。

 エクスは常葉に手を貸して立たせてやると、服についた土や草を手で払ってやった。


「ありがとう……って、そうじゃなくって! もう! なんで僕に言わないで行っちゃうの! 村にいると思って行ったら、こっちに向かってる姿が見えたから焦ったよ!」

「ごめんね。でも、僕達も次に行かないといけなかったから……」


 まさか常葉が追いつくとは思わなかった。秘伝の書について、仲間に説明はしたのだろうか。

 気になったエクスは、先ほど常葉を託した青年を思い浮かべつつ訊ねる。


「それより、随分早かったけど、仲間の方は大丈夫だったの?」

「うん。秘伝の書については、母様が責任を持って管理するって。僕や他の妖狐がドジして何かあっても困るから、これからは口承にするのが安全だろうって言ってたよ」


 秘伝の書が再び奪われるようなことがあったとして、そのときも取り返せるかは分からない。ならば、最初から持ち出されないように管理をしておけば良かったのだ。

 また、口承となれば、これから常葉が特訓をするときも、今回のように一人で行う心配がなくなる。


「そうか。じゃあ、これからの特訓は、ちゃんと誰かに見てもらえるんだな」

「あ、それなんだけどね。僕、もう少し勉強をしたら、旅に出ようかと思うの」

「え?」

「『空白の書』を持ってると、母様が危ない目に遭うかもしれないんだよね? だから、今すぐは難しいけど、でも、なるべく迷惑はかけたくないし、皆を守りたいから……」

「常葉……」


 今回の一件で、常葉にとっては知らないほうが良かったと思える事実を知ってしまった。

 必ずしも世界を歪めてしまうわけではないだろうが、可能性はゼロではない。

 視線を落とした常葉だったが、彼はすぐに顔を上げると困ったように笑みを浮かべた。


「僕に母様達みたいな物語はない。けど、ないからこそ、僕は自由にできるんだよね? だから、今日から日記をつけてみようと思うの」

「日記?」

「そう。『僕はこういうことをしてきたよ』っていう、物語を残したいの。それでね、えっと、その……お願いがあるんだけど……」

「何かしら?」


 空白であることに惑い、常葉がヴィランへと変わろうとしていたとき、常葉を導いたのは紛れもなくエクスの言葉だった。それがなければ、あのとき、常葉はヴィランへと変わっていただろう。

 歯切れの悪い常葉にレイナは優しく続きを促す。

 すると、常葉は真剣な表情でレイナ達を見て言った。


「僕が旅に出て、お姉ちゃん達にもし、再会できたら、それまで書いた日記を読んでほしいし……えっと、一緒に行っても、いいかな……?」

「え?」


 確かに、レイナ達は旅をしている。だが、それは想区の中での事には収まらず、各世界を転々としているのだ。

 果たして、意味を理解できた上で言っているのか、と誰もが困惑する中、唯一、レイナだけがしっかりと頷いた。


「分かったわ」

「本当!?」

「おいおい、お嬢。本気か? 俺らは……」


 想区を理解できていない常葉に、一から説明をするつもりなのか。

 しかし、レイナはタオの言葉を片手を挙げて制すると、彼の予想どおり、一から説明した。


「常葉。この奥にある『沈黙の霧』については聞いたことがある?」

「あの霧なら、母様に近寄るなって言われてるけど、レイナお姉ちゃん達はそこから来たんだよね? こことは違う世界から」

「知ってたの?」

「母様が教えてくれたの。母様は、父様があのロキって人に教わったことを聞いたって。それで、お兄ちゃん達も同じなんだろうなって思ったの」

「マジかよ。余計なこと吹き込みやがって……」


 大抵の場合、レイナが調律を施せば想区の住人からレイナ達の記憶は抜けてしまうが、今回はあくまでもカオステラーが発生していたわけではないため、調律を行っていない。つまり、エクス達のことをずっと覚えているのだ。

 それが及ぼす影響は計り知れないが、かといって、沈黙の霧は『空白の書』の持ち主以外は基本的に通れないため、外に出ることはないだろう。常葉はともかく。

 四人の不安をよそに、常葉は自身に渡された導きの栞を取り出した。


「あ、そうだ。これ、返しておかないと駄目だよね?」


 ヒーローとコネクトするための導きの栞。

 両面それぞれに青と黄色の紋章が浮かぶそれを見たレイナは、首を左右に振ってから常葉の手に自らの手を重ねた。


「日記をつけるなら、どこまで書いたか分かるように栞が必要でしょ? だから、この栞はあなたが持っていて」

「栞の使い方」

「タオ」


 まさか、ヒーロー達も本来の用途で栞に使われるとは思ってもみないだろう。

 小声でツッコミを入れたタオをエクスが制する。

 しかし、常葉とレイナは二人のやり取りを気にすることなく話を続けた。


「持ってていいの?」

「私達に会うためにはここを出る必要がある。その時、これがあれば、あなたは一人じゃないでしょ?」


 沈黙の霧は、一人で入るには常葉には厳しいだろう。だが、導きの栞ではヒーローの存在を感じることもできる。

 気休めにしかならないだろうが、ないよりはマシだ。


「世界はとても広いの。でも、導きの栞が、きっと私達の所まで案内してくれると思うわ」

「え? そんな機能――」

「タオ兄」


 導きの栞同士が引き合わせる機能について、タオは初耳だ。確認するための言葉は、今度はシェインによって遮られたが。

 だが、常葉には聞こえていなかったのか、導きの栞をまじまじと見つめるとそれを胸元で大事に握った。


「ありがとう、レイナお姉ちゃん。僕、絶対、皆を追いかけてみせるよ」

「どういたしまして。あ、でも、危ないことをしちゃ駄目よ?」

「歩きながら本を読んだりとかね?」

「まだそれ言うの!?」


 レイナに続けて揶揄するエクスに、常葉はまたもや出会ったときを思い出して慌てる。

 これからは誰かがそばで特訓を見てくれるのだ。もう一人で危ない目に遭うことはない。

 タオは常葉の頭を軽く叩くように撫でながら笑顔を浮かべた。


「どれだけ強くなったか、見せてくれよな!」

「楽しみにしていますよ」

「うん! 僕、タオお兄ちゃんとシェインお姉ちゃんをびっくりさせるくらい強くなるからね!」


 想区を出れば時間軸は大きく変わってしまう。次に会う常葉が、果たしてこの想区でどれくらい過ごした常葉になるのか。

 逆に、成長して変わりすぎた常葉だと気づかないだろうか、とエクスは内心で小さく笑みを零した。


「それじゃあ、元気でね」

「お兄ちゃん達も気をつけてね! “行ってらっしゃい”!」


 常葉に見送られ、一行は想区を出るために歩き出す。

 その背が見えなくなるまで、常葉は手を大きく振り、姿が森の奥に消えると腕を下ろして気持ちを落ち着かせるように大きく深呼吸をした。


 ――またね。お兄ちゃん、お姉ちゃん。いつか、また会えた時は、僕の話をたくさん聞いてね。

   僕の、僕だけの空白物語を。



「……あ! 母様に稽古をつけてもらうんだった! 早く帰らないと!」





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白き子狐と秘伝の書 村瀬香 @k_m12

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