『男女比 1:30 』 世界の黒一点アイドル、のマネージャー

ヒラガナ

『男女比 1:30 』 世界の黒一点アイドル、のマネージャー

「読みなさい」


上司から言葉少なげに1枚の紙が突きつけられる。

受け取りたくないな、マヤは心底そう思った。


対面する上司は『部長』という肩書きが板に着く40代の女性。いつもならメイクで隠しているシワが、今日はくっきり見えていた。それだけ顔を歪めてしまう何かが、この紙にはある。


「失礼します」

だが悲しいかなマヤに拒否権はない。おずおずと受け取り、一読する。



うわっ!



「先月の男性を狙った暴行事件のデータ……ですか」


「そうです。そして、私たちが無能な給料泥棒である証拠でもあります」



マヤの職場は『男性生活安全局』である。その名の通り、国の宝である男性の生活が安全であるよう支援する国家機関だ。


中でもマヤの部署は、多発する男性被害犯罪の防止を受け持っている。


「件数が3年前の今頃に比べ、10%も増えています。これが如何に由々しき事態か、説明はいりませんね?」


「は、はぁ」


ここ数ヶ月、犯罪件数は悪化の一途を辿っている。

原因は1年前の流行病だ。

咳と熱が酷い風邪の上位互換みたいな病で、元々女性より身体の弱い男性の少なくない数が犠牲になった。


ただでさえ、希少な男性がさらに減ってしまったのだ。


先日発表された人口統計によれば、この国の男女比はついに『1:30』になったらしい。

男性には最低5人の妻をめとるよう義務づけられているものの、それが焼け石に水の現状だ。

結婚できなかった者は精子バンクによって子孫を残すしかない。


既婚者は『男性を獲得するほど優秀な女性』と周囲から羨望の目で見られ、社会的地位も高い。そのため、誰もが婚活に命をけている。


下手な戦場より過酷と呼ばれる婚活戦線は男性の減少によって地獄と化し、パートナーを得られなかった敗残兵の多くが自棄を起こして犯罪に走っている。


犯罪者となった女性の気持ちはよく分かる。マヤとて未婚者だ。時々、狂おしいほどに男性を求める衝動に駆られる。


でも、あたしは男性生活安全局の一員なんだ。ちゃんと職務を全うしないと。


犯罪悪化の流れを止めるためマヤたちの部署は、男性とその家族を対象にした防犯セミナーや、独身女性たちへ冷静になるよう啓蒙活動を行ってきたのだが……



全然効果出てないわね。

そんな簡単に解決する問題じゃないのは分かっていたけど。はぁ……


極度の脱力に襲われるマヤに、容赦のない部長の言葉が降りかかる。



「とにかく新たな対策書を来週までに提出しなさい。いいわね!」







「そんなこと言われてもなぁ」

終電まで粘ってあれやこれや考えたが、ぽんぽん妙案が出れば苦労しない。

白紙の対策書を鞄に入れて、すっかり暗くなったアパートまでの帰り道を歩く。

その歩みに警戒の色はない。20代の崖っぷちに立つマヤを好き好んで襲う輩などいるものか。


「あっ、流れ星」


何気なく眺めていた空を流星が走った。



神様、どうか現状打破してこの国を救ってください。少なくともあたしを救ってください。


子どものように、星に向かってお願い事をしてしまった。どうやら自分は自覚している以上に疲れているらしい。



苦笑しながら再び歩きだそうとしたマヤの背後から、その声はかけられた。



「あの~、夜分にすんません。ちょっとお聞きしたいことがあるんスけど」



「えぅっ!?」



振り返ると男性がいた。

なんだこれは意味が分からないぞ!


「ふぅえいぃびゅぅ」

マヤは激しく狼狽した。これまでの人生で経験のない奇怪なドモリ方をしてしまうほどだ。



落ち着いて、これは幻よ。

こんな真夜中に人気のない場所に男性が一人でいるなんてありえない。妄想にしても滅茶苦茶過ぎる。


しかもこの男性……凄くカッコいい。



マヤの知っている男性と言えば、普段引きこもっているため肌は不健康なほど白く、体型は運動をしないので丸くなっているか、逆に小食でガリガリかどちらかだ。

何より軟禁に近い人生で、光の灯らない目をしている。


それが目の前の男性は、というと。



健康的な日焼けの肌、鍛えているのか服の上からでも分かる引き締まった身体、そして整った顔立ちの中でも一際輝いている目には覇気と活力が溢れんばかりだ。


天使か、この人は天使なのか?



マヤは男性に近づいた。


あたしが作り出した妄想なんだから、少しくらい手を出してもいいよね。


男性の腰に抱きつき、顔面を腹部に押しつける。

スンスン、ペロペロ、スンスン、ペロペロ。


こりゃ最高だわ!


男性から香る匂いと、男性の汗を吸収したシャツの味。

それは嗜好の品だった。言い値で買っても一片の後悔もない。


「はっははは、くすぐったいっスよ。お姉さん」


男性がマヤの肩に手を置き、丁寧に引きはがした。


「なんか疲れているみたいですけど、ここは一つ。俺にお力を貸してくんないっスか?」


あれ……これヤバくない?


錯乱していた頭が徐々に戻ってくる。


匂いをかいだ嗅覚が、汗の味を楽しんだ味覚が、男性を抱きしめた触覚が、この人は本物だと訴える。



「も、もうしわけありませんでしたあああああああああああああああああっ!!」


マヤは全力の土下座を敢行した。頭を固い地面にすり付けて、ひたすらに謝る。


男性を襲ってしまった。変態的行為をしてしまった。

男性生活安全局員の自分がやってしまった。

マスコミがこぞって「男性を守るはずの局員が~」と非難の報道をして局の信用は地に墜ちるだろう。

部長に殺される。いや、その前に警察に捕まって社会的に死ぬ!



頭がドス暗い未来予想図で一杯になる。


おわった、あたし……おわった。



「いやいや、ちょっとビックリしましたけどそんなに気にしてないっスから」


「えっ!?」


「ほら、立って。服が汚れちゃいますよ」


男性がマヤの手を取って、引き上げた。


なんて慈悲深いの。天使ってもんじゃないわ。男神おがみ、そう男神おがみよ、このお方は!


マヤは思わず手を合わせて拝んでしまった。


「あたしに出来ることがあれば、何でも協力させていただきます!」


「おっ、心強い! じゃ早速訊きたいんっスけど」


男性はポリポリと頭をかきながら言った。


「ここ、どこっスか?」









「とんでもない人を保護したわね、マヤ」


「あたしもまさか外国人とは思いませんでした」


部長とマヤ、2人は部長机を挟んで頭を抱えた。


男性は『タクマ』と名乗り、『ニホン』という国の出身だと言った。


ニホンなる国は世界のどこにもない。

それに話を聞くと、そのニホンは男女比1:1の夢のような国らしい。


始めは嘘だと疑ったが、タクマが持っていた小型の通信機の画面にはマヤの知らない文字が踊り、保存されていた画像データには男たちがたくさん写っていた。


騙すためにしても用意周到過ぎる。


「あの小型通信機、すまーとふぉんと呼ばれている物なんですけど、未知の技術が色々使われているみたいで科学局が大騒ぎになっているそうです。それにタクマさんが持っていた紙幣には偽造防止用に透かしという機能がありまして、国家銀行の方で参考にする動きがあります」


「さながら彼は男性型オーパーツなのね。ニホンの捜索はどうなっているの?」


「現在、局を上げて行っていますが成果は出ていません。その地域でしか使われていない呼び方かもしれないと思って、各国から情報を募っていますが……いっそタクマさんは宇宙人か異世界人だと思いたくなります」


マヤの報告に部長は深いため息をついて、顔を上げた。


「しかし、たとえ彼が外国人でも宇宙人でも異世界人でも、私たちがやるべき事は変わりません。タクマ君を保護してこの国での生活を安全にする。いいですね?」


本来、犯罪防止を目的としたマヤの部署がタクマの生活を支援することはない。

だが、身元がはっきりしない男性の保護というのは男性生活安全局始まって以来のケースであり、局員たちはどう対応すべきか迷い……紆余曲折の末、第一保護者であるマヤの部署が先頭に立ちサポートする体制が何となく固まってしまった。


「余計な仕事を増やすな!」と部長や同僚から叱られるんじゃないか、とマヤは危惧していたが



「いろいろご迷惑だと思いますが、みなさんよろしくお願いしまっス」


タクマが部署のみんなの前でそう挨拶したことで、すべてが許された。むしろ全員がウェルカムだった。


「みなさん、タクマ君が安心して暮らせるように頑張りましょう!」


「「「「「はいっ!!」」」」」


美麗の貴公子が自分たちを頼っているのだ。これで燃えなきゃ女じゃない。







「その、タクマさんの生活に関してなんですが」


マヤが今回の報告で一番告げにくいことをどう切り出そうかと悩みながら口にしたところで


「しつれいしまーす」


後方の部署の扉が開き、耳当たりの良い声がした。



「あらあら、タクマ君。どうしたの?」


深刻だった部長が破顔して、タクマを迎える。


タクマは男性と思えないくらい神経が図太いらしく、異国で独りだというのにまったく悲観していない。

「まっ、なるようになるっしょ」とあっさり現状を受け入れていた。



「あっ、どもども。みなさんお疲れさまっス」

部長机に至る道すがら、タクマは働く人々に笑顔を振りまく。タクマが通った場所では歓喜の極みの局員たちがだらしない顔を晒している。


あれはもう一種の生物兵器ね。


マヤは危機感を持ったが、そういう彼女の口元も緩みに緩んでいる。



部長机の前に来たところでタクマは緊張なく言った。


「こんにちは部長さん。今日はお願いがあって来ました」


「うんうん何かしら?」


「俺にアイドル活動をさせてください」


部長の笑顔が固まる。「あいどる?」


「歌ったり踊ったり、あと演じたりする人のことです。この国にもありますよね、アイドル」


「え、ええ。アイドルは知っていますが、それをどうしてタクマ君が」


「俺、日本ではアイドルやっていました。自分で言うのも何ですけど、結構有名だったんスよ。で、ここではみなさんに保護されてタダで飯を喰わせて寝床を用意してもらっているじゃないっスか。それって申し訳なくて、何か手伝いをしようと思ったんス。それで色々考えたんですけど、俺が出来ることってやっぱアイドル活動しかないなって」


「そ、それはまあ殊勝な心掛けで……」


部長がチラッとマヤを見る。「アイドル活動だなんて、なんで止めなかったのよ!」と目が言っている。

「止めようとしたんですけど、聞いてくれないんですよぉ」マヤも目で答えた。



マヤの国では男性の仕事は家事手伝いがほとんど。たまに絵画や彫刻など芸術の分野で働く男性もいるが、どちらにしろインドアである。

男性の外出には護衛が必要であるし、常に暴行や誘拐の危険がつき纏う。

男性の家族が、男性を外に出したくないのは無理らしからぬ事なのだ。


それなのにタクマは、衆人環視の中で働くアイドルをしたいと言う。断食5日目の肉食獣の檻に3つ星レストランの最高級肉料理を放り投げるのも同然だ。



「タクマ君の気持ちは本当に嬉しいのだけど、それを認めるのは難しいと思うのよね」

部長がやんわりと断ろうとするも、それでタクマが止まるならマヤでも説得出来ただろう。


「分かってますよ。俺が実力を示していないから、デビューを認められないってことっスよね」


いや分かってない、全然分かってないよタクマさん!


マヤは内心でツッコミを入れるが無意味だ。


「じゃあ、今ここで俺の実力を測ってください」


あれ?

遅ればせながらマヤは、タクマが何かを背負っていることに気づいた。彼の顔ばかり見ていて視野に入っていなかった。


あれは……ギターケース?


「ここの局員さんの中に音楽活動している人がいたんで、借りたんスよ」


そう言いながらタクマはケースからギターを取り出した。


一朝一夕では得られない堂には入ったギターの持ち方には、なるほど彼がアイドル活動をしていたというのは本当らしい、という説得力がある。


「え、た、タクマさん。もしかして演奏するんですか?」


困惑する局員たちを代表してマヤが尋ねる。


「お仕事中すんませんが一曲だけお願いします! ぜひ、俺の歌を聴いてください」


歌! 男性の歌!! しかも生!!!


周囲がどよめく。男性生活安全局に勤めながらも男性とまともに会話したことがない局員だっている。

そんな中で話をするどころか歌をうたうと言う。

男性の歌だなんて、既婚者か父親がいる家庭でなければ耳にする機会は皆無だ。


ごくっ……と数人が生唾を飲み込む。もはや仕事どころではない。

部長はその空気を察したようだ。


「それでアイドル活動を認めるかは別として、1曲だけ許可しましょう」


「あざっース!! んじゃ、助けていただいた感謝を込めて、歌わせてもらいます!!」



タクマは熱唱した。

それは歌と言う名の快楽攻撃だった。


彼の歌の出だしでマヤの腰が砕ける。立っていられなくなった。

部長は顔を真っ赤にして鼻血を垂らす。それをティッシュで止めるのも忘れてタクマを注目し続けた。

局員の数人は意識を手放す。その顔は幸せそのものだった。



「以上っス! 聴いていただきありがとうございましたっ!」


曲が終わり、タクマが一礼する。

パチパチと鳴った拍手は僅かなものだった。タクマの歌が悪かったからではない。拍手するほどの余裕が聴衆になかったのだ。


フラフラと何人かが「しゅ、淑女に戻るために」と呟きながらトイレを目指して出て行った。



「あー、どうでした部長さん。なんかみんなのノリが良くないみたいだし……もしかして、俺の歌ってこの国じゃ受けません?」


「あっ、いやそんなことはないけど」


むしろ受け過ぎよ、とマヤは思った。未だに足に力を入れなければ立っていられない。

タクマの歌は比喩でなくマヤを骨抜きにしてしまうパワーを持っていた。


こんな歌を世間に発表したら、私の国はどうなっちゃうの。


マヤとしてはアイドルなんてとんでもない、という判断だったが部長は違ったようだ。


「……タクマ君。もしかしたらあなたはこの国の救世主になれるかもしれないわ」







一年が過ぎた。


マヤにとって激動の一年だった。

その総決算が、今始まろうとしている。



「いよいよね、マヤ」


「部長……ええ、こんなに早くここまで来れるなんて思っていませんでした」


「ふふ。タクマ君の歌を聴いた瞬間から、私にはこの風景が見えていたわよ。それと、私のことはプロデューサーと呼びなさいって言ったでしょ」


「なら、あたしもマネージャーって呼んでください」


2人がニヤリと笑い合ったところで、大歓声が上がった。

舞台にタクマが登場したのだ。


国内最大のミュージックホール、収客人数2万をデビュー1年で満席にしたアイドルのライブが始まる。



国内どころか世界初の男性アイドル。

しかもそのビジュアルは御伽噺の天男てんおも裸足で逃げ出すほど、歌唱力は女性顔負け、演奏も巧く、パフォーマンスで見せるダンスはキレッキレ。

これで人気が出ない方がおかしい。


タクマがデビューしてすぐ国民全員が熱に侵された。

タクマの曲は飛ぶように売れ、タクマを特集する雑誌は発売1時間で書店から消えた。

タクマの歌を聴かず、写真を見ずに1日を終える人なんているのだろうか。それくらいタクマは浸透している。



その人気はすでに不動であるが、そこをさらに盤石にするこのライブは些か奇妙であった。


まず、警備員の数が規格外だ。

ホールのドアと言うドアには2人以上の警備員が立っているし、ホール外にもわんさかと配置されている。

さらにタクマが歌うステージの周辺には警備員だけでなく、3メートル級の透明な壁が設置され、観客席からステージに乱入出来ないようになっている。


それだけでも十分に奇妙だが極めつけが、観客が全員座っていることだ。


このライブは立つことが禁止されていた。観客は椅子に座るとシートベルトを締めることが義務づけられる。ライブ中はベルトが自動ロックされ外すことが出来ない。無理に外そうとすれば微弱な電流が流れる仕組みになっている。


ライブ中にトイレに行きたくなったらどうするのか、という懸念はあったがタクマの身の安全の前に淑女の尊厳は無視された。



「みんな、俺のために集まってくれてありがとう!! 今日という日を最高の日にしてみんなに刻み込むぜ。俺の歌に着いて来い!!」


タクマが歌い出し、黄色い声がホールに轟く。

タクマは麻薬だ。女性を否応なく興奮させ、快楽の奔流に叩き落とす。


マヤと部長を始めスタッフ一同はあらかじめ興奮抑制剤を飲んでいるので何とか耐えられるが、観客はというと……


マヤが観客席に目を向けると、熱狂する人々の間にポツポツと意識を失った人たちが見受けられた。


まあ、そうなるわよね。あの歌は男性と縁のない人には刺激が強すぎるし。


意識不明者の所へ行くようスタッフに指示を出す。記念すべきタクマのライブに死人を出すわけにはいかない。



ライブを成功させる。

それが本来の仕事そっちのけでタクマのマネージャーとなった、ファンクラブ会員No.2のマヤの使命だ。






「ライブ大成功でしたね、プロデューサー」


「ええ、みんなの働きがあってこそよ、マネージャー」


ライブの翌日。

男性生活安全局に登庁したマヤはファンクラブ会員No.1の部長と互いの労をねぎらった。


「読みなさい」

部長から言葉少なげに一枚の紙が突きつけられる。

これは良い報告だな、マヤはそう思った。


対面する部長は喜色満面だ。それだけ顔を微笑ませる何かが、この紙にはある。



「ここ1年間の男性を狙った暴行事件のデータ……ですか」


「そうです。そして、私たちの活動が、職務を忘れてタクマ君に入れ込んでいたのではない、という証拠でもあります」


犯罪件数は劇的に減っていた。

去年の同じ月より40%も少ない。


「昔、ある国で禁酒法が施行されました。その結果がどうなったかはマネージャーはご存じ?」


「たしか裏で酒を売りさばくマフィアが現れ、治安が悪化しましたよね」


「その通り。人間というのは抑圧すれば反発するものです。この世界は常に男性不足で抑圧状態にあります」


「だからプロデューサーは周囲の反対を押し切ってタクマさんをアイドルにしたのですか、世間のガス抜きのために?」


「それもありますが」


「が?」


「彼という存在を埋もれさせるのは人類にとって最大の損失だとは思わない?」


部長はいたずらっぽく笑った。マヤも釣られて笑みを浮かべる。



タクマはこの国を変えた。

「結婚は出来ないけど私にはタクマ君がいるから。むしろその辺の男で妥協した奴より私の方が幸せ! タクマ君は私の夫!」と未婚女性の欲望と不満の吐け口となり、世の男性の防壁になってみせた。


男性としても、同じ男が頑張って活動するのをテレビで観て、良い方向に感化されているようだ。

無気力に生きていた旦那が趣味を見つけて元気に暮らしている、という報告がいくつか男性生活安全局に届いている。


タクマのアイドル活動はまだまだこれからだ。それによって世界がどうなるのか、マヤの胸が高鳴る。




「それでね、マネージャー。タクマ君を歌だけでなく、ドラマに出演させる話なのだけど」


「恋愛ドラマですよね。今までは中性的な女優が男性役をやっていましたが、ついに男性が男性役をする、ということですでに話題に上がっていますよ。なかなか続報がありませんが」


「相手役のオーディションがようやく終わったらしいの。妙齢の女優のほとんどが受けたから選考に時間がかかったみたいね。見事選ばれた女優は、役者生命をけてやりますって張り切っているそうよ」


役者生命を懸ける、それは大袈裟な言葉ではない。いや、足りないくらいだ。


懸けるのは役者生命ではなく、生命。


ドラマとは言えタクマさんと恋愛をするのだから、嫉妬に狂ったファンに刺されても不思議じゃないわね。

マヤは冷静に予測した。



「ドラマの撮影の件はスケジュールに入れておきます。それとこれはまだ噂の段階なんですが、隣国がタクマさんを招きたいと言っているそうです」


「なにそれ初耳よ」


「何でも隣国の王族全員がタクマさんの大ファンらしく、ぜひ生の歌声を聴きたいと」


「でも、隣国って今情勢が不安定じゃない。危険だわ。男性の国家間の移動はほとんど前例がないし、国内の移動だけでどれだけの警備員や護衛を動員しているのか、隣国は分かっているのかしら」


「国家間の摩擦にならないよう政府の方で断ってほしいですね」


「ええ、隣国に行ってそこで万が一タクマ君が誘拐されたら、戦争よ。冗談でなく本気のね」


2人が、スケールを増していくタクマのアイドル活動に不安を覚えない日はない。



「報告は以上です」


「ありがとう。あっ……マヤ。この間の怪我はもういいの?」


「はい、もう治りました。防刃ベストを着ていましたから大したことなかったです」


「私も着ようかしら」


「それなら一緒に防弾チョッキも買った方がお得ですよ」


1年前のあたしが聞いたから「なにこの物騒な会話」とビビったでしょうね。


マヤは自分が遠いところへ来たのだと実感する。



先ほどのドラマの女優よりも危険なポジションにマヤはいる。

この世界でもっともタクマといる時間が長いのはマヤだ。

そのマヤに嫉妬したり、亡き者にして後窯を狙う者が後を絶たない。


マネージャーを辞めたい、そう思ったことはある。


でも……




「おはようございまーす!!」


快活な声が部署に響きわたる。タクマだ、今日も元気全快だ。


「みなさん、昨日のライブは本当にお疲れさまでした。みなさんがいなかったらあんなに良いライブは出来ませんでした。ほんと感謝っス」


ぺこぺこと局員たちに頭を下げて、タクマがマヤたちの所へ来る。


「部長さん、マヤさん。俺、これからもっともっと頑張りますからサポートお願いしまっス!」



タクマは麻薬だ。女性を否応なく興奮させ、快楽の奔流に叩き落とす。

そしてこの麻薬の一番厄介なところは中毒性にある。

タクマと知り合ってしまったら、もう離れることは出来ない。どんなに止めようと思っても止められない。

たとえ連れ添うことがどんなに危険でも、だ。



あたしは、この世界の黒一点アイドルのマネージャー。この仕事は誰にも渡さない。


タクマの顔を見ながら、マヤは力強く決心するのだった。

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