第5話 一輪のうどんの花が散る

 「なあ。」翌朝葱人は詰問する。「お前、どうやってうどんに変身・・・」

 「お前って言わないでください。」橘音は言い返す。

 「ああ、何だよ!ああ!」葱人は激しく地面を踏んだ。「むかつくこと言う!むかつくこと言う!」

 「殺したければどうぞ!」橘音は自棄半分、計算半分で演劇的に叫ぶ。「ああそうよ。わたしはどうせうどん!あなたの好きに捌けばいい!」

 「くそっ!」葱人は包丁を地面に投げる。そしてそのまま後ろの壁に寄りかかり号泣する。「ううううぅ!僕はどうしちまったんだ!」

 ここで、橘音はふと疑問に思い、葱人を哀れに感じた。まるで何かに憑かれているのを苦しんでいるようであったから。

 「あなた、大丈夫?」

 「ああ、ああ。」葱人は投げやりに言う。「あの時、本当に空腹だった。そして君の、その、うどんが本当に美味しそうでそれだけで頭がおかしくなりそうで、それが君に変身しちまったのを見た時、理解ができなくて、もう、もう、」葱人はハンケチで鼻を噛む。「完全に虜になってしまったんだ。」

 うどんになった時の自分が人を狂わせる事を知っていた。それがここまで・・・。彼は以前はそれほど異常な人間ではなかったのだろう。ただただ、不幸の偶然でここまで狂った行為をするに至ったのだ・・・。

 「あなたの事はわかったから、」橘音は何を言おうか考えあぐねた。「せめて、ここから出してくださらないかしら?」

 「ダメだ!絶対に!」葱人は激昂し、次に泣き崩れる。「君のうどんが食べたいんだ・・・わかるか・・・この苦しみ・・・うどんが・・・うどんが・・・食べたいよおぉ・・・」

 どうすればいいのだろう。どうしてあげればいいのだろう。少しばかりの憐憫の情があるものの、一方でこんな奴に自分の身を捧げてなるものか、という抵抗感も激しい。

 「少し一人で考える時間を下さい。できるだけ長く。」

 そう橘音が言うと、珍しくおとなしく葱人は引き下がる様子を見せた。橘音が食べ終えた丼を持って部屋を出た。

 あれから何時間、何日この部屋にいたのかよくわかっていない。それほどまでに単調な監禁生活を送っていた。

 この地獄のようにつまらない日々を終わらせるには二つの選択肢しかない。食べられてしまうか、それか説得して出してもらうか。はっきり言って、彼女にとって、自分の身を犠牲にしてまで苦しみを解き放ってあげようという程の愛を彼に抱く事はなかった。仮にこの事件が何とかなったとして、第二第三の彼が現れる事を想像すると途方も無い気持ちになる一方で、だからこそこんな事で諦めてはいけないとも考える。

 どう説得しよう。まず、変身の条件に嘘をつこうと考えた。たしか監禁される前は月が満ちる前だったからもうすぐである。あれから何日かは・・・意識が混濁してよくわからない。それまでのタイムリミットである。とりあえず満月になると変身する、という事を一切伝えず、嘘情報で何とか切り抜けよう、と考える。

 この手があったか、とふと橘音は合点する。あることないことをでっち上げて、逆に葱人を操作し返すのだ。今の彼の狂気のすべてはうどんに変身する自分を見たい一心にある。だから、「乱暴にあつかったらうどんに変身できない」「よくわからないけどちゃんと会社に出勤しないとだめっぽい」などとでっち上げて外出し、会社にいき、上司と相談し、そして通報する。このプランが現状完璧であると閃き思わず心がキュンとする。それは彼への恋では決して無い。




 「それで、考えた結果どうなったんだ」夕方、葱人は尋ねる。

 「あなたを救うためにうどんになる方法を考えた。」橘音はやや早口で用意した台詞を言う。「だけど、どうも今のままだとだめかもしれない。」

 「だめ?なぜ?」

 「それが、私でもよくわからないんだけど・・・」その時橘音は足に違和感がある事に気づく。どんぶりに変化している。

 「え。」

 「どうした?」

 「いや、あの、その」窓の光は暗くなってすでに夜となり、月の光が降り注ぐ。

 「はぁ?」橘音の足はテーブルの下なので何が起きているのか立っている葱人からは死角となっており状況を理解していない。

 「なんでこのタイミングなの、嘘でしょ・・・」そう言いながら徐々に自分の体が足の方に引きずられるのを感じる。滑るように丼に体が吸い込まれたので、葱人からは橘音の座高が急に縮んだように見えた。

 「え?」葱人はようやく不思議に思って橘音の横に回る。

 「見ないで、見ないでぇ!」橘音は叫びながらうどんに吸い込まれていく。葱人の目が輝く。

 「これは・・・・・!」

 「お願い、食べないで・・・」橘音の懇願する顔が丼に映り、その顔はすぐに麺状に分裂した。

 椅子の足元に置かれていたうどんを机の上に置いた葱人は、心臓が激しく高鳴るのを感じた。うどんになったあの子。橘音に用意するはずだった割り箸を取り、それを割る。その箸をうどんに近づける。

 (食べないで・・・)

 橘音の顔が脳裏に浮かび、手が止まる。自分はなんて酷い事をしているんだ、という良心の呵責が葱人の中に一瞬よぎった。しかし橘音から香る芳しき香り。ああ、たまらない。食べてはいけない。食べたい。背徳感と食欲の葛藤。それは葱人の中のあらゆる欲望を刺激する。胸は再び高鳴る。涎も口蓋に蓄積する。葛藤の末、葱人は箸を丼の麺の中に突き刺す。そして停止する。

 (どうだ・・・痛いだろ・・・!)

 そう勝ち誇ったように思いながら、箸を丼から離し、そしてまた突き刺す。丼から離し、突き刺す。その振幅は速度を増し、もはやミシンのようにうどんの丼の底に向けて箸をぐさぐさと突き刺した。

 (人間の時は強気だったが、うどんだと無力だな!)

 そして今度はうどんをゆっくりとかき混ぜる。きっと彼女は、内臓がかき回されるようなひどい痛みに苦しんでるに違い無い。かき混ぜる度に葱人の中で黒々とした背徳感が沸き上り、それが愉しみをもたらし、絞り出すように笑いが出る。

 「くっくっくっく・・・ふははははははははは!!!」

 笑いながら葱人はうどんを激しくかき混ぜる。汁が溢れんばかりにだ。

 「ふははははは!ふはははははははは!ふはは!」

 そして麺を箸でつまみながら、「まずは一本吸ってやろうか?ちゅるるるるる〜」と言って吸い上げる。モチモチの食感にからむ昆布だしのやわらかな風味。うまい。うますぎて「いっひっひっひっひ」と激しい引き笑いをする。そして一本、また一本麺を吸い上げ、その度に葱人は発汗していく。

 「いひひっひひ・・・・ふひひふひゃぁあっ!!!!」

 次にかまぼこをつまみ、「これは君の肝臓かな?」といって一口にぱくりと食べる。工場の練り物とは違い、ふんわりとしつつ、しかししっかりもしつつという硬さのバランスを絶妙に保っており、それが魚肉のほのかな甘みと絶妙に沿っている。それを口の中で咀嚼しながらそれが粉々になっていくのを確認して悦に浸る。「これは心臓かな?」といって小松菜をひょいと口に運ぶ。うどんの昆布の汁気が茹でた青菜の青臭さと不協和音と協和音の絶妙なハーモニーを引き出している。ああ、ただでさえ美味いのに、あの子のものだと思うと、狂おしく、狂おしく、脳が麻痺せんばかりのエクスタシーに誘われる。

 中身が全部無くなって汁だけが残った時、葱人は丼を頭上に掲げ、「これが君の、体液・・・!」と言いながら丼を傾けてうどん汁を洗礼のごとく頭から被る。服はすっかり汚れ、あたりはうどんの匂いでたちこめていた。丼を机に置き、窓を見る。満月。そうだ、俺はまるで狼のようだ。満月のように丸い丼のうどんを求めて飢えて襲いかかる狼よ。



 その満月が、雲にかかり、月の光が弱まった。


 血生臭い匂い。


 蒸せ返る。


 服が赤黒く濡れていた。

 葱人は「ひっ」と悲鳴をあげる。


 視界に白い見た事の無い何かが映る。

 机の上に人骨が積み上がっていた。



 それは紛れもなく、




 橘音の



 白骨。






 「うあああああああああああ!!!」

 葱人は絶叫した。


 ふたたび月は雲から姿を表した。


 机の上には空の丼が乗っていた。


 再び葱人は絶叫した。

 「うあああああああああああ!!!」





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うどんむすめ NUJ @NUJAWAKISI

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