第4話 監禁、責苦

 目を覚ませばそこは見知らぬ部屋。腰と足が椅子に縛られている。すぐに、男の笑い声が聞こえる。

「ははははは、どうやら君は罠にひっかかったようだ。」

 わざわざ言わずともそんな事は知っている。「何するの。あなただれ。」橘音は単刀直入に問いかける。

「僕はしがない会社員、白井しらい葱人ねぎと、28歳。僕は君に、恋をしたのだ。」

 唐突なおぞましい告白に橘音は絶句した。

「うどんから現れた君の、その、か、可憐な姿を忘れた時はなかった。」葱人は橘音の周りを闊歩しながらいじらしく語る。「毎日君を思ってうどんを食べていた。うどんを食べる度に君の姿が思い浮かんで狂おしい日々だったよ。」葱人は橘音の二の腕を舐め回すように見ながら言う。「やっぱり君はなんて、うどんの麺のようにたおやかなんだ・・・」

「帰して。」橘音は目も合わせずにぼそりと言う。

「まあまあ。」葱人はにこりと笑う。「名前教えてよ。」

 橘音は何も言わない。すると葱人は急に橘音に接近し、「名前教えろ?」と静かな声で恫喝する。「ヒッ・・・・!」橘音は怯えて、「の、能勢田、き、橘音、です・・・」と答える。

「きつね、と、ねぎ。」葱人はすぐに元の温和な顔になり、その場に座る。「同じうどんのトッピング。僕らはまるで神様によって引き合わされたみたいだね。」

「お願い・・・帰して・・・。」

「どうしてそんな嫌がるのさ。これを見てくれ。」葱人は木の机の引き出しを開けて、その中に入っている小さなケースを開ける。本来の縦どころか、横にも真っ二つに割れた割り箸がある。

「これなんだと思う?」

 橘音は首を振る。

「うどんを食べてたらね、君の事が恋しくなって思わず折ってしまった箸さ。」葱人は笑いながら包帯の巻かれた右手を向ける。「君と僕の、記念品。」

 なんでこんなやつに自分の正体を明かしてしまったのかと、橘音は自棄な気分になりつつある。

「ねえ、うどんになってよ。見たいから。」葱人は言った。

「無理です。」

「うどんになれ!今すぐにだ!」葱人は怒鳴る。

「無理です!私も望んでなってるわけじゃないです!勝手になるんです!」

 腹が鳴った。橘音の胃の中で飢えが舞い踊っていたのだ。場は一気に静かになり恥ずかしそうに下を向く橘音。そんな彼女にアルカイックスマイルを向ける葱人は、先ほど引き出しを開けた方とは違う、キャスター付きの机を橘音の前に移動した。机の上には新品の割り箸がある。

「お腹を空かせた愛しい人のために、ご飯振舞ってあげる。」

 そう言って葱人は部屋を出る。この部屋には小さな窓があり、すでに朝らしい。今日は土日なものだから、姿を消しても誰も怪しまれない。万事休す。

 戸口からいい匂いがする。まあ食事を提供してくれるのならマシなものか、と橘音はちょっと考える。でも仕事はどうする。脱出できるのか。彼は平気で恫喝するような男だ。こまった・・・。

 葱人は丼を持って現れる。橘音は察して青ざめた。

 「さあ、食べて。」

 机の上にうどんが置かれていた。葱人は包丁を持っており、橘音に向けている。

 「・・・・嫌・・・・。」橘音はつぶやくように言った。

 「どうしてだい?自分を思い出すからかい?」葱人はにこりと笑う。「いいから食べなよ。」

 箸を持って、震える手でうどんの麺をつかもうとする。麺をつつくだけで、まるで自分の体がつつかれたような気分で「ヒッ」と声を上げる。

 「そうそう、その調子。」葱人は慈母の微笑み。

 再び麺をつつこうとしたとき、"痛いよぉ"と確かに橘音の脳裏に声がした。うどんが確かに、その湯気の向こう側から橘音に訴えかけていた。"殺さないで。痛い目にあわせないで。"

 「・・・ごめんなさい。」橘音は声を漏らした。

 「ごめんなさい?僕の作った料理が食えないというのか?」葱人は冷たい口調で言う。

 「ちがう・・・うどんに謝ってるの・・・。」

 「うどんに・・・おひょっ!」葱人は奇声を発した。「うどんに変身するばかりか、こうまでうどんに感情移入してしまうとは!ますます、これは・・・!」葱人は悶える。「おぉぉおおおっ・・・おおおおおおおっ!!」

 「黙ってて。」橘音が強い口調で言うと葱人は激昂する。

 「黙れ、黙れだと?」葱人は包丁をつきつける。「うどんがなんだ。うどんを作ったのは、この僕だ。この僕が君の食べる、君に食べてあげるために作ったんだ。僕が決める。いう事を聞かないと本当に君をうどんの具材にして食ってやる。」

 橘音は身震いする。両指で額を押さえ、覚悟を決める。そして丼を抱擁する。

 「お姉さんを恨まないでね、坊や。お姉さんも人として生きなきゃいけないの。だから・・・」

 "・・・わかってる。" うどんの声。"だから僕も覚悟を決めた。こんな優しいお姉さんだったら、僕、食べられてもいい。僕の分、生きて。"

 「坊や・・・。」橘音は涙を流し、そして箸を取り、泣きながら麺を一本取る。

 "あうっ・・・" うどんの悲鳴。

 「ごめんなさい、ごめんなさい。」

 "ひいぃ・・・" 吸い上げる時の身悶えするような悲鳴。橘音も脇腹が痛くなるが、その痛みをも我慢して無我夢中でうどんを食べる。

 "・・・うあっ、ひやっ、おうぇっ、んがっ、ぼごっ、ぐぁ・・・"


 美味しい・・・その事だけが救い。



 橘音は静かにトンと机に置いて、厳かに言う。

 「ごちそうさまでした。」


 丼の中にはもう何もない。


 橘音の心も、空っぽであった。

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