火群より紅い口付けを

相良あざみ

火群の日

 布一枚に覆われた私の身体は、度重なる責め苦によって癒えぬ傷が刻み込まれ、最早抵抗する僅かな力すら残されてはいなかった。

 荒縄が布越しに締め付け、そこから走る鋭くも鈍く重い痛みに、微かに呻くことしか出来ない。

 私と、私が括り付けられた丸太の足元へ藁や枝が重ねられていくのを、黙って眺めた。


 ――私は、死ぬのだ。これから、足元へ火をつけられて、焼かれて、苦しみ抜いて、死ぬのだ。


 遠くには、私を名ばかりの裁判にかけた者達が見物席を作って様子を眺めている。

 周囲はが火焙りになるのを見物しにやってきた者達が囲っている。

 騒ぎ立てる声は折り重なり、互いを喰らいあい、私の耳へ届く頃にはただの雑音と化した。


「これより、女神へ仇なす大罪人の処刑を行う」


 口角が知らず、持ち上がる。

 大罪人――どの口がそれを言うのかと。


 私はこれまで、全てを女神に捧げてきた。

 生まれも分からない私が女神へ仕えるようになったのは他に道がなかったからであったし、何より、とても幸運なことでもあった。

 それを悔いたことはない。

 誇りを持って女神へ仕えていたのだから、悔いる暇などはなかったと言ってもいい。

 田舎の小さな教会で孤児たちの世話をしながら、一日を平穏に過ごせたことに感謝する。

 食べ盛りの子供たちを飢えさせるわけにはいかないとあれこれ工夫をして、大変な日々ではあったけれど、とても幸せな時間だった。


「火を放て」


 それが変わってしまったのは、神父さまが亡くなってしまってから――正確に言うなら、本部から数人の関係者がやってきたことからだ。

 彼らは言った。

 ここを廃すと。

 私の身はどうなっても良いけれど、子供たちを放り出すことなど出来るはずもなく、懇願する私へ男たちは――手を伸ばしたのだ。

 素直に従っていれば、こんなことにはならなかったのだろうか。

 今更悔いたところで、もう、遅い。

 私は全て女神のものだと、これが教会の人間であるなど信じられない思いで拒絶する私を殴りつけ、嗤う。

 穢されは、しなかった。

 ただ――私が目を覚ましたときには既に、子供たちは、ひとりもいなくなっていた。

 売ったと言う。

 捨てたと言う。

 痩せて“具合”が良くないが好き者もいるだろうと、茫然とする私に下卑た嗤いを向けた。

 魔物の餌か、慰み者か、子供たちに幸せがあるとは、欠片も思えなかった。


 許せない。

 許されて、良いはずがない。

 男たちも――私自身も。


 信仰は、一瞬にして消え去った。

 女神が本当に私たちを救ってくれるものならば、許されるはずがない。

 それなのに、男たちは聖職者の立場を利用して、今までもこんなことを続けて来たのだろう。

 教会を呪った。

 女神を呪った。

 女神を信じていた自分自身を、呪った。


 男たちを殺して私も死のうと、それが子供たちへせめてもの償いだと本気で思って、机の上のハサミを持って男たちのひとりへ駆け出して――それが、この結果だった。


「燃やせ!」

「燃やせ!」

「魔女を焼き殺せ!」


 囃し立てる者達の、なんと愚かなことか。

 彼等は決して疑わない。

 魔女だと忌まれ、今まさに火刑に処されようとする私のこの姿が、明日の我が身か分からないというのに――自らがこの先も変わらず、傍観者であるのだと。


「……ゆるさない……」


 藁を赤が舐めていく。

 爪先から私を焼いて、立ち上る煙が喉へ入り込み、肺を潰していく。

 身体が勝手に流した涙は、天を貫かんとする熱が攫っていった。


「ゆるさない……ッ」


 息が苦しい。

 死ぬのだ。

 私はこのまま死ぬのだ。

 そう思うのに、炎よりも熱く煮え滾る何かが、私を内側から燃やしていく。


『ワタシのてヲトレ、ムスめ』


 脳髄に直接響く雑音に、短く息を洩らした。

 縛られているというのにどうせよと言うのかと、嘲り笑う。


『ワタシのなヲヨベ、ムスめ』


 変わらず淡々とした調子で響く雑音に、煙に塗れた唇を舐める。

 お前の名など知りはしないと、心の中で吐き捨てた。


『識って居る筈だ、娘』


 火群の向こう、浮かぶのは、闇よりも尚暗く、全てを飲み込む、黒。

 恐れか、もしくは、歓喜。


(――歓喜!)


 私の中で、何かが、弾けた。


「――ッ! 何が起こっている!?」


 男の悲鳴じみた声がその場を貫く。

 火刑場を取り囲んでいた者たちが、恐怖に戦慄き我先にと逃げ惑う。

 私を縛り付けた荒縄は焼き切れて、身を包んでいた安い布は炎と混じり合うようにして私の身体を舐めた。

 全てが作り変えられていく。


『産声を上げよ! 祝え! 呪え! 新たなる魔の娘の誕生を!』


 その身を包むのは、深淵の如き闇色のドレス。

 焼け爛れた左半身を覆うように足元まで伸びるのは、岩漿の如き火群ほむら色の髪。

 青白い目蓋を持ち上げたその下には、ブラッドストーンが如き昏き瞳。


「穢れた者達へ、火群の鉄槌を!」


 その日、刑場は炎に包まれた。

 異端者だとされた女を火刑に処すと決めた聖職者達も、女へ火をかけた騎士達も、周囲を取り囲み女の処刑を娯楽として見物した多くの者達も。

 全てが炎に包まれた。

 地面を転がろうと、水の中へ飛び込もうと、決して消えることのない炎によって、気が狂いそうになるほどの間、彼らは焼かれたのだ――それはまるで、火刑に処される罪人が如く。


 後に火群の日と呼ばれるようになったその日、世界へ産み落とされた災厄を人々は劫火の魔女と名付け、恐れた。

 灯された復讐の火が、世界を燃やし尽くすのはいつだろうか――。

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