第11話 終わりと始まり

ズシィン……ズシィン……


無言で歩みを進める一人と一匹の距離は、およそ2キロメートル。

しかし尋常でない大きさの身体を持つ彼等にとっては目と鼻の先と言って良い距離だった。トールレッグは、ダラリと下がって動かなくなった右腕を、生き残った方の腕で掴むと、もはや不要とばかりに力強くもぎ取る。肩口からは、黒いタール状の液体が滴り落ちた。


既に互いの間合いの中に入っている。殺し合いはいつ始まってもおかしくはない。まるで申し合わせたかのように同時に立ち止まった一人と一匹の間に、ピンと張り詰めた空気が流れた。


最初に動いたのは、トールレッグの方だった。巨大な質量が風を切り、台風のごとき風圧が生まれた。空を飛ぶ鳥は既に辺りには居ない。自然の生き物達は危機に敏感だ。不気味なくらいどこまでも続く静寂の中で、トールレッグの起こす嵐のような音だけが辺りに響いた。


それでも全く動こうとしないGの横へと素早く回り込み、掴んだままの右腕を武器として、ガラ空きの横腹へとそのまま突き刺した。しかし、黒光りするその身体に爪の先端が触れるか触れないかといったその瞬間、トールレッグの目の前いっぱいに広がる黒い巨体は突如姿を消した。


同時に交通事故にでもあったかのような衝撃が身体を襲う。視界がグルグルと回り、あらゆる構造物に身体を擦りつけながら地面を削っていく。うず高い瓦礫の山、その中からふらふらと立ち上がったトールレッグは、ほんの数秒間で変わり果てた姿となっていた。


既にGの力は、人智を越え異次元へと達していたのだった。


あれ程の巨体、あれだけの質量を持ちながら、認識が出来ない程に早いスピード。地球の物理法則からは当然逸脱していた。それはトールレッグとて同じ事ではあるが、Gの力はそれを遥かに上回っている。


灰色の身体からバチバチと火花を散らし、捻じ曲がって明後日の方向へ向いた脚を使って立ち上がるトールレッグ。ほんの一瞬を経て既に勝負は決していた。これが死闘。そこに茶番やお決まりは存在しなかった。


『ああああああああああ!!!!畜……生!!畜生ッ!!!』


機体のエンジンとなった抗体保有者は感覚を共有する。つまりそれが多かれ少なかれ、田所にどのような影響を与えるのかは想像に難くないだろう。ましてトールレッグの首はガクリと斜めに折れて、八つの目の赤い光はチカチカと消えかけているのだ。


何とか直立しているだけのガラクタと化した人類の最終兵器。それを少し離れた所から眺めるように、この死闘を制したGは見ていた。

もはや、この地上に敵はなし。しかし、食物連鎖の頂点たる人類を完璧に下したGは、喜びも興奮も示さず、静かに、ただ静かにそこに立っていた。



――――



「田所……ちゃん……逃げましょ……」


小さなコックピットの中は、今やディスプレイも配電盤も全てが剥がれ落ち、人間が後付けした全ての機能は役割を果たさなくなっていた。何とかガラクタの下敷きにならないよう、必死にその上によじ登っている丘山と、透明な箱の中で無傷でありながらも全身汗だくになりながら苦悶の表情を浮かべる田所とが、非常灯の薄明かりの中で照らされている。


「もうどこへ逃げたって同じですよ。」

「うふ、それもそうね……。」

「それより武器、武器を出して下さい!」

「まだあると思う?」


手をひらひらと振り、おどけてみせる丘山。搭載した兵器は、全て撃ち尽くしてしまっている。仮に残っていたとしても、コックピットがこの有様ではなす術がない。今だって、何故動いているのかも分からないくらいだ。


「いや、あるんです。」


田所は、真剣な表情で続ける。


「感覚で分かる。こいつは人間の作ったものなんかより優れたものを持ってるんです。でも、一体どこにあるのか……!!」

「まさか。私達は岩盤の下から発掘してから何十年もこの子を調べ続けてきたのよ。私達の載せた以外の武装なんて、身体のどこにも無かったわ。」

「きっと、外からは見つけられない所にあるんです。」


そう言って、トールレッグの視界を借りているのか、自身の身体をきょろきょろと見渡す田所。


「見つけられない、場所…‥?」

「そう、内部だ。内部にきっとある。どこなんだ、トールレッグ。G……いや、ゴキブリ共の天敵なら天敵らしく最期まで戦ってくれよッ!!」


ちくしょう、と透明な箱の内部を何度も叩く田所。

しまいに彼は頭を抱え、後ろ向きになってしゃがみ込んだ。そんな田所に尻を向けられた丘山に、ある種の電撃が走った。彼は、ある一つの発想へとたどり着く。それは馬鹿馬鹿しい程単純な答えだった。

トールレッグ――アシダガグモ。

蜘蛛の本来の武器、とは。


「田所ちゃん!!」



――――



目が霞む。人間共の作ったおかしな筒のせいだ。身体に突き刺さっているのは、今朝我々を苦しめた毒煙を出すものだろう。無事、父上は世界の外へと逃げられただろうか。どうか知性を、この星の我らの仲間に広めてくれる事を願う。


生命力の大半と引き換えに放った一撃は、目の前に立ちはだかる敵を再起不能なまでに打ちのめした。あの天敵の姿をした可笑しな人間のおもちゃは、今もグラグラと危ういバランスで立っている、いや、立ってはいるが数歩も歩かない内に地に伏せるだろう事は一見して分かった。手を下すまでもない。短くも壮絶な戦いは終わったのだ。


『……おい、お前みたいなゴミ虫には分からないだろうがな。』


そんな時、前方から雑音混じりの声が響く。おそらく最期の一言、かつて私達にとって絶対的だった存在、世界1DKの神だった男の遺言だろう。


『こんなどうしようもない俺にだって、人としての誇りはあるんだ。隅っこに残っていた譲れない誇りを、人としての誇りをかなぐり捨てる覚悟がどれほどのものか、お前らみたいなチンケな害虫には分かるか!?分からないだろうな!!』


今……この男は、我らには誇りがないと言ったか。この地球上で退化してしまった、我らの子孫を侮辱したのか。

……ふん、結局この期に及んでも何も分かっていないようだ。救えない、本当に人類は救えない。


「ギェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!!!」


吠える、絶叫する。

やはり愚かな人間を代表するこの男に引導を渡してやろう、今すぐに。焼けるように痛む身体を抑え、目の前に居る枯れ枝のようにやっと立っているガラクタに向かって走る。負傷しているとはいえ、こいつを殺すくらいなら訳はなかった。もう一度、圧倒的な質量を、ただ、真っ直ぐに、ぶつける!


が、奴が居ない!?上ッ!?


視界の隅に映った脚を追ってバッと天を仰ぐと、どこにそんな力が残っていたのか、跳躍する灰色の影が見えた。そして、その次の瞬間には、視界は真っ白に染まっていた。白!?糸だとっ!?思考が追いつかない。それに合わせるように、身体の動きが麻痺したかのように制限される。手足に力を入れるが、思うように動かない。


ジクリ

ジクリ

ジクリ


もがく私の背中から腹に向かって、突き刺すような痛みが何度も繰り返された。そんな、馬鹿な。必死に逃れようとする私の思いを無視するように意識はやわらかな光の中へ吸い込まれるように消えていく。

フラッシュ。

ホワイトアウト。



――――



ズシィン……。


ビルの崩落するような大きな音が、瓦礫と化した街一帯に響き渡った。その音の中心には、トゲの付いた何本もの足を大きく広げ、うつ伏せになって息絶えた巨大なゴキブリがいた。その頭部と身体全体には、丸太のような太さを持った真っ白な蜘蛛の糸が巻きついており、ゴキブリと同じくらいに巨大な灰色の蜘蛛型ロボットがその背中にのしかかり、左腕を肩口まで突き刺したまま機能を停止していた。


こうして街に再び静寂が訪れた。


やがて混乱していた軍の指揮系統が回復し、その人類の科学力を明らかに超えたロボットから搭乗員二名が救出された。搭乗員の内一人は身体中を打撲だらけにしながらも、もう一人の男を慰めており、透明な箱に入った男はしゃがみ込んだまま、尻を押さえてめそめそと泣き続けていたという。その後、兵士に支えられながら簡易タラップを降りる丘山と、半裸の姿にバスタオルをかけられて並ぶ田所の両名を撮影した写真は、後世歴史の教科書に載り、国民の誰もが目にする印象的な一枚となった。


死者2万5千人、行方不明者1500人。


後に第一次敵対種駆除災害と呼ばれるこの出来事は、大きく人類史を変化させた発端として世界観に記憶される事となる。この後も幾度となく続く、長く苦しい生存戦争のはじまりとして。


この国の国民なら、大半の人間が台所で見た事のあるであろうグロテスクな姿を持つゴキブリ達。人類は常に彼らを殺し続けたが、彼らはそれを超える勢いで繁殖を続け、尚且つ人類の側で暮らしてきた。そんな近くて限りなく遠い二つの種。


そしてこの日この時を境に、対等な立場として真っ向からぶつかり合いを始めた両者。その種の存続をかけた戦いは、どちらかが滅ぶまで終わることのない無限地獄を地上に顕現させる事になった。


人類は台所で悲鳴を上げていた平和な時代を懐かしく思い、ゴキブリ達はひっそりと暗所で暮らしていけた日々を思い出して涙する。何故互いに争わなければならないのか。その答えにたどり着く為の理解は難く、争いは容易い。


今もまた、世界の各地で醜い戦いは続いている。人間とゴキブリ、どちらかが姿を消す日が来るのか。果ては世界が終わる日が来るのが先か。

その答えは、未だ誰も知らない。

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シン・ゴキブリ ロッキン神経痛 @rockinsink2

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