第10話 害虫と人類

「凄い、私殆ど操縦してないわよ。どうなってるのよ田所ちゃん!」

「知りま、せんよっ!そんな、ことっ!」


トールレッグは、巨大な体躯の半分の大きさはあるGを手刀で軽々と殺してみせた。感覚を共にしているはずの田所は、不思議と気持ち悪さを感じなかった。いやむしろ、身体の奥底から沸いてくる殺す快感が、遙かに上回っているくらいだった。自身の理性と本能のアンバランスさに戸惑いながらも、気づけば自然と身体は動き、絶命したGの死骸を前に、次の攻撃に備えようと構えていた。自身に無数の脚が生えている感覚は、違和感の塊で笑ってしまう。田所は何度も自身の身体から脚が生えてきていない事を確認した。


「田所ちゃん、周囲から続々来るわよ!」

「マジっすか、ははは!」

「笑ってる場合じゃないわ、8、9……12匹!嘘でしょ、ほとんど全部じゃないのこれ」

「何か、武器とかないんですか。」

「あるに決まってるでしょ、素手で倒しちゃう方が想定外よ!」


ちょっとは私にも仕事させてちょうだいと言って、丘山は不敵に微笑んだ。



――――



周囲のどんなビルよりも巨大な灰色の影が飛んだ。その影は、八つの脚を器用に滑らせ、その身体から見れば小さく細い道路の上を走っていき、やがて市街地の中でも特に被害の甚大な地区へと辿り着いた。


ガションガション


未知なるエネルギーにて動くロボットは、ゆっくりと歩を進める。目の前には、4階建ての大きな建物に、広い砂地の地面が併設されている場所が見える。それは小学校だった。周辺地域の避難場所に指定されていた為、沢山の住民が避難してきた小学校。


それは巨大化による数少ないデメリットの一つ、飢餓状態を恐れるG達にとっては格好の餌場となってしまった。硬い顎で、避難所となっていた体育館の屋根は剥がされ、屋内は見るも無残、語るも悲惨な状態となっている。


グラウンドに立ち、赤く染まる体育館を八つの瞳で見つめ、トールレッグは悲しく吠えた。次にその赤い瞳が捉えたのは、数多の敵の姿だ。四方八方から一つの点トールレッグに向かって収束する巨大な黒い線達。G達は、仲間が討たれた事に警戒心を覚え、確実に脅威を排除すべく総力戦を仕掛けようとしていた。


シャーベと名の付く、一際巨大な個体を除いた12匹が、一斉に人間の新兵器に食らいつこうと包囲を縮めていく。彼らは毒針のように敵を撃退するような器官を持たないが、代わりに強靭な身体と恐るべき瞬発力を持った脚を備えている。巨大化した今なら、コンクリートも容易に噛み砕く大きな顎も武器になるだろう。音も立てずに目標に向かう彼等は、住んでいた村1DKでも最強と言われていた選りすぐりの兵士達ばかりだ。彼等には絶対的な自信があった。


「キィキィキィキィ」


俺が仕留めてやる、そんな意を含んだ鳴き声を上げ、まず一匹がトールレッグの背後から襲いかかった。巨大な四枚の羽を天高く広げ、バラバラバラと風を震わせて標的へと飛びかかる。すると、トールレッグは半身をぐるりとひねって空飛ぶおぞましい生き物の方を向き、その口を大きく開いた。


「ヴォラシャアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」

「!?!?!?!?!?!?」


それは、まるで霧だった。

顎まで割れた大きな口から、ストローのようなノズルが飛び出し、そこから白い霧が噴射され、飛んでいた兵士の腹へと纏わり付いた。


バラバラバ……ズシィィン


羽を半分広げた姿のまま、小学校の校舎に墜落する形でその巨大な身体は動きを止めた。勢いよく落ちたものだから、かつて子どもたちの学び舎だったその建物は、瓦礫の山と変わってしまった。


突然動けなくなったGは、その太い手足を何度もピクピクと動かしてはいるが、もはや立ち上がる事は叶わないだろう。風に吹かれてやってくるあの独特の臭いを嗅いだ彼の仲間たちは、落ちたGの確実な死を確信した。そう、これはゴキジェットだと。口からゴキジェット、それがトールレッグの隠された武器の一つだった。


「シャアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」


そのままぐるりと円を描くように、何トンものゴキジェットの煙を口から吐き出すトールレッグ。迂闊に近づいていたもう一匹が、その煙を吸い込んだかと思うと、次の瞬間には半狂乱になってあちこちを走りだした。電柱を薙ぎ倒し、家々を破壊しながら踊る死のダンスだ。当然こうなってからではもう遅い。狂ったゴキブリは、自ら死に水を探して走り回り、最後は学校のプールにその顔をつけたまま死んだ。


「シャアアアアアアアアアアアアア!!!シャッ!……シャッ!スウゥーーーーー」


トールレッグの姿が霞む程の景気の良い噴射っぷりのせいか、早くもゴキジェットの残量が尽きたらしい。恐るべき武器を備えた捕食者は、ゆっくりと口を閉じ、生き残ったG達を八つの目で確かめた。単なる視覚だけに留まらないセンサーを介した索敵は、ビルとビル、瓦礫と瓦礫の間に隠れた十匹の無傷の生き残りの位置を確認した。そして、その中でも最も近い……真横から迫る敵も察知した!


ドゴン、ガッシャァァアアアン


横っ腹に衝撃を受け、トールレッグは受け身を取る間もなく横倒しになった。何本もの長い脚が、ピンと空中を向いている。その上から覆いかぶさった一匹は、鋭い牙をその灰色の装甲に突き立てようとしていた。すぐにそれを脚の一本で払いのけ、トールレッグは立ち上がる。飛ばされたGは、空中で羽をバタつかせてゆっくりと着地する。


ジジジ、と配線が焼ける音と鉄の焦げるような臭いが辺りにしていた。見れば、トールレッグの右腕は受け身に失敗したせいで、肩が潰れ、もげかけている。


「キィキィキィキィ!!」


それは、笑い声のようだった。これは恐ろしい天敵の形をしてはいるが、案外に脆い身体を持つ人間のおもちゃだ。たまたま運良く善戦しただけで、本来の力は大したもんではない。とそんな侮りのこもった鳴き声だった。


笑いながら着地したGが、真正面にトールレッグを見据え、ググッと大地を踏みしめて駈け出した。それは、いくらゴキジェットの攻撃が無いと判断したとしても、あまりにも単純な攻撃だった。同時に、全てを薙ぎ倒す勢いのある強力な攻撃でもあった。


ウィィィンガコン


そんな機械音と共に、トールレッグの残った左腕の手首が90度下に折れ、中から太いノズルが現れた。そして、真っ直ぐ突っ込んでくる哀れな害虫に向かって腕を突きだした。


「ブッシュウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!!!!!!!!!!!」


「ンギイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!?!?!?!?!?!ギギ!!ギギギ……」


ノズルから、またも白い煙が噴射された。しかし、それを当てられた兵士は、さっきとは違い、動きを止める事も発狂する事もなく真っ直ぐ向かってくる。小さな白い粒状の粉は、兵士の身体にまとわりついていった。そして、兵士が頭を下げ、ガラ空きのトールレッグの腹へと突っ込んだ!


ガシャララララララン!!


景気の良い音を立て、粉々に砕け散る巨大な身体!

キラキラとした光の粒が空気中に漂っている。そう、これは絶対零度の冷気を噴射する氷殺ジエットスプレーであった。かつて、可燃性ガスによる重大事故が多発した為、バルサンが自主回収を行った同製品は、防衛省の協力の元、研究と開発が水面下で進められていたのだ。


ゆえにトールレッグに向かって走ったGは、その死の冷気を当てられて既に途中で凍死していた。慣性のままに衝突し、硝子細工のように砕けた氷の破片。それを何の感慨もないといった様子で見つめるトールレッグ。既に次の標的を選ぼうとしている。


一方残った九匹の兵士達は、その射程に入らないギリギリの所で間合いを取って様子を伺っていた。もはや油断も慢心もそこには見当たらなかった。こいつは強い、ひとつでも手札を間違えればすぐそこに死が待っている。とやっと彼等は気づいたのだ。


G達はキィキィと、短く鳴き声で会話をする。当然人間にはその内容を理解する事は出来ない。そんな甲高く耳障りな奴らの音に囲まれて、トールレッグに乗り込んだ二人の人間達は額に汗を流した。


「はぁ、はぁ、丘山、さん。何か他に武器は無いんですか。」


トールレッグと感覚を共にする為、自身の右肩に痛みを感じながらも、生きた内燃機関と化した男は必死に箱の中に立っていた。


「あるわ、一発限りの大技よ。でもロックに時間がかかるの。田所ちゃん、やれるっ!?」

「はぁぁ、意地悪な質問ですね!行きますよ!」


汗だくの作業服を脱ぎ捨て、シャツ一枚の姿になった男の顔には、ここ数日見られなかった、さっぱりとした表情が浮かんでいた。


トールレッグがゆっくりと動き出す。

様子を見ていたG達は、距離を詰められた分しっかりとと離れていった。逃げる事に関して、彼らはプロだ。そのDNAには、常に逃走の二文字が刻み込まれている。実際、彼等に村という集団への帰属心がなければ、とっくに逃げ出していたことだろう。彼らにとって、天敵である蜘蛛に立ち向かうなんてことは通常あり得ない事だった。


『おい聞こえてるだろ、ゴミ虫共。俺はお前達が家賃も払わず勝手に住んでた部屋の主だ。』


割れんばかりの大音量でスピーカーから声を出しながら、ゆっくり歩み続けるトールレッグ。


『今までタダで住んだ分、てめえらの命で返してもらうぞ!払いたくなきゃかかってこい!』


それは、知能を持ち人語を理解する彼等に対しての挑発のつもりだったのだろう。しかし、遠巻きに蜘蛛を見ていた彼等は、キィキィと激しく鳴いて、怒るどころか躊躇いを露わにした。互いを見つめ合う兵士達。そこには確かな困惑の色が浮かんでいる。


そう、彼等は知ったのだ。

あの中には、彼等が崇め恐れていた神が乗っているという事を。


彼等の生まれた村には、父が決めた掟があった。


決して神の目に触れてはならない。

決して神に逆らう真似をしてはならない。

決して神の住む世界の外へと出てはならない。


それは、かつて父を含む五匹のG達を世に解き放ったとされる白衣を身に纏った神から、加護を受ける代わりに誓ったとされる三つの掟だった。これを破るものには容赦のない天罰が下る。そう言われて彼等は育ってきた。


当然、村を出て、世界を壊してその外へと出た時点で、全員掟を捨てたつもりでいた。しかし、その神を目の前にしては話は別である。子供の頃から時に敬い時に恐れていた世界の神。それが、明確な天敵の姿で目の前に現れているのだ。仲間達の死を天罰と思わずにいられようか。


彼等は挑発を行った田所の思惑とは裏腹に、むしろ戦意を無くして別方向へバラバラに逃げだそうとした。


「戦エエエエエエ!!!!」


怖気付く彼等の後方から、そんな絶叫に近い声が響いた。彼等は振り向いて、明らかに身体をビクッと震わせる。そこに立っていたのは、彼等より二回りも身体の大きな怪物だった。


『おいおい……こんなでかいなんて聞いてないぞ。』


スピーカーから漏れ出る搭乗者の困惑を尻目に、九匹の生き残り達は覚悟を決めたらしい。揃ってトールレッグの方へと向き直る。


「キィ」


やれ、という合図だろう。超弩級Gの鳴き声と同時に、一斉に前進しだした。あるものは空を飛び、あるものはコンクリートを踏み砕きながら地を駆ける。


『来た来た来たァ!先輩、お願いします!!』


下向いて!とスピーカーの向こうから、もう一人の搭乗者の声がした。次の瞬間、トールレッグはその身体をお辞儀のような形に折り曲げる。すると、背中がぱっくりと開き、中から無数の穴が現れた。


ドッシュウウウウウウウウウウウウウウウウウ!!!!!!


ポンポンポンと小気味よく、一斉に穴から缶詰のような形の筒が飛び出した。


『今朝の続きだ!たっぷり喰らえよッ!!』


空高く舞った沢山の缶は、空中で動きを止めたかと思うと今度は一斉に全方へ、全力で駆け回るG達に向かって白い煙を噴射しながら進んでいく。何事かと驚いたG達が、左右に散り散りになって逃げ惑うのもお構いなしに、誘導ミサイルよろしくどこまでもどこまでも白い噴射をあげて追跡し、怯えるG達の身体へと突き刺さった。


「ンギョアアアアアアアアアアアアアアアア!?!?!?!!?!?!?!?」

「ギエエギエエギエエギエエエギエエエエエ!?!?!?!?!?!?!?!」

「ギィギィギィギィギィギィギィギィギィギィ!?!?!?!?!?!?!?」


阿鼻叫喚の地獄絵図、G達は天も地も無くなったかのように互いにぶつかり合い、逃れようのない苦痛から解放されようとバタバタともがき、そして、死という唯一の出口を見つけた者から順にひっくり返っていった。


『見たか!これがバルサンミサイルだッ!!』


バルサンミサイルだった。

密閉された空間でしか効果を発揮しない燻煙剤。外で戦う際に、その欠点を補うべく直接標的の体内にバルサンを叩き込むという画期的な手法を取り入れたものだった。核を除けば、これが対Gに対する人類の最終兵器だった。当然、防衛省と共に開発した。誘導装置とかそこらへんの協力をお願いしたのだ。


「……キィ」


『……嘘、だろ。』


地面に横たわり身体中の穴という穴から死の煙を吹き出す仲間の死体の向こう側に、超弩級の身体を持ったGの首領は依然として立っていた。彼の身体にもバルサンミサイルは突き刺さっていた。しかし、規格外の身体を持つGには、致死量のダメージを与えるに足りなかったのだ。


ついに一対一となった巨大な力と力。

今、最後の戦いの火蓋が切って落とされようとしていた。

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