第9話 人類と害虫
「撤退、撤退だ、早く!何してる、死んだら元も子もないだろうが!置いていけ!」
装備を大事に抱えて走る部下を叱咤しながら走る。
地獄の蓋とは、案外あっさりと開いてしまうものだ。戦後七十年、この国は平和という薄氷の上で発展を遂げてきた。暗い過去を踏み台によりよい社会を作り、世界が驚くようなスピードで先進国となったこの国。まるでそれを全否定するかのように、あけなく街の全てが壊されていく。
ビルが倒れ、空がいつもより広く見える。住宅が焼け、夕焼けの空が尚赤く照らされている。当然、まだほとんどの地域の避難は完了していなかった。いや、無事に避難したつもりでも、時速200キロで移動する化物の動きなど、誰にも予想出来るはずがない。むしろ人間が集まる避難所ほど危ないとまで言われている始末だ。奴らは災害ではない、文明社会を築いてきた人類にとっての初めての天敵であるかもしれない。
今も生きて暴れ回っている個体は全部で13匹。個体数は発見当初の半分以下に減っている。低速かつ小型であった15匹は、我々の重火器によって始末出来た。まるで事を知っていたかのような素早い命令のおかげだ。しかし、それより一回りも大きい残りの害虫共には、それでは歯が立たなかった。やがて
害虫共は、執拗に生き残った我々を追い回し、あの巨大な顎ですり潰していく。もはや現場に指揮系統は存在していない。皆蜘蛛の子を散らすように逃げ惑い、中には地下へと逃げていった隊もあったが、それ以降連絡が途絶えたままだ。
「ギェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ
」
甲高い鳴き声が聞こえる、これは奴らの中でも更に大きい個体、我々が王と呼んでいる者の鳴き声だ。奴らは基本的に群れで行動している。
「キエエエエエエエエエエエエエエエエ」
「キエエエエエエエエエエエエエエエエ」
近くから遠くから、それに応える鳴き声が聞こえ始めた。すると、俺のすぐ目の前、雑居ビルと雑居ビルの間の影になっていた空間から硬い電線のような触覚が飛び出たかと思うと、グロテスクな頭部と徹甲弾すら突き抜けない身体が姿を現した。なんてことだ、奴ら、こんなに近くにいやがったのか。
「に……逃げろ!逃げろ逃げろ逃げろ逃げろッ!!」
「ああ、ダ、ダメ、ダメダメ嫌嫌だーー!!お母さああああん!!!!」
そんな叫びと共に、部下の声が遠くなっていった。バッと振り向くと、いつの間にこの距離にまで近づいたのか、目と鼻の先に奴の巨大な頭があって、唯一生き残っていた部下は、そいつの口から下半身だけをぶらぶらと覗かせていた。ただ固まっている俺の前で、力を無くした足腰がバキボキと音を上げながら飲み込まれていく。野郎、血も零さずに丁寧に食べやがる。
「竹山!!ちくしょう!!!」
ライフルを滅茶苦茶にその巨大な顔に向かって撃つ。効果は、ない。そんな事はとっくに知っている、しかし俺が殺さなくちゃ誰がこいつらを殺してくれるのだ。俺達の肩には、残った国民全ての命がかかっている。くそっ、重い、重すぎる。引き金の一発一発はこんなに軽いというのに。
カチッカチッ
豆鉄砲が品切れの合図を出した。終わった。俺は何一つ守れていない。いやそれどころか、預かった沢山の若い命を無駄にした。この害虫共の糞の一部にしてしまったのだ。
「キチキチキチキチ!!」
歯ぎしりの音を間近に聞きながら、俺は笑いながら涙を流した。なんだこれ?映像が、流れて。ああ、走馬灯って本当にあるんだな……。
「………はぁッ!……はぁはぁはぁはぁはぁ」
入学卒業入隊結婚、そんな俺の走馬灯はゆっくりとフェードアウトしていった。奴が口を大きく開いた所で突然動きを止めたからだ。口の中には、半固形になった部下の姿があった。ギエエエエエと遠くから鳴き声がしている。
奴はそのままキョロキョロと首を動かして、何処かへ走り去っていった。残された俺は、もはや天も地もわからなくなって、もんどり打って気絶した。
――――
ククク、小さい人間達を上から見下ろすのは快感だ。奴等からコソコソ逃げ隠れしていた事が、今思えば馬鹿らしくてたまらない。もっと早く、掟なんぞ無視して外の世界へ出ていれば良かったのだ。
逃げ回る人間を追いかけてパクリ。残ったもう一人は、あの弱々しい武器で俺の顔を撫でてくる。弱い、弱い人間。すぐに
シャーベ様が、我々に危険が迫っていると叫んでいる。……やれやれ、心配性なお方だ。人間が誇る空を飛ぶおもちゃも地を這うおもちゃも、我々に通用などしていないじゃないか。弱いチャバネの兵隊達はあっけなく死んだが、あんなものは同族であって同族でない下級な生物だ。完璧な生物である我々に隙はない。
餌を横目に、とりあえずシャーベ様の元へと急ぐ。しかし、危険な力を感じるとは言ったがその敵を見つけあぐねているらしい。数キロ毎に配置された兵隊達は、不審な兆候を探しまわっているようだ。ふうん、それなら他の連中に任せて俺は、武器を持った小さな人間探しを続けさせてもらおうかな。
本の様に積み重なって倒れたビルを眺めながら、俺が次の標的を探そうとしていると、まだ綺麗に並んだビルの中で、一つの長方形が横にゆっくりと動いて行くのが遠目に見えた。一体何だろうか、見てきてやろう。
巨大な身体に対して、見た目程に重さはない軽やかな脚に力を入れる。脚力と瞬発力こそが我らの長所だ。サッとビルの上に何本も脚を乗せ、ガサガサと左右に振りながら移動をする。不審なビルはその動きを止め、何かビービーと変わった音がしていた。ビルの元へ向かいながら、音を聞いて身体が緊張してきた。ふふ、何に怯えているというのだろう。
不審な音の元に近づいた。俺の目は、地面に釘づけになってしまう。そこには長方形の大きな穴が空いていた。冷気が吹き出してくるその穴は、俺の不安を必要以上に煽る。ゾクリ、あろうことか自らの死の予感すら感じさせるその地面の穴。落ち着け、ありえない。
穴の中から、灰色の何かが、せり上がって来た。触覚が、ヒリヒリする。
それは、頭……だった。逆三角形の頭部に、赤く不気味に光る丸い目が八つ並んでいる。その後に肩が現れ、二本の腕と五本の指が見えた。人間?しかし、人間はこんなに大きくはなれないはずだ。
……そんな馬鹿な、こんな事、あるはずがない。奴等には、我々のような知能や変体能力を持った個体は存在しないと聞いている。まさか、奴らも加護を受けたのか。
「キィ!キィ!キィ!」
俺は、近くの仲間に不審な兆候が現れた事を伝えた。そうしている間にも、奴の身体はぐんぐんとせり上がっていく。腰から下には……八本の長く太い脚。これは、間違いなく蜘蛛だ!何故だ??俺の脳みそでは考えても分からない。しかし、事実として目の前には我々の死を具現化する悪魔の姿がある。
人間の特徴を有した巨大な灰色の蜘蛛が、完全に地表に姿を現した。ガクンと衝撃に身体を揺らし、そいつは俺を八つの眼で睨みつける。
「ヴォオオオオオオオオン!!!!」
全身から、獲物を見つけた喜びを表現するかのような雄叫びを上げた、いやだ、怖い、死!逃げなくては!巨大な身体でも、俺の瞬発力は衰えていない。脚の運動を高速化させ、方向を転換しようと身体を右に傾ける。奴はまだ吠えて……消えたッ!?
ゴッシュ!
「ギイィィィィィイッ!?!?!?」
鈍い音が下腹部から聞こえ、俺の身体は突然宙に浮いた。痛い、痛い、痛い。下を見れば、奴の人間のような腕が、俺の腹から生えている。いや、後ろから貫通しているッ!?
脚を左右にバタバタと動かし、身体を捻って逃れようとする。しかし、宙に浮いた身体は、むしろ動くたびに体液を腹の穴から撒き散らし、奴の腕をより奥へと誘う。
ゴッシュ!ゴッシュ!ゴッシュ!
背中から交互に抜き刺しされる鋭い腕。俺はなす術もなく身を任せ、その命を天敵の前に広げてしまう。頭部さえ生きていれば相当なダメージを受けても生きていられる我々だったが、これはその相当なダメージを超えている。身体に、脚に、力が入らない。
腹から白い体液を流し、動く力を無くした俺は、地面に雑に投げられて仰向けになった。霞んでいく視界には、ビルとビルに沢山の脚をかけて、不気味な赤い眼を光らせる天敵の姿が映っていた。仲間とシャーベ様にすぐ逃げるよう伝えようとしたが、近づいてきた奴が俺の頭を踏み潰すもんだから、それは叶わなかった。
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