第8話 人類、出撃す

冷や汗が、流れた。


「会社の地下に、こんなモノがあるだなんて……。」

「うふふ、びっくりしたでしょ。」


押し問答の上、ほとんど丘山先輩に押し切られる形で山のような書類に拇印を押す事になった。警察に身柄を引き渡すか一緒に来るかと言われたら、もはやどうしようもないだろう。いずれにせよ、逃げ道はないって事だ。


俺は丘山先輩と共に、社長室に併設されたエレベーターで地下に降りた。階数表示は地下1階からどんどん下降していく。地下14階、15階、まだ止まらない。まったく……自社ビルに地下階があるだなんて聞いてないぞ。しかし、俺の驚きはこんなものでは済まされない。


窓付きのエレベーターは、すぐに地下数階分をぶち抜いた大きな空間に出た。窓越しに見えるのは、大きな蛍光ライトに照らされた工場のような無機質な大空間。その中央に当たり前のように鎮座している巨大な物体を見て、俺の口と目は開きっぱなしになってしまった。


それは、広い空間を埋める程に巨大な物体だった。一見岩のような質感の、中世の兜のような形をした頭部。そこに丸い空洞が一列に並んでいる。その下部は、窓を覗き込んでもまだ見えてこない。そんな巨大な灰色の何かが、ライトに照らされてこちらを睨んでいるように見えた。


「私もね、初めてここに来た時は驚いたわ。この子、曾おじいちゃまの時からここにいるのよ。」


会社の誰よりも先輩なんだから、と何故か自慢気な丘山先輩。


「まさか、これが。」

「動くのよ、びっくりでしょ?」


こんな巨大なものが動くだなんて信じられない。少なくとも俺の知る常識からは大きく外れている。チン、と音がしてエレベーターが開く。コンクリートの床の上を、作業服や白衣姿の男女が忙しそうに行き来していた。地下にあるせいか、ひんやりとした風が上から流れている。そんな彼らの内数名が、エレベーターから降りる俺達を認めて足早に近づいて来た。


「起動準備出来てまーす。」

「ありがと、ちゃんと休憩してね。」


いや、笑顔でまだひと仕事残ってますんで、と奥に走っていくあの作業服のおじさんは、設備点検チームの佐藤さんだ。出来る人だと噂だったけれど……佐藤さん、こんなもんまで点検出来るのか。


「チーフ、内閣府から再三の出撃命令来てます。自衛隊は陸空共に全滅とのことで、防衛省経由の連絡は途絶えたままです。」

「あらやだ、早すぎない?」

「やはり物理攻撃は分が悪いみたいですね。」


丘山さんをチーフと呼ぶのは、同じオフィスの斜め向かいの席で事務をしている守山さんだ。あまり喋った事はなく、無口な人だった。「守山さんもこの事を知ってたんですか」と聞くと、ニコリと微笑んで「ええ」とだけ答えたきり。彼女は壁中に並んだモニタの方へと走っていく。


「おう二人共、ナノマシンいれるよっ。」

「はい、どーぞ。」

「はい一丁、田所くんも腕出して。」


そう言って、手慣れた手つきで俺のシャツの袖をまくり、血管にスルリと注射針を刺しこんできたのは食堂の中藤さんだ。いつもの割烹着姿が今日は白衣に変わっているから、すぐには気がつかなかった。というか、よく見れば他にも、社内で見知った顔が勢揃いしている……知らなかったのは俺みたいな新入社員ばかりってことか。それにしてもこの注射、痛てて、一体何なのか分からないが随分と痛たたたたたってちょ、ちょっ、痛い!痛い!なにこれ、なにこれなにこれえええええええ!?!?


「なにこれえええ!?なにこれええええっ!?」

「落ち着いて、田所ちゃん。すぐ平気になるから、ね?」

「あっはっは、適性も十分十分。頼り甲斐があるねえ!地球の為に頑張るんだよ!」

「はぁっはぁっ、痛たた……何だったんですか今のは……ってうわ!」


刺された所をチェックしようと腕を見ると、そこには縄をグルリと巻き付けたかのようなミミズ腫れがモリモリと肌の上で隆起しているのが見えた。痒みを通り越して、ヒリヒリと痛むこの感覚。間違いない、アレルギー反応だ。


「ほら、私も……ね?」


そう言って丘山さんが首元をちらりと見せてくる。見れば首元が風呂あがりのように赤くなっていた。


「一体何なんですか?アレルギー反応、ですよねこれ。」

「入社試験の面接の後に、健康診断したでしょ?」

「……しましたね、変わった会社だなって思いました。」

「田所ちゃんは、それで採用された特別枠なのよ。」

「はい???」


説明は移動しながらにしましょ。そう言って丘山先輩は白衣を脱ぐと、俺にビニール袋を手渡してくる。


「何ですかこれ。」

「作業着、ね。」


部屋着から、緑色の作業着に着替えた。


胸には清掃技術株式会社と書かれていた。会社名の下には、いつの間にやったのか、わざわざ俺の名前も明朝体で刺繍してある。今、作業着姿の丘山先輩と俺は、数人の作業員達と共に、運搬用エレベーターに乗って搭乗口とやらへ向かっていた。目の前には、さっき見た巨大な物体……彼らに言わせればロボットが視界いっぱいに広がっている。ゆっくりと上昇していく無骨なエレベーター。さっき見えなかったロボットの下部は、傘を開いたような形の太い骨組みが広がっており、いわくこれがこいつの脚部らしい。その足の一本一本が、鉄塔くらいの太さに見えるんだが……


「IgE抗体よ。」

「はぁ、何ですかそれは。」


丘山先輩が、何気ない風にぽつりと呟く。IgE抗体?どこかで聞いた記憶があるような。


「聞いたことない?血液中にあって、アレルギー反応を起こしてる犯人よ。」

「……ああ、アレルギー検査で聞いた事があります。何でも俺、強陽性反応っていうんですか?アレルギー体質らしくて、猫とゴキ……Gがダメなんですよ。」


俺、猫大好きなんですけどね。残念ながら飼えないんです、と苦笑いをする。


「そう、それ。」

「え、猫?」

「いいえ、ゴキブリアレルギーの方ね。」


ゴキブ……名前を聞くだけで鳥肌が立ちそうだ。いや、実際さっき注射を打たれた後からずっとアレルギー反応が続いていた。ま、まさか近くに!?


「大丈夫、ここには絶対に居ないわ。」


俺がバッと周囲を見回すと、丘山先輩がゆっくりと諭すように言う。何でも特殊な電磁波を張ってあるらしく、ゴキ、いやGはおろか虫一匹見かける事はないらしい。


「私たちは超特異的IgE抗体って呼んでるんだけどね。この子、トールレッグの起動には田所ちゃんみたいな凄いアレルギーを持った人が必要なの。」


そう言いながら、ロボットの方を見上げる丘山先輩。こいつの名前はトールレッグと言うらしい。気づけば運搬用エレベーターは、その巨大な顔の前にまで来ていた。


ブゥン


そんな音と共に、鎧の兜のような頭部に並んだ八つの穴に、赤い光が灯る。ルビィみたいな綺麗な色をしていた。


「凄い、もう反応してるわ。」


驚きの表情を浮かべる丘山先輩と、今まで見た中で一番素質があるかもしれんな、などと言って腕を組む作業員達。その視線は、トールレッグと俺をいったりきたりしている。


俺が説明求む、という顔をしているのが分からないのだろうか。何やらそのまま作戦がどうだとか、話し合いを始めた。蚊帳の外っていうのはこんな気持ちの事を言うのだろうな。


そして10分後……


「あの……?」

「大丈夫、そこに立ってるだけでオールオッケーよ!☆」


俺は、電極のようなケーブルを身体中至る所につけられて、電話ボックスを大きくしたような箱の中に入れられていた。


ここはトールレッグのコックピット。人間で言えばちょうどうなじの所から中に入ると、ハイエースを二つ縦に並べたくらいの小さな空間に、所狭しとボタンやレバーが並べられている。


丘山さんは、その中に入るなり背の高い椅子に腰だけを預け、正面の壁一面に広がるディスプレイとにらめっこ。首元には、俺のと同じ電極のケーブルを付けている。巨大なディスプレイには英語やなんかが、上から下へと画面にズラズラ流れていく。それを後ろからアホ面で眺めているのが、箱に入った俺だ。俺の役割は、こいつを動かすとして、はこのなかにいる、だけ。


それ以外にやるべき事は無いらしい。


「これ、本当に動くんですか?」

「……大丈夫、信じて。」


振り向いたその顔は、真剣そのものだった。


「じゃあ、今までに動いた事はあるんですか?」

「……戦時中に、一度だけね。」


お爺ちゃまが若い頃にこれで戦ったらしいわよ、と丘山先輩。なるほど、動いた事があるなら安心安心ってなるかい!それは最低でも戦後七十年間動いてないって事じゃあないかい?違うかい?ンン~ンン~~~~?


「よし、田所ちゃん、これ見て!」

「はい何です、か、かああああああああああああああああああああああああああああああ!?!?!?!?!?!?」


丘山先輩が指差していたのは、壁一面の巨大ディスプレイ。


そこに現れたのは、無数の、数百?いや数千、いや数万匹もの奴らが這いまわる映像ッ!はいい!?なにこれ気持ち悪い!否、恐ろしい!?キチキチと鳴き声をあげて、縦横無尽に動きまわオエエエエエエエエエエエエ!!!瞬間、怒張する全身のミミズ腫れッ!何故!?これはただの、映像だというのにッ!!


「ナノマシンが視覚イメージを抗体に直接届けてるのよ!さあ……よし、きた!きたきたきた!!」


あああナノマシンン!?オエエエエエ!!気持ち悪いいいい、ああああ気持ち悪いィィィィ!!!!!!!錯乱!そう、これは、錯乱状態!!!!


瞬間、大地が震えたような衝撃が走り、俺の視界も上下にブレ始めた。何とか箱の透明な壁に手をつけてこらえようとする。


「こちら搭乗席、起動音を確認。どう?」

『チーフ、動力きてます!成功です!』


スピーカーからの音声、その後ろから歓声が聞こえる。画面は最低最悪な映像から、喜ぶ会社の仲間達を上から見下ろす視点のカメラに変わった。


「はぁっ、はぁっ……これは、一体?」

「田所ちゃん、このまま地上へ出るわよ!」

「ええ、マ、マジすか!?」


丘山先輩は、へろへろ汗だくの俺の方に振り返りウィンクをしながらマイクに向かって叫ぶ。


「こちら搭乗席!業務用クモ型決戦兵器、トールレッグ発進します!」

『了解、健闘を祈る!田所も気張れよっ!』


オオオオンとモーター音の回転する音が聞こえる。同時に地面がせり上がっていくのを感じた。自分の胸元から声援が聞こえる。全身を包む地下の冷たい空気の流れ。その全てを、まるでトールレッグこいつそのものになったかのように感じる。


ビービーと警告音のような音が聞こえ、やがて眩いばかりの太陽の光が頭上から差してきた。冷たい空気の地下に、生ぬるい風が吹き込んでくる。それと同時に、直感が俺に告げていた。奴がすぐ近くに居ると。


「え、こんな近くッ!?……田所ちゃん、生きて帰るわよッ!」


先輩のその言葉に対して、俺の返事は口から出なかった。代わりにどこからかふつふつと湧いてくる不思議な怒りに身を任せ、あまりにも巨大な身体を使って叫び声をあげたのだ。

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