第2話 ゼノン、渇望




 落ちる岩田。そこに運悪く走ってきた二つの人影をヴラフォスのカメラが補足した。

「そこどけてくださぁぁぁぁぁぁああああああああい!」

「え?」

 一人が気がついて声の方を振り向いたが遅かった。

 ドォン、と轟音を響かせ、辺りには土埃が舞い散った。

「だ……大丈夫ですか!?」

 すぐさま岩田が立ち上がると、珍妙な格好――スタイリッシュな全身黒タイツに白い仮面をつけた人(以下スタイリッシュタイツ)が一メートル横に立っていた。

「な……なんなのだ貴様は!」

 スタイリッシュタイツは岩田に驚き急いで距離を取った。

「あの! お怪我はございませんでしたか」

 岩田はおずおずとスタイリッシュタイツに近寄るが、一定の間を保ち警戒を解こうとしない。

「怪我などない! それより、貴様こそ、何故無傷なのだ……!」

「あ、本当だ……! 成功したのか、ヴラフォスは!」

 岩田はヴラフォスの性能実験が成功したことに今更ながら驚き、喜んでいた。

「ヴラフォスだと? 聞いたことがないぞ。貴様、それはどこのパワード・スーツだ」

「あ、これですか。いやぁ……お恥ずかしい話、実は、趣味で作ってまして……あ、私、岩……」

「助けてください!」

「え?」

 突然岩田の話を悲痛な叫び声が割って入ってきた。

 カメラをそちらに向けると、路地奥の暗がりで若い男がうずくまっていた。

「そいつは危険な奴です! 危ないからとにかく離れてください!」

「そうなんですか!?」

 驚いた岩田は全力でスタイリッシュタイツから距離をとり、声の主に近寄った。

「あなたは……!」

 岩田は更に驚いた。声の主は、見知った顔をしていた。

『白台さんだ……!』

 そこにうずくまっていたのは、取引先の部品メーカー『株式会社アースアーステクノロジー』の若社長、白台しらだい保斗やすとさんだった。

『あばばばばば……どうする、私……こんなの作ってるってバレたら超恥ずかしいし、万が一、取引先づてに会社にバレたら……どうするどうするどうする……!』

 白台の突然の登場で岩田の思考回路はショート寸前に陥っていた。

「ゲホッゲホッ……!」

「だ、大丈夫ですか!?」

 白台の苦しそうな咳で岩田は我に返った。苦しそうに呼吸をしていることに気づき慌てて白台を支えると、白台の白いYシャツが、真っ赤に染まっていることに気がついた。

「あなた、それは……!」

「ええ、あいつにやられたんです……あなたに、お願いがあります。これを持って、逃げてください」

 白台さんは小さいが頑丈そうなアタッシュケースを差し出してきた。

「これは?」

「おい、パワード・スーツの男よ、それをこちらに渡せ」

 スタイリッシュタイツが低い声で威圧し、マスク越しでも分かる程、殺気のようなものを放っていた。

「ダメです! その男は企業スパイなんです!」

「企業スパイ、ですか?」

 映画か何かの話に感じてしまい、いまいち実感が持てない。確かに今の日本の技術を狙う海外企業が多いことはニュースなどで聞いたことがあるが、ここまで過激なものは聞いたことがない。

「あなたは、何者なんですか?」

 ひしひしと伝わる殺気に怯えながらも、岩田はスタイリッシュタイツに向き直った。

「名乗る必要などない。貴様は日本の未来のために、スーツを置いて黙って死ね!」

「えええっ!?」

 突然スタイリッシュタイツの両手の手甲から短刀が現れ、一気に間合いを詰めて斬りかかってきた。

「ちょっ! 危ないですって!」

 スタイリッシュタイツの刃を必死に交わすもその動きの速さは歴然で、岩田はなんとかけつつこちらも籠手の部分で受けきるしか出来ずにいた。

「ちょこまかと……!」

 スタイリッシュタイツは体勢を即座に変え、その細い体躯からは想像できない程の鋭い前蹴りを突き出す。

「うぉっ!」

 蹴りは綺麗にヴラフォスの腹部に当たり、そのまま岩田は壁に叩きつけられた。

 衝撃でビルのコンクリートは剥がれ落ち、岩田もそのまま崩れ落ちる。

「大丈夫ですか!?」

 白台の声がビルの間で反響する。突然割って入ってきたパワード・スーツの男を助けようとするが、身体に力が入らず、立つことさえままならなかった。

「いたたたた……? あれ、あんまり痛くない……あ、大丈夫です! あなたは隠れていてください!」

 白台の心配を余所に、岩田は『よっこいしょ』とゆっくりと立ち上がり、その足取りはしっかりとしていた。

「馬鹿な……! 何故平然としている! なんなのだそのスーツは……!」

『フフッ……面白い。”黒”、今日は撤退するとしようか』

「主……そんな、あのスーツを持ち帰れば私たちの計画が……」

 スタイリッシュタイツが何か一人で話し始めた。その様子は慌てているようで、岩田から目を離し始めた。

「あ、あれれ……?」

 岩田は急な態度の変化にオロオロしつつも、ちゃっかりスタイリッシュタイツから遠ざかろうと、静かに背を向けて五歩ほど歩いたその時。

『あなたとは長い付き合いになりそうだ』

「え?」

 岩田が振り向くと、スタイリッシュタイツの身体から違う声が聴こえる。

あるじ……!」

『”黒”、ここでこの技術者に敬意を示して名乗ってあげるのも、私たちの務めだと思わないかい?』

「……はっ。主が仰せならば」

 ”黒”と呼ばれたスタイリッシュタイツは短刀を手甲に素早くしまい、戦闘体勢をようやく解除した。

『つい先程、あなたは私たちが何者なのか聞いていたね』

「え、ええ……いや、でも、あの……」

 聞いたら聞いたでまた何か悪いことが起きそうな、第六感のようなものが働き岩田はしどろもどろな返答をする。

「どっちなのだ貴様!」

「ひぃい! 聞きます! 気になります!」

 黒の剣幕に圧され、渋々聞くことを決心させられた。

『はぁ……すまないね、黒は少々気が短いんだ。……話は脱線したけれど、私たちの名前は”ゼノン”。この日本という国を変える者たちだ』

「ゼノン……日本を変える者……?」

『そうだ。私たちはそのパワード・スーツを、君の技術力を大変高く買っている。今度会った時は正式に君をゼノンに招待する手筈を整えておくことにするよ』

「え?」

「……貴様、命拾いしたな」

「え、あ、あの……」

 岩田の声は二人には届かず、黒は手甲から何か上方に打ち出すとワイヤーが張られ、それに引かれてビルの上へと逃げていった。

「あの……」

「ひゃいっ!? ……あ、あなたでしたか」

 あまりの怒涛の出来事たちに、岩田は隠れていた白台のことを若干忘れかけていた。白台は最後の力を最後の力を振り絞り、岩田の前に立った。

「どなたか存じあげませんが、本当にありがとうございました……」

 白台は深々と頭を下げると、そのまま冷たいコンクリートへと崩れ落ちた。

「白台さん!? すぐに、すぐに助けを呼びますから! しっかりしてください!」

 岩田は持っていたとても薄い携帯電話で一一九のダイヤルを押し、救急車を呼んだ。不幸中の幸いといったところか、救急車はすぐに到着し、パワード・スーツを足腰に装着した隊員が手早く軽々と白台を担架に乗せ、発進の準備に取り掛かった。

「あの、あなたも乗って行かれますか?」

「いえ、私は、通りすがりというか……」

 何故か終始隊員たちが岩田を怪訝そうな眼差しで見つめていた。

「あなた……何者ですか?」

「え、私の名前は岩……」

 しまった――パワード・スーツを着ていることに気がついた岩田は口をつぐんだ。次第に全隊員たちから怪しまれ始め、岩田は二度目の窮地に陥った。

「あの、私、怪しい者ではありませんから! すみません……失礼します!」

「あ、待って!」

 救急車の隊員たちの静止を振り払い、岩田は救急車から逃げるように走り去っていった。



「だはぁあ……」

 火曜日、岩田はいつも通り出勤していた。ただひとつ、いつも通りじゃなかったことは……

「痛っ!」

 落としたペンを拾おうとすると太腿、ふくらはぎ、腹筋、背筋その他諸々……全ての筋肉が悲鳴をあげた。

「大丈夫ですか、岩田さん」

 隣のデスクの男性がほぼ興味なさそうに、社交辞令程度に話しかけてくる。やっとの思いでペンを拾った岩田は隣の男に向き直る。

「ええ、土曜日に運動したら、このザマでね。年なんてとりたくないもんですよ」

 岩田も丁寧に答えるが、やはり男性は終始興味なさそうに聞いていた。

「そうなんすね。あ、そういや土曜日といえば、アースの社長さんが刺された事件、聞きました?」

「えっ、あ、そうなんですか?」

 白台のことを指しているのだろう。岩田は咄嗟に知らないふりをしてしまったが、隣の男は岩田の心配の時の表情とは打って変わって野次馬根性丸出しのキラキラした目で話し始めた。

「怖いですよねぇ。通り魔に刃物で襲われたとか、超怖いっすよね」

「それは、白台社長も災難でしたね……」

 もう大丈夫なのかな、と岩田は不安な気持ちに襲われたが、相手に合わせて大げさに不安な表情を出さないように気を使っていた。しかし――

「あ、なんでも今日やっと目を覚ましたらしいですよ」

「ほんとですか!?」

 岩田は驚きのあまり立ち上がってしまった。



「お疲れ様です!」

 岩田は終業時間が終わり、少しだけ書類業務をこなしてから足早にオフィスを後にした。

「岩田君!」

 玄関の自動ドアを出て、会社ビルの横まで来たところで誰かに肩を強めに叩かれた。

「あいたたたた……社長、お疲れ様です」

 またしても示門その人だった。今日は特に満面の笑みを浮かべ、何か聞いてほしそうにしていることを岩田は悟った。

「何か良いことでもあったんですか」

「そうなんだよ! だからさ、飲みに行こう!」

「結局飲みたいだけじゃないですか……」

「そうだよー」

 屈託の無い笑顔で問に答えるその姿は社を背負う社長とは思えなかった。

「すみません社長。この後、寄るところがありまして……」

「そうなの……?」

 ついさきほどまで満面の笑みを浮かべていた示門の顔がみるみるうちにしょぼくれていく。

「じゃあさ、岩田君、クビね」

「えええええええええ!?」

「冗談冗談! 社長ジョークでしたぁ」

「たちわるッ! ……もう、まだ火曜日なんだから飲み過ぎはいけませんよ」

「えー、分かったー。じゃあ今日は帰って休むよー」

 そのジョークのせいで心臓を止めかけていた岩田が盛大に溜息をつくと、今度は車から別の人物が降りてきた。

「社長、もしやそちらの方は……」

「ああ、流可!そうだよ、こちら岩田君。で、こっちはうちの運転手のまがり流可るかだ」

 曲からは背筋をピンと伸ばし、髪を後ろ手にきっちりと縛り、いかにも仕事のできる男、という感じの印象を受けた。

「岩田様、先日はうちの大君が多大なるご迷惑をおかけして、誠に申し訳ございませんでした」

 曲は姿勢をきっちり四十五度曲げ、そのまま固まってしまった。多分曲は先日の飲み会のことを言っているのであろう。いえいえと岩田も会釈し、頭を上げてくださいとオドオドしだしてからやっと顔を上げた。

「あ、岩田君、お詫びに車乗ってく? 送るよ!」

「いえ、ここから近いので……お心遣い、ありがとうございます」

「そっかー……分かった。じゃあね、岩田君!」

 示門が車に乗り込むと曲がドアを閉め、岩田に深々と一礼してから運転席に乗り込んだ。大君家の車が発進し、見えなくなるまで頭を下げ、見えなくなったところで腕時計を確認した。

「やっば! 面会時間間に合うかな……」


「ねえねえ、”黒”……やっぱり岩田君をゼノンに入れられないかな」

「…………その名前は、スーツを着ている時だけだと何度もご忠告申し上げていますが、主よ」

「あ、流可だって今”主”って呼んだじゃん!」

「…………申し訳ございません、示門様」

「……で、岩田君のことなんだけど、俺あの人気に入ってるんだけどさ、どう思う?」

「………………無理、ですね」

「どうして?」

「だって彼は――――」




「何も知らなさすぎますから」

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勤労戦士・岩田務 風見ちかちか @chikachika

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