勤労戦士・岩田務
風見ちかちか
第1話 ヴラフォス、起動
時は二〇XX年。
日本は少子高齢化が進行し、それと共に介護用品やロボットの技術が発達していた。
道行くご老人の足腰には重厚な器具がついているが、皆軽やかに歩いている。あれが俗に言う”パワード・スーツ”の一種であり、現代の日本にはごく普通に浸透しているものである。
引越し業者、警察官、介護士、様々な職業の人たちが様々なパワード・スーツを身につけ、さらには犯罪者までもパワード・スーツを身につける時代となっていた。
そんな日本で、”彼”は介護社会の大波に乗っている健康器具販売会社で働く普通のサラリーマンとして一生を終えるはずだった。
が――
「………………ぁぁぁぁぁぁあああああああああああああっ!」
彼は今、落下している。
彼が来ているパワード・スーツ、この“ヴラフォス”のために彼は今、落下している最中だ。
そしてこれが、“ヴラフォス”が彼の運命を変えてしまうとは――ちょっと夢には見ていたけれど、まさかそれが現実になってしまうとは思わなかった――
*
「暑……」
雲一つないまっさらな青空、容赦なく照りつける太陽。道行く
「……でさあ、超ウケるんだけど……」
やはり若い子は元気だ。前から歩いてきたガングロ、というのだろうか。かなり肌を焼いたギャルっぽい女の子が周りの喧騒をかき消す程の大きな声で電話をしながら歩いてくる。
「マジで? あっはー、それマジやべえ……」
ガングロギャルは人混みをものともせずズンズンと彼の方へ近づいてきた。
「痛って!」
「いでっ……」
彼はギャルを避けようとしたが、暑さと疲労のせいか身体が言うことを聞かず、彼の右肩とギャルの右肩が少々ぶつかってしまった。
「あ、すみませ――」
「ボサッとしてんじゃねえよ、ジジイ」
『ジジイ……ジジイ……ジジィ…………』
頭の中で、“ジジイ”という単語が反響していく。
「ジジイ、か」
改めて、自分が年をとったことを気付かされる。
*
「はあ……」
地獄の外回りから帰って来、冷房の効いた快適なオフィスで事務作業をするも、“ジジイ”と改めて気が付かされるとそれだけでなんだかまた十歳くらい老けたような気分になる。
「岩田ぁ! 悪いが明日の会議までにこの資料まとめておいて!」
「岩田さん、コピーまだですか」
「先週頼んでおいた売上票の整理まだかよ岩田」
一瞬で老けこんだ岩田に追い打ちをかけるかのような終業時間ギリギリの追加業務。
「わかりました。明日の朝までに仕上げておきますね」
「デスク横のダンボールに入っていますよ」
「データは送ってあります。二番目のフォルダをもう一度ご確認いただけますか」
彼に命令をくだす上司の多くは彼より年下だ。そんな中でも岩田は何一つ嫌な顔をせずに淡々と業務をこなす。
どのくらい時間が経っただろう、気がつけばオフィス内にはもう彼と一人の女性事務員しかおらず、カタカタカタと寂しくキーボードの音だけが響いていた。
「あの、お先に失礼します」
「あ、ああ……お疲れ様です」
その女性もいつの間にか帰り支度を終わらせ、業務的に挨拶をしてくれるとそそくさと足速にオフィスを出て行った。
岩田にはまだ片付けなければならない書類があるので、作業に再び没頭した。
再び時間は過ぎ、腕時計をちらりと見やる。
「もうこんな時間か……」
十時をとっくに過ぎていた。
仕事一筋で生きてきた岩田には、妻も子もいない。
「帰るか……」
帰っても、彼を迎えてくれる家族などいない。
帰り支度を整え、椅子から立ったその時――
「いーわーたーくーんっ!」
「へぶあっ!?」
突然何者かにより彼の身体は突き飛ばされ……否、何者かごと二人で床に崩れ落ちた。
「いたたたた……何するんですか」
こんなことをしてくる人は一人しかいない。
「ごめーん、岩田君。勢いつけすぎちゃった」
「社長……危ないっていつも言っているじゃないですか」
何を隠そう、岩田の目の前で舌出しウインクという常人では恥ずかしくて不可能な所業をやってのけるこの男は、岩田が務めている健康器具販売会社『株式会社
「久しぶりだったからさ、テンションあがちゃってさ……」
オーギミは八十年続く老舗企業であり、この男は五代目である。現在二十四歳と、こんなにも若いのに敏腕で、最近の社の業績はこの男のおかげでうなぎ登りなのだが……
「あー、もう今日さ、取引先で嫌なことがあってね……」
岩田には一つだけ解せないことがある。
「というわけで」
「というわけで……?」
「久しぶりに飲みに行こう!」
「……え?」
何故か、懐かれているのだ。
*
「プハーッ! やっぱ仕事終わりの一杯は最高らよね!」
今日は花の金曜日。少し手狭な居酒屋の店内は会社という檻から放たれた戦士たちで溢れかえっている。示門と岩田はカウンター席に座り、もうかれこれ二時間は食べて飲んで愚痴を聞いて、を繰り返していた。
「社長、もう一杯どころじゃないじゃないですか……流石に飲み過ぎですって」
「いーのっ! 俺にだって飲みたい時くらいあるの! 今日らって大変だったんだからぁ……」
示門は手に持っていたビールジョッキをドンッとテーブルに乱暴に置くと、そのままテーブルに突っ伏してしまった。
「そ、そうだったんですか……」
今日の取引先での愚痴は三回聞いている。また同じ愚痴なんだろうと岩田は高をくくっていたが、次に帰ってきた言葉は予想だにしないものだった。
「岩田くんが、お父さんだったら良かったのに……」
「え?」
岩田は驚いて示門の方を見ると、俯いている彼の横顔が、少し寂しそうに見えた。
「ごめん、忘れてくれ……岩田君、いつも愚痴聞いてもらって、困らせちゃってごめんね」
『ああ、すごい人だと思っていたけど、やっぱり普通の二十四歳の若者なんだ……』
岩田の心の内に、長らく忘れていた、父性のようなものが湧き上がってきた。
「社長」
「へ?」
「私なんかで良ければ、いつでも話、聞きますよ」
岩田は自分でも知らぬ間に、社長の頭を子どもにしてやるようにポンポンしていた。
「…………岩田君」
社長にぽつりと名前を呼ばれたところで我に返り、自分がした事の重大さにようやく気が付き手を引っ込めた。
「すすすすみません社長! 出すぎたマネをっ!」
『や、やってしまった……気安く社長の頭を触るなど、減給か!? 左遷か!? 今度こそクビなのか!?』
岩田が全力で将来を悲観していると、示門はガタッと勢い良く立ち上がり、数秒間何も言わずに停止していた。
『あ、私オワッタ……』
……が、次の瞬間。
「…今日この店のお会計、俺が全員分支払っちゃいまーす!」
「…………へ?」
店内のあちこちから『おお―!』と歓声が上がり、示門は見たこともない真っ黒なカードで宣言通り、店内にいた全員分の料金を支払った。
この後、岩田はどうしてもという示門に付き合い一件だけはしご酒に付き合い、そこで完全に酔いつぶれてしまった示門をなんとかタクシー乗せ見送り、自分ももう一台タクシーを拾って家に帰った。
*
「はあ……もう一時か…」
せっかくの土曜日、起床したのはお昼も回って午後一時であった。炊飯器に残っていた米を温め、納豆と一緒に食べる。
休日は特にやることがなく、家族もいない、趣味をともにする様な友人もさしていないため、岩田は全てを自分の趣味につぎ込んでいる。
自宅横の大きなガレージに、毎週末引きこもっては黙々と作業を進める。新築一戸建てまで買ってやりたかった彼の趣味は“機械いじり”だ。子どもの頃からロボットアニメが大好きで、ロボットを作るという夢を追いかけ続けてきた。
そして今、彼が全ての熱を注いで制作しているのが、この新型パワード・スーツだ。
外装は特にこだわった。白をベースに、ところどころ黒を入れて全体の印象を引き締めて、センター部分のアクセントカラーに赤を入れた。ヘルメットはフルフェイス型で、彼の好きな『ダンダム』というアニメに出てくるロボットに憧れて目の部分が光るようにしてみた。
「はぁ……」
十年以上前から試行錯誤を続け、先日やっと外装や理論上の機構が完成したが、プログラムが間違っているのか正常に作動しない。動くといえば動くのだが、想定していた十分の一程度しかパワーが出力しないのだ。
「どこなんだ……」
ぼんやりとソースコードを書き直しているが、壮大に広がるアルファベットと数字に眠気が襲ってくる。
この年齢になってくると前日の疲れがなかなかとれない。だんだんと瞼が重くなっていき、キーボードを叩く手が止まり、頭もボーッとしてきた。やがて彼は意識をなくし、そのまま深い眠りへと落ちていった。
落ちる瞬間、キーボードを押してしまったことも知らぬまま――
Loading……21%
・
・
・
Complete……100%
『インストール完了。“ヴラフォス・オリゾン”ノ起動ヲ開始シマス』
プシュゥゥゥウウウウ――
「……ん? あ……あああああ!?」
異音がすることに気がついた彼がヴラフォスに目を向けると、スーツから煙が出ていた。慌てて消火器に手をかけるが、煙の中で、何かが光っていることが分かった。
「これは――」
岩田は消火器をその場に置き、パソコンでデータを確認する。ディスプレイには今までとは比べ物にならない予測数値が出ている。バグでも起こしたのではないかと不安になる気持ちと、いや、そんなまさか、と期待の気持ちで震える手を抑え、確認をしにヴラフォスへ近づいていく。
スーツの真下まで来た時、驚いたことに気持ちは穏やかに、至って冷静になっていた。
ブゥゥゥウウウン……と微かに聞こえる起動音。それはいつもの、煩雑で聞き苦しい音とは違い、安定していることを示す、ヴラフォスの呼吸音のようだった。
「お前、動けるのか?」
意思など持たないスーツに岩田が話しかけると、まるで彼の問いかけに答えるように瞳のライトが一際強く光った。
「………………よし」
*
ヴラフォスを装着してガレージを出た岩田は、悪いとは思いつつ解体中のビルに侵入した。そこの屋上に立って、もう一度装備を確認する。出力調整、冷却装置の安全確認、カメラの認識感度、そして。
「あ、あー。テステス。マイクテスト」
意外と忘れそうなマイク確認。万が一にでも知り合いに見つかってしまった時の身バレ対策だ。マイクを通してヘルメットの外に出力される岩田の声はほぼイケメンと言っても過言ではない。
「は、恥ずかしいが……うん、誰も聞いてないしな。ごっほん……あー、岩田、行きまーす!」
実はこの声、岩田が好きな『ダンダム』の主人公の声に設定してあった。かっこいい声で、キャラを自分を重ねあわせて自分を奮い立たせた。助走を付け加速をつけると、人間ではほぼありえない加速度まで上昇した。そして足に力を込めジャンプすると、隣のビルの屋上に飛び移り、着地に成功した。距離にして八メートル。この程度は現代のパワード・スーツには朝飯前なものである。岩田はヴラフォスと共に次々とビルを渡り歩くと、目的のビルに到達した。
階数およそ十五階、高さにしておよそ七十メートル。
「ここからの衝撃に耐えられれば……」
ヘルメットを外し下を見下ろすと、狭く暗い路地裏が口を開けて待っており、更に恐怖感を高める。
「うひぃい……」
ヴラフォスに守られているはずの股間がヒュンとする。ビルの
「だが、これに耐えられなければ……成功とはいえない……」
ヘルメットを付けてもう一度下をみる。と同時にヴラフォスのカメラが起動し、高度を計算し始める。岩田の視界に『OK』という表示がデカデカと映しだされる。
「そうだな、ヴラフォス。お前ならできるよな」
「岩田、ヴラフォス、行きます!」
「………………ぁぁぁぁぁぁあああああああああああああっ!」
彼は今、落下している。
自分が生み出したヴラフォスを信頼してはいるが、怖いものは怖く、悲鳴は抑えきれなかった。岩田が恐怖で意識を手放しかけたその時、運悪く着地地点に走ってきた二つの人影をヴラフォスのカメラが補足した。
「そこどけてくださぁぁぁぁぁぁああああああああい!」
「え?」
一人が気がついて声の方を振り向いたが遅かった。
ドォン、と轟音を響かせ、辺りには土埃が舞い散った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます