第4話「ただそれだけ」

 脚を、変な方向に引っ掛けてしまったらしい。 


 何かが引っかかる不吉な音とともに、視界が反転した。


 なんとか体勢を立て直そうとするが、足も手も空をひっかくばかりで俺は、そこで勢いよく地面に叩きつけられた。


「いっ……」


 盛大に転んだ俺は、捻った足とすりむいた膝を抱えて悶絶した、痛みで声も出ない。


 長いジーパンでよかった、これが半ズボンだったら一体どうなっていたことやら。


 立ち上がろうと地面に手を着くと、コードも一緒に手に絡まり、電子ボーカルの寛大な歌声は途中で中断され、お気に入りヘッドフォンは重力に引っ張られて地面に落ちる。


 虚しくて声も出ない、とっとと立ち上がりつつコードを手繰って、ヘッドフォンの具合を見る、買ったばかりのヘッドフォンには傷がついていた。


「壊れてないだけまし、壊れてないだけまし……」


 諸行無常、機械はいずれ壊れて数年経てば型落ちする。


 これくらいなんてことない。


 そう、大須で一万近く出して購入したことを除けば。


 俺は、周囲の注目にまるで気がついてないふりをしつつ、ヘッドフォンをつけて再び歩き始めた。


 元気の出る、お気に入りの曲をかけよう。


 俺は、前を見ずにウォークマンでアルバム一覧をいじっていると、思い切り電柱にぶつかった。




 LINEによると、待ち合わせ相手はすでに到着していて席についているらしい。


一人では入ることのない小洒落たカフェーに、全身ユニクロコーディネートで入るのは若干勇気が必要だったが、店と同じくらい小洒落た店員に連れのいることを伝えるとすぐに案内された。


 なんで禁煙席なんだ、俺が煙草吸うことを知ってるだろうに。


そして、なんで窓際なんだ外から見えるじゃないか。


俺はその不平をぐっと飲み込むと極めてポーカーフェイスを保ちながらその男に近寄った。


「待ったか?」


 五年ぶりにあった男は、相変わらず爽やかな笑顔で俺に笑いかけてきた。


 隙のない服装、ハーフゆえに日本人離れしながら親しみのある顔立ち、色が白く毛深くもなく中性的であるがしっかりとした体つき、これで金持ちなんだから本当に腹立たしい、女性向け恋愛ゲームの世界にお帰りいただきたい。


「久しぶり、そんなに待ってないよ」


 爽やかな笑みで言われると、神経を逆撫でされた気分にもなるが、俺の被害妄想だ。


「俺が、喫煙者なの知ってるよな。お前」


「やめたほうがいいよ、体にも良くない」


 こういう奴だ、これを天然でやってのけているから恐れ入る。


 居心地のよくなさそうなガラス張りの窓際席で、俺はソイツの向かい側に座った。


「よくこんな往来のど真ん中にいるような席に座れるよな……」


「嫌だったら、席変えようか?」


 心配そうな顔で言われるが、俺は手を振って出来るだけそっけなく答える。


「そこまでじゃないからいい」


 なんとなく嫌なだけだ、お前と同じくらい嫌なだけ。


「注文は?」


「まだだけど、一緒に頼もうと思ってね」


 真っ先に俺にメニューを渡す、とりあえずカフェオレを頼む。


 なにか食い物でもたのもうと思ったがわかりづらい横文字の上に、量は少なそうだったのでやめておいた。


 向かいの男が、優雅に店員の女の子に紅茶を頼むのを待ちながら水を舐めつつひたすらメニューを眺めていた。


 高さがあるならまだしも、往来からもろにこちら側を見られる席は落ち着かない。


 そんなに外が見たいんだったら、どこぞのアダルトビデオよろしく全面マジックミラーにすればいい。


 俺がそんなことをぐだぐだと考えていると注文が終わったヤツは、俺に向き直った。


「いやあ、俊彦としひこと会うのはもう五年ぶりくらいだよね。卒業以来かな、お前忙しかったし」


 そういえば、久々に名前を正しく呼ばれたきがする。


 だいたいの人間は俺を呼ぶときには、もう一つの名前か渾名か、そうでなければ苗字で呼ぶ。


伊知哉いちやのほうが忙しかっただろ」


 そう言いながら、俺から見て右の手の薬指にはまった指輪を見た。


「そうでもないよ、親父の補佐だけで」


 苦労知らずの三代目がよく言ったもんだ。


「お前こそ忙しかったんじゃないのか? お前の本、書店でよく見るけど」


「売れ残ってるの間違いじゃないか?」


 自嘲気味に笑う、この頃はペンネームで呼ばれることが多いが、まあ悪い気分じゃない。


 むしろ、好きなことで食べているんだ。


 とてつもなくいい気分だが、コイツといるとなぜかそれが無くなる。


「ほら、漫画にもなるみたいだし凄いじゃないか! そういうライトノベルっていうのあんまり読まないけど、すごいと思うし」


 そう言いながら自分の鞄を出して、中から俺の本を取り出す。


「というわけでよろしくお願いします、先生」


 ペンも渡された、用意がいい。


 嫌だ、という言葉を飲み込んでいつものようにサインを書く。


 こいつは忘れているのだろうか、五年前に就活そっちのけで作品書いていた俺にそんなこと辞めろと言ったことを。


 出たくもなかった同窓会に出ろと進言してきたり、事あるごとに禁煙しろと言ってきたり、新入生の時のグループディスカッションでめんどくさくて参加してなかった俺を気にかけたりしたことを。


 まるきり忘れているのだろうか。


 コイツの前で合コンに行ったことがないと言ったのが運のツキ、無理やり飲み会だと連れて行かれて女子全員に白い目で見られるたのも。


 伊知哉は紛れもなく善人だ、他人の嫌がることはしないし、孤立してる奴には話しかける、そういう人間だ。


 だが、伊知哉と俺はどうしようもなく噛み合わない。


 馬が合わない、というのだろうか。


 こいつの善意の結果は、俺の好みとどうも合わないらしい。


 しかし、それだけだ。


 俺がコイツを気に入らないのはそれだけで、ほかの奴らはコイツが好きだ。


 俺の僻みや妬みもあるかもしれないが、気に入らなかった。


 昔も今もこれからもそれは変わらないだろう。


 サインを書き終わって、本を伊知哉に手渡す。


「で、俺の結婚式なんだけど」


「行かないからな」


「え?」


 そんなまさかという顔で俺を見る。


 柄じゃないし、着ていく服もない。第一、お前の嫁さんは俺の従姉妹だ。


 これから正月に実家に帰れば、嫌ってほどコイツと顔を合わせなきゃいけないのに、なんでわざわざお祝いしに行かなきゃいけないんだ。


「ちょっと、打ち合わせがあってどうしてもいけないんだ」


 適当に嘘をつく。


「そうか、残念だよ」


 割とあっさりと引き下がってくれたのに安堵していると、注文したカフェオレと紅茶が運ばれてくる。


「……まじかよ」


 カフェオレはどでかいカフェオレボールに注がれた本物だった、今日は厄日らしい。


「変える?」


「いや、いい」


 悔しいことに、カフェオレは美味かった。


 本当に、今日は気に入らないことばかり起こる。

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雑多短編集 はるゆき @haruyuki

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