第1話 フラグには気をつけろ


『世界改変能力だな』


ジョーさんにスマホで電話をかけて事情を説明すると、彼女は開口一番にそう言った。


「……なにそれ?」

『そいつの能力だよ。間違いねー』


間違いないと言われても、そんな能力が現実にあるなんて話は聞いたことがない。その何の根拠もない自信は一体どこから湧いてくるのだろうか。


「そもそも、その能力は具体的にどんなものなんだ? 僕はまだ頭が混乱していて、うまく考えられないんだ」

『おいおいどうした? 不甲斐ない。元々この手の理屈付けはお前の専門分野だろ』


僕とジョーさんは主に執筆担当と構想担当で分かれているが、彼女が持ってきたアイデアを論理的にまとめるのも僕の仕事の一つだった。

ミステリー嫌いを豪語する彼女が、何故か頻繁に構想を練ってくるミステリー小説のトリックを考えるのも大抵僕だ。滅茶苦茶な要求をされることも少なくなく、おかげで心労が溜まりっぱなしだった。


「前々から言いたかったんだけど、僕が得意とするのは現実に即した世界観づくりだ。荒唐無稽な能力を解析するのは僕の専門分野じゃない」

『分かった分かった。そう神経をとがらせるなよ』


常日頃から神経をとがらせっぱなしのジョーさんには言われたくないセリフだった。


『ほら、昔流行ったライトノベルがあっただろ。あれのヒロインと同じだよ。ええーっと、涼──』

「待った。それ以上は言わないでくれ」


これ以上敵を増やすのはごめんだ。

言ったそばから神経をとがらせるようなことをしないでくれ。


「一から説明してくれ。一から、君の言葉で。分かった?」

『めんどくせえなぁ。簡単に説明すると、そいつの能力は、自分の認識したように現実を変える力ってことだ』

「現実を変える?」

『そいつはその刑事さんが犯人だと“思った”。それに現実が“合わせた”。まあそういうことだ』

「……訳が分からない」

『そいつが思ったことが現実になるんだよ』

「ますます訳が分からない」


理解できる人間がいるとしたら狂人のそれだ。現実を途絶し、空想の世界で生きているジョーさんからすれば、お茶の子さいさいなのだろうが。


『そいつは自分を名探偵だと言ったんだろ? 行く先々で殺人事件が起きて、犯人を見つけるんだろ? それはそいつがそう思ってるから起きるんだよ。普通の人間は推理で真実を暴くけど、そいつの場合は逆なわけ。真実を推理に変える。故に百発百中の名探偵』

「ということは、やっぱり事実は違うってことか? 刑事さんは犯人なんかじゃなくて、あの被害者はただ誤って落ちただけの事故で、最初から犯人なんていなかったのか?」

『まあ、おそらくそうだろうな。こわ~』

「こわ~、じゃない! 僕は現在進行形で巻き込まれてるんだぞ!!」


僕は自分を落ち着かせるために一度深呼吸をした。


「……対策は?」


ジョーさんのことだ。

そこまで本質を理解していて、まるきり無策ということはないだろう。


『ん~……』


ジョーさんは今日の夕飯の献立を考えるような気軽さで唸った。

僕が命の危機に瀕していることをきちんと理解してくれているのか、少し心配になる。


『オレが聞く限りでは、そいつはミステリーというよりはホラーの類だと思うんだ。分かりやすく言うとモンスター』


モンスターか。

確かに、あの恐ろしい笑みを見れば、そのカテゴリーに当てはめるのが適当だとも思う。


『モンスターってのは、その物語の登場人物からすればほとんど対策の効かない脅威であることが多い。簡単に対策ができないからこそモンスターと呼ばれるわけだしな。だが、モンスターはモンスターで色々と縛られているもんなんだ』

「縛られる? 何に?」

『お約束にさ』


僕は眉をひそめた。

彼女と話していると、時々その理屈についていけない時がある。今がまさにその時だった。


『あいつらにはテリトリーがあるんだよ。貞子には呪いのビデオというテリトリーがあるし、伽椰子には呪われた家というテリトリーがある。何故そういうテリトリーがあるかというと、奴らは無敵であるがゆえに、その無敵性を発揮できる場所を限定しないと、世界が滅んじまうっつー欠点があるわけだ』


妙な話だが、なんとなく分かる気もする。

七日で人が死ぬという呪いを無制限にばらまくことができれば世界は崩壊する。しかし世界が崩壊していないのだから、そこには呪いを限定する何かがある。そして限定されている以上、その呪いは何でもありというわけではない。逆説的だが、理屈は通っている。


「今回でいうと、コナーの周辺という限定性があるわけか」

『多少特殊なのは、そいつは二段階に呪いを分けている点かな。名探偵の近くにいる人間が偶然死亡し、そこでさらに強固なテリトリーが構築される』

「ビデオを見たり家に入ったりするのと同じように、誰かが事故死することで呪いが発動する。コナーは発動条件の段階で人を殺すことができるのか。……となると、貞子や伽椰子よりも強い呪いということになるのかな?」

『いや、そうとも限らねーぜ』


意外にも、ジョーさんは即答した。


『ホラー映画のモンスターってのは文字通りの怪物だ。主人公が七転八倒しながら呪いを解こうとしても、最終的には蘇っちまう。それは何故だと思う?』

「蘇るっていうのは……ラストの定番として、倒したと思っていたけど倒せていなくて、襲い掛かられてバッドエンド、みたいなやつ?」


あれは理不尽だと思うことも多い。

せっかく成仏させるためにいろいろと試行錯誤したのに、結局全て無意味だったと突き放されるのは、なんというか無常観が漂う。

僕はしばらく考えて、素直に分からないと答えた。


『それは奴らが根源的な恐怖だからさ。悲惨な過去があって貞子や伽椰子という怪物が生まれた。だが貞子や伽椰子が怪物になった時点で、そんなものに意味なんてなくなるのさ。何故なら奴らは恐怖の集合体であり、奴らが体現しているのは個人の恨みや呪いではなく、人類すべての恐怖だからだ』

「個としての悲惨な過去はきっかけにしかすぎず、出現したモンスターはその個とは無関係、ということ?」

『そ。だからそもそも解法なんて存在しない。オレ達人間は、恐怖という感情を決して排除できない。これが個であるのなら、成仏させることもできるんだろうがな』


成仏というのは、結局欲求の解消だ。自分の悲劇を誰かに知らしめたい、誰かに想われたいという願いがあって、初めて無念を解消できる。

だが願いがなければ成仏はできない。成仏できなければ、モンスターは無敵の恐怖としてあり続ける。モンスターはモンスター足り得る存在となる。


「……ん? てことはコナーは……」


ジョーさんの笑い声が聞こえた。


『ようやく今朝の話を思い出したか? そう。名探偵は自己承認欲求の塊だ。どんなに変人で、謎以外興味ないって顔してる奴でも、結局大衆の前で推理を披露したくなる。誰かに自分の頭脳を認めてもらいたいんだよ。その女はよりその傾向が顕著だ。それは人が持つ欲求であり、怪物の持つそれではない。故に攻略可能。簡単な話だ』

「確かに簡単だ。その攻略法が分かりさえすればね」


しばらくの沈黙が流れる。

その後、ジョーさんはとんでもないことを言ってきた。


『お前、あいつに惚れさせろ』

「……は?」

『あの女にとって、既にお前は登場人物、容疑者の一人だ。強固なテリトリーの中に組み込まれちまった。だが幸い、そのテリトリーには安全圏になる枠が一つ余ってる。ずばり、幼馴染枠だ』

「ちょ、ちょっと待てよ。いきなりそんなこと言われても、僕はライトノベルの主人公じゃないんだ。そんな器用な真似ができないのは分かってるだろ?」

『多少ヘタこいても構わねーよ。考えてもみろ。そいつの近くにいたら必ず殺人が起き、犯人が自殺するんだぞ? そんなあぶねー女とずっと一緒にいたいと思う奴なんていると思うか? 現実はそんなに甘くねーんだ。幼児化して音信不通になった幼馴染を二十年近くも健気に待ってくれる女なんて存在しねーんだよ』


一体誰のことを言ってるんだ……。


『そうでなくても、高慢で痛いセリフばかり吐くつぎはぎだらけのフランケン女なんて誰からも愛されねー。だからほぼ間違いなく、あいつは今孤独なんだ。自己承認欲求の塊が、この現状に不満を持っていないはずがない。だからお前をワトスン役に選んだ』


これだけこてんぱんに貶されると、なんだかコナーのことを庇いたくなってくるから不思議だ。


『あいつを攻略するキーはあいつが人間であることだ。怪物と人間の違いは、ぬぐいきれないトラウマがあること。まずはそれを聞き出す。そしてそのトラウマを解消してやる。それでこの呪いは消滅するはずだ』


簡単に言ってくれる。

そもそもトラウマをついさっき知り合った人間に教える人なんて稀だし、それを解消できるのはもっと稀だ。そんな簡単にトラウマを解消できるのなら、カウンセラーなんてこの世には必要ない。

でも、方向性が見えたのは事実だ。

人間と怪物が融合した名探偵。その中の人間部分を見つけ出す。

ひとまずはそれを目標にして、彼女と交流を深める必要がある。


『まあでも、良いネタが見つかってよかったじゃないか』

「あのなぁ。僕はネタに命まで掛ける気は……」

『推理を真実に変える名探偵か。うん。インパクトもばっちりだし、このまま小説にしても全然いいんじゃないか? タイトルはそうだな……『名探偵の言うとおり』、なんてどう? あ、でも既存作品と少し被るか。じゃあ……『フランケンシュタインの名探偵』とか? 個人的にはもう少しこのフランケン女の特徴をタイトルで匂わせたいんだけど。一度『カクヨム』とか『なろう』に投稿してから考えるのも良いかも──』


僕は電話を切った。

今は彼女の戯言に付き合える気分ではない。


「電話終わったデス?」

「うわっ!!」


唐突に、コナーが携帯と僕の僅かな隙間ににゅっと入り込んで来た。

心臓に悪いなんてものじゃない。


「助手のくせにミーをずっと放っておくなんて、良い根性してますね」


僕は苦笑いで返し、改めて彼女を見つめた。

目をぱちくりと瞬かせる彼女は、女優にもひけをとらない端正な顔立ちだ。先ほど垣間見た怪物の素顔は微塵も感じさせない。


「一応言っておくけど、僕はまだ助手になることを了承してな──」

「せっかくミーの助手になったんデスから、交流を深めるためにも、早速どこかに遊びに行きましょう!!」


……なるほど。人の話を聞かないタイプか。

しかし、なんだか本当にそれっぽくなってきた。

ジョーさんの言う幼馴染枠に入るにはうってつけのイベントだと言えるだろうが……。


「嫌だ」

「ガ~ン。なんでデス~?」


もしかして、このデスってのはDEATHと掛けてるのか?

まったくもって悪趣味極まりない。


「僕はデートなんてしたことないんだ。突然言われても対応できない」


コナーはきょとんとして、まるで奇怪な生物でも発見したかのようにまじまじと僕を見つめ始める。

二十五年も生きてきたのだ。こういう態度を取られることには慣れている。


「デートしたことがない奴なんて願い下げってことかな? それとも、僕相手じゃデートにすらならない?」


わざと不機嫌な声を出してみせる。

多少いじわるだが、こう言えば大抵の人間は色々と察して引き下がってくれるので、僕はよくこの方法を使っていた。

コナーは人差し指を顎に掛け、上目遣いに空を見た。


「……ダイさんって草食系デスか?」

「違う。好きになった女性がいないだけだ。気になる子がいたら積極的になるよ」


たぶんだけど。


「女性が好きなんデス?」

「当たり前だろ」


デートしたことがないからってみんな同性愛者なわけがない。


「ダイさんって変な人デスね」


絶対君の方が変だ。

コナーは、唐突に僕の腕に抱きついた。


「じゃ、ミーがデートのレクチャーをしてあげます! もちろん、ミーを好きになってくれてもいいデスよ♪」


ぱちりと、可愛くウインクしてみせる。

別にレクチャーして欲しいと言った覚えもないのだが、こうなっては仕方がない。

覚悟を決めて、人生初のデートを楽しむこととしよう。


まあそれに、彼女に興味がないと言うと嘘になる。

なにせ名探偵だ。それも世界改変能力を持つというおまけ付き。こんな世にも珍しい生物はなかなかお目にかかれない。


「ほら、ダイさん! ぼーっとしてないで、早く行きますよ」


彼女に引っ張られるように、僕は歩を進めた。

せめて道中、殺人事件が起きないようにと願うばかりだ。


◇◇◇


「まず、デートといえばプリクラデス!!」


人通りの邪魔になる繁華街のど真ん中で、コナーは唐突に叫んだ。


「ふーん」


どちらかというと、先にどこかで遊んで場を温めてから撮るものじゃないのか?

しかし、コナーはどうやらデート経験者らしい。ここは先人に従っておこう。



というわけで、早速近場のゲームセンターにやってきた。

昼間だというのに筐体から発せられる音がうるさくて会話も儘ならない。日中くらい、もう少し音を下げられないものなのか。

昼間からこんな場所をぶらぶらしてる僕に言えた義理ではないが。


「……一つ言っておきます」


コナーは神妙な様子で言った。


「うん」

「お腹空いたからって一人でアイスを食べるのはデートとしてはなしデス!!」


僕は棒付きアイスを一舐めした。


「そうなの?」

「そうデス! 特に、ミーがトイレに行ってる間にそんなことするなんて言語道断デス!!」


暇だったから近くのコンビニで買っただけで、僕としては時間を有効活用しただけなのだが。


「それ、個人的な感情が入ってない?」


建前上、これはデートのレクチャーなのだから、僕が彼女を楽しませなければならない理由はないというのが僕の理屈だ。

そこまで理解してなのかは分からないが、コナーは涙目になってぶんぶんと首を振った。


「そうじゃないデス~! デート相手とは片時も離れちゃいけないルールなんデス~!!」


それは僕に女子トイレへ入れと暗に言っているのと同じなのだが。

はっきり言って不合理この上ないが、ここで彼女を不機嫌にしても意味はないだろう。

僕は素直に謝ることにした。


「ごめんごめん。悪かったよ。じゃあこれあげるから」

「そんなべっとべとのアイスなんていらねーデス!!」


結局ぷりぷりと怒ったままのコナーとプリクラを撮った。

そっぽを向いて怒りを表現している彼女の顔をタッチペンで落書きし放題だったのは多少面白かったが、個人的な収穫としてはそれくらいだ。

出てきた写真を見て、彼女がさらに不機嫌になったのは言うまでもない。



「次!! ショッピングデス!!」

「それって生活必需品を買いに行くってことだよね。一人でよくない?」

「駄目デス~!! みんなできゃっきゃわいわいしながら服を決めるのが超楽しいんデス~!!」

「超楽しいんだ」

「そうデス! 超デス!!」


なら行かざるを得ない。

なにせ超楽しいらしいから。



近くのショッピングモールに入り、早一時間。

コナーは楽しそうに洋服を物色している。

ドラマか何かでよく観る光景だ。

ライトノベルの主人公ならこの状況に歓喜し神に感謝の祈りを捧げるところだろうが、僕の心に去来する感情は、せいぜい足が痛くなってきたとか、どこかに座りたいという感情くらいのものだった。


「ね、ね。この服とこの服、どっちがいいデスか?」


コナーは初々しいカップルよろしく、片手に一着ずつ服を持って僕に聞いてきた。


「右」

「ん~、でも左のもかわいいデスし……。店員さん! どっちがいいデスか?」

「右がよろしいかと思います」

「そうデスか……。あ、そこの人! これとこれ、どっちがいいデス?」

「左って言って欲しいなら最初からそう言ってくれ」


その言葉が彼女の逆鱗に触れたらしく、僕は早々に店から追い出されてしまった。

単独行動は厳禁だというデートの鉄則を自ら破っていく暴挙に不満はあれど、ちょうど疲れてきていた僕は、デパートの外にあるベンチでゆっくりと身体を休めることができた。


しかし、これでいいのか?

初めてのデートで勝手はまるで分からないが、控えめに言っても好感度が上がっているようには思えない。

ジョーさんは惚れさせろと言っていたが、そんなウェイ系男子のような真似、やはり僕にはできないらしい。

早速家に帰りたくなってきたが、さすがにここで帰ったらどんな恐ろしい目に遭うか分からないので、渋々と彼女のことを待つことにする。


僕の前を通る人々は、大抵が誰かと一緒だった。

談笑したり、手を繋いでいたり、地図を片手に今日の予定を確認したり。

僕は性格上、孤独というものを感じたことはあまりない。ずっとジョーさんといるからというのもあるが、仮にジョーさんがいなかったとしても、孤独を感じている自分というのは想像できなかった。

だからこうして誰かがいることが当たり前の空間でも一人でいられるし、一、二年くらいずっと家に引きこもることだって容易にできる。


しかし孤独を恐れる人間なら、この光景を見て想うところの一つや二つはあるに違いない。

ジョーさんはコナーを孤独だと言っていた。

まだ数時間ほどの付き合いだが、それが真実だということを感じれるほどに、彼女は僕のような面白みの欠片もない人間と共にいて、はしゃいでいるように感じた。

道行く人々に想いを馳せる彼女は、名探偵であることと孤独を天秤にかけ、名探偵を選んだのだろうか。だとするなら、そこに一体どんな想いがあるのだろうか。

承認欲求は孤独に勝るのか否か。どちらも知らない僕には、答えをだせそうになかった。


「ダイさん!!」


呼ばれて、初めて目の前にコナーが立っていることに気付いた。


「なんで勝手にいなくなるんデス!?」

「……いや、出てけって言われたから」

「出てけって言われて本当に出て行く人がありますか!」


めちゃくちゃな言い分だ。

しかし、彼女は存在自体がめちゃくちゃな人間だ。今更言ったところで仕方がない。


「もういいデス! 今から行く喫茶店はダイさんのおごりデスからね!!」


彼女は僕の手をぎゅっと掴み、ずんずんと歩いていく。

そのあまりに力強く握る手は、必死で誰かを繋ぎ止めようとしているようにも見えた。


◇◇◇


僕達はデパートの中にある喫茶店に入った。

レトロモダンな様相で、どことなく高級感が漂っている。

人におごってもらう場所としては最適な場所だといえる。

コナーと向かい合う形でテーブル席に座ると、開口一番に彼女の愚痴が飛んできた。


「ダイさんはデートの知識うんぬんより、一般常識がぜんぜん分かってない気がします」

「恋人どころか友達もいないからね」

「……それ、人としてどうなんデスか?」


僕だってそう思うけど、本当にいないのだから仕方がない。

席について少しすると、女性店員が水の入ったグラスを僕達の前に置きに来た。

コナーはメニューすら見ずに、ついでに僕の要望も聞かずに、さっさと注文を済ましてしまった。


「まあ、たぶん向いてないってことなんじゃないかな。僕には」

「友達作るのに向いてるとか向いてないとかあるんデスか?」

「何かを持つっていうことは、それがなくなるリスクを抱えるということだろ? 効率性を重視するなら、何も持たないのが一番良いんだ。ものも家族も友達もね。そんなことを根本で考えてる人間は、まあ、なかなか人とは馴染めないだろ」


本当は、僕が進んで人と交流を深めなければいけないんだろう。僕と違って、ジョーさんはなんだかんだで人好きされる方だ。そのきっかけは、たぶん僕が作ってやらないといけない。

ふてぶてしい態度ばかりが目立つが、本当のジョーさんは誰よりも優しくて、誰よりも傷つきやすい。それは、一番間近で見ていた僕がよく分かっている。


以前、彼女が言っていたことがある。

優しい人間というのは、他人が何も思わない場面でも傷つき、その感情を背負い込む人間だと。世の大人たちは子供に優しい人間になれと平気で言うが、それは彼らが背負う心の負担を完全に無視した無責任な言葉なのだと。


初めはいまいちぴんとこなかったが、今ならなんとなく分かる。

僕はずっと、そういったものから逃げてきたから。逃げることで、ジョーさんを支えてきたのだから。


「変なこと考える人デスねー。妙なところで真面目というか」


運ばれてきたコーヒーに口をつけながら、コナーは言った。

僕の目の前にはアイスティーがある。

さすがは名探偵金田川コナーだ。ピンポイントで僕の好きじゃない飲み物を選んでくるとは。


「でも、作家さんはみんなそんなものなんデスかねー」


コナーに目を向けると、彼女はにひひと笑った。


「さっき刑事さんと話してるの、聞いてました。すごいデスね! 尊敬しちゃいます!!」

「そんなすごいものじゃないよ。一冊しか出てないし、全然売れてないし」


おまけに担当編集とは喧嘩別れでツテもなし。

新人作家として見れば底辺どころかマイナスからのスタートだ。


「僕は共同執筆という形で作品に関わっているけど、本当のところはジョーさんをサポートするだけの人間だからね。作家であって作家じゃないっていうのが本当かな」

「……今も書いてるんデスか?」

「まあね」

「誰も読んでくれないのに?」


僕は自分のアイスティーに口をつけた。

相変わらずおいしくない。


「自分に才能がないことは知ってるんだ。誰かの心を震わせられるような力もアイデアもないことは、僕自身がよく分かってる。でも彼女は違うから。彼女には、自分だけの信念があって、世界観があって。そしてその世界観は、社会をより暖かいものにすると信じてる。それが僕の書き続ける理由」

「自分じゃなくて、そのジョーさんって人のためデスか?」


コナーは身を乗り出すようにして聞いて来た。


「ダイさん自身の夢はどうなんデス?」

「……」

「なりたい自分があって、それを達成して、夢を叶えて幸せになりたいって、そう思わないんデスか? みんなから認められたいって思いませんか?」

「君は……」


コナーは机をばんと叩いた。


「ダイさんに才能がないなんてことありません! ダイさんがどういう形でどれだけ小説作りに関わったのか知りませんけど、それでも誰かに才能を認められたから、夢を形にできたんじゃないですか。そこに少しでもダイさんの手が入っていたなら、たとえ売れてなんかなくても、自分だけで書いたものじゃなくても、それはダイさんの才能です!!」


コナーの様子には鬼気迫るものがあった。

他人のことを話しているのに、まるで自分のことを話しているような。


「あ、ありがとう」


僕は彼女の迫力に圧倒されつつも、そう言った。


「少なくとも私は、全然うまくいかなかった……。だからすごいです。少なくとも、誰かには認められたんですから」


いつも笑顔だった彼女が、沈んだ顔で俯いている。

てっきり僕を専属の伝記作家にするためにワトスン役に選んだのかと思ったが、何やら複雑な事情があるようだ。


『あいつを攻略するキーはあいつが人間であることだ。怪物と人間の違いは、ぬぐいきれないトラウマがあること。まずはそれを聞き出す。そしてそのトラウマを解消してやる。それでこの呪いは消滅するはずだ』


ジョーさんの言葉を思い出す。

不躾だろうと、ここは一歩踏み出すべきだろう。

僕は意を決して口を開いた。


「君は「お水のおかわりはいかがですか?」


店員に突然声をかけられて、僕は慌てて頷いた。

慣れた手つきでポットから水が注がれていく。

お淑やかな女性だ。年齢からして、店長だろうか。

あまり女性には興味のない僕だが、もし恋人にするならこういう人がいい。


「ではごゆっくりしていってください」


ぺこりとお辞儀をして、彼女は帰って行く。

しばらくその後姿を眺めていた僕は、視界の片隅にいるコナーが険しい目で先ほどの店員を睨んでいることに気付いた。


「どうかした?」

「……さっきの人、どうしてダイさんにお水をいれたんでしょうか」

「店員が客に水を注ぐのは当たり前だろ」

「見てください。隣の客には注いでいません」


僕は横を向いた。

一人でテーブル席に座っている男性客のコップを見ると、水が少し減った状態ではいっていた。仮に僕が店員だったとしても、敢えて注ぎにいくかは微妙なレベルである。


「妙デスね」


妙なのは君の頭だ。

何を真剣な顔で言ってるんだと半ばあきれながら水を飲もうとして、ぴたりと僕の腕は止まった。

これは……もしかしてアレじゃないか?

俗に言う、フラグというやつでは?

コナーは難しい顔で顎に手をやり、考え込んでいる。

だらだらと、暑くもないのに冷や汗が流れ始める。

もしかして、また始まるのか。

あの、荒唐無稽で恐ろしく非情な、殺人事件という名の呪いが。


ガシャアアン!!


突然、何か大きなものが倒れたような音が響き渡った。


「何事デス!?」


コナーはそう言うや否や立ち上がり、音のした方へと駆けつける。

この異常なまでの野次馬根性はさすが名探偵と言う他ない。


コナーが音の聞こえたスタッフルームに躊躇なく入って行くのとほぼ同時に、女性の叫び声が中から聞こえた。見ると、すぐ隣にある貯蔵室のドアの前で、先ほど僕に水を注いでくれた女性がいた。

口元に手をやり、わなわなと震えている。


「ちょっとすみません!」


コナーは彼女を押しのけるようにして、貯蔵室の中を覗く。

僕は彼女の背中越しにそれを見た。

狭い部屋の中は荷物の入った段ボールが散乱し、その下で男性が倒れている。

飛び出た手から血だまりが広がって行く様子は、つい数時間前に見た凄惨な死体を彷彿させた。


「……どうやら、また悍ましい事件が起きてしまったようデスね」


言葉とは裏腹に、彼女の口角が吊り上がっているのを、僕は見逃さなかった。


◇◇◇


コナーの行動は迅速だった。

被害者男性の死亡を確認すると、すぐに警察を呼ぶように指示。僕を含めた全員を貯蔵室から追い出すと、てきぱきと捜査を始めた。

僕は音や悲鳴に導かれるようにやって来た人たちに事情を説明し、彼女の邪魔をしないように事件現場から遠ざける仕事を自主的にこなしていた。

コナーに捜査の権限があるのかは些か不明瞭だが、最悪コナーが逮捕されたとしてもそれはそれで呪いを断ち切ることができるのでよしとしようという判断だ。


「この中に店長さんはいらっしゃいますか?」

「あ、はい。私ですが……」


そう言って手を挙げたのは、第一発見者であり、僕に水を注いでくれた女性だった。


「すみませんが、お名前は?」

「麗式玲城(うるわしき れいじょう)といいます」

「……なるほど。いい名前だ。覚えやすくて」


登場人物の多いミステリーにはもってこいだ。


「では麗式さん。申し訳ありませんが、店の中にいる客に事情を説明して、警察が来るまで外に出ないように指示しておいてくれませんか?」

「え? でもこれ、事故なんじゃ……」

「だといいんですけどね」


少なくとも、事故なんてつまらない結末で終わりはしないだろう。

なにせこの場には、名探偵金田川コナーがいるのだから。



それから程なくして、警察が駆けつけてきた。

麗式さんの協力もあり、ほとんど完璧な状態で指揮権を渡すことができたのは僥倖だ。

もちろん、コナーが現場を荒らしていなければの話だが。


「いやー! 久しぶりじゃないかコナー君!!」


今回の事件現場を担当する刑事が、コナーを見るなり開口一番にそう言った。

茶色のボーラーハットをかぶった恰幅の良い口ひげの中年男性。どこかで見たことがある気がするが、きっと気のせいだろう。


「ダイさん。こちらは真黒警部。よくお世話になっている刑事さんデス。真黒警部。こちらはダイさん。ミーの助手をしてもらってます」

「ほお! コナー君の助手とは、君も誇らしいことだろう。真黒だよ。よろしく」


僕はその刑事さんを無視した。

彼を積極的にこの物語に絡ませるのは、あまりにもリスクが高いという判断だ。

次に出て来るのは誰だ? 盾持警部か? もう誰でも来いだ。


「ごめんなさい、刑事さん。ダイさんは恋人も友達もいないので、ちょっと人付き合いは苦手なんデス」

「大衆の面前で人の恥を明かさないでくれるかな」


さて、お遊びはこれくらいにして、本題に入ろう。

今この場で殺人現場というテリトリーが作られた。ここの容疑者に組み込まれた人間は、決して逃れることのできないロシアンルーレットに強制参加させられたことになる。

本来なら、コナーが犯人を指摘するまで戦々恐々身体を震わせていなければならないが、幸いなことに今回犠牲になる人間は決まっている。


不謹慎だが、このケースはこちらのリスクが低い分、良い実験になるだろう。

多少無茶をしてでも、ここで何らかの成果をあげたいところだ。


「では皆さんから話を聞かせていただきましょう。それではまずアルバイトの変哲無乙女(へんてつなし おとめ)さん」

「は、はい!」


何の変哲も無いバイトの女の子が、緊張した面持ちで返事をした。


「あなたと容疑者との関係は?」

「え、えと……ただのバイト仲間で、そんなに交流はありません。同じシフトの時は話をしたりしますけど」

「なるほど。被害者男性の死因は食器などが入った段ボールが頭部に落ちてきたために起こった脳挫傷です。段ボールが落ちてきた音がしたのは14時ちょうどですが、この時間帯、彼が貯蔵室にいたことは知っていた?」

「はい。張り出してあるシフト表を見れば誰でも分かると思います」

「それではその時間のあなたのアリバイを──」

「その前に、ちょっとコナーに聞きたいんだけど」


突然話を遮られて、真黒刑事は多少不服そうだった。


「君は誰が犯人だと思う?」


コナーはじっと僕を見つめる。


「……何故そんなことを聞くんデス?」

「いや、助手として君がどう思っているのか聞きたくて。既に当てはあるとか?」


コナーは黙っている。

意外と冷静だな。矛盾が出るとまずいのか?


「……そうデスね。一応は」


その時、周りから、わっと歓声が巻き起こった。


「おおー! さすがはコナー君だ」

「名探偵というのは本当だったんだなぁ」

「すごい……」


そんな数々の称賛の言葉を聞いても、コナーは表情一つ変えなかった。少なくとも、浮かれた様子は一切ない。


「ただ、まだ確証はありません。そのために皆さんから話を聞きたいのデス。ダイさん、もういいデスか?」


僕は頷いた。

なんとなく、彼女の能力構造が分かってきた。

おそらくコナーの能力は二つの意志によって成立している。一つは彼女の主観的意志。そしてもう一つは、真実を変換する呪いという意志。


今、彼女の主観的意志は店長を犯人だと決めつけている。しかしその結論に至る過程を彼女は描けていない。それを描けるのはあの蠢く目……、呪いに意識をバトンタッチした後だからだ。


結論ありきのこじつけ。それが成立した時、真実がすげ変わる。

そのこじつけを描けていない今、彼女がやるべきことはボロを出さないことだ。

滅茶苦茶な能力だと思っていたが、意外と制約も多いようだ。


変哲無さんは犯行時間、同じアルバイトの人間と調理をしていたらしい。かなり忙しかったということだから、おそらく犯行の隙はないだろう。もう一人の調理担当も同じ理由で容疑から外れる。犯行当時に接客を担当していたもう一人のバイトは客の一人がアリバイを証明したため白。

被害者男性を殺せそうな店側の人間は、一応一人に絞られたわけだ。


「では次に、店長の麗式さんにお聞きします。被害者の死因となった段ボールについてですが、かなり高く積まれていたようですね。危険だとは思わなかったんですか?」

「どうしても置く場所ができず、仕方なく……。ですが、今日にでも片付けるつもりでした」

「では、彼が死んだ時あなたはどこに?」

「お客様に水を注いで……」


彼女はちらと僕の方を見てから、言った。


「そこのレジにずっと立っていました」

「レジに? 特に接客をすることもなく?」

「はい」


真黒警部は不審そうな目を麗式さんに向けている。


「彼女の言ってることは真実です。僕も確認していますから」

「変デスね。レジはスタッフルームのすぐ側です。ミーは音がしてすぐにスタッフルームの方へ顔を向けましたが、彼女の姿は見かけませんでしたよ」

「君の席からだと一度立って振り返らないとレジは見えない。その間に彼女はスタッフルームに入って行ったんだよ」

「普通そんな俊敏に動きますかね?」

「君は動いただろ」

「……まあ、そうデスね」


コナーは不満そうにしながらも矛を収めた。

ここで彼女の証言を認めるということは、事件概要の一つとして認識するということだ。


ギョロリ


そんな音が聞こえてきそうなほど、コナーの片方の瞳が一個の生物のように蠢いた。

きた。

僕はごくりと息をのんだ。

ぎょろぎょろと何かを探すように動いていた瞳が、唐突にぴたりと止まった。


「ピキーン! そうか分かったぞ!!」


白々しい勝利宣言だ。


「さすがはコナー君だ! で、一体誰なんだね犯人は!?」


どいつもこいつも、事故という言葉を辞書から抹消してきたのだろうか。


「まあまあ落ち着いて。まずは犯人が使ったトリックを説明しないと」


コナーは舞台女優よろしく、人々の視線が集中する場所まで移動し、右へ左へと歩き始めた。


「この事件の容疑者は、スタッフルームに出入りできた人物です。しかし、彼らにはそれぞれアリバイがある。本来ならただの事故として片付けるところデスが、今回はそうではありません。なにせ、ミーがこの場にいるのデスからね。名探偵のいるところ、起きる事件は全て殺人事件と相場が決まっているのデス」


周りの人間が、次々に頷き始める。

どうやら彼女が作り出した世界では、その理屈は常識として成り立っているらしい。


「ならばどうやって殺したのか。当然、トリックを使ったのデス。この細い糸を使った、ね」


コナーはどこから取り出したのか、細い糸を取り出した。


「トリックはこうデス。犯人はあらかじめ段ボールの一つを糸で結び、ドアの隙間に通して手で持っていたのデス。こうすれば、任意の時間に荷物を倒すことができます。無事に犯行を終えたら糸を手繰り寄せて回収して終了デス」

「さすがに被害者に気付かれるだろ」


僕は反論した。


「もちろん、貯蔵室に入った時から糸が張ってあったならそうでしょう。しかし犯人は、彼が貯蔵室で作業をしている間に糸を結び、出て行ったのデス。そうすれば、被害者は作業に夢中で糸に気付かないというわけデス。被害者に不信感を抱かれることなく、かつ貯蔵室から糸が届く範囲にいた人物。それは……麗式玲城さん。あなたデス!!」


びしりと指さされ、麗式さんは真っ青になった。


「え……? わ、私ですか?」

「そうデス! あなたしかいません! あなたなら荷物の届け日と被害者が貯蔵室を担当する日を合わせることができます! 故意に彼を殺せるのはあなた以外にいないのデス!!」

「それはどうかな。僕は段ボールを調べたけど、そんな痕は残っていなかった」


コナーは無表情で僕を見つめた。


「見落としていたのでは? だいたい、ダイさんに段ボールを調べる時間なんて──」

「真黒刑事の目も節穴だと?」


ぴくりと、コナーの眉が動いた。

真黒警部は困惑するように僕とコナーを交互に見やる。


「コナー君。ワシもダイ君に言われて確認しとったんだ。てっきりコナー君の指示かと思ったんだが……」


コナーはしばらく動かなかったが、やがてため息をついた。


「まったく、真黒警部ももうろくしたものデス。あんな分かりやすい糸の痕跡を見落とすなんて」

「……え? そんなことは──」

「ネエ?」


ぎょろりと、瞳孔の開いた目が真黒警部を突き刺すように睨んだ。

警部は脂汗を流しながら笑った。


「あ、いや……す、すまんすまん。実は昨日から徹夜続きで、少しぼーっとしておったようだ。ハッハッハ」


ずいぶんと乾いた笑い声だ。

言わせている感満々じゃないか。

にこりと、コナーは笑った。


「というわけで、ミーの推理は──」

「あっと、ごめん。今思い出した。さっき犯行時刻に麗式さんがレジに立っていると言ったけど、あれ勘違いだった。荷物が倒れる音がした少し前の話だ。ね、麗式さん」

「え、あ……そ、そうですね。確かに、そうでした。音がした時は待機室に一人でいました」


慌てて、麗式さんはそう言った。

別に僕の話に合わせているわけではない。彼女は本当のことを言っているのだ。先ほど僕が耳打ちして言うように仕向けた嘘の証言ではなく。


「へぇ、待機室。でも、待機室は調理室を抜けたところにありますよね。変哲無さん。あなたは糸のようなものを見ましたか?」

「い、いえ。忙しくて店長が通ったかどうかは覚えていませんが、さすがに糸が張ってあれば気付くと思います」


さて、これで彼女の推理は否定されたわけだが、どうなるか。

僕がコナーを見ると、彼女は笑顔のまま硬直していた。

このままオーバーフローを起こして倒れるんじゃないかと心配し始めた時だった。

ギョロギョロと、再び眼球が忙しなく動き始めた。

以前よりも節操なく動き回る眼球は恐ろしさを通り越して気持ち悪いほどだ。


「ダイさん。そういうことは早めに言ってもらいたいものデスね。一つの情報が欠けているだけで、真実というのは大きく変わるものデスよ」


恐ろしい眼球が、ぐるんと僕の方を向いた。


「先ほどから、ミーの邪魔をしていません?」

「とんでもない。僕は君の助けにならないかと思って動いているだけだよ」

「助手としての働きは感謝しています。デスが、あまり勝手に動かれては困ります。助手といえど、あなたも殺人事件の容疑者であること、お忘れではありませんよね?」


びきびきと、眼球に赤い血管が浮かび上がる。

僕の頬を冷や汗が伝った。

殺される心配のない枠へ逃げたとしても、やろうと思えばいつでも殺せるという、言外の脅しだった。

これ以上は無理か。

彼女を止めたいのは山々だが、僕だってジョーさんを残して死ぬわけにはいかない。


「さて。どうやら糸の痕跡は別の機会についたものという説が濃厚のようデス。麗式さんは貯蔵室から離れた待機室にいて、糸のトリックも使っていなかった。まさしく不可能犯罪デス。デスが、この世にそんな不合理は通じません」


君の存在自体が不合理なんだけどな。


「もちろん、今回の事件にもちゃんとしたトリックが存在します。狡猾な彼女が用意したトリックがね!」

「一体なんなんだね!? 彼女が殺した方法とは!?」


まだ麗式さんが犯人ではない可能性が残っている。なのにもはや、ここにいるすべての人間がそれを忘れている。

彼女の能力で一番厄介なのは、証拠ねつ造能力ではなく、この印象操作能力かもしれない。

すっと、コナーが天井を指さした。


「冷房デスよ」


その瞬間、ひやりと冷たい風が僕を包み込んだ。


「ここ、他の店に比べてちょっと寒いと思いませんか?」

「た、確かに……そう言われれば少し寒い」


馬鹿違う。

寒かったんじゃない。今、寒くなったんだ。


「つまりこういうことデス。犯人はあらかじめ荷物を積んでおき、被害者を貯蔵室担当にした。そうしておいて、貯蔵室の冷房を最大にすることで、その風力で荷物を倒したのデス。それができたのは、全部屋のコントロールパネルがある待機室にいた麗式さん。ただ一人デス!!」

「な、なに言ってるんですか? 待機室にコントロールパネルなんて──」

「それ以上は駄目だ!!」

「え?」


僕の制止もむなしく、一人の刑事が待機室から現れた。


「警部! 待機室にあるコントロールパネルから指紋が発見されました!」


麗式さんの顔が驚愕に染まる。


「あれれ? あなたさっきなんて言いました? 待機室にコントロールパネルなんてない? でもありましたよ? そしてあなたはここの店長デスよね? あなたが知らないなんてことはありえないデスよね? つまり、あなたは嘘をついたということデス。自分が彼を殺したことを知られたくないためにね」


ふざけるな。

そんなくだらない理屈を僕の見ている前で成立させてたまるか。


「刑事さん。コントロールパネルは一体どこに?」

「ドアの側面の壁に……」

「変哲無さん。あなたはそれを知っていた?」

「え?」


変哲無さんは、ちらとコナーを見た。

じっと彼女を見つめるコナー。

ごくりと息を飲み、変哲無さんは小さく頷いた。


「は、はい……」

「それを使用したことはありますか?」

「え?」

「夏場に冷房は掛けていましたか? その時何を使って冷房を操作しました? 冷房がなくて、いつもバイト仲間と文句を言っていたような記憶は? よく思い出してみてください。あなたの発言が、人一人の命を左右するかもしれない」


変哲無さんの額からは、大量の冷や汗が流れている。


「本当に、コントロールパネルはそこにありましたか?」

「……あ、あったって言ってるじゃないですか! なんでそんなしつこく聞くんです!?」


あまりに不自然な、しかしあまりに切迫した怒りだった。


「ダイさーん。あまり女の子をいじめるものじゃありませんよ。まるで彼女を疑っているようで、失礼じゃないデスか」


変哲無さんは肩で息をしながら、怒りというより恐怖の表情で僕を見ていた。

これ以上私を巻き込まないでくれと、暗に懇願しているような。

本能で理解しているのか?

いや、違う。おそらく……


僕は彼女の説得は諦め、別の視点で攻めることにした。


「麗式さんに動機がない以上、どれだけもっともらしい証拠を並べても無駄だぞ」

「……動機デスか。男女の間で何があってもおかしくないのでは?」

「そんな公私混同なんてしません!」

「変哲無さん。あなたはどうデス?」


彼女は視線を逸らした。

コナーはゆっくりと彼女に近づき、下を向いている彼女の顎をくいと上げた。


「何か知りませんか? どんな些細なことでも構いませんよ」


変哲無さんは顔面蒼白だった。


「……あ、えと……いやでも、本当にすごく些細なことで」

「いいから喋ってください」

「は、はい!!」


もはや悲鳴に近い返事だった。


「以前、死んだ彼がどこかに旅行に言った時に、チョコをおみやげに持って来てくれたんです。店長、チョコが大好きだったんですけど、ちょうど一人分だけなくて。店長だけ食べられなかったんです」

「……は?」


僕が唖然としている中、コナーは満面の笑みで手を打った。


「なるほど! それをずっと恨んでいて、とうとう今日、殺人を決行したのデスね!」

「ちょ、ちょっと待て! 本気で言ってるのか? たかだかチョコ一つもらえなかっただけで人を殺すだって?」


麗式さんが慌てて頷いた。


「そ、そうです! そんなことありえ──」

「そんな……。店長がそんなひとだったなんて……」


他のアルバイトの人達が、みんな信じられないとでも言いたげな顔で麗式さんを見ている。


「ま、待ってください!! そんなわけないでしょ!? みなさん、私の言うことを聞いてください!!」

「そんなくだらん理由で、人一人の命を奪ったんですかあなたは!!」

「だから違いますって!! 話を聞いてください!!」


これは……もう無理だな。

僕は諦観のため息をついた。

麗式さんが懇願するような目で僕を見る。

そんな目で見られたって、もう僕には何もできない。

僕はただの一般人なんだ。コナーに反論すること自体、自分の命を危険に晒す行為なんだ。これ以上できることなんて何もない。


「さあみなさん! チョコ一つで人を殺す女はどうなるべきデスか!?」

「「死ね!! 死ね!! 死ね!!」」

「お願い……。誰か、お願い……」


せめて苦しまずに死ねることを祈っておこう。


「チョコのように真っ黒に染まった彼女の心を洗い流すには、何が必要デスか!?」

「「血!! 血!! 血!!」」


まるで人民裁判だ。

いや、事実そうなのだろう。

独断と偏見で犯人を決めつけ処刑する。

コナーという存在を筆頭にした、最低最悪の処刑制度だ。


「りょーかいしましたぁ! それでは~! 彼女には~!! 文字通り、全てを吐き出してもらいまショ~!!」

「せめて……娘に、一目だけでも」


ぴくりと、僕の指が動いた。

昔ジョーさんが言っていた言葉を思い出す。


『子を愛していない親は残念ながらいるかもしれないが、親を愛さない子はいない。だから親は子を大切にしなきゃいけないんだ』

『それが君の世界観?』

『そ。だからお前も、オレの側にいる以上は子供を泣かせるような真似はするなよ。無償の愛に報いるのが大人の勤めだ』


「目には目を。歯には歯を。殺人には~……殺人を!!」


その時、突然店長が刑事に体当たりして走り出した。

慌てて皆が追いかけると、彼女は調理室にあった包丁を掴んだ。

包丁を掴んだ手首を自ら持ち、ゆっくりと首に近づける。


「待て!! 早まるな!!」


違う。

痙攣する腕が物語っている。彼女は止めようとしている。自分の意志に関係なく動く右手を。


「誰か……誰か、助けて……」


徐々に徐々に、ナイフが首に近づいていく。このままではその鋭利な先端が頸動脈を切り裂くのも時間の問題だ。

僕は突進し、彼女の腕にしがみついた。

しかし次の瞬間には、僕の身体は地面を転がっていた。

いくら僕が非力だと言っても、その腕力は女性のそれを遥かに凌駕していた。

何をやろうと、こうなってしまってはもう無理だ。

それが分かっていても、僕は再び突進した。

彼女の腕にしがみつきながら、僕は叫んだ。


「他の奴らも手伝え!! お前ら刑事だろ!!」


僕の必死な声も、彼らには響かない。

あれだけ大見得を切っていた真黒刑事も、今のこの状況をぽかんとしたまま見つめている。

またしても僕の身体は彼女の腕力に振り回され、地面に転倒した。


「ダイさーん。ミー、邪魔するのは止めろって言いましたよね?」

「コナー!! 止めろ!!」


彼女は冷めた目で僕を見下ろしている。

それでも僕は叫んだ。


「君ならできるはずだ!! 殺す必要なんてない!! 君の正しさは既に証明されただろ!!」

「何を言ってるんデスか? ミーは何もしてませんヨ? こうなったら、もう誰にも止めることはできません」


ピチャ

そんな音と共に、僕の頬に生暖かい液体が付着した。

見ると、ちょうど麗式さんの持つ包丁が、ずぶずぶと首に吸い込まれていくところだった。


「おご、ぉ……い、たい……痛いぃ」


ぱくぱくと魚のように口を開け閉めし、包丁が一気に頸動脈を切断した。

壊れたシャワーのように血が飛び散り、その場を真っ赤に染めてから、どちゃりと彼女の身体は大の字に倒れた。


「Wow! 血生臭いデース」


びくびくと痙攣する麗式さんの死体を背景に、コナーはくるりと回ってみせた。


「事件解決! また一つ世界が平和になりました♪」


アイドルのような決めポーズで、ぺろりと舌を出してみせる。

僕は彼女を無視して、麗式さんの死体へと近づいた。

絶望に打ちひしがれた顔で、僕達に訴えかけるように目を見開いたまま死んでいる。

僕は膝を折り、彼女の目を閉ざしてやった。


僕は立ち上がり、コナーの元へと歩いていく。

僕が手を挙げようとした瞬間、彼女は言った。


「私のこと、嫌いになりました?」


思わず、僕は動きを止めた。

まるで子供のように。ばつが悪そうに、彼女は顔を俯かせている。


「私といると、必ず事件が起きるから。だから嫌になりました?」


ジョーさんは、コナーを孤独だと言っていた。

自己承認欲求が高くて、きっと孤独なんて大嫌いな彼女が、孤独なんだと言っていた。

この悍ましい光景を見て、彼女の側にいた人間はなんと思っただろう。何と言って彼女を凶弾したんだろう。


ジョーさんなら、今の彼女を殴るだろうか。

この寂しそうに俯く彼女に、他の人間と同じような辛辣な言葉を浴びせるだろうか。


僕は握っていた拳を緩め、それを彼女の頭の上にぽんと乗せた。


「……そんなことないよ」


そこに嘘はなかった。

こんな呪いなんてなければどんなに良かったか。普通の友達として知り合えていればどんなに良かったか。

そんなことを、思えるほどには。


◇◇◇


事件が終わり、僕は重い身体で夜道を歩いて帰宅していた。

どっと疲れた。

一日で二件も殺人事件を経験し、まったく知らない人間と一日中一緒にいたのだ。ジョーさんほどではないとはいえ、引きこもりの部類に入る僕には、なかなか堪える一日だ。


しかし、この物語はここからどうやって展開していくのだろうか。

彼女は僕をワトスン役に任命した。ということは当然、僕は彼女に付き従い、これからも今回のような事件を解決しなければならないのだろう。もしかしたら、そういう日常がだらだらと、それこそ二十年も続くのかもしれない。


だが、なんとなくそうはならない気がしていた。

それは僕の、小説家としての直感と言ってもいい。

コナーは自ら事件を起こし、推理し、犯人を当ててハッピーエンドを迎える。それは一つの物語であり、コナーは一人の創作者であるとも捉えることができる。

そう考えた場合、やはり僕を助手にした物語上の意味というのが存在することになる。王道ミステリーをただただ続けていくだけなら、一人でもできたはずなのだ。


容疑者としての僕が必要だったのか。バディとしての僕が必要だったのか。小説家としての僕が必要だったのか。

可能性は無限にあるが、それを突き詰めることで彼女の目的を知ることができるような気がする。

自己承認欲求だとか、名探偵であり続けることだとか、そういったものを超越した、彼女の真の目的を。


安アパートの自分の部屋の前まで来た僕は、新聞受けに入っている“それ”に、気づかないわけがなかった。

僕はその手紙を取り出し、中を開いた。


『拝啓 ダイ様


この度は突然のお手紙をご容赦ください。あなた様の小説を拝見し、一度でいいからお目にかかりたいと思い、こうして手紙をしたためた次第デス。つきましては、私の私有地である『獄扉島(ごくひじま)』へご招待したいと考えております。迎えの者を寄こしますので、ぜひお越しください。この手紙のことは、他の方にはどうかご内密にお願い致します。 敬具


K・C・オーエン』


「……僕を引き入れたのはこのためか」


それにしても、この名前。

まず間違いなく金田川コナーのことだろう。

元ネタのU・N・オーエンがUNKNOWN(アンノウン)からきていることを彼女は知っているのだろうか。

少なくとも、何も考えていないことは分かる。

途中でデスって言っちゃってるし。


本来なら馬鹿な悪戯だなと失笑し、一思いに破いてしまっていたところだ。

しかし、こと彼女に限っては違う。

テンプレートな探偵像を崩さないためなら真実さえも歪めてしまう金田川コナーが、有名なミステリー小説『そして誰もいなくなる』をモチーフにした招待状を送りつけてきた。


これはもう、殺人予告と同じだ。いや、挑戦状といった方がいいか。

陸の孤島で、全員が死ぬまで終わらない推理ゲームを披露しようというのだ。

おそらくは彼女自身も参加した、血で血を洗うクローズドサークルで。


「面白い」


僕はこれを宣戦布告と受け取った。

今までは後手に回っていたが、今回で彼女の弱点も少しは見えた。

しがない一ミステリー作家として、彼女の挑戦を快く受けようじゃないか。

トラウマなんかに頼らなくとも、推理と理屈で彼女を打ち負かしてやる。

きっと彼女も、それを望んでいるだろうから。


僕は自分のことを“私”と言っていたコナーを思い出し、強い決意と共にドアノブに手をかけた。


第1話 完

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