第2話 犯人はこの中にいる


嵐が吹きすさぶ洋館の一室で、その少女は一人、ベッドの下に隠れていた。

震える身体を必死で抑え込み、気を抜けば叫び声をあげてしまいそうな口を両手でふさいでいる。

ダン、とドアが蹴破られる音がして、びくりと身体が震えた。

侵入者は中に入り、ゆっくりと部屋を徘徊する。

黒い革靴が、獲物を見定めるように目の前を行ったり来たりしているのを、少女は目尻に涙を貯めながら窺っていた。


「もう止めてください!!」


誰かが部屋に乱入してきた。

その声に、少女は思わず安堵の笑みを浮かべる。

それが愛する母親の声だと分かったからだ。


「あの子だって良かれと思ってやっただけなんです。お願いですから、話を聞いてあげてください」


黒い皮靴が、母の非力な細い脚に向いている。

その時、グチュリと奇妙な音が聞こえたかと思うと、目の前にあった黒の革靴に赤い飛沫が飛び散った。


「うるさい!! あいつが悪いんだ。全部あいつが!!」

「おご、ぉ……」


首を何かで切られたのか、彼女は悲鳴すらあげられなかった。


「分からないのか! あいつが俺達の人生を狂わせたんだぞ!? あいつがいなければ、俺は今頃……今頃!!」


母親が一歩二歩と後ずさったかと思うと、ドチャリと倒れ、女の子の目の前に目を見開いた顔を覗かせた。

眼球がこぼれ落ちそうなほどに見開かれた瞳は、まるで血に飢えた獣の如く、ぎょろりと彼女に瞳孔を向けた。

ぱくぱくと、口が開閉する。

女の子はそれを読み取り、すぐにベッドの下から這い出ると、開いた扉から廊下へと駆けた。

後ろから猛烈な勢いで誰かが追いかけて来る。

怖い。怖い。

竦んで動けなくなりそうな足を必死に動かし、女の子は逃げた。

しかし少女と大人の男性とでは、どちらが速いかは一目瞭然だった。

がくんと、少女の襟首が掴まれる。


「いや、いやああああ!!!」


廊下を引きずられながら、少女の悲鳴が屋敷の中で木霊する。

雷鳴と窓を叩く雨粒が、その音をかき消していた。




◇◇◇



「チャーーム!!」


僕が寝ていると、突然そんな奇声が聞こえ、仕方なく身体を起こした。

見ると、案の定ジョーさんが、パソコンに向かってチャムチャムと叫んでいる。


「うるさいな。今度は何にハマッたんだ」

「クレイアニメをさ。借りてきたんだ。初めてツタヤで取り寄せしてもらって、最終回を。最終回をさ」


涙ぐんでいて何を言ってるのか聞き取るのも難しい上に支離滅裂。

僕は仕方なくパソコン画面を除いた。

クレイアニメとは、被写体を粘土で作成したストップ・モーションアニメーションのことだ。

キャラクターも舞台も全て粘土で作られていて、アニメと同じ要領で少し動かして写真を撮ってを繰り返し、あたかも一個の生物のように動かしてみせるという手法だ。


彼女が見ているのはカタツムリが主人公の子供向けアニメだった。背負っている甲羅の部分がそれぞれ人工的な建築物になっていて、キャラクターによって灯台だったり風車小屋だったり教会だったりするという面白いデザインだった。

ジョーさんが見ている最終回は、主人公が弟のようにかわいがっていた小さなカタツムリと離れ離れになるというストーリー展開らしい。


「主人公のジャムはさ。すげーいい奴なんだ。でも、時々間違って誰かを傷つけたりすることもあるんだ。そういう時、いっつも『ごめんよ……』ってしょげた声で言うんだ。あいつは間違いを認めて、ちゃんと謝れる奴なんだよ」

「うん」

「ピペはさ。最初土管型の甲羅だったんだ。鳥に連れ去られて、家族と離れ離れになって、ずっと独りぼっちだったんだ。それをジャムが拾ってあげて、ちゃんとした家の甲羅を作ってあげるんだ。いつも一緒に遊んでさ。ジャムはお兄ちゃんらしく、いつもピペに遊び方を教えてあげたりするんだけど、ピペは天才肌でさ。だいたいジャムよりもうまくできちゃうんだ。それでジャムがちょっと嫉妬するんだけど、最後にはピペの才能をちゃんと認めてあげるんだ」

「そう」

「ピペは子供だから喋れないんだ。いつも『チャーム』と「ウン』しか言わないんだ。でもな。最終回で……最終回でな。なんとな。ピペが……ピペが喋るんだよ!!」


この話、長くなるのかな。

そんなことをぼんやりと考えていると、ふいにインターホンが鳴った。


「誰だろう。お客さんなんて珍しい」


僕は喜々とした動作で玄関へと向かい、ドアを開けた。


「おっはようデス!!」


玄関の前で、コナーが元気よく挨拶した。


「……おはよう。朝から元気だね」


僕は君の顔を見て元気をなくしたけど。

そんな僕の気持ちなどお構い無しに、彼女はキラキラした目を向けた。


「昨日言ってた招待状ってどれデス?」


あの招待状を見つけた時、僕はすぐにコナーへ電話した。

彼女が何を言ってくるのか興味があったし、助手として当然の行動だと思ったからだ。

案の定、彼女は自分にも同じような招待状が届いたとはしゃぎながら教えてくれた。


「これだけど」


僕が招待状を取り出すと、彼女はふんだくるようにそれを受け取った。


「一応言っておくけど、他人の家に来る時はアポイントメントを取るべきじゃないかな」


昨日は会話の流れで自宅の住所を教えてしまったのだが、まさか翌日の早朝に現れるとは思ってもみなかった。


コナーは僕の話が聞こえているのかいないのか、招待状を凝視したまま無視を決め込んでいる。


「……君が出したのか?」

「そんなことしませんよ!」


ぼそりと呟くと、即座に反応が返ってきた。


「ミーは名探偵デスよ? こんなもの送るはずないデス」

「……へぇ」


どうやらこれは、コナーのあずかり知らぬ何者かが送って来たという“設定”なのだろう。

おそらく、コナーはそれを本気で信じている。

そしてそれはある意味正しい。彼女のあずかり知らぬところで、人智を超えた何かがこの招待状を送りつけてきたのだ。


昨晩自分なりに考えて分かったことだが、彼女は自分の能力について一切自覚していない。

何故なら、それを自覚した時点で彼女は名探偵ではなくなり、彼女の持つ呪いのテリトリーから外れてしまうからだ。

彼女は名探偵であるが故に推理を的中させる。そのためには自他共に名探偵であると認識していなければならない。


証拠を作ったと宣言していたのも全ては無意識化での発言で、おそらく彼女にその自覚はない。

それが最も厄介な点であり、また救いでもあった。

彼女もまた、個を離れ肥大したモンスターの犠牲者だとも言えるから。


「ふむ。どうやらこの招待状から読み取れることはこれで全てのようデスね。じゃ、とりあえずあがらせてもらいますよ」


そう言って、コナーは無遠慮に僕の部屋へと入って行った。


「ちょ、ちょっと待った! 今はまずい!!」


僕は慌てて彼女を追った。

コナーをジョーさんと会わせるわけにはいかない。彼女をこんな呪いに巻き込んでしまったら、これからどんな顔で毎日ジョーさんと会えばいいんだ。


「へー。けっこう狭いデスね」


ワンルームのその部屋に、何故かジョーさんはいなかった。

開きっ放しの窓を見るに、どうやら外へ逃げたようだ。

さすがはジョーさん。人と会うくらいなら裸足で外を歩く方がマシということらしい。


「そこそこ散らかってますけど、ものが全然ないせいで何とも言えませんね。普段なにしてるんデス?」

「ネット」


僕は彼女が再生しっぱなしだったDVDを止めながら言った。


「冷蔵庫の中、ほとんど空デスね」

「勝手に開けるな」


僕は冷蔵庫の扉を閉めた。

彼女は悪びれた様子もなく、ふらふらと部屋の中を物色する。


「これじゃあ、お客さんももてなせないんじゃありません?」

「前にも言っただろ。友達はいないんだ。家族とも絶賛喧嘩中でここの住所も知らない。もてなす人なんて来やしないよ」


彼女はしゃがみ込み、部屋の隅に積まれた本をじっと見下ろした。


「本もこの数冊だけデスか。小説家っていっぱい本を読まないといけないんじゃありませんか?」


僕はため息をついた。


「どうしてみんな知識を絶対的に良いものだと勘違いしているのか、僕には甚だ理解できないね。はっきり言って宗教じみてるよ」

「はあ。でも、ないよりある方が良くありません? 引き出しが多い方がオリジナリティのあるアイデアを思いつくじゃないデスか」

「既存の知識を入れれば入れるほど、オリジナリティから遠ざかるのは自明だ」

「……まあ、そうとも言えますかね」

「本当に必要なのは知識じゃなくて考え方だよ。知識なんて必要になった時に調べればそれで十分だ。本質を理解せずにだらだら本ばかり読んでる奴は馬鹿だとすら思うね」


彼女はなんとも言えない顔で苦笑いしている。

この主張を他人に理解してもらえたことなんて一度もない。こういう反応には慣れていた。


「誰かと一緒に住んでるんデスか?」


僕がパソコンから取り出したDVDを見つめながら、コナーは言った。

カタツムリのイラストが入ったかわいらしいDVDは、見るからに子供向け番組だと分かる。僕が観るものとしては不適当だとコナーも感じたらしい。


「うん。この前話した共同執筆相手のジョーさんと」

「……へー」


声のトーンが若干低くなる。


「彼女は子供向け番組には厳しくてね。ピクサーを神と崇めてディズニーは何かと貶してる。僕にはどういう違いがあるのかよく分からないけど、彼女が言うには道徳的信念の有無がはっきり表れているらしい」

「女性なんデスよね」

「そうだけど」


沈黙が流れる。

妙な空気だなと僕は思った。


「外で話しません?」

「いいけど」


コナーは僕の腕に抱きつくようにしながら引っ張っていく。

元々パーソナルスペースが極端に小さな女性だが、それにしたって少し主張が強過ぎる。

引っ張って来る力も痛いくらいだし、まるで対外的に見せびらかしているようだ。

もしかして、ジョーさんが言っていた幼馴染の枠に入ったということだろうか。

前回の件で、彼女を拒否しなかったことが妙なところで効いているらしい。


「何か失礼なこと考えてません?」

「別に」


僕は即答した。

それならこの先やりやすくなって万々歳だ、なんて失礼なこと、考えるはずがない。


◇◇◇


僕は行きつけのカフェに彼女を招待した。

この店は少し水が減っているだけで店長の怒声が飛び交うので、昨日のことのようにはならないはずだ。

そんなことを考えていて、今更ながらあの時のフラグが事件の真相とは何の関係もなかったことに気がついた。


「どうかしました? なんだかすごく怖い顔してますけど」

「いや」


コナーは鼻歌まじりでメニューを見ている。

僕は苛立つことこそ人より多いが、怒ることはほとんどない。そんな僕が今、テーブルに拳を叩きつけて「関係ねえのかよ!」と叫びたくなるくらいには、苛立ちと怒りを感じていた。

彼女が怪しいと思った人間が犯人になるというのがこの呪いの本質なら、確かにそれでも構わないのだろうが……。

相変わらず、滅茶苦茶な設定だ。


「で、招待状の件なんデスが」


五百円という決して安くないアイスコーヒーに財布を寒くしながら、僕はそれに口をつけた。


「案の定、ミーのものと同じ内容でした。探偵であるミーに解いて欲しい謎があるというのが招待された理由デス。ダイさんは差出人に心当たりは?」


心当たりはあり過ぎるくらいにあるが、僕は首を振っておいた。


「この獄扉島はある筋では有名な島らしいデス。小さな離れ小島らしいんデスが、そこにある別荘で殺人事件が起きたんだとか。狂った夫が妻と娘を惨殺して、自らも命を絶った。ただ、その娘の死体というのがまだ見つかってないらしくて、今も死体と共に怨念の籠った亡霊がその別荘をさまよっているとかなんとか」

「いわくつき物件としては十分というわけか」


僕は彼女に向けて苦笑した。


「名探偵に相応しい舞台と言えるね」


そう言うと、彼女は急に申し訳なさそうな顔をした。


「あの、それでデスね。ミーとしては──」

「もちろんついていくよ」


僕の言葉に、彼女はきょとんとした。


「いいんデスか? 見るからに罠っぽいデスし、今までとは比べものにならないほどの惨劇が待ち構えているかもしれませんよ」


その惨劇を起こす本人が言うからには、そうなのだろう。


「まあ、一応助手だしね」


一件すると危険な行為だが、実は一番身の安全を守れる選択だというのはジョーさんの言だった。

下手に彼女の思惑を外れた行動を取って、今現在大枠を把握している呪いを変化させてしまうことの方がよほど危険ということらしい。


ふと見ると、彼女はにわかに頬を紅潮させていた。


「……ありがとうございます」


恋人ができたら名探偵であることに固執しなくなって呪いが消える、なんてことにはならないだろうか。たぶんならないだろうな。

なにせ彼女は、名探偵である自分を受け入れている僕を好いているのだから。

彼女が名探偵であるが故に成立する恋人が、名探偵であることの価値より高くなることはない。


一度脅しをかけられていることだし、おそらくは見かけほど安全になったわけでも、彼女との関係が変わったわけでもない。

彼女の態度に行動を左右されていると痛い目を見るだろう。


「じゃあその日はミーと一緒に獄扉島へ向かうということで。当日はミーが家まで迎えに来てあげますから、光栄に思うことデス」

「ついでに交通費も出してくれると助かるな」


貯金を食いつぶす日々を送っている身からすれば、少し旅行するだけでもかなり手痛い出費なのだ。

彼女との熾烈な価格交渉の末に見事僕が勝利を納め、今日のところは解散することと相成った。


僕が残って執筆作業をすることを告げると、コナーはどことなく寂しそうにしながら席を立った。


「……このこと、ジョーさんには秘密デスよ?」

「もちろん」


去り際の彼女の言葉を受けて、僕は平気で嘘をついた。


コナーが帰ってしばらくすると、突然向かいの席から、にゅっとジョーさんが顔を出した。


「行ったか」

「うわっ!」


僕としたことが、素で声を出してしまった。


「うわっ、じゃねー。オレのことはジョーさんと呼べ」


別にジョーさんを指して言ったわけじゃないのだが。

だいたい、店のテーブルの下に隠れているなんて常識外れもいいところだ。

この店員達の奇異の目が、彼女には分からないのだろうか。人付き合いが苦手な癖に、注目されることには無頓着というのが、僕には甚だ理解できなかった。


「しかしお前も悪だねー。奴の好意をあからさまに無視したり、平気で嘘ついたり」

「それを言うなら最初から悪だろ」


彼女を倒すことと彼女を殺すことは同義だ。それを助手に任命された時から画策している僕が悪でないなら何と言う。


「まあそう卑下しなさんな。お前はよくやってるよ、うん」


一体、何様目線からの発言なんだ。

僕は小さくため息をついた。


「さっき話し損ねたが、例の獄扉島について徹夜で調べた結果、一つ分かったことがある。どうやらあそこで事件を起こした夫っていうのは、高名な推理小説家らしい」

「え?」

「オレ達の大先輩ってわけだ」


コナーは何やら、小説家というものに必要以上の関心を抱いているようだった。

この獄扉島の事件と何か関係があるのだろうか。


「殺人に至った経緯とかは?」

「さあな。島の持ち主だった作家先生はその当時スランプだったらしくて、自分の行く末を案じての無理心中だってのが定説みたいだ。けど、詳しい内容までは分からねー」


期せずして彼女のトラウマに近づいている。

いや、近づかされていると言った方がいいのか。

もしもこの事件にコナーが関係しているのなら、まさしく身を切るような大胆な殺人計画といえる。


「だがまあ、お前もようやく頭が回ってきた様子じゃないか」

「まあね。くれぐれも余計な真似はしないでくれよ。彼女の行動は理屈じゃ計れない。どんなことがマイナスになるか分からないんだ」

「そんなこと言って、オレに泣き言言ってきても知らねーぞ」

「茶化すな」


ジョーさんはため息をついてみせた。


「はいはい、分かってるって。オレは事が終わるまで大人しくしとけばいいんだろ」

「……分かってるならいい」


僕が何よりも優先しなければならないことは、コナーの呪いから解放されることではない。

たとえ呪いを解くことができなくとも。たとえ僕自身がどうなろうとも。

ジョーさんに危害を加えさせることだけはあってはならない。

ジョーさんの理念を理解し、彼女とその信念を守ること。

それが僕の見出だした、生まれてきた意味なのだから。


「……なぁ」


ノートパソコンを取り出し作業をする僕の横で、ジョーさんはぼーっと窓の外を眺めながら言った。


「なに?」

「死ぬなよ」


いつものような、緊張感のない声だった。

でもそれが、ジョーさんにとってどれほど重い言葉なのか。十年近く側にいる僕にはよく分かっていた。


「……当たり前だろ」


僕はいつものように、パソコンのエンターキーを押した。


◇◇◇


当日。

インターフォンの音がして、僕はすぐにドアを開けた。


「準備、できました?」


にっこりと笑うコナーに悪気はないのだろうが、まるでこの世に未練はないかと問われているようだ。


「うん」


コナーは首を傾げて、まじまじと僕を見た。


「というかダイさん。荷物少なすぎません?」


僕はいつも出掛ける時と同じで、リュックサックを一つ背負っているだけだった。


「逆だ。君が多すぎるんだよ」


僕はコナーが引いている重そうなキャリーバッグを指さして言った。


「旅行デスよ? 何日も泊まるんデスよ?」

「服以外に持っていくものなんてないんだから、これくらいになるだろ。むしろノートパソコンを持ってない分、いつもより軽いくらいだ」


僕のノートパソコンは安ものだから、そこそこの重量があるのだ。


「絶対おかしいデス。色々必要なものがあるじゃないデスか」

「だから逆だって。旅行というのは本来心の負担を削ぎ落としにいくんだろ。何かを持ったまま行くということはそれだけ重量が掛かるということだ。負担を減らしにいくのに負担を作ってどうするんだよ。本当なら手ぶらで行くのが理想なんだ。でもさすがにそれは不便だろうと、これでも譲歩してるんだよ」


僕の語る理屈をコナーは理解しているのかいないのか、曖昧な表情でふんふんと頷いているだけだった。


ここから例の島があるところまで、それなりに離れていた。

電車を乗り継ぎ新幹線でひと眠りすれば到着するだろうという距離で、乗り物が好きではない僕は辟易しながら、二人旅を楽しんでいるコナーはにこにこしながら、思い思いに電車に揺られていた。


「お昼はなに食べます?」


新幹線の発車時刻まで余裕があるということで、コナーがそう聞いて来た。


「僕はいいよ」

「……お昼デスよ?」

「食べる気力が湧かないから」

「お腹が空いてないんデスか?」

「いいや」

「え? 空いてるんデスか?」

「まあね」

「じゃあ食べればいいじゃないデスか」

「僕の話を聞いてなかったの? 食べる気力が湧かないんだよ」

「ごはん食べるのに気力が必要な人なんて初めて知りました」


新幹線の席につく頃、僕は早くもイライラしていた。

何故こうも人の価値観にケチをつけたがるのか。

空腹であることも相まって、苛立ちもひとしおだ。

今はっきりと分かった。やはり僕は、人付き合いには向いていない。


隣に座っているコナーは、自分の膝に買ってきた弁当を置くと、おかずを箸で摘まんで僕の方へと持ってきた。


「あーん」

「……なに?」

「気力がないなら食べさせてあげます!」


満面の笑みで、コナーは言った。

僕はしばらくじっとそれを見つめていたが、やがて彼女の箸を取り、自分で口に入れた。

本当にイライラする。

やはり今回の旅行は間違いだったかもしれないと、僕は未だ惨劇が起こっていない道中から、既に後悔し始めていた。


◇◇◇


彼女のツッコミどころ満載な自慢話を延々と聞かされていると、ようやく目的の駅に到着した。

駅の改札を抜けたところで、ふいに獄扉島案内と書かれたフラッグを持つメイド服姿の女性を見つけた。

どこかで見たことがある。

その女性が僕達を見つけると、途端に顔を青ざめた。

その顔色加減が、僕の記憶の中にある一場面と合致した。


「おやおや~? あなた、変哲無さんじゃないデスか?」


コナーはにこにこしながら彼女の顔を覗き込んだ。

セミショートの髪型で、もみあげの部分がくるんと弧を描くように跳ねている。喫茶店にいた頃よりも格調の高いメイド服が、これから行く別荘がどんな場所なのかを想像させる。

変哲無さんは顔を背けながら、鳥肌のたった腕をさりげなくさすっている。


「ど、どうしてあなた達がいるんです?」

「それはあなたの雇い主さんに聞いてもらわないと。あなた、このK.C.オーエンって人に雇われたんデスよね? ミー達はただこの人に呼ばれて来ただけデスよ」


その絶望した顔は、僕達の存在が彼女にとってイレギュラーであることを物語っていた。僕達の案内人として雇われたものの、招待客についてまったく聞かされていなかったらしい。これはもうご愁傷さまとしか言いようがない。


すっかり意気消沈してしまった彼女に連れられ、僕達は黒塗りのハイヤーに乗せられた。

素晴らしいVIP待遇だ。

運転手は別にいるようで、変哲無さんは後部座席の真ん中に。僕とコナーはそれぞれ両端のシートに腰かける。


「前からオーエンさんの執事をやっていたんですか?」


答えてくれない可能性も加味しながら、僕は聞いた。

変哲無さんはちらとこちらを一瞥し、相変わらず青い顔をしながらぼそぼそと喋り始めた。


「……いえ。バイト先を探していたら、人づてで求人が来たので応募しました。以前の事件であのお店は潰れてしまいましたから」

「それは残念デスね!」


まるで他人事だ。変哲無さんは一瞬だけ彼女を睨んだ。


「じゃあ実際にオーエンさんを見たことは?」

「応募履歴を郵送したら、合格通知と仕事内容が書かれた冊子をいただきました。なので、私もまだ実際にはお会いしていません」


この返答はあらかじめ予想できたことだった。

まあなんていうか、お約束の質問というやつだ。


「運転手の方は誰デス?」

「彼はフェリーまで案内してくださるだけの、私と同じ雇われです。屋敷に行くこともありません」

「やっぱり僕達以外にも招待客が?」

「はい」


まあそうだろうな。さすがに変哲無さんと僕とコナーでは役者が足らない。

ふと見ると、変哲無さんは脂汗をだらだら流しながら、膝の上でぎゅっと握りこぶしを作っていた。


「……そんなに緊張することもありませんよ。別に死ぬと決まったわけじゃないんだから」

「私は普通の人間なんです。死んでる人を発見したり殺されたりなんかしたくないんです。あなたみたいな異常者と一緒にしないでください」

「アハハハ!! 聞きました!? ねぇ、聞きました!? ダイさん!!」


変哲無さんを押しのける勢いで、コナーはずいとこちらに顔を寄せて来た。


「いつも自分がスタンダードだと言わんばかりの顔をしていますけど、客観的な評価はこれデスよ! いかに自分の考えが偏見に満ちているか、よ~く理解してください!」

「うるさいな。だいたい、君と一緒にいることが異常だと言われているんだから、相対的な異常度でいったら明らかに君の方が上じゃないか」

「そんなの知りませーん。異常だなんて言われた人の言葉なんて知りませーん」


まるで子供だな。

僕は無視して窓から外の風景を楽しむことにした。

その間、コナーは言いたい放題だ。


「なんなのこの二人。もうやだ、帰りたい……」


頭を抱えながらそんなことをぶつぶつ呟く変哲無さんには、少しだけ同情した。


◇◇◇


「うひゃあ~。風が気持ちいいデス~~!!」


小さなフェリーの上で、コナーは終始はしゃぎっ放しだった。


「あ、見てくださいダイさん!! イルカ!! イルカデス!!」


コナーが指さした場所には、イルカと思しきものの背びれが海上から浮かんでいる。

確かに絵になる光景なのだろう。しかしこういった景観を見て感動を覚えたことのない僕からすれば、心底どうでもいいことだった。


変哲無さんは何をしているんだろうと見てみると、彼女は用意された椅子に座って不愛想に本を読んでいた。

まるで接客する気のない突き抜けた態度に好感を覚えながらも、僕はフェリーを操縦しているおじさんに声をかけた。


「普段この島を行き来している人間はいるんですか?」

「いやあ、そんな奴はいねえなぁ。島で事件があった後誰かが買い取ったらしいが、一度も姿を見せやしねえ。もの好きな奴がたまに遠目から島の写真を撮ったりはしてっけどな」

「じゃああの島は、今日招待された人間以外は誰もいない、と」

「この界隈は俺っちが管理させてもらってるからな。そのはずだぜ。ついこの前そこのメイドの姉ちゃんが食料を運んでたが、それくらいだな。雇い主に言われたのか、島に他の人間を入れるのはご法度らくして、手伝おうとした俺っちも拒否されたくらいだ」

「でも、誰かがボートか何かで行き来している可能性はありますよね。あなたもずっと海を監視しているわけじゃないでしょうし」

「いんや。ここの海流はちょっと特殊でな。岩礁も多くて、長年この海に慣れ親しんでる奴じゃねえとまず難破しちまうよ」


なるほど。都合の良い話だ。

どうあっても侵入者を許さない島。おそらくは偶然ではないのだろう。

コナーが都合よく整えた、容疑者を限定したクローズドサークルの舞台だ。


「ちなみに、今日の便はこれでしめえだ。つまり今島にいるのは、招待状を持った客と執事の姉ちゃんだけってこったな」

「……犯人はこの中にいる、ってことか」


僕は思わず苦笑した。

まだ事件も起こっていない状況で、こんなセリフを吐くキャラクターは何人もいないだろう。


「ダイさーん! そんなところにいないでもっと景色を楽しみましょうよー!!」


コナーがぶんぶんと手を振って来る。

彼女が呑気であればあるほど、その反動の大きさに怯えるばかりだ。


◇◇◇


僕達を置いて去っていく船を背景に、僕達は島を見上げた。

数羽のカラスがタイミングを計ったように空へ舞う。

黒々とした針葉樹が茂る山と相まって、なんともおどろおどろしい。


「ここが獄扉島か」


ほとんどの面積が木に覆われていて、リゾートというには程遠い。

ここから少し離れた断崖に大きな屋敷が見える。おそらく、あれが問題の別荘だろう。


現段階では天気も快晴で、海も非常に穏やかだ。しかし僕は、この天気が今夜にでも早変わりすることを確信していた。


「こちらです。この辺りは迷うと非常に危険ですので、ちゃんとついてきてください」


道と呼べるようなものもない山道だ。

海を渡って来ることができても、屋敷に到達することは不可能だろう。


ほとんど道しるべもない場所を、変哲無さんは地図を片手に何度も立ち止まりながら慎重に歩いていく。


「夜風を凌げる場所は先ほど見えた別荘以外にありませんので、無事到着したければ邪魔しないでください。遭難したら下手すれば死にますよ」


つくづく思うのだが、彼女は何を考えてこんなバイトに応募したのだろう。

そんな素朴な疑問に囚われるも、それがすぐさま吹き飛ぶほどに、この山道は困難を極めた。

なにせ人が整備した道ではないものだから、足が取られて非常に歩きづらい。少し気を抜けば簡単に足をくじきそうだ。


しかしそんな山道でありながら、コナーと変哲無さんはどんどん先に進んでいく。

存在自体が規格外なコナーはともかく、見るからに歩き辛そうなメイド服で荒れた山道をひょいひょい登って行く変哲無さんには驚愕の一言だ。

僕もそれなりの速さで歩いているつもりなのだが、みるみる距離が離されていく。


「何してるんですか。置いていきますよ」

「そうデス。置いてきますよ」


くそ。どいつもこいつも設定無視して超人スペックで歩きやがって。

変哲無さんに至ってはもはやどこが変哲無しなのか分からない。こんな山道を軽く登れる変哲の無い乙女なんて存在するわけないだろ。

僕は確信した。

彼女は変哲無なんかじゃない。一見無さんだ。


そんな現実逃避にも似た思索にふけること三十分。

へとへとになって体力も底を尽きるかという頃に、ようやく無限にも思えた木々を抜け、別荘を視界に捉えることができた。


間近で見ると、築年数の古さから醸し出される威厳と大きさに圧倒される。

こういうのをチューダー様式というのだろうか。もはや城といっても差し支えがない。


「お疲れ様でした。暮れる前に到着できてよかったですね」


見ると、太陽が既に沈みかけていた。

太陽の光があって尚うす暗い森の中、夜になっていたらと思うとぞっとする。


「君のおかげで九死に一生を得たよ。一見無さん」

「変哲無です」


彼女は真顔で返答し、さっさと別荘の方へ歩いて行った。


◇◇◇


外装に負けず劣らず、中もなかなかに豪勢だった。

シャンデリアは煌びやかで、廊下に敷かれた赤の絨毯は靴の裏からでも柔らかさが伝わってくる。


ふと、前からサングラスをかけた痩せぎすの男がこちらへ歩いて来た。

スーツを着ているのだが、当然のようにボタンは外し、ワイシャツも首元がはだけている。


「へぇ。アンタらが最後の客かい」


男はそう言うと、任侠映画でよく観るような無意味なオーバーリアクションでサングラスを外した。

その目は異様に細く、常に誰かを睨んでいるように見える。

それはまるで──


「俺は蛇睨泰造(へびにらみ たいぞう)ってんだ。しがないジャーナリストさ」


ああ、そう。

僕は蛇睨という苗字が頭に思い描いていたものと奇しくも一致したことに、喜びよりも落胆を感じていた。

僕の論理的な思考がコナー色に染められつつある。これは由々しき事態だ。


僕の葛藤など露とも知らず、蛇睨さんは名刺を渡してくれた。

恰好の割にきちんとした名刺だ。ギャップ萌えでも狙っているのだろうか。


「いやぁー。しかし、まさかアンタも呼ばれたものだとは思わなかったぜ。なぁ、名探偵さん?」


コナーが珍しく真面目な顔をしている。


「ミーはそうでもないデス。あなただったのは意外デスけど」

「へぇ。推理の冴えは衰えてねえってか?」


獲物を捕らえた捕食者のように、蛇睨はコナーに向けて笑ってみせる。

みるみるうちに、コナーの目が底冷えた暗さを帯びていく。

まったく。どっちが捕食者なのか分かったものじゃない。


「あん時はどーも。おかげで殺人犯にされなくて済んだからな。これでも、アンタには感謝してるんだぜ?」

「ミーは複雑な心境デス。あのまま放っておいた方が世の中のためによかったかもしれませんね」


なるほど。以前の事件でコナーが助けたのか。

本当に犯人じゃなかったのか聞いてみたいところだが、話してくれるわけないか。

協調性がなく、ヘイトを振りまく嫌われ役。

真っ先に殺されそうだな、と僕は不謹慎ながら思った。


「しっかし、シケた島に呼ばれたもんだと思っていたが、存外かわいい子が揃っててほっとしたぜ」


蛇睨さんはそう言って、コナーと変哲無さんをじろじろと見回し、意味深に僕の背後に回った。


「……なぁ?」


怪訝に思っていた僕は、そのぞわりとした感触に思わず寒気が走った。

彼の骨のように細い手が、僕の臀部に触れていたのだ。


最悪だ。まさか両刀だったとは、さしもの僕にも読めなかった。


なんとか止めてもらおうと声を掛けようとした時だった。

尻を撫でまわしていた蛇睨さんの手を、唐突に誰かが掴んだ。

蛇睨さんは苦痛で顔を歪める。


「嫌がってるみたいだけど」


そう言ってにこりと笑うその若い男性に、僕は会ったことがあった。

蛇睨さんはその腕を振り払うと、舌打ちして去って行く。


予想外な窮地を救ってくれたその人に、僕は思わず叫んだ。


「笹草刑事!」


彼は初めてこの呪いに巻き込まれた時にいた刑事だった。

犯人にされた島田刑事の後輩だ。


「久しぶり。と言っても、君とはきちんと話したことはなかったか。よく僕のことを覚えていたね」

「忘れろと言われても忘れられませんよ」


彼の悲痛の嘆きが、島田刑事の凄惨な最後をより印象づけたのだ。

忘れられるはずがない。


「あれから大丈夫だったんですか? その、色々と」

「事件の責任を負う形で降格になって、今は交番勤務で細々とやってるよ。キャリア組だったから、慣れない作業に苦戦したり妬みを買ったり、色々と苦労してる」

「それは……なんていうか、ご愁傷さまです」

「まあ、実刑にならなかっただけ幸運だよ」


僕が笹草刑事と雑談していると、唐突にコナーが言った。


「それは災難でしたね! これだけ敬われる島田刑事も、きっといい人だったんでしょう。あんなことをしでかしたことが、なおさら残念デス」


穏やかだった笹草刑事の目が険しくなる。

僕は慌てて二人の間に割って入った。


「笹草刑事。ちょっと向こうで話しませんか? そういうわけだからコナー。少しここで待っててくれないか?」

「え~。助手が探偵を放っておくなんて、非常識デス」


ぶうたれるコナーを無視して、僕達は彼女から距離を取った。


「助手をやってるの?」

「ええ、成り行きで。……断るのは危険だと判断しました」


笹草刑事の顔が深刻なものになる。


「……やっぱり、彼女は何かあるんだね?」

「荒唐無稽な話になりますけど、聞きます?」


笹草刑事はこくりと頷いた。


僕はこれまでの経緯をおおまかに説明した。

もちろん、ジョーさんや僕が解明した呪いの全容もだ。


「世界改変能力、か。確かに荒唐無稽だけど、信じないわけにはいかないね」


それだけのものを、僕も笹草刑事も見てきたのだ。


「実はあの一件、その後の警察の動きも異常だったんだ。本来なら本人の警察手帳があっただけじゃ状況証拠にしかならない。なのに警察は即座に島田刑事の殺人と断定して処理してしまった。身内からの犯罪は特に入念に調べるのが普通なのにね」


身内からの犯罪は世間からのバッシングも予想されるデリケートな問題だ。

それを詳しく調べずに自分たちの不利なように処理してしまう。

確かに異常なことだった。


「僕がこうして娑婆の空気を吸っていることも異常と言えば異常なんだ。島田刑事の殺人を容認するなら、僕のやったことは共同正犯だから」

「コナーの能力の範囲外だったのかもしれませんね」


笹草刑事が首をかしげた。


「どういうこと?」

「つまり、コナーの能力は島田刑事を“何がなんでも”犯人にすることで、それ以外……つまり笹草刑事の犯罪行為にまで能力が及んでいなかった。だから本来の警察の動きである身内を助けようという心理が働いて、降格という処分に落ち着いた」

「……僕にまで力が及ばなかった理由に心当たりは?」

「コナーが犯人としてあなたを指摘しなかったから」


笹草刑事は口をあんぐり開け、しかしすぐにため息をついた。


「彼女の推理に合わせて、真実が歪められる。そこに法律が介入する隙も無い、ってことか」


共犯だとか余罪だとか、そういったものに彼女は縛られない。

何故なら名探偵金田川コナーにとって、彼女こそが法であり、秩序だからだ。


「あの時は何が何やら分からなくて右往左往していたけど、今度はもう大丈夫だ。島田刑事に変わって、僕があいつを逮捕してみせる」

「それは願ってもないことです。でも、表面上は彼女に従ってください」

「どうして?」

「殺される可能性が高くなるからです。今はむしろ、彼女の独壇場に持ち込んだ方が状況を把握しやすい。コナーが探偵でいる間は、今把握できている呪い以上のことは起きない。でも何かがきっかけで、その呪いが進化して無尽蔵にその範囲を広げるかもしれません」

「そうなれば、今はまだ殺人事件レベルだけど、国家レベルの脅威にもなり得るということか。確かに、彼女をいたずらに刺激するのは正気の沙汰じゃないな」


一度実験のために彼女を刺激したことは黙っておこうと心に誓った。


「だから笹草刑事は、名探偵を心酔する刑事役になって欲しいんです」

「……ん? なんだいそれは」

「探偵ものの物語には、いつも登場する刑事がいますよね。探偵の能力を評価し、理解し、好きに捜査させてくれる便利な存在です。笹草刑事がその役に徹してくれれば、まず殺されることはありません」

「……分かった。いや、正直半分も分かっていないけど、全部君に任せるよ。どうやらこの件は、僕よりも君の方がよほど専門家のようだから」


僕だって手探りでやっているだけだから、けっこう行き当たりばったりなんだけどな。


「ごめんね。一般市民である君に、大きな負担をかけてしまって」

「それは言いっこなしですよ。だいたい、彼女が警察というカテゴリーでどうにかできるものかと言われると首を傾げますしね」


彼女が事件を自在に操れるなら、むしろ警察との相性は最悪だといえる。

そういう意味でも、素人である僕が一枚噛むことは、決して悪いことではないはずだ。


「ここはおそらくクローズドサークルになります。連続殺人が予想されますが、防ぐことはおそらく不可能でしょう。僕達はそうなった時に、できるだけ被害が出ないように立ち回りましょう」

「分かった」


ここで素直に頷いてくれるのだからありがたい。普通の人間なら、全て任せると言った舌の根も乾かぬ内に下手な正義感で反論を挟んでくるところだ。


「じゃあ笹草刑事は、すぐにでもコナーに取り入ってください。今夜にでも事件が起きるかもしれませんから、今の内に笹草刑事のスタンスを確立させておきましょう」


早速、ふくれっ面をしているコナーの元へ戻ろうとした時だった。


「待った」


唐突に、笹草刑事が言った。


「何か?」

「さっき言ったように、僕は今回全面的に君に従う」

「ええ」

「それは君に命を預けるということだ」

「分かってますよ。だから失敗しないように──」

「そうじゃない。あの怪物を倒すためなら、僕は喜んで捨て駒になるという意味だ」


僕は笹草刑事を見つめた。

彼は僕に手を差し出している。


「君は結果という責任を。僕は自分の命という責任を。それぞれ対等な立場で同じものを背負おう。そして、絶対にあの怪物を倒そう」


同じものを、か。

結果を残すためには、たとえ今回失敗しても、僕は生きなければならない。土壇場になった時、僕が命を捨てない選択肢を取れるように保険をかけたのだろう。


きっと彼は、僕の負担を極力減らそうと考えたのだ。それも、僕の性格に合わせたやり方で。

共通の目的を持った仲間同士の会話は、こんなにも心安らぐものなのか。


僕は彼の力強い手を握った。

笹草刑事のおかげで、張り詰めた神経が少しだけ和らいだ気がする。

そして同時に、絶対に彼を殺させるわけにはいかないと、僕は自分に強く誓った。


◇◇◇


僕達は割り振られた部屋に荷物を置くと、身体を休める間もなく再びロビーに集合した。

変哲無さんが言うには、七時ちょうどに招待客全員を広間に集めておくようにとオーエンから指示されていたらしい。


変哲無さんに連れられて行く最中、相変わらず彼女は僕達を毛嫌いしているらしく、会話を聞く気すらないと言わんばかりに先導している。


「それでデスねー。その時、ミーがびしっとこう言ったのデス。この部屋、ちょっと寒くありませんか、とね」

「寒く……。それはどういうことだい?」


興味津々な笹草刑事に、コナーは得意げに解説してみせていた。

笹草刑事のコミュニケーション能力の高さにはほとほと驚かされる。

ものの数分で、もはや僕以上に彼女と打ち解けてしまっていた。


「真黒警部は正直使い物にならないんデスよねー。たまには一人で解決してくれって思っちゃいますよ。何人誤認逮捕しようとしたら気が済むのか。ミーがいなければ今頃クビデスよあんなポンコツ警部。笹草刑事が代わりに警部になればいいのに」

「僕は一度過ちを犯してしまったからね。そこはきちんと反省しないと」

「偉い! 偉いデス!! 人間は誰しも過ちを犯すものデス。過ちをどうやって償うか。そこに人の格というものが現れるのデス。笹草刑事はきっと良い人間になれますよ」

「なんて素晴らしい言葉だ。心に刻んでおくよ」


傍目から見れば、タチの悪い教主と盲目な信者のそれだ。

コナーはそれが分かっているのかいないのか、いつも以上に上機嫌でにこにこしている。

割り切っているとはいえ、ここまで彼女を悦に浸らせることができる人間はそうはいないだろう。

実際、僕ならこの間のやり取りで十回近くは舌打ちしている。


この分なら、僕が心配することもないだろう。

そう思って、邪魔することのないよう彼らとは少し距離を置いて歩いていた時だった。


「ちょっと。そこのうすらとぼけた顔したアンタ」


突然、後ろから声をかけられた。

見ると、まるでライトノベルの中から飛び出してきたかのような、つっけんどんな態度を取るツインテールの女性がいた。

僕は思わず辺りを見るが、当然ながら誰もいない。

初対面の人間に、これほど失礼な言動を投げかける女性がこの世に存在することが、にわかに信じられなかった。


「アンタだって言ってるでしょ。鏡見たことないの? 自分が思ってる数百倍は冴えない顔してるわよ」


世のライトノベル愛好家で今の僕を羨ましがる人間がいるのなら、ぜひとも立場を交換してほしい。彼らが騒いでいたツンデレという輩が、現実にいればどれほど鬱陶しい存在なのか、すぐに理解してくれるだろう。


「……何か用?」

「ちょっと探してる子がいて……って、なによその嫌そうな顔。全然隠せてないわよ?」

「隠してないからね」


彼女はむっとした。

失礼なふるまいは自分にのみ許されていると勘違いしているタイプだ。自分の価値観を押しつけてくる人間が死ぬほど嫌いな僕からすれば、天敵と言っても差し支えない。


「ダイさん、どうかしました?」


その時、ようやく僕達がもめていることに気付いたのか、コナーと笹草刑事が近寄って来た。


「おや、誰かと思えば姉華(しいか)さんじゃないデスか」


姉華と呼ばれたその女性は、コナーを認識すると、途端にぱあと顔をほころばせた。


「コナーさん! あなたもここに招待されていたんですか!? なんて幸運なんだろう! 私が唯一尊敬する人と共に過ごせるなんて!!」


急にデレデレし始めた彼女の奇怪な行動はよそに、僕はその名前について考えていた。

姉華か。

嫌な予感しかしないな。


「お姉ちゃん。迷惑かけちゃだめ」


ふいにそんな声が聞こえ、一人の女性が姉華の袖を引っ張った。


「妹華! 探したわよ。今までどこにいたの?」

「散歩してた」


目つきが鋭く勝気な顔つきをしている姉華に比べると、妹華と呼ばれた女性はどことなく顔の締まりがなく、とろんとした眠そうな目をしている。

しかし顔のパーツや身体つきは、まさしく瓜二つだった。


じっと妹華を見つめる僕に気付いた姉華は、ふふんと笑ってみせた。


「驚いた? 私達、一卵性の双子なのよ」


何故偉そうなんだ。

しかし厄介なことになったな。

ミステリーで双子とくれば、これはもうほぼ確実に入れ替えトリックが行われるということじゃないか。

つまり、この二人はどちらも死ぬか、一方が死んで一方が犯人である可能性が高いということだ。

この手のややこしいだけで大したカタルシスもないトリックは苦手なんだけどな。


「ほら妹華。さっさと行くわよ」


姉華はぼーっとしている妹華の手をつなぎ、彼女を引っ張っていく。

状況が分からずされるがままの子供と、なんでも迅速に全てを片付けたがる母親のようだ。


「アンタ、顔覚えたからね」


まるでヤクザのような捨てセリフを残し、姉華はコナーに恭しくお辞儀をすると、さっさと行ってしまった。


「彼女が犯人にされそうになっていたところをミーが助けてあげたんデス。例によって真黒警部が『署まで来てもらおうか』なんて言ってたものデスからね」

「すごい。さすがは名探偵だ。一体何人の人の人生が君に救われたんだろう」


……なんだかどっと疲れてきたな。

事件が起きるなら、せめて明日からにして欲しいよ。


笹草刑事に演説ぶり、まさしく絶好調なコナーを見て、僕は深くため息をついた。


◇◇◇


応接室には既に何人もの招待客が集まっていた。

玄関で凶行に走った蛇睨さん。さっき会った、姉華と妹華。そして、初めて見かける三十代ほどの巨体の男。彼はコナーを見つけると、早速駆け寄って来た。


「コナーさんなんだな! その説はどーもなんだな」

「いえいえ。大熊さんもお元気そうで何よりデス。あ、こちらミーの助手をしているダイさんと、ミーのことを買ってくださっている笹草刑事デス」

「オイラの名前は大熊陀何(おおぐま だなん)なんだな。よろしくなんだな」


笹草刑事に倣って挨拶しながら、僕はすごいなと思った。

方言でもなんでもないキャラ付けのためだけの語尾に、よく分からない感心を覚えたのだ。

まさしく漫画のキャラクターそのものだ。


「それではみなさま、七時になるまでの間、ここでお寛ぎくださいませ」


そう言って、変哲無さんは深々と頭を下げる。


これで役者はそろった。

惨劇が約束されたこの屋敷の中で、僕と笹草さん以外の人間は、正真正銘コナーによって集められた“登場人物”らしい。


「どうやら仲間と呼べる人間は笹草刑事しかいないようですね」


僕はこっそりと笹草刑事に言った。


「何故? これだけ彼女の事件に巻き込まれた人がいるんだ。異変を感じた人間だって一人くらい──」

「何の変哲も無い変哲無さん。大きな熊みたいだから大熊さん。蛇みたいな目で睨みつけて来る蛇睨さん。双子の姉妹の姉華、妹華。こんな分かりやすい名前をつけてくれるなんて、コナーは随分と読者に優しい性格らしい」


笹草刑事はまじまじと僕を見つめた。


「……まさか、彼ら全員、彼女のグルということ?」

「さすがにそこまでは。でもこのあからさまな名前は、明らかにモブとしての扱いです。大した役回りがないからこそ、登場人物の名前を覚えやすいようにした。自分たちの意志で彼女に立ち向かうことができるのは、笹草刑事と僕だけだと考えた方がいいでしょう」

「モブ……」

「ついでに言えば、コナーの印象操作能力によって大きく考え方を左右される可能性もあります。モブは主要人物に比べて人格形成が未熟ですからね。これ自体はまだ仮説の段階ですが、そういう前提で彼らとは接しておいた方がいいでしょう」


この仮説が正しければ、あの人民裁判も納得がいく。

この物語において、名前さえ明らかにされていないモブキャラクターだからこそ、あれほど簡単に人格が破綻するような行為をさせることができた。


「……ごめん。やっぱり僕はまだ、その考え方には慣れないみたいだ」

「それが普通の反応です」


初めて会った人間をモブと切り捨てることが普通の世界だなんて言われれば、まさしく絶望ものだ。


「ねぇ。もう全員集まったんだから早く始めればいいじゃない。アタシ達を招待した当の本人はまだなわけ?」


既にイライラし始めている姉華が、早速変哲無さんに噛みついた。


「え? あ、えっと……そう、ですね。ご主人様からは、ここでお待ちするようにと指示されていまして」


姉華は露骨に舌打ちすると「使えないわね」と吐き捨て、不必要にヘイトを貯めている。

先ほどからずっと姉華と話す機会をうかがっていた変哲無さんからすれば、ハンマーで頭を殴られたような気持ちだろう。

変哲無さんからすれば、何か起きない方がおかしいと言えるこの場所で、歳の頃も変わらない女性と少しでも気易く喋られる仲になりたかっただろうに。

先ほどの質問で妙な格付けができてしまった。


変哲無さんはちらと妹華の方を見て、ため息をついた。

夜になって暗闇が覆う窓の景色に目を向けながら、ぶつぶつと何かをつぶやく妹華を見れば、それも仕方のないことかもしれない。


「しっかし、バラエティーに富んでるとは言えねえよなぁ」


いつの間にやら僕の隣には蛇睨さんがいた。

ちらとそれを確認し、さりげなく距離を取る。我ながら大人な対応だ。


「何がです?」

「彼女達だよ。美人は美人だが、似たような身体つきばかりが並んでちゃ飽きちまう。なぁ?」


そう言って、意味深に僕を見つめてくる。


「だからと言って、僕に手を出さないでくださいよ」

「へへっ。そう言うなよ」


じろりと、僕は睨みつけてやった。

蛇睨さんは悪びれた様子もなく、肩をすくめてみせる。


「分かった分かった。これ以上やって後で制裁食らうのはオレもごめんだからな」


既に制裁を加えられるような行為をしたことは、完全に水に流してしまったらしい。


その時、突然蛇睨さんは柏手を打って全員の注目を集めた。


「みなさん。どうせオーエンさんがいらっしゃるまでお暇でしょうし、一つ推理合戦といきましょうよ。ここにご高名な名探偵もいらっしゃることだしね」


そう言って、蛇睨さんはにやりと笑った。

コナーは蛇睨さんをじっと睨んでいる。


金田川コナーの敵は僕にとっての味方か否か。それを一瞬だけ考えて、すぐに無意味なことだと一蹴した。

たとえこの男が名探偵も手を焼くラスボスだったとしても、結局それは物語上の悪役だ。どれほど効果的に動いても、悪役は正義の味方に倒される運命にある。ならば僕は悪役サイドに回るわけにはいかないだろう。


「推理合戦ってなによ、ガキじゃあるまいし」

「ちなみに、何を推理するつもりなんだな?」

「ずばり、K.Cオーエンの正体さ」


ぴくりと、コナーが反応した。


「この偽名の主は、オレ達をそれぞれ違う理由でこの屋敷に招待した。オレの場合は仕事で記事にしたものが事実無根である証拠を掴んだので、直接弁明を聞きたいというもの。大隈さんはこの森に熊のような危険動物がいないか調査するため。この双子の姉妹はその筋では有名な除霊師で、今回は屋敷をお祓いしてもらうために呼ばれた。笹草刑事は交番に何者かが送って来た依頼文の調査だ。ちなみにそれには直接警察の人間と話がしたいという旨が書かれていた。十中八九いたずらだと本部の人間が判断したものの、念のため交番勤務だった笹草刑事が様子を見てくるように言われたらしい」


ちらと、蛇睨さんが僕を見る。

どうやら、僕の招待理由を聞きたいらしい。


「オーエンさんは僕のファンらしくてね。話が聞きたいんだそうだ」

「ファン? なにアンタ、そんな顔で俳優でもやってるの?」

「ただの作家」


僕はコナーに手を差し出した。

色々と言われる前にバトンタッチした方が身のためだという判断だ。


「ミーにどうしても解決してほしい謎があるとのことでした。そんなことを言われれば、名探偵として赴かないわけにはいきません」

「なるほどね。これでお分かりのように、オレ達が集められた動機はまったくのでたらめだったわけだ。霊媒師と森林調査員を呼んでおいて作家や記者と話を咲かせる理由がないからな。何者かがオレ達を集めるために、わざわざ招待状を作り、メイドまで雇った」


蛇睨さんは、すっと人差し指をたてた。


「なら当然一つの疑問が出て来る。オーエンとやらは何故オレ達を集めたのか。オレ達はお互い見ず知らずの赤の他人同士だってのに。……一人を除いてな」


全員の視線がコナーに集中する。


「そうさ名探偵。オレ達が選ばれたのは、アンタを知っていたからだ。正確には、アンタが解決した事件現場に居合わせたから。つまりオーエンは──」


その時だ。

突然、キインと甲高い音が部屋中に響き渡った。


「な、なによこの音!」


笹草刑事がすぐに音源があると思しき場所へ走った。

応接室の隅にはカーテンが敷かれた棚があり、彼がそれを取り除くと、そこには小さなスピーカーが置いてあった。


笹草刑事が怪訝に思い、それに触れようとした時だ。


『諸君! はじめまして!! 私はK,Cオーエンだ!!』


変声機を使った独特な声が、部屋の中を木霊する。


『今回君達に集まってもらったのは他でもない。私と一緒にゲームをしてもらうためだ!!』

「な、なによこの気味悪い声。ちょっと誰か! 早く止めなさいよ!!」

『おそらく今頃、姉華君がこのスピーカーを止めることを提案している頃だろう。別にそれは構わないが、ゲームのルールを聞かずにいることは君たちにとって非常に不利だということを宣言しておこう。ゲームというだけあって、当然罰ゲームも存在しているのだからね』

「罰ゲーム……」


ぼーっとした目で、妹華は考え事をしている。


『ちなみに! 耳を塞いでやり過ごそうとしても罰ゲームはしっかり受けてもらうからそのつもりで!!』


びくりと、テーブルの下で両耳を塞いでいた変哲無さんが震えた。

ふと思いつき、僕は質問を口にした。


「どんなゲームをやらせるつもりだ?」

『もうそろそろダイ君がゲームの内容を聞いてくる頃だろうから、そろそろ内容を説明しておこう』


やっぱりか。

このスピーカーは現在進行形で収録されている。

僕はちらとコナーを見た。

いつ見ても慣れない。今にも飛び出さんとする眼球が、じっと床を見つめている。


『ゲーム内容は至ってシンプル。君たちの中に潜む私、つまりK・C・オーエンを探し当てること。タイムリミットは君達が全員私に殺されるまでだ』

「……は? ちょっと。コイツ、さっきなんて言った?」

「きっと聞き間違いなんだな。殺されるなんて物騒な言葉を使うはずがないんだな」

「しっかり聞いてんじゃねえか」

「全員静かに」


笹草刑事の言葉で、皆すぐに口を閉ざした。


『じきにこの島に嵐がやってくるだろう。その嵐が収まるまでの数日間、私が君達を殺して回る。君達が皆殺しにされるのが先か、私を見つけることができるのが先か。これはそういうゲームだ』

「な、なんですかそれは! こんなの横暴です!!」


変哲無さんが悲鳴にも近い抗議の声をあげた。

スピーカーの主は構わず話を続ける。


『しかしそれだけでは君達もつまらないだろう。なので、私の正体を暴く以外にもゲームクリアの条件を用意した。この屋敷は知っての通り、十年ほど前、ある一家が惨殺された場所でもある。妻は喉をナイフでかっ切られて死に、下手人である夫は屋敷の屋上から飛び降りて自殺した。夫は自殺する前、年場もいかない娘も殺害しているようなのだが、その死体は今も見つかっていないのだという。君達にはそれを探し出してもらいたい』


まるでフラッシュバックするように、島田刑事と麗式さんの凄惨な死が脳裏に浮かんだ。

僕はちらとコナーを伺うも、彼女は微動だにしない。

直感でしかないが、何かここに彼女のアイデンティティーが隠れているような気がした。


『ひとところに集まり私を探すか、屋敷を歩き回って死体を探すか。どちらを選ぶかは君達次第だ。どちらにも等しく生存の権利を与えることをここに約束しよう。それでは、ゲームスタートだ!!』


そう宣言すると、スピーカーは急に黙り込み、ぷすぷすと妙な煙を吐き出し始めた。


「全員伏せろ!!」


笹草刑事が叫んだ瞬間、ボンと音がして、スピーカーが爆発した。

幸い爆発力自体は低いものだったが、カーテンに火が引火してしまっている。


「うおっ! あぶねぇ……ってか、火、火!! おい、変哲無!! 消火器は!?」

「私は知らない私は知らない私は知らない」


変哲無さんは完全に現実逃避している。


「全員落ち着いて!! 各所に散らばって消火器を探すんだ!!」


僕はコナーを見た。

何を考えているのか、無表情で燃える棚を見つめている。

何かが起きたら仕切りたがるのが名探偵だと思っていたが、彼女は動く気はないらしい。


かくいう僕も、動く気はあまりない。

別にクールぶっているわけではなく、この件は演出以上の影響を与えないだろうという読みからだった。


突然、棚に白い粉末が噴射される。

全員が、澄ました顔で消火器を持つ妹華に注目した。


「さすがよ妹華! やっぱりあなたは頼りになるわ!!」

「占いで見えてたから、探しておいた」


姉華が彼女を探して回っていた時か。

ふと、妹華と視線が合う。


「私、役にたつ?」


何故僕に聞く。

いや、選択肢としては正しいのか。

少なくとも、姉華よりは状況を把握している証拠だ。


「うん。助かった」


妹華は顔をほころばせたかと思うと、すぐにいつものとろんとした目に戻り、消火器をその辺りに捨ててソファーに座ってしまった。


「妹華。アイツと話しちゃダメ。馬鹿が移るわよ」


せっせと消火器を隅に移動させながら、姉華が言った。

この子の無限の敵対心は一体どこから湧いてくるのだろうか。

しかし、初対面に近い人間でありながら何故か敵意を示してくる人間には慣れていた。


「でも、いきなり爆発するなんて、びっくりなんだな」

「どうやらスピーカーがオーバーフローを起こしたらしいデスね」


どんな理屈だよ……。

もはやツッコむのも面倒だ。


「だいたい、嵐が来るなんて言ってやがったが、こんないい天気で何言ってやがるんだ」

「きますよ」


コナーが静かに言った。


「え?」

「嵐。絶対きます」


コナーの瞳孔が開いた目に、全員がごくりと息をのむ。

おいおい。名探偵が皆を脅してどうする。


しかしこれで確信した。

これから起こる殺人事件は、全てコナーが仕組んだもの。

証拠も動機も説得力も、全てが無意味な茶番ミステリーだ。


それからすぐに、横から叩きつけられるような雨音がうるさく響くようになったのは言うまでもない。


◇◇◇


警察に連絡していた笹草刑事は、携帯を仕舞うと全員の方を向いて言った。


「警察は嵐のせいで来れないらしい」


愕然としている人間が何人いるかと思ったが、姉華と大熊さんくらいだった。

妹華は顔色一つ変えていないし、蛇睨さんは元々警察に頼るようなタイプではない。変哲無さんに至っては達観の域に到達したのか、修行僧のような顔をしている。


「じゃあアタシたちは殺人鬼と同じ屋根の下で過ごさないといけないってこと!? そんなのごめんだわ!!」


姉華は憤然と立ち上がった。


「姉華。どこ行くの?」

「決まってるでしょ。自分の部屋よ。ここにいる殺人鬼さんに寝首をかかれないようにね」


姉華はそう言って部屋を出ようとした。


「好きにすればいい。そんなに死にたいならね」


ぴたりと、その動きが止まった。

ぎろりと姉華は僕を睨みつけてくる。


「なんですって?」

「僕達は八人いて、犯人は一人……まあ多くても二人だろう。その犯人が、僕達がずっと団体行動を取っていた場合に殺人を強行して成功する可能性はごくわずか。それに比べ、君のように単独行動を取り始めれば各個撃破で殺される可能性は飛躍的に上がる。今時、それが死亡フラグだってことは映画や漫画を見てたら分かるだろ」

「……アンタ、私が馬鹿だって言いたいわけ?」


面倒くさい奴だな。

僕はため息をついた。


「フラグをたてるなって言ってるんだ。K.C.オーエンが主催するこのクローズドサークルでそれをすることがどれだけ危険か分からないのか?」

「分かるわけないでしょ。アンタの意味不明な理屈なんて」

「だから最低限の理屈は通しただろ。自由行動を取る人間を殺せば、それだけアリバイに幅が出て、トリックも仕掛けやすい。だから単独行動を取るなと言ってるんだ。それでも単独行動を止めないというなら好きにすればいいさ。ただしその場合、真っ先に殺されることを僕が約束する」


全員がごくりと息を飲む。


「……つまりアタシが死ねば、アンタが真犯人ってことね」


僕は無視した。

救える命なら救ってやりたいが、不毛な議論をするつもりはない。

ここまで言っても一人になるというのなら、もうそれは自己責任だ。


僕が反論してこないと分かると、姉華はふんと鼻を鳴らし、ドアノブに手をかけた。


「今単独行動を取るということは、犯人から逃げるという行為にならないかい?」


唐突に、笹草刑事が言った。


「君はそれでいいの?」

「なっ!? 私がいつ逃げたのよ!!」

「結果的にそういうことになるよ。集団で行動するということは、この中にいる犯人を見張るという行為だ。犯人の凶行に立ち向かうことにつながる。でもここで単独行動を選べば、犯人から逃げたことになる。君はどっちを選ぶ?」


笹草刑事は辺りを見回し、強い口調で言った。


「戦おう。この狂った殺人鬼と」


断固たる口調で、笹草刑事はそう言った。

姉華は唇を噛んで悩んでいたが、やがて扉の取っ手から手を離した。

ナイスだ。笹草刑事。

やはり僕とは経験値が違う。



笹草刑事の一喝が聞いたのか、この集団は一応の落ち着きを見たようだ。

全員緊張感を絶やしはしないが、姉華のように暴走する傾向は見せていない。


僕は笹草刑事に呼ばれ、部屋の隅に移動した。

コナーに呼び止められたら面倒だなと思ったが、幸い彼女は考え事があるらしく、難しい顔で顎に手をやっていた。


「さっきのスピーカーの内容、君はどう思う?」

「なんとも言えませんね。まあ間違いなくコナーが関わったものだと思いますが」

「君のあの質問だね」


僕は頷いた。

どうやら笹草刑事も、あれが現在進行形で収録されているものだと看破していたらしい。


「じゃあ、例のもう一つのクリア条件については?」

「よく分かりません。もしかしたら屋敷の中を出歩かせる罠とも考えられますが、……おそらく重要な何かが隠されていると思っています」

「じゃあ、それを探すために彼らを動かす方法も考えないとだね」

「任せます。そういうことに関しては、僕よりも笹草刑事の方が遥かに優れている」


笹草刑事は苦笑した。


「君は言うことが身も蓋もないからね」


同感だ。

でもこれは、ある種仕方のないことでもあった。

ジョーさんは生粋の自由人だが、それ故に純粋だ。子供向けのテレビ番組で大泣きするくらい、情というものに大きく心を動かされる。

僕が冷酷な目でものを見るからこそ、ぎりぎりのところでバランスを保っていられるのだ。


「ちなみに、その重要な何かに心当たりは?」

「あると言えばありますし、ないと言えばないという感じですね。要するに確証がない」

「僕がそれを聞いておく必要は?」


僕はしばらく考えた。


「彼女が僕を助手にした理由と関係があると思います。今はそれだけに留めさせてください」


笹草刑事はそれを聞いて、僕に追及することもなく「分かった」と言って身を引いた。

皆が笹草刑事のような良識を持ってくれればどんなに楽か。

そんな折、良識などというものを欠片も持ち合わせていない存在が、応接室のドアに手を掛けた。


「おい名探偵さん。どこに行く気だ?」

「ミー、お腹が空きました」


せっかく皆が団結したと思った途端にこの独断的な行動。

さすがは名探偵だ。


しかし、食事に関してはいずれぶつかる問題でもある。

先送りにしていても仕方がない、か。コナーに誘導されているようなのは気掛かりだが。


「確か食材はあらかじめここに運んできているんでしたよね、一見無さん」

「変哲無です。一応、食事は慈善に作ってあるものをご用意させていただいているのですが……」


当然、厨房に行かなければならないと。

変哲無さんが、ちらと笹草刑事を見た。

妥当な判断だな。


「分かった。じゃあ僕がついていくよ。コナー君、皆の監視は頼んだよ」

「お任せください!!」


不安の元凶であるコナーは、どんと自分の胸を叩いてみせた。



二人が応接室を出てしばらくすると、変哲無さんが食事を乗せたワゴンを運んできた。

どうやら問題なく食事を持ち出してくることができたらしい。


「へぇ。意外とおいしそうじゃない」


見るからに豪勢な食事に、姉華も思わず頬を緩める。


「殺人鬼が用意したものを食べろってのか? お断りだね」

「他に食料ない。餓死したくないなら、食べるべき」


どうやら食事一つ取るにも意見がそれぞれ違うようだ。

ちらと笹草刑事が僕に目くばせする。おそらく僕の指示を待っているのだろう。


「……コナー。君はどう思う?」


選択肢はないのだが、ここは敢えて彼女に聞いてみよう。

彼女が食べることを進め、そこで何か事件が起きたら、彼女の求心力を弱めることに繋がるかもしれない。


「個人で決めればいいのでは? ミーは食べますけど」


僕の浅はかな狙いなど全てお見通しだと言わんばかりの発言だった。

コナーはワゴンの皿を取ると、そのまま大口を開けて食事を開始してしまっている。


滅茶苦茶な人間ではあるが、頭が回らないわけではない。名探偵かどうかは置いておいても、自分がどうすれば容疑から外れるかについては熟知している。そのことに関してだけを言えば、文句なくエキスパートだ。


「オイラも食べるんだな。蛇睨さんの分も食べてあげるんだな」

「い、いらねえよ! 自分で食べらぁ!!」


全員が皿に手をつけようとした時、変哲無さんがそれを止めた。


「一応、こんなものもあったのですが……」


そう言って、おずおずと一本のワインを差し出す。


「おお、いいもんあるじゃねえか!! しかもビンテージものだぜ!」


蛇睨さんは変哲無さんから奪うようにワインを取り上げると、恍惚とした表情でそれを見つめている。


僕は眉をひそめた。

今回のゲームはモンスターとのサバイバルだ。食べ物を咀嚼しているその瞬間に毒を口内に精製する、なんていうとんでも技さえ炸裂しかねない状況では、リスクもクソもない。どうせ同じリスクなら、下手に考えたりせず本能の赴くままに行動するのが正解ともいえるだろう。


しかし、皆で同じグラスの飲み物を飲んで……というくだりは、ミステリー小説ではお約束の部類に入る死亡フラグだ。


「やめておいた方がいいと思う」


コナーのことを言及するわけにもいかず、必然曖昧な言い方になってしまう。


「あん? なんでだよ。飯食うのもワイン飲むのも大して変わんねーだろ」

「大して変わらないからこそ、リスクは減らすべきだ。アルコールを摂取しなくても死にはしない」

「アンタってほんと協調性ないわね」

「協調性と命、どっちが大事だ?」


つくづく、この姉華という少女とは合わないらしい。

今にも殴りかかろうとする彼女を、妹華が袖を引っ張って止めている。

そんな中、コナーが何事もないかのようにひょいとグラスを持ち上げた。


「さっきも言ったように、個人が決めればいいのデス。ミーは飲みます」


にっこりと、僕に向けてコナーが笑った。


「……分かったよ」


ここで僕一人が飲まずに誰かが死ねば、犯人として殺されるのは僕だ。

だったら八分の一に賭けた方がまだマシだろう。


コナーの言葉を皮切りに、次々と他の人たちがグラスを取って行く。


「あ、みんなずるいんだな。オイラにもグラスを選ばせてほしいんだな」


最後のグラスを大熊さんが取ると、変哲無さんが皆にワインを注いだ。


「じゃあ、なにに乾杯する?」


笹草刑事が言った。


「一人の犠牲者も出さずにオーエンを探り当てること、なんてどうなんだな?」

「それはいい」


僕はコナーを見た。

彼女は意味深な笑みを浮かべている。


「それでは、一人の犠牲者も出さず、誰一人欠けることなくこの屋敷から出られることを祈って。乾杯」

「「乾杯!!」」


僕の心配をよそに、各々がグラスに口をつける。

僕も意を決し、一気にワインを飲み干した。


「ぷはぁ! 最高だぜ」

「やっぱり良いワインは香りからして違うものね」

「……おいしい」


口々に感想が漏れ始める。

僕は自分の身体に異変がないことを確認すると、気を引き締めて周囲を観察した。

誰だ? 一体誰が死ぬ?


「ワインなんて久々に飲んだけど、やっぱりおいしいね」

「ミーからすればまだまだデス! もっとおいしいワインを飲んだことありますよ!」

「こんな状況でよく味なんて楽しめるわね。はぁ……」


この中で、セリフのない人間がただ一人。


「……大熊さん?」


見ると、大熊さんは口角を緩めた状態でずっと動かない。

僕が彼に近づこうとした時だ。


突然大熊さんは口から大量の血を吐き出し、テーブルに身体を持たれさせたかと思うと、ばたりと地面に突っ伏した。


「大熊さぁん!!」


途端に、女性陣の悲鳴が屋敷の中で木霊する。

なんてことだ。

死亡フラグ臭いセリフを吐くなとは思ったんだ。だがまさか、何の捻りもなく大熊さんが死ぬなんて。


いや、それよりも──


「最悪だ」


皆が大熊さんの死にパニックを起こす中、ちらと笹草刑事が僕を見た。


「確かに。事件が起きることを予期していたのに──」

「そうじゃありません」


笹草刑事が、改めて僕に顔を向ける。


「どういうこと?」

「この状況……いえ。この殺され方が最悪なんです」


まだぴんときていないらしい。

まあ、それも仕方ないだろう。ジョーさん仕立ての僕の考え方はかなり特殊だ。


「本来なら、こういう状況に陥った時、犯人は自分が死ぬかもしれない状況でどうやって大熊さんを殺したんだと考える。でも今回は違います。今回、厳密に言えば現段階において、犯人は存在しません。未だコナーの能力は完全に解明できていませんが、単純にグラスか何かに毒を混入していたとして、真実この状況自体が偶然出来上がったものである可能性があります」

「それがどうしたの?そのことについてはもう了承済じゃないか」

「問題は、真実が偶然であった場合、最悪のトリックをこじつける余地を作ってしまったということです」


こうなるのが嫌だから、グラスを検分したりするのは止めておこうと思っていたのに。

自分の考えが甘かったことを痛感しながらも、僕は口を開いた。


「このトリックの肝は、被害者に毒入りのグラスをどうやって取らせるかということです。この手のトリックで一番簡単なのは、被害者にあらかじめそのグラスを取らせるように心理誘導しておくこと。ですが今回、被害者は“最後にグラスを取った”」

「……そうだけど、それがなにか問題?」

「大問題ですよ。最後にグラスを取ったということは、トリックというのも馬鹿馬鹿しい、恐ろしく簡単明瞭な可能性を排除できないということだからです」


笹草刑事が首を傾げる。

僕は言った。


「つまり、僕達全員が犯人ということですよ」


その言葉に、笹草刑事は今にもグラスを取りこぼすところだった。


「ちょ、ちょっと待って。それって……」

「全員がどのグラスに毒が入っているのかを知っていれば、当然全員がそれを避ける。そんなトリックというのも馬鹿馬鹿しいトリックが成立する余地ができてしまった」

「でも、さすがにそんなこと……」

「笹草刑事。この物語はクローズドサークルで、『そして誰もいなくなる』のパロディです。この小説の結末がどうなるか。タイトルで一目瞭然でしょう?」


笹草刑事は顔を青くしながら絶句している。


「僕達はK.C.オーエンに招待され、スピーカーで殺人を予告されました。でもそれらは全て、舞台作りでしかなかったんです。おそらく、これがコナーからのメッセージ。彼女による本当の挑戦状です」


僕達全員が死ぬか、彼女を止めるか。

その結末は、まさしく神のみぞ知る、だ。




第2話 完


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