第3話 そして、誰かが現れる
笹草刑事が大熊さんの脈を確認すると、僕達に向けて黙って首を振った。
「ああぁ。だから嫌だったのにぃ。こんなことになるなら仕事なんてほったらかして逃げたらよかったぁ……」
めそめそと泣きながら、変哲無さんはその場で蹲ってしまっている。
「今更言っても仕方ありませんよ。諦めずに頑張りましょう、一見無さん」
「変哲無です。ああぁ……」
どうやら彼女は深い絶望に囚われてしまっているようだ。
他人が励ましても限界があるだろう。
ふとコナーを見ると、彼女は大熊さんが飲んだワインを調べていた。
人差し指をワインにつけ、それを舐めようとしている。
僕はぱこんとコナーを叩いた。
「痛いデス……」
目尻に涙を貯めながら、非難がましい目を向けて来る。
「毒をそのまま摂取しようとする奴があるか」
ぶすっとしたコナーは、仕方ないと言わんばかりにワインを置くと、口を開きっぱなしにして死んでいる大熊さんの口の臭いをかぎ始めた。
「これは……青酸カリ!!」
「いや、それは大熊さんが口にほおばってるアーモンドチョコの香りだと思う」
彼のポケットを弄ると、包みに入った大量のアーモンドチョコが出てきた。
アルコールを摂取する時に甘いものを食べる癖でもあったのだろうか。
「ちなみに青酸カリが胃酸と反応して臭うのはアーモンドの実の匂いで、こんな甘い香りじゃない」
「…………もちろんミーは知ってますけどね!」
嘘をつけ。
だいたい、血を吐いて死んでいるんだから腐食性の毒だということはすぐに分かるだろ。
「具体的な種類は分からないけど、少なくとも誰かが大熊さんに毒を盛ったことは間違いないようだね」
「問題はそれが誰かってことだ」
蛇睨さんが、顔を両手で覆って泣いている変哲無さんに親指を差した。
「ま、順当に考えりゃ、一番可能性があるのは一人泣いてるメイドさんだよな」
変哲無さんは泣きはらした顔で非難の目を向けた。
「私じゃありません! 笹草刑事も一緒にいたんですよ!? 毒を盛る隙なんてあるわけないじゃないですか!」
「食料の調達もアンタの仕事だったんだろ? なら、あらかじめ毒を仕込むことくらい簡単だろ」
全員が疑惑の視線を送っているのを感じてか、変哲無さんは哀願するように僕の方を見た。
ちらとコナーの顔色を窺うと、真剣な様子でじっと変哲無さんを見つめている。
疑いを持っているのか、静観するつもりなのか。その顔からは判断できなかった。
……仕方ない。
僕は口を開いた。
「毒を盛る隙があったかどうかという話なら、僕とコナー以外は全員あったと言えるんじゃないですか?」
「……なんだと?」
「全員で同じボトルのワインを飲んで一人が死んだわけですから、毒はグラスに仕込まれていた可能性が高い。ここに来て食事の時間までの間に毒を仕込むことは、この場所に直行した僕達以外の人間ならできたはずです。まあそれも、厨房に鍵が掛かっていれば無意味ですが──」
「掛かってません! 誰でも自由に出入り可能です!!」
嬉しそうに、変哲無さんは叫んだ。
「……というわけです。犯行の機会が均等にあるわけですから、変哲無さんだけを疑うのはどうかと思いますよ。さっき除外した僕達だって、トリック次第では犯行も可能でしょうしね。誰が犯人かを議論するにあたって、犯行のしやすい人間を相対的に比べることに意味はない……と、僕は思いますが」
ちらとコナーを伺った。
これから起こることを考えれば、彼女との関係はできるだけ良好な状態を保っておいた方がいいだろう。
推理の方向性は示しても、あくまで決定権は名探偵である彼女にある。そこさえ外さなければ、機嫌を損ねることもないはずだ。
コナーは僕が意見を求めていることにご満悦なのか、にんまりと笑みを浮かべて言った。
「蛇睨さん。変哲無さんを犯人と決めつけるのは早計デス」
変哲無さんはほっと胸を撫で下ろし、蛇睨さんは舌打ちしてそっぽを向いた。
「それより、この先どうするのよ。一か所に集まるにしても、こんな死体と一緒なんてアタシ絶対いやよ。……いえ、もう誰と一緒にいるのもいや。どうせ全員で集まっていても死ぬだけじゃない」
姉華の言葉を感情論と切り捨てるのは簡単だ。
しかし、現に僕の提案した安パイの行動で死人が出た。引き留めるのはもはや不可能だろう。
「じゃあせめて妹華と一緒にいてくれ。二人の方が安全だし、何かあった時にアリバイを証明しやすくなる」
僕に噛みつくこともなく、姉華は殊勝にも小さく頷いた。
随分と素直なものだ。最初に会った時と同じ生物だとは思えない。
「ごめんなさい。お姉ちゃん、ちょっと打たれ弱いところあるから」
そう言う妹華は、姉に比べてかなり落ち着いている。
これが常識人間と非常識人間の差なんだろうか。
平時ではいつも足を引っ張っていても、こういう特殊な環境には強い。
時折、どっちにも弱い人間もいるけれど。
ジョーさんはどっちのタイプだろうかと考え込んでいると、ふいに妹華が僕の袖を引っ張った。
「ここ、変なのいる」
「変? 変わった人間という意味なら君を含めてたくさんいると思うけど」
主にあの自称名探偵とか。
妹華はちらとコナーを伺い、それから僕を見上げた。
「あなたはどっち?」
ドキリとした。
それがどういう意味なのかは分からないが、何かこの物語の根幹に関わることのような気がした。
「妹華。早く行こ」
姉華に呼ばれて、妹華はぱたぱたと駆けて行く。
部屋を出るとき、彼女は僕に向けて微笑み、小さく手を振った。
もちろん、僕は手を振り返すようなことはしなかったが。
◇◇◇
その日は結局解散することになった。
全員戸締りだけはちゃんとするようにということと、無闇に部屋を出ないことを約束し、全員が自室に戻った。
『皆殺しにする気だな』
スマホから聞こえる声がどこか楽しそうなのは気のせいだと思いたい。
「君の言う幼馴染枠は大丈夫なんじゃなかったのか?」
『大丈夫なんじゃね? その前にあのフランケン女が犯人を見つけてくれるならな』
「でも、その犯人も彼女が作り出したものなんだろ? ミステリー小説において犯人が見つかるのはハッピーエンドだが、この場所で犯人が見つかるというのは悲劇でしかない」
島田刑事の恐ろしい最後を思い出して、僕は身震いした。
『この場所におけるストーリーテラーはあの女だ。お前にできることは何もない。個人的には、あまり深追いしないことを勧めるよ。今時のミステリーは、親しい人間が犯人っていう裏をかいたものも結構あるからな』
「え……」
じゃあ駄目じゃん。
『だから、やろうと思えばいくらでも殺す方法はあるってこと。下手なことしなけりゃ幼馴染枠も親しい刑事枠も死ぬことはねーよ。なにせ相手は“金田川コナー”だ。王道から外れた真似は、できればしたくないだろうからな』
電話は切れた。
理屈はよく分からないが、どうやら幼馴染が死ぬ可能性というのはかなり稀らしい。
僕はため息をついた。
部屋の出入り口へと歩いていき、それを開ける。
案の定と言うべきか。
そこにはこっそりと聞き耳をたてているコナーがいた。
「……こんにちは」
「何か用事?」
僕は敢えて不機嫌そうな声を出した。
無闇に出歩くなという取り決めをすっかり忘れてしまっているようだ。
「暇だったんデスよ。一緒に推理しましょう」
「推理? 何の」
僕は彼女を招き入れ、扉を閉めた。
鍵を掛けた部屋に男女二人きりともなれば、外野がうるさくなる展開だ。
しかし僕がそんなことをした日には、その結末は身の程をわきまえない愚かな男の悲劇的な自殺で幕引きとなるだろう。
「ダイさんはどう思います!?」
まるでミステリードラマの第一幕を見終わった子供のように、コナーははしゃいでいる。
「何が」
「犯人デスよ! 犯人!!」
僕は白けた目を向け、近くの椅子に座った。
コナーは興奮のせいか、狭い部屋の中を行ったり来たりしている。
「こんな少ない推理材料で分かるわけないだろ」
「それでも推理するのが名探偵なんデス!」
「僕は名探偵じゃないんだから、推理なんてしなくてもいいってことだね。もう寝ていい?」
「実はデスね──」
人の話を聞かないのは相変わらずだ。
「大熊さんが最後に使ったグラス。あれ、うす~く引っ掻き傷みたいなものがついていたんデスよ」
「へぇ」
「なんですかぁ? その気のない返事。もっと『えぇ!?』とか言って驚くところでしょ!」
コナーからすれば、あの事件は僕達をどうとでも料理できるようにするための保険だ。
全員が犯人であるという選択肢を作ることで、僕を傍観者にさせないという意図があるのだろう。
しかしそれは、僕がその意図に気付かなければ意味のない話だ。
未だ彼女がどこまで自分の能力を自覚しているのかは未確定だが、どちらにせよ、ここはその確認のために来たと考えるのが妥当だろう。
ずいぶんと甘く見られたものである。
「別に驚きはしないけど、最悪の結末を迎える可能性も考慮しないといけないようになったのは厳しいところだね。はい、じゃあもう用は済んだってことで、解散。僕は寝るから」
「え……」
コナーはもじもじしている。
「も、もうちょっとお話したい……デス。その、誰かと」
……そうだった。
彼女は名探偵である代償に、孤独に付きまとわれる人生を歩んでいたのだ。
友人を作っても離れていってしまう、まさに呪いと言うべき業を背負って、彼女は名探偵を続けている。
誰よりも人の温もりを欲している孤高の天才……を演じている呪い持ちの自称名探偵。
改めて思う。
滅茶苦茶なキャラクター設定だ。
「……分かった。じゃあちょっとだけ」
そう言うと、彼女は花が咲いたように笑った。
稀代の名探偵で、このクローズドサークルの首謀者で、無自覚な殺戮を続けるフランケンシュタインの怪物。
彼女の動機がただの承認欲求なら、それをうまく他の方向へ導くことはできないだろうか。そして叶うなら、彼女の孤独を解消してやることはできないだろうか。
人の幸せを望むなんて、僕らしくないことかもしれない。
しかし彼女がこの物語の主人公だというのなら、一人の作家として彼女にはハッピーエンドを迎えさせてやりたいのだ。
きっとジョーさんも、それを望むだろうから。
興奮してまくし立てるようにマシンガントークを繰り出す彼女を見ながら、僕はそんなことを思った。
◇◇◇
朝。
昨夜取り決めておいた通り、僕は朝食を食べるためにラウンジへ顔を出した。
僕が来たときには既に全員が椅子に座っており、並べられた食事を前に待機している。
「おいおいなんだよそのツラ」
うっすらと隈ができた僕の顔を見て、蛇睨さんが笑った。
「ちょっと寝れなかったもので」
「もしかして誰かとお楽しみだったか?」
にやにや笑いながら、囁くように聞いてくる。
「は?」
大人気もなく、僕はキレ気味にそう言った。
「あ、いや……なんかすまん」
「すまないと思うなら最初から話しかけないでください」
本当に腹が立つ。
少しと言ったのは向こうなのに、まるでお構いなしで一晩中喋り倒しだ。
しかも当の本人は元気も元気で、姉華と話に花を咲かせている。
「ちょっとなによアンタ。こっちジロジロ見ないでくれる? 気持ち悪いんだけど」
どうやら姉華は一晩寝てある程度調子を取り戻したらしい。
一生落ち込んでいればよかったのにと、僕は思った。
全員が集まったので、いつ食事を始めても良いはずなのだが、やはり皆の手は重かった。
昨日飲食物に毒を仕込まれて一人が死んだばかりだ。全員が緊張の面持ちで豪勢な食事を睨み続けるのも理解できる。
呑気にがっついているのは僕とコナーくらいだ。
「平気?」
妹華はいつもの抑揚のない声で言った。
「大丈夫に決まってるだろ。一度食事に毒を使ったら全員が慎重になるのは犯人だって理解してる。ランダムに皿を振り分けたり、想定外の動きをされて毒の入った皿が自分の前に置かれてみろ。その時点でもうゲームオーバーだ。そんなリスキーなことをわざわざする必要はないさ」
まあ僕も、コナーが犯人だと分かっていなければ警戒していただろうけど。
僕の言葉を受けて、皆も徐々にだが食事を口に運び始めた。
毒の心配さえしなければ、ここの食事は文句など言いようのない出来だ。作り置きとはとても思えない。
徐々にだが緊張も解け始め、ぽつぽつと雑談が混じるようになった頃、笹草刑事が言った。
「今後のことについてなんだけど」
全員が彼に注目する。
「みんながどう考えているのか、意見をまとめておいた方がいいと思うんだ」
「まとめるも何も……あまり動かず自室で大人しくしておく以外ないと思うんですけど……」
子供が恐怖心から人形を決して手放さないように、変哲無さんは近くにあったボウルで自分の顔の下半分を隠しながら言った。
「それも一つの方法だけどさ。一応、オーエンはもう一つのクリア条件を用意してくれたじゃないか」
笹草刑事がとうとう動き出したようだ。
金田川コナーのルーツを探るためにも、娘の遺体探しは必要事項だろう。しかしつい昨日大熊さんが死んだばかりだ。
彼らを説得できるのか否か。
「それって、娘の死体がどうたらってやつか? どうせただの出まかせだろ」
「出まかせにしては、出まかせ過ぎる」
妹華がぼそりと言った。
蛇睨さんはその意味を理解できず、眉をひそめている。
「要するに、あまり効果的な嘘じゃないってことよ。それこそ秘密の脱出口があるとか言えば、そっちの方が探す動機につながるじゃない?」
さすがは姉妹。
妹の言葉足らずな真意を早くも見抜いたようだ。
「嘘っぽいから本当のことを言っている、か。オレはどうもその理屈がなぁ」
蛇睨さんの言っていることはよく分かる。
その理屈が通るなら、わざと嘘っぽいことを言えば勝手に真実だと解釈してくれるという構図が成り立つ。どうせ脱出口があるなんて言っても、それを信じる人間は稀だろうし。
僕は口を開いた。
「死体が隠されているのは真実かもしれません。でも、それを見つけたからといって僕達を生かして帰してくれるかどうかは分かりません。これがただのゲームにしたって、娘の死体を見つけることがどうして生存に繋がるのかがまったく見えない」
コナーの視線を感じる。
これは一種の保険だった。
おそらく、コナーは探索に誘導したいのだろう。少しでも情報が欲しい現状、僕もその思惑に乗る以外にない。
しかしだからと言って、素直に彼女に従う理由もない。
「コナーはどう思う?」
せいぜい情報を吐き出してもらおう。
探索推奨派に乗り換えるのはそれからでも遅くはない。
「ん~……ミーは他のみなさんの意見を聞いてからにします。保留ということで」
おや?
僕は眉をひそめた。
彼女にしては、あまりに消極的な発言だ。
名探偵で、出しゃばるのが三度の飯より好きな彼女がここで一歩引いたことに、僕は違和感を覚えた。
「でも現状、犯人を特定するのはかなり難しいよ。自室に籠るという選択も、犯人がこの屋敷を熟知していれば安全とは言えない。それこそ秘密の抜け穴から合鍵まで、方法はいくらでも考えられるからね」
姉華と変哲無さんの顔が青くなる。
コナーは顔色一つ変えず、いつも通りにこにこと笑っている。
……仕方ない。
小賢しい真似は終わりにしておこう。
「なるほど。どうせ殺されるリスクは変わらないなら、ということですか。それなら賛成です」
「少なくとも、犯人はこの場所に縁(ゆかり)のある人物だろうしね。屋敷を捜索することは、犯人を見つける一助にもなるんじゃないかな」
うまい言い方だ。
さて、ここにいる人達はどう受け取るか。
「正気ですか? こんな場所をうろうろするなんて、考えただけでもおぞましいんですけど。だいたい、犯人がそんな痕跡を残すとは思いませんし」
臆病な変哲無さんらしいもっともな意見だ。
「ま、自分で屋敷を探索しろっつっといて、自分に繋がる証拠を残すなんて、普通はしねえわな」
疑い深い蛇睨さんも、笹草刑事の提案に否定気味だ。
「確かにそうよね。自分に繋がる証拠は、普通全部処分してるわよね」
姉華も探索否定派のようだ。やはりまだ昨日のことが尾を引いているのかもしれない。
その時、ぼそりと妹華が言った。
「この犯人が普通じゃない可能性」
僕は思わずにやりと笑う。
今回はこの意見に乗っかることにしよう。
「僕も同感だ。オーエンが本当にゲームを楽しみたいだけの可能性は低くないと思う。笹草刑事の言うように、殺されるリスクはどちらも変わらない。ならオーエンが本当のことを言っている可能性に賭けるのはありなんじゃないかな」
「理屈は分かるけどよぉ。オーエンに誘導されてる感があって、どうもなぁ」
「仮に動かないという選択を取るなら、昨夜のように全員が同じ場所で待機しているのが一番良い方法だと思う。姉華はそれでもいいの?」
「え……」
姉華は親指の爪を噛みながら、じっと考え込む。
昨日はそれが嫌で自室に戻ったのだ。笹草刑事の案に反対している理由も、結局周りの人間が信用できないから。
つまり姉華にとって、屋敷を探索することと全員が同じ部屋で待機することはさして変わりないのだ。
ふいに、彼女はじろりと僕を睨んだ。
「……き、昨日はアンタの意見に従って死人が出たのよ。責任とって、皆が納得できる案を考えるべきじゃないの」
「犯人が強行に出る可能性はまずないとは言ったけど、リスクがゼロだとは言ってない。一番安全な方法だったことは全員が承諾したことだと思っていたけど?」
「なによそれ……。実際に大熊さんが死んでるのに、よくそんな言い方ができるわね!」
何を怒ってるんだ、こいつは?
事実を述べただけで大熊さんを貶めるようなことは言っていないのだが。
「二人とも、少し落ち着こう。大熊さんの死の責任は100%オーエンにある。そのことで僕達が罪悪感に駆られる必要はないよ。残酷に聞こえるかもしれないけど、今は危機を脱することが先決だ。その後で、大熊さんを丁重に弔ってあげればいい。姉華さん、それでいいかな?」
姉華は眉間にしわを寄せながらも、不承不承頷いた。
彼女が納得していても僕は納得していないのだが、ここで無駄に話をややこしくする意味は皆無だった。
「……言い方を選ぶべきだった。ごめん」
くそ。
なんで論理的な理由も分からない案件で謝らなくちゃならないんだ。こういうことが一番ストレスになるというのに。
ふと横を見ると、コナーが僕の方を見て今にも吹き出しそうな顔をしていた。
「いやー、ミーの助手が失礼なことを言いました。ミーもこの口の悪さにはほとほと困っているところなんデスよ」
我が意を得たりといった様子で、コナーは意気揚々に語り出す。
ああ、胃がキリキリしてきた。
今日の昼は何も食べられそうにない。
今まで静観を決め込んでいたコナーが、笹草刑事に向かって言った。
「笹草刑事は真面目だから意見を統一したいんでしょうが、別にそんな必要はないのでは? 動きたくない人は動かなければいいし、動きたい人は動けばいい。探索するとなれば、当然みなさん別行動を取ることになるのデスから、さして変わりはないでしょう」
変哲無さんはその意見に眉をひそめた。
「でも……私達の意見は全員集まっておこうという──」
「は?」
「なんでもありません」
怒涛の勢いで、変哲無さんは真下を向いた。
本当に、彼女はコナーに弱いな。
まあ、普通の感性の人間なら怖いのは当たり前か。
笹草刑事は苦笑いで頬を掻いた。
「……え、ええと……他の人たちはどうかな?」
蛇睨さんは小さく舌打ちした。
「……どうせ否定しても変わらないだろうが」
「私も……別にそれでいいわ」
不満ありありな声だったが、姉華は頷いた。
とりあえず今日は各々が自由に行動するということで話はまとまった。
ミステリーゲーム恒例の探索時間の始まりだ。
僕は食事を済ませると、早速立ち上がった。
「ダイさんはどこに行くつもりなんデス?」
うきうきした気分を感じさせる声だった。
まるで修学旅行前の女学生みたいだ。
「自室」
「何故デス?」
「寝たいから」
コナーの笑顔がそのまま硬直しているのを感じる。
「あ、変哲無さん。僕、昼はいらないから」
ストレスには睡眠が一番の薬だ。
体調を万全にしてから、彼女のゲームに付き合うこととしよう。
ぽかんとしている皆の視線を背後に感じながら、僕はラウンジを後にした。
◇◇◇
僕は目を覚ました。
相変わらず、窓の外からは叩きつけるような雨音が聞こえている。
スマホの電源を入れて時間を確かめると、どうやらもう夕方のようだった。
誰も僕を起こしに来なかったということは、寝ている間に誰かが殺されたというようなことはなかったらしい。
少し拍子抜けだ。
起きたら隣で死体が転がっている可能性も考慮していたというのに。どうやら少し考え過ぎていたようだ。
ラウンジに行くと、そこには妹華と思われる人物が一人、ぽつねんと座っていた。
「おは」
それを聞いて、ようやくこれが妹華だと確信を持つことができた。
「……おは」
僕は彼女の向かい側に座った。
「一瞬、姉華かと思って部屋に戻りそうになった」
「判別なら簡単にできるよ」
そう言って、妹華は自分のまぶたを指さした。
「私はここにほくろがあるの」
見ると、確かにそこには小さなほくろがあった。
言われるまでまったく気づかなかった。
まあそれも仕方がない。なにせ僕は、人の顔を覚えるのが壊滅的に苦手なのだ。
たとえ肉親であっても、後ろ姿になるとまったく分からなくなる。
「お昼にね。似たような話題になって、姉華が教えてくれた」
「……君も初めて知ったのか」
こくりと、妹華は頷いた。
どうやら彼女は僕の想像以上に抜けているらしい。
「ちょうどいい機会だから聞いておきたいんだけど、君はどこまで知ってるの?」
きょとんと、妹華は首を傾げる。
「今回の事件というか、コナーのことというか、まあ色々」
「……分からない」
「そんな感じはしないけど」
しばらく沈黙が流れる。
答える気がないのだろうとスマホを取り出そうとしたところで、彼女は言った。
「私は神様の声が聞こえるらしいの」
突然の告白だった。
「その神様の声が、未来のことや私の知らないことを時々教えてくれるの。周りの人が言うには、こんなことありえないんだって。私もそう思う。だって明らかに、私の役割を超えてるから」
「役割?」
妹華は頷いた。
「世の中には役割があるの。誰かに使われる役割。誰かの上に立つ役割。誰かを救う役割。誰かを傷つける役割。みんな知らず知らずその役割に従って生きていて、だから世界は秩序を保てている」
彼女は自分でいれたものなのか、水の入ったコップを口につけた。
僕も欲しい、とは言い出せない雰囲気だ。
「中には特別強い役割を持つ人もいる。あの名探偵さんがそう」
金田川コナー。
稀代の名探偵にして、推理で真実を捻じ曲げる不文律の怪物。
確かにその力は、一個人を大きく上回ったものがある。
「でも、私にはあなたの役割が分からない」
「え?」
妹華はまっすぐに僕を見つめた。
穢れのない、純粋な瞳だ。
「あなたは私達を救ってくれるの? それとも殺すの? どっち?」
どっち、か。
僕はこれから殺人が起きることを知っている。ここにいるほとんどの人間が死に追いやられることを知っている。
それでもそれを止めようとしないのは、彼らを殺すことと同義なのかもしれない。
僕も笹草刑事と同じ意見だ。
誰かの選択で誰かが死んだとしても、その責任は100%犯人が負うべきだろう。だがそんなことは、実際に被害に遭った人間からすれば知ったことではない。
大熊さんは全員が集まるべきだと主張した僕を呪っているかもしれないし、あのワインを持ってきた変哲無さんを恨んでいるかもしれない。
だがそれは、結局突き詰めれば死者の戯言だ。
人間の本質が自らの生に執着することであるのなら、責任を逃れることも、責任を追及することも、等しく自分のために実行するべきだ。
「……君はもう、このことについては誰にも喋らない方がいいかもしれない」
これが僕の選択だった。
救うとも殺すとも言わない、無責任な放置。
元々、僕は誰かの命を背負うつもりなどない。救えるものは救う。救えないものは救わない。非情にシンプルだ。
彼らを殺すことが最良だと判断したなら、僕は迷わず彼らを殺す。
しかしその必要がないのなら、できる範囲で彼らを助ける。
それが、僕が背負える責任の範囲だ。
「そう」
彼女は素直にそう言った。
呪いのことを匂わせる発言をすれば、コナーの反感を買うことに繋がる。そう思っての助言だったが、当然彼女はそこまで理解しているはずがない。
……おそらく、僕と同じだな。
触らぬ神に祟りなし。
理解できない存在には、できるだけ歯向かわないのが長生きのコツだ。
ふと、彼女は言いにくそうに視線を逸らし、両手の指を絡ませ始めた。
彼女にしては珍しい所作だ。
「……姉華は、良い子なの」
ぼそりと、彼女は言った。
「ちょっと恥ずかしがり屋なだけで、本当は良い子なの。だから……」
妹華は何事か言おうとして、下を向いてしまった。
言葉が出なかったのか、言葉を紡ぐことを無意味と感じたからか。
その時、突然扉が開いて皆がぞろぞろと入って来た。
「あ、妹華! こんなところにいて、心配したんだから!」
慌てて駆け寄った姉華は、妹華が怪我をしていないか確認した後に、キッと僕を睨んだ。
「何か変なことしてないでしょうね」
「するわけないだろ」
僕はため息交じりに言った。
「ダイさん、やっと起きたんデスか! もう夕食の時間デスよ。いくらなんでも寝すぎデス!」
それは酷い頭痛を感じている僕が一番理解していることだった。
どうやら彼らは夕食を取りに行っていたようだ。おそらく全員で運ぶことで道中の危険と毒を仕込まれる隙をなくそうと思ったのだろう。
「それで、何か発見は?」
「それが何も。一通り探索はしてみたつもりなんだけどね。ぜひ今度は君にも手伝ってほしいな。作家さんの想像力があれば、何か見落としに気付くかもしれないし」
作家さんの想像力、か。
正攻法で探していたのなら、確かに何も見つからないだろう。
今回は以前と違い、皆すぐに食事に入った。
多少の緊張は残しつつも、事件が起きて三回目の食事ともなれば、だいぶ慣れてきているらしい。
「あ、妹華。そんな持ち方してたら零しちゃうでしょ。ほら、私がよそってあげるから」
いつものように、姉華が甲斐甲斐しく妹華の世話をしている。
あの時、妹華は何を言おうとしたんだろうか。
だから……仲良くしてあげて、か?
もしそうだったとしてもお断りだ。誰が好き好んであんな刺々しい女の相手をするというのだろうか。
そんなことを考えていると、笹草刑事が話しかけてきた。
「ダイ君。夕食を食べたら君も探索するんだろう? どこを見て回るつもりなの? 僕は一応、屋敷の二階を探索する予定だけど」
「一階だというのは決めてますけど、それ以上はまだ。他の方はどうするんです?」
「ま、基本は団体行動だな。どこを探すかはその場その場で考えるって形で」
なかなかに適当だな。
ふいにコナーが僕にすり寄って来た。
「ダイさんはミーのチームデスよね♪」
「いや、僕は一人で回るよ」
空腹が続くと逆に食事が喉を通らなくなることがよくある僕は、今回も例に漏れずあまり食欲がなかった。
しかしそんな状況下でも、このジュレはなかなかにうまい。しかも僕の体調を気遣ってか、笹草刑事や蛇睨さんが、自分のジュレを譲ってくれたのだ。
そんなこんなで僕はひたすらにジュレをスプーンでほじくっていたのだが……
「えぇ~!?」
駄々をこねる子供のような声がいきなり響き渡り、僕の手元が狂った。
ぼとりと音をたてて、スプーンの中で揺れていたジュレが床へと落下する。
よりにもよって一番おいしいさくらんぼも一緒に掬っていたものだから、僕のショックは凄まじいものがあった。
「ダイさんはミーの助手デス! どうしてミーと一緒じゃないんデスか!」
まるで癇癪もちの恋人のそれだ。
とりあえずさくらんぼのことで文句を言える空気でないことは確かだった。
辺りを見回すと、他の人たちは若干引いていた。
そりゃあそうだろう。殺人鬼がいる屋敷をうろつこうというのに、一人だけ明らかにテンションが違う。
「ミーと一緒にいた方が安全デスよ! 一緒にいましょうよ!」
そう言って、僕の両手を握って来る。
絵面だけを見れば、羨ましがられる光景なのかもしれないが、僕は彼女のこの行動に対し、慎重に考えを巡らせなければならなかった。
なにせ連続殺人が約束された場所に、名探偵金田川コナーと共にいるのだ。強固になった呪いの渦中では、何が起ころうと不思議じゃない。
だからこそ、僕と行動を共にしたいと言う彼女の真意と現在の状況を、正確に分析しなければならなかった。些細な選択の違いが生死を分けることになる。
僕は考えた。
考えに考えた結果……僕は小さくため息をつき、彼女の頭にぽんと手を置いた。
「僕は君の助手だ。だから君の負担を少しでも減らすのも僕の仕事だ」
「ダイさん……」
「見つけてきたものはちゃんと報告するから。君の推理、期待してるよ」
コナーはしばらく黙っていたが、やがて戸惑いがちに頷いた。
「じゃあ僕も刑事として一人で行動させてもらおうかな。そっちの方がフットワークも軽いしね」
何かあった時に僕だけ一人で行動していたのでは真っ先に疑われる。
笹草刑事らしい気の遣い方だ。
「おいおいちょっと待てよ。二人も単独行動を許すつもりはねえぞ。お前らが危険になるのは構いやしねえが、一人になる人間が多ければ多いほどこっちまで危険になるんだ」
「どうすべきかは各人が自由に決めるという話だったはずです。そうだったよな、コナー?」
「そうデス」
少しだけ声に険がある。
機嫌が悪いのは誰の目から見ても明らかだった。
「名探偵の意見を覆す気ですか?」
僕の言葉に、蛇睨さんは渋々自分の意見を撤回した。
少し申し訳なかったが、ジュレをくれた恩はまた別の機会で返すとしよう。
◇◇◇
食事を終え、僕は誰もいない屋敷の廊下を一人で歩いていた。
探索する場所は先ほど笹草刑事にも伝えたように、屋敷の一階だ。
仮にコナー、もといオーエンの言っていたことが本当だとしたら、この屋敷は一度警察が捜査したはずだ。
その時に娘が殺されていたとするのなら、その死体は警察の捜査の手が届かない場所にあったということになる。
クローズドサークルにおける嵐という意図的な天災は、登場人物を閉じ込める檻と同義だ。嵐が止むまでというタイムリミットの中、外で延々と穴掘りをさせるようなことはしないだろう。
つまり死体は屋敷の中にある。そしてそれは通常の捜査では見つからない場所であり、屋敷の構造を把握していても確認が取れない場所。
となれば、それはもう地下しかない。
さて、では地下に至る隠し扉はどんなものか。
先ほども考察したように、ここは一度警察が捜査をしている。連続殺人の現場で娘を探す必要もあったことを考えると、おそらく屋敷内全体を捜索したはずだ。
それでも見つからなかったということは、ドラマや映画に出て来るようなトンデモ装置の存在を警察が考慮していなかったからに他ならない。
警察の捜査はどのような過程で行われるのだろうか。
全部屋にそれぞれ捜査官が割り振られて捜査した? いや、それはさすがに人員の無駄だろう。一定のエリアに区切って担当の捜査官を置き、写真撮影や指紋の確認、物品の調査を一部屋ずつ行ったに違いない。
となれば……
僕は一つの部屋に入った。
真ん中に長テーブルがあり、年季の入った暖炉と、名前も知らない髭を生やした男性の自画像が壁に掛かっている。
僕はしばらく部屋を観察した。
隠し扉のスイッチになりそうなものは限られている。これはもう、虱潰しに試していくしかない。
僕は掛けられていた自画像を壁から下ろすと、隣の部屋へと入った。
先ほどとまったく同じ構造の部屋だった。
長テーブルと暖炉。そして絵画。
僕は再び絵画を下ろし、また別の部屋へ向かう。
それを何度か繰り返した時だ。
絵画を外した時、カチリと何かが鳴った。
その瞬間、どこかから石と石が擦れ合うような微かな音が聞こえてきた。
ビンゴだ。まさか一発で引き当てるとは思わなかった。
僕は早速音のした場所を探した。
しばらく探索していると、突き当りのうす暗い場所に、落とし穴のような隠し扉がぽっかりと開いているのが見つかった。
少しだけ覗き込むと、地下へと続く階段が暗闇の奥へと続いている。
中は真っ暗闇で、どこまで続いているのか皆目見当がつかない。
僕は意を決し、携帯の懐中電灯アプリを起動して階段を降りて行った。
埃が舞っているのか、呼吸がし辛い。
僕が中学生の頃からずっと履いている皮靴は、底が浅くて地面からの衝撃をダイレクトに足へと伝える。その感覚からして、どうやらアスファルトだろうというのが分かった。
元々無骨な作りだったのか、現代では考えられないような凹凸がある。
階段を降りると、さらにそこから一本道の廊下が延々と続いていた。
立ち止まっている訳にもいかず、僕はその廊下を歩いていく。
一階と連動しているのか、その廊下にはいくつかの扉が並んでいた。
僕はそれを一つずつ確認していった。
中の様相は様々だ。
収監所のような部屋もあれば個室のトイレもある。中には保存食などを段ボールに詰めた倉庫のような部屋がいくつもあった。
それらを確認していく中で、照明と思しきものが壁に組み込まれる形で散見していることが分かった。
おそらくどこかにスイッチがあり、それをつければ明かりを持たずに移動できるようになっているのだろう。
僕は再び廊下に戻り、ゆっくりと歩きだす。
風の音が、まるで異形の怪物が放つ低いうめき声のように、僕の耳に纏わりつく。
大学時代の話だ。
講義をしていた教授が、唐突に日本を縦断した時のことを話し出した。
徹夜で歩き通し、仲間と一緒に海岸沿いから見た朝日は格別に綺麗だったと言うのだ。
普段は行動力の欠片もない僕は、何故かそれを聞いて無性に真似してみたくなり、実践したことがある。
大学の近くで、かつ南に位置しているという理由から兵庫県の姫路駅を出発点に選んだ。事前準備は一切せず、リュックに上着を一枚だけ入れて挑んだ無計画な日本縦断だったが、すぐに過ちに気付くことになった。
なにせ兵庫県というのは中部、北部の大半は丘陵地帯で、縦断しようものならちょっとした山を一つ二つと超えていかなければならなかったからだ。
しかもそんな場所だと明かりなんて一切なく、車道であっても木々で月明りすら遮られた文字通りの真っ暗闇。目の前に手を翳しても一切分からない。
ガードレールすらないそんな場所で、下の方から聞こえる川の音にびくつきながら手探りで歩いていくというのはなかなかの恐怖体験だ。
何故今こんなことを思い出すのか。
それは今のこの状況があの時と酷似しているからだった。
自分の手すら確認できない暗闇では、隣に誰か知らない人間がいたとしても気付かない。そんなことを夢想しながら歩く夜道は非常にスリリングだった。
朝方になって元来た道を引き返した時、嵐か何かでぽっきりと折れた石造りの墓が立ち並ぶ場所を歩いていたことに気付いた時は、我ながらぞっとしたものだ。
特に恐ろしかったのは、その墓のすぐ近くの看板に『熊に注意!!』と書かれた看板が立てかけてあったことか。
この話を『人志松本のぞっとする話』でいずれ披露しようというのが僕のささやかな夢だったりする。おっと、あれは2012年に放送終了したんだっけか。ハハハ。
その時、ふいにラップ音が鳴った。
「うわあっ!!」
尻餅をついた僕は、しばらくしてから無言で立ち上がる。
正直に言おう。
僕は暗いところが苦手だ。
怖いとかでは決してない。ただ苦手なんだ。
ホラー映画だってそれなりによく観るし、実際死体を目の当たりにしたが何も感じなかった。そんな人間が怖がりなわけがない。
苦手と恐怖という感情はまるきり別だ。
くそ。さすがに地下は寒いな。身体の震えが止まらなくなってきた。
やっぱり誰かと一緒に行動すればよかったかもしれない。コナーが駄目でも笹草刑事なら全然問題なかったじゃないか。
そうだよ。その方が断然良い。一件効率が悪いように見えるが、なんやかやで利点が多い。
僕としたことが論理的じゃなかった。まったく論理的じゃなかった。
今から戻って誰かと一緒に来ようかな。
どうせ姉華辺りが変に勘ぐって、怖がりのレッテルを貼ってくるだろうが、別に誤解されたっていいじゃないか。僕はくだらないプライドなんか持ち合わせちゃいないんだ。
そんなことを考えながら歩いていると、だだっ広い空間にぶつかった。
上階では大広間に当たる位置だろうか。
いくつもの柱が立ち並んでいて、必然的に視界が遮られる。
僕は迷わないように注意しながら、壁沿いに歩き始めた。
バタン
そんな音がして、僕はぴたりと足を止めた。
明らかに、誰かが扉を閉めた音だ。
僕は辺りを見渡し、変わった様子がないことを確認し、改めて怪訝に思った。
地下へと続く階段を見つけた時は多少時間が掛かった。僕より先に階段を見つけて中に入った人間がいても不思議じゃない。
しかし、この暗闇の中、明かりも持たずにいるのはあまりに変だ。
それだけじゃない。明かりを持っている僕に気付いているはずなのに、声一つかけてこないのは異常極まる。
……犯人?
いや、それはない。ここは金田川コナーが作り出した虚構の殺人現場だ。実際には犯人がいないからこそ、コナーの推理が外れることはないのだ。
しかし、ならここにいるのは誰なんだ?
僕はゆっくりと、音がした方へ明かりを向ける。
明かりに照らされたそれを見て、僕は目を丸くした。
まっ黒だ。
比喩でも何でもない。明かりに照らされても尚、影のようにまっ黒な人間が、そこにはいた。
一瞬、演劇の舞台などにいる黒子を連想した。しかしそんな人間がこんな場所にいるはずがない。
それになにより、その人物は服を着ているような様子ではなかった。タイツが一番近いのかもしれない。全身だけでなく顔全体も覆う黒タイツで身を包んでいる。いやむしろ、全身を黒ペンキで塗った裸体の男、と言った方が正しいのか。
そんな風に考えて、ふと僕は、このビジュアルをどこかで見たような気がしてきた。
そうだ。あれは確か、ミステリーアニメだった。
犯人が分からない状況で、その犯人の行動を絵で表現するためにやむなく……
……
先ほどまで静かだった僕の心臓が、急に高鳴り始めた。
まさか。
まさかまさかまさか!!
黒ずくめの男が、じっとこちらを見つめ、僕の方へ歩を進めた。
僕はすぐさま踵を返して走った。
間違いない。
あれは“犯人”だ。
それもコナーが作り出した、存在しない人間だ!
僕は走りながら後ろを振り向いた。
その影は、ゆっくりとだが確実に僕の方へ向かってくる。
ありえない。そう思いつつも、しかしこの数日で起きた出来事がそのありえないを否定する。
目の前に現れた扉に、僕は咄嗟に入ってカギを掛けた。
ガチャ
その瞬間、ドアノブが下がった。
ガチャガチャガチャガチャ!!
凄まじい勢いで取っ手が上下に動く。
ドン! ドン! ドン!!
扉を殴りつける音が聞こえる度、僕の身体が情けなくも震えた。
しばらく扉を凝視していると、急に音が聞こえなくなった。
先ほどまでの激しい音などなかったかのように静かになる。
僕はほっと息をついた。
さっきのはなんだったんだ。
コナーが引き起こす殺人は、全て偶然の産物と呼ばれるような事故を意図的に起こしてできるものだと思っていた。
しかしもしかしたら、それらの事件も全てアイツが糸を引いていたのかもしれない。
ふと、手が何かにぶつかった。
明かりを翳してみると、そこには一つの机があった。
子供の勉強机のようだ。
無機質なコンクリートの部屋には不釣り合いに思える家庭的な家具だ。
使い古した跡が生活感を漂わせている。
机には一枚の写真が立てかけてあった。
両親と娘の写真だ。
この屋敷を背景に、二人の親が子供を抱きかかえているのだが、その子供の顔はペンか何かで黒く塗りつぶされていた。
引き出しを開けると、一冊のノートがあった。
どうやら日記のようだ。
名前を見るに、どうやら女の子の持ち物のようだ。
持ち主はあまり几帳面な性格ではなかったようで、数日連続で書かれていたと思えば、平気で数か月も空いていたりもする。
他愛もない内容の日記をぱらぱらと確認しながら最後のページを開く。
『パピーもマミーも何も分かってくれない。私の言うことなんて何も聞いてくれないんだ。だから■■■■■■■■■■■』
途中から黒く塗りつぶされていて、内容はまったく分からなかった。
「まるでホラーゲームのダンジョン探索だな」
さしずめ、ラスボスは屋敷に潜む亡霊といったところか。
その場合、これらのアイテムは亡霊の弱点を示す情報ということになるのだろう。
僕は部屋の冷気に思わず身震いした。
恐怖で感覚がおかしくなっていたと思っていたが、明らかにこの部屋は寒い。
辺りを見渡して、僕はようやくその冷気の正体を見つけた。
それは巨大な保冷庫だった。
まるで今この瞬間現れたかのように、その保冷庫はこの異常な空間の中でさらに異質なものとして映った。
僕の脳裏に、オーエンの無機質な声が蘇る。
僕はゆっくりとそれに近づき、取っ手を引いた。
非常に重いそれをなんとか少しだけ開けることに成功する。その途端、冷気が一気に部屋へと放出された。
中を覗き込むように、僕は明かりを翳す。
小さな隙間の中から、人間の足が確かに見えた。
もしかして、これが──
ガタ
そんな音がして後ろを見ると、僕の目の前に黒ずくめの男が立っていた。
背後の扉は開いた様子がない。
そういえば、この男は存在自体が不透明な存在だった。ものをすり抜けたりしても何ら不思議ではない。
しかしだからといって、そんなことが本当に起こると予想できる人間がいるか?
僕は思わず笑った。
「……そりゃなしだろ」
突然頭に強い衝撃を受け、僕の視界は暗転した。
◇◇◇
頭がぼんやりする。
朦朧とした意識の中、僕は目を覚ました。
身体が動かない。
なんとか視線を下げて確認すると、身体中をガムテープのようなもので縛られていた。
まるで現代版ミイラだ。
僕は辺りを見回した。
先ほどまでいた地下ではないことは、雨が叩きつけられている窓があることからも分かる。上階にあるどこかの小部屋のようだ。
ふと、僕から一メートルほど離れたところに誰かが寝ていることに気付いた。
変哲無さんだ。
彼女は僕とは違って縛られてはいないが、熟睡しているのか仰向けのままぴくりとも動かない。
彼女のすぐそばに、例の黒ずくめの男が立っていた。
手には鈍い光を宿す古びた鉈がある。
これから起こる未来を、僕はすぐに察した。
「変哲無さん!!」
彼女は微動だにしない。
男はゆっくりと変哲無さんに跨った。
「変哲無さん、起きろ!! 死にたくないんだろ!!」
あらん限りの声で叫ぶも、彼女は起きない。起きてくれない。
男は鉈を両手で掴み、大きく振りかぶる。
僕は必死に身体を動かした。
しかし殴られた後遺症からか、身体にうまく力が入らない。
一気に振り下ろされた鉈が、彼女の心臓を抉った。
一瞬だけ、びくりと彼女の身体が震える。
男は血に濡れた鉈を引き抜くと、今度はその首に刀身を当てた。
ゴリ、ゴリ、ゴリと、骨を削る生々しい音が聞こえて来る。
すぐに血と肉の臭いが部屋に充満し、思わずむせ返りたくなる。
ぶちんと、変哲無さんの首が千切れた。
黒ずくめの男は、胴体から離れた彼女の頭部を自分の顔に近づけて恍惚としている。
ああ、くそ。
僕は胸糞悪くなる気持ちを抑えきれなかった。
物語において、何の意味もない猟奇描写ほどイライラさせるものはない。
その時だ。
ガチャガチャと、ドアノブを動かす音が聞こえた。
「誰かいるのかい!?」
笹草刑事だ。
僕は慌てて叫んだ。
「ここに犯人がいます!! すぐに来てください!!」
「ダイ君かい!? ちょっと待っててくれ!!」
ドン、ドンと体当たりする音が聞こえる。
細面だと思っていたがさすがは刑事といったところか。三回、四回と体当たりすると、ドアが徐々に変形し始めた。
黒ずくめの男はしばらくじっとドアを見つめていたが、変哲無さんの頭部を持ったまま立ち上がり、鉈で窓を割ると、そこから飛び降りた。
時を同じくして笹草刑事がドアを破壊して部屋になだれ込む。
変哲無さんの死体を見て彼は顔をしかめた。
「窓です!!」
僕の言葉に反応し、すぐさま窓へと駆け寄った。
雨風に打たれながらも、必死に犯人を捜している。
「……いない」
笹草刑事は歯噛みした。
「いつ逃げたの?」
「ついさっきです。笹草刑事が部屋に入ろうとしているのを知って」
「そんな馬鹿な。ここは二階だぞ」
どうやら犯人は、驚異的な身体能力で二階から飛び降り、そのまま逃走してしまったらしい。
まあ、どうせここでアイツを捕まえることは不可能だっただろう。
ふん縛って、結果人間ではありませんでした、ではコナーの呪いが崩壊しかねない。
笹草刑事にガムテープを剥がしてもらい、ようやく僕は身体の自由を取り戻した。
後頭部の痛みは残っていたが、問題なく行動できるレベルだ。
僕は早速携帯で時間を確認した。
午後八時。
気絶していた時間はそれほど長くはなかったようだ。
「しかし幸運だったね。たまたま僕が君の声が聞こえる範囲にいたからよかったけど、そうじゃなかったら変哲無さんと一緒に殺されていた」
「……たぶん、それはありませんよ」
「え?」
僕は変哲無さんの腕に触れた。
あまりにも冷たい。これが先ほどまで同じ人間だったとはとても思えない。
何度か人の死に目に立ち会ってるが、実際に触れるのはこれが初めてだった。
だらんと垂れた手が、彼女の死を物語っている。
もう彼女を一見無さんと呼ぶくだりで遊ぶこともできなくなってしまったのか。
そう思うと、なんとももの悲しい。
「全員を集めましょう」
僕はふらつきながらも立ち上がって言った。
「そうだね。また一人殺されてしまったわけだし……」
「いえ、たぶん二人です」
「……なんだって?」
「じゃないと、彼女の頭部を持って行った理由がない」
笹草刑事は困惑していたが、今は僕を追及している場合ではないと判断したのだろう。
無駄口を叩くことなく、僕に手を貸しながら他の皆を探すこととなった。
「僕を生かしたのは証人にするためです」
移動中、僕は笹草刑事にそう説明した。
「アリバイ工作ですよ。何らかのトリックを仕掛けて、僕に無実を証明させる気だ」
「じゃあ、たぶん二人というのは?」
「犯人がわざわざ死体から切り取った頭部を持っていく理由がない。物証になりますからね。つまりあれを使うことで、何かを確定させたかったということです」
「何かって……?」
「それは展開次第ですね」
歩くと未だにふらつく僕を支えながらの移動だったので、彼らを見つけるのは少し時間が掛かった。
笹草刑事に支えられている僕を見たコナーは、異様なほどの狼狽ぶりだった。
「怪我したんデスか!? どこ!?」
「なんでもないよ。全然無事だ」
「だから言ったじゃないデスか! ミーと一緒にいないから!!」
彼女と喋っているとどっと疲れる。
どこまで理解しているのか、まるで見当がつかないからだ。
この反応を見るに、僕が襲われたことは彼女にとって本当にイレギュラーだったようだが。
そんな僕達の様子を見て、蛇睨さんがやれやれと首を振っている。
その横に、顔を青くした姉華がいるのを確認し、僕は全てを察した。
「妹華がいないの」
姉華が泣きそうな顔で言った。
「私と妹華と変哲無で行動してたんだけど、妹華がいなくなって……。それで私、慌てちゃって、変哲無ともはぐれて……そ、それで、コナーさん達が妹華を見たって言うから……」
笹草刑事の視線を感じる。
僕はため息をついた。
「とりあえず、全員で探しましょう」
全員で一部屋ずつ確認していく作業は、姉華からすれば気が遠くなるようなものだったに違いない。
変哲無さんが死んだことを知り、妹華が行方不明。
それだけでも過呼吸で倒れそうな勢いなのに、部屋の扉を開ける毎に祈るように両手を握り、近くにいるだけで心臓の音が聞こえそうになるほど緊張しているのだ。こんな状況下にいれば、気がどうにかなってしまってもおかしくないだろう。
「こっち……」
ふいに、姉華が一つの部屋を指さしてそう言った。
「こっちにいる気がする……」
そういえば、この双子は占い師なんだったか。
この状況でそういう発言をすることがどれだけ危険なのかなんて、これほど狼狽した彼女に言っても仕方のないことだろう。
姉華は足早にその部屋へと近づいていく。
「……おい。なんか煙臭くねえか?」
蛇睨さんの言う通りだった。
心なしか、姉華が指さした部屋の扉の隙間から、煙のようなものが湧き出ている気がする。
姉華は駆けだした。
彼女が扉を勢いよく開けた時、部屋の中から一気に煙が吐き出される。
火のゆらめきが遠目からでも分かった。
「また火事かよ!」
「消火器を持ってくるので姉華さんを頼みます!!」
笹草刑事がそう言って駆けていく。
姉華は茫然とその場で突っ立っていた。
「おい! 早く離れねえと焼け死ぬぞ!!」
蛇睨さんが肩を掴もうとするも、姉華はそれを払いのけて部屋へと入った。
中を見て、蛇睨さんは絶句する。
カーテンや掛けてある絵画が轟々と燃えている中、部屋の中央に大きな血だまりと、バラバラになった女性の死体があったのだ。
「私、ここで死ぬ! 妹華と一緒に死ぬから!!」
泣きじゃくり、切断された頭部を抱えて泣きじゃくる姉華。
動揺しながらもなんとか姉華を説得しようとする蛇睨さん。
ふと見ると、まるで手招きするように変哲無さんの首が部屋の片隅に置かれている。
暖炉の火が絨毯に燃え移りそうになっている。
姉華はちょうど血溜まりの真ん中にいるが、周りの絨毯が燃え広がれば、蒸し焼きになるのも時間の問題だ。
僕は無理やり姉華を引っ張った。
絨毯に火がついたのはそれとほぼ同時だった。
一気に燃え広がる火と、急に引っ張られたために取りこぼした死体の頭部が火の中へとダイブする。
姉華の泣き叫ぶ声を聞きながら、僕と蛇睨さんは彼女を無理やり部屋の外へと連れ出した。
ほどなくして笹草刑事によって消火されるまで、彼女の泣き声が止むことはなかった。
◇◇◇
僕がベッドの上で携帯を確認した時、既に朝の七時を回っていた。
眠れなかった。
僕は上体を起こし、小さく舌打ちした。
やはり、昼間に寝るものじゃない。これでまた昼夜が逆転してしまったではないか。
僕は支度を簡単に済ませると、ラウンジに向かった。
そこには既に僕以外の人間が全員集まっていた。
誰も口を開かない。
これほど重々しい空気はなかなかお目にかかれないだろう。
昨夜は色々なことが一気に起きたため、ひとまず睡眠を取ってから今後のことを考えようということになったのだが、一晩だけで気分を落ち着かせることのできた人間はいないようだった。
僕が見つけた地下だけはその日の内に確認しておかなければならないと思い、比較的元気な人間だけで見に行ったのだが、僕があの時見つけた写真や日記は全て跡形もなく消えてしまっていた。保冷庫の中に確かにあった死体も、まるで最初から何もなかったようにもぬけの殻だ。
結局、死体を探せというオーエンの指示は、僕達を嵌めるための罠だったということなのだろう。
その可能性は十分考慮した上での行動だったとはいえ、空虚感を覚えずにはいられない。
「死体探しは無駄だった。ついでに二人も殺された。こりゃもうお手上げか?」
蛇睨さんが自嘲しながら諸手をあげた。
「この中に犯人がいるというオーエンの言葉自体も怪しくなったからね。なかなか難しい状況だ」
全員が意気消沈している。
姉華に至っては見るからに顔色が悪い。
こんな状況でなければ医者に診てもらうのを勧めたくなるレベルだ。
「そういや、こいつは犯人を見たんだろ? ここにいる人間だったのかくらいは分かるんじゃねえか?」
蛇睨さんが僕を指さした。
「残念ながら分かりません」
「数メートル離れた場所で変哲無が殺されるところを見たって話じゃねえか。男か女かくらいは分からねえのか?」
僕はしばし考えた。
あのシルエットは明らかに男性だが、僕が観たアニメでは平気で老婆を犯人にしていたことがある。体格で判断すると痛い目を見るのは明らかだ。
僕は首を振った。
「んじゃ、どんな格好だったんだよ」
「…………影のような」
「影?」
全員が首を傾げる。
僕が何をしたわけでもないのだが、何故か小っ恥ずかしくなってきた。
「タイツを着てたんです。全身黒タイツで、顔もタイツで覆っていて。目と口だけ異様に存在感がありました」
「……冗談だよな?」
「残念ながら事実です」
僕は目頭を押さえながら言った。
姉華辺りが罵声を浴びせてくるかと思ったが、彼女は大人しかった。殊勝な面持ちでずっと下を向いている。
「黒タイツってことは、体格は分かるだろ。女か男か、判別つくんじゃねえのか?」
「……確証が持てません。男だと思いたいんですが……」
「男なんだな?」
「いえ。女性の可能性もあります」
蛇睨さんは苛立ち交じりにテーブルを叩いた。
「いい加減にしろよ! 黒タイツで、男だったんだろ!?」
彼が怒るのももっともだ。
体格がはっきりと表れるタイツ姿で、女性と男の区別がつかないなんてことはまずありえない。
しかし、ここで女性ではないとは言えなかった。
「すみません。女性の可能性も捨てられないんです」
蛇睨さんは大きくため息をつき、椅子に凭れ掛かった。
失望している様子がひしひしと伝わって来る。
ああ、胃が痛い。
「……とにかく、昨日起きたことを時系列順に整理していこう。何か分かるかもしれない」
笹草刑事の提案で、僕から昨日の状況を説明することになった。
地下への階段を見つけた後、何者かに見つかって気絶させられ、二階に運ばれて目の前で変哲無さんが殺される。それから笹草刑事に助けられたのが夜の八時。
「その後、他の皆さんと合流して、それからは知っての通りです」
作り話だと一蹴される可能性も考えていたが、意外と皆冷静らしく、特に異論を挟まれるようなことはなかった。
「ミーは夕食を食べてから、ずっと蛇睨さんと一緒でしたよ」
「意外だな。一人で行動してると思った」
コナーはぶすっと口を尖らせた。
「ダイさんが一緒に来てくれないからじゃないデスか」
単純に、話し相手が欲しかったということか。
蛇睨さんをその相手に選ぶくらいだから、よっぽど人恋しかったのだろう。
「広間にあるソファに座って雑談していたんデスが、八時過ぎだったかな。妹華さんがお通りになって」
「妹華が?」
コナーはこくりと頷いた。
「一人だったので、大丈夫かと聞いたんデスけど、歯切れが悪い感じでぼそぼそと喋ってそのままどこかに行っちゃいました」
「追いかけようかとも思ったんだけどよ。元々、単独行動を取るか団体行動を取るかは個人で考えて決めるって話だったからな。気にはなったが、そのままにしておいたんだよ」
おそらく、追いかけようとした蛇睨さんをコナーが止めたのだろう。
意外と蛇睨さんは常識のある人なのだ。
「それからしばらくしてから、姉華が現れてな。血相変えて妹華を探して欲しいっていうから、さっきそこを通ったって話して、せっかくだから一緒に探すことにしたんだ」
「ちなみにですが、最初に見たという妹華は本当に妹華ですか?」
蛇睨さんは一瞬だけぽかんとした。
「姉華と勘違いした可能性がありますから」
「ああ、そういうことか。ええと……うん。間違いなく妹華だったはずだぜ。昼に二人の見分け方を教わったからな。妹華は目元にほくろがあるんだ。一瞬どっちかと思って確認したからな」
僕は口元に手を持ってきて考えた。
「僕はダイ君を見つけるまでずっと一人だったよ。叫び声を聞いて、ダイ君のいる部屋に向かうまで、アリバイと言えるものはない。それで、姉華さんは?」
姉華は黙っている。
「……妹華さんがいなくなって、変哲無さんと二手に分かれて探した、って感じでいいかな?」
「……私のせいだ」
ぼそりと、姉華が言った。
「私がちゃんと見てなかったから。あの子、いつも考えなしにふらふらとどこか行っちゃうのに。変哲無も一人になるの嫌がってたのに、私が無理やり分かれて探そうって言ったから……」
責任を全て外部に押し付けそうな姉華が、自分を苛んでいる。
いや、元々そういう性格なのかもしれない。
ジョーさんが言っていた。過度に人を攻撃する人間は、過剰防衛の表れなのだと。
「君のせいじゃない」
涙で潤んだ瞳で、姉華が僕の方を見た。
「君のせいじゃないんだ」
誰が悪いのか、なんてばかばかしくも非効率的な議論をしたいわけじゃない。
しかし、もしも責任というものを数値化することができるなら、おそらく一番数値が高い人間は僕だろう。
コナーは自分の力を分かっていない可能性があり、姉華はもちろん何の罪もない。
では、対する僕はどうだ?
事件が起きることを知っていて黙認してきた僕は?
グラスを拭き取るべきだと思いながらも言及せず、双子の姉妹のどちらかが危険と知りながら放置した僕は、どれほどの責任があるのだろう。
……なんて、そんな真っ当な考え方ができるなら、僕はおそらく正気を保っていることもできなかっただろう。
犯人が100%悪い。そう一縷の隙もなく思い込めるからこそ、どんな状況だろうと正気でいられることができる。理屈を忘れずにいることができる。そうして初めて僕は、大切な何かを……ジョーさんを守ることができるのだ。
ジョーさんはハッピーエンドの物語しか書かないと、いつも口癖のように言っていた。
それが作家として作品やキャラクターに示すことのできる唯一の敬意だと、彼女は本気で信じているのだ。
「ピキーン!!」
だから僕は、この一連の事件をハッピーエンドにする義務がある。
死んでいった人々の想いや無念に敬意を表する。
それが作家としてこの場に立ち会った僕の責任であり、ジョーさんの隣にいるための資格なのだ。
「犯人が分かりました!! なので、今から推理を披露したいと思います!! 題して~、双子入れ替えトリック、デス!!」
「……双子、入れ替え?」
姉華の怯えた表情。
僕は黙って彼女の前に立った。
コナーが不敵な笑みでこちらを見つめる。
その目は、確かに僕に向けられたものだった。
「姉華。僕に話を合わせろ」
「え?」
妹華が生前、二人きりになった時に言っていたことを思い出す。
あの時は最後まで聞けなかった。しかし今なら、あの時何が言いたかったのかがよく分かった。
『……姉華は、良い子なの』
『ちょっと恥ずかしがり屋なだけで、本当は良い子なの。だから……』
──私の代わりに、守ってあげて
僕は妹華を見捨てた。だから代わりに、彼女の願いを叶えてやる義務がある。
「必ず、僕がお前を守ってやる」
第3話 了
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