エピローグ


病院の一室にある三角椅子に、オレは座っていた。

ベッドの上で上半身を起こしているその男性は、オレの方を向いて力無く笑う。


「まだ、夢を見ているのかな」

「現実ですよ」


オレは笹草刑事にそう告げた。


「あれだけの火に焼かれてこんな軽傷で済んだのは、まさに奇跡だと医者に言われたよ」

「いいえ、必然です」


笹草刑事はきょとんとした。


「K・C・オーエンが言っていたルール、覚えてますか? 屋敷に集められた容疑者の中からオーエンを見つけ出した者は生還できる。つまり、金田川コナーが真犯人だと知ってるオレと笹草刑事は、どうあってもあそこで死ぬことはなかったんです。あれを聞いて、オレは勝ちを確信しました」


コナーの目的は、おそらく呪いの強化だったのだろう。

読者という存在を殺すために、貞子、伽椰子レベルにまで自分を昇華させる必要があった。

そのためにはダイという作家、つまり読者との懸け橋が必要不可欠だ。間違って呪い殺してしまわないために、セーフティネットを張る必要があったのだろう。


「もしよかったら、彼女をどうやって倒したのか、教えてもらってもいいかな」


オレはふと、隅のテーブルに置いてあるリンゴを見つけた。

にこりと、笹草刑事に笑ってみせる。


「食べていい?」

「……どうぞ」


オレは喜々としてフォークでリンゴを刺した。


「まず最初に言っておきますが、あの呪いは不完全です。コナーという個の感情が残っているのは、物理法則のような変えようのないルールへと呪いが進化していない証。あの呪いに勝つには、そこを突くしかありませんでした」

「動機や感情があるから、罠にまで誘導することができたと?」


オレは頷いた。


「その罠というのは、具体的に何だったの?」

「簡単に言うと呪い返しってやつです。人を呪わば穴二つ。自分で発した言霊に自分が取り込まれる危険性は誰しもが持っているものですよ。今回は、それを自覚させてやったというだけです」

「自覚? 彼女に自分自身が名探偵ではないと教えたということかい?」


リンゴを齧ると、甘酸っぱい味が口の中に広がった。

言うほどおいしくないなと、オレは思った。


「それは正確ではありませんね。彼女は彼女自身が犯人だと思わなければならなかったということです」

「犯人……?」

「オレもけっこう適当なこと言いましたけど、あの呪いは完全にコナー個人のものです。仮に世界に自分が名探偵だと自覚する者が現れても、コナーのような呪いは発動しない。当たり前の話です」

「まあ、それはそうだろうけど……」

「つまりコナーを止めるには、コナーが絶対に死ぬ存在だと思っている犯人に、コナー自身を貶める必要があったんです。そしてそのためには、コナーが名探偵だと感じる何者かが必要だった。

あいつの前でしてみせたそれっぽいセリフも推理も何もかも、意味なんてありません。ただあいつと同じ土俵に立ってやったというだけです。でもあいつと同じ世界観でものを見て、あいつのロジックを理解してやらないと、呪い返しは成功しない」


笹草刑事は顎に手をやって考えた。


「……つまり君は、コナーが犯人である証拠を物理的にねつ造したっていうこと?」

「ピンポーン。パーソナルスペースが異常に狭い奴ですから、あいつの懐にあらかじめ証拠を仕込むのは割と簡単でしたし、好奇心の権化は証拠を提示されればそれを確認せずにはいられない。携帯から流れる声ってのは、そうと思い込んでいれば割と誤魔化せるものですしね。あいつは勝手に自分が犯人だと思って、勝手に自爆した。まあそういうことです」

「……全部想定通りだったというわけか」

「そうでもありませんよ。一番最初に打っておいた保険が、たまたま効いたってだけです。地の文は心理描写なんで適当に変えても誤魔化せますけど、実際に喋った言葉を変えれば、呪いに勘付かれる可能性がありましたからね」

「地の文……?」

「まぁ、運が良かったってことですよ」


名探偵の呪いは、ダイの行動でいくつか定義付けすることに成功していた。

呪いは他人の考えを読むことはできない。名探偵の推理は、最初に決めつけから入り、後から証拠をねつ造する。

それらの条件を知り得たからこそ、保険が武器になり、最後の博打を打つことに成功したのだ。


「よく分からないな。そういえば、失礼になるかと思って敢えて聞かなかったんだけど、君って男の子? それとも女の子?」

「その質問が来なかったことが最大の幸運だったってことです」


笹草刑事のコミュニケーションリテラシーの勝利といえるかもしれない。

相変わらず、彼は首を傾げているが。


「その後について、何か分かりました?」

「あの屋敷を調べたら、招待された人間のほかに、もう一つ死体が出てきたよ。長年行方不明になっていた、新島絵美里の死体がね。痕跡から見ても、自殺した父親に殺されたことは間違いないそうだ」

「そうですか」


オレは素っ気なくそう返した。

やはりあれは霊体の類だったのだろうか。それとももっと違う概念の何かか。

まあ、今となっては推理しようもない話だ。


「彼女があんな呪いを生んだ動機はなんだったの?」

「それこそ、考えたところで意味のない話です。スランプに陥った父のために自費出版でもして大酷評され父親にまで飛び火したとか、スランプ状態だったから酷評を恐れて断筆していたのに、編集者に焚き付けられたか何かで新島絵美里が彼の名義で小説を書き、それが酷評されたとか。こじつけようと思えばいくらでもこじつけられます。でもそんなものに意味なんてありませんよ。呪いは放たれた時点で個の想いから決別する。重要なのは、一人の少女があれほどまでに読者という存在を憎んだということです」


笹草刑事はオレの話を聞き、憂いを帯びた瞳で窓を見ていた。

恩師の仇を自分で取れなかったことを悔やんでいるのだろうか。それとも、不幸であったあの少女を想っているのだろうか。


「あ」

「どうかした?」

「全部食べちゃった」


リンゴがあった皿は既に空っぽになっていた。

何かをしながらだと、特においしいわけでもないのに目の前にある物をパクパクと全て食べてしまう癖がオレにはあった。


「ごめん」


味気ない病院食ばかり食べている人間からすれば、大層楽しみにしていたものだろうに……。

笹草刑事はオレを見て、優しい笑みを浮かべた。


「君、なんだか雰囲気変わったね」

「前の方がよかった?」

「どっちも素敵だと思うよ。誤解されやすそうだけど、優しさが伝わって来る」

「……そんな風に言ってくれる人は少ないです」


だいたいが自分勝手だとか傲慢だとか言われるばかりだったので、なんともむず痒い。


「あの力は、結局一体なんだったんだろうね」

「誰だって、現実を思い通りに動かしたいという欲求はあります。憧れの人間になりたかったり、夢を叶えたかったり、自分を社会に認めさせたかったり。そういった一個人のごくごくありふれた感情に、たまたま現実がリンクした」

「……たまたま? あれが偶然できあがったということ?」

「コンテンツは現実の模倣である」

「え?」

「どこかの会長さんが、そんなことを言ってました」


ここで作家や哲学者の名前を出してドヤ顔できないところが、知識不要論者を名乗る人間の辛いところだ。


「模倣であるならば、そこで起きることは全て、現実で起こってもおかしくない。だからこそ読者はその物語を理解し、面白いか面白くないかという形で評価できる」

「……ええと、何を言ってるのかさっぱり分からないんだけど」

「理解の届く範囲であるならば、それが起こりうる可能性はゼロじゃないってことです。そろそろ退散しますね」

「あ、ああ。ごめんね、わざわざ」


オレが立ち上がると、笹草刑事は少し慌てた様子でそう言った。

ちょっと切り出し方が急過ぎたか。

しかし、どのタイミングでも急なことには変わらない気がする。

オレは誰かとの会話を途中で中断するというのが非常に苦手なのだ。


「最後に一つだけ、いいかな」


病室のドアに手をかけたところで、笹草刑事は言った。


「彼女は……助けられなかったのかな」

「この物語はハッピーエンドですよ」


オレはそう断言した。


「彼女はこの物語の中で、本当に自分が求めていたものを見つけ出し、それを実行した。だから、これはハッピーエンドなんです」

「……そうか。ごめんね。残酷なことを聞いて」


俯く笹草刑事を、オレはじっと見つめた。


「あの本読みました? コナーが作り出したオレの小説」

「ああ、読んだよ。面白かったけど、僕にとってはやっぱり荒唐無稽かな。それに、君の印象がかなり違う」

「でしょうね。決めてる場面でも実際は結構噛んでましたし。コミュ障だから気持ち悪がられるのも慣れてますよ」


笹草刑事は苦笑した。


「あまり話し慣れてないんだなって思った。でもかわいらしかったよ。……あ、男性だったら褒め言葉じゃなくなるか」


オレはドアの方を向き、ぽりぽりと頬をかいた。


「……あそこのあれ、本当ですから」

「え?」

「同士がいてくれて心強いっていう心理描写。あそこはガチです。事件が解決できたのも笹草刑事のおかげですよ。島田刑事にはちゃんとそう報告してください」

「……そんな心の機微まで、よく分かるね」

「だって、あなたの生みの親ですから」

「……え?」

「なんつって」


オレはピースサインを笹草刑事に向け、そのまま出て行った。



◇◇◇



「仮にこの小説をミステリーだと呼ぶ作者がいたとしたら、僕は迷わずぶん殴るだろうね」

「またその話かよ……」


ジョーさんはうんざりしたように椅子に凭れ掛かって伸びをした。


今、僕達は『フランケンシュタインの名探偵』と題した作品のラストを手掛けている。

もはや物語は収束した後ということもあって、はっきり言って僕達二人は気が抜けていて、そのためこういった会話が頻出してその度に作業が止まる。

本当は既に一週間を切った新人賞に応募する作品を書かなければならないのだが、もはや諦めムードが漂っていた。


「だいたい、ミステリーにおいて重要な要素を省略し過ぎだ。屋敷の構造は? 犯人が嵐の中、外へ逃げて屋敷に戻ってきたという形跡は? それに極め付けは最後のオチだ。地の文で否定した事実を真実にするなんてどうかと思う。読者から文句の声が出ても、僕は否定できないね」

「ミステリーに必要なのは、読者が結論を導き出すとっかかりを作ることだ。推理小説ならそれは証拠と呼ばれるものだし、叙述トリックならヒントと呼ばれるものかもしれない。少なくとも言えるのは、そこに結論を導き出す余地があるのなら、それはミステリーといえるってことだ」

「……で? 君がこれを叙述ミステリーだと言える根拠は?」

「ヒントを残しただろ? まずオレという存在をあれだけ明らかにしておきながらお前以外の前に一切姿を現さないのは違和感を覚えるし、敢えて性別を語るのを省く部分は見る人間が見れば何かを感じるところだ。蛇睨さんが両刀だっていう設定も、メタ視点で見れば明らかに不必要な部分だしな。

つまり、読者側にはそれを想像する余地が与えられていたことになる。想像できたなら、あとは理屈をつけるだけだ。ダイが自分を男だと自認するのは地の文だけで、それを言葉にしていい場面でもしないのは、それを“僕”という書き手が選択しているから。名探偵が物語を歪曲できるなら、作者だってそれができる。つまり、この物語の書き手である“僕”は、コナーと同じ能力を持っていて然るべきだし、呪いと個のような二つで一つの存在であると考えられる。つまり書き手とダイは別々のものと考えるのが道理で、二つで一つという考え方はそのまま二重人格という答えに──」

「待て待て。論理的に喋ってるつもりなんだろうけど、さっぱり意味が分からない」


ジョーさんはあきれ顔でため息をついた。


「だから、今回怪物を仕留めた銀の弾丸は、読者だって想定できたってことだ。故にこれはミステリー。それが違うというのなら、まずは叙述ミステリーがミステリーじゃないと定義するところから始めろ」

「……つまり、あくまでジョーさんはこれがミステリーだと言い張るわけか」

「お前がこれはミステリーじゃないと言うから私見を述べたまでだ。ミステリーじゃないと読者が言うならそうなんだろうよ」

「またお得意の作品乖離論?」

「お得意とかじゃなくて、本質的にそうだろ。作品は出来上がった時点でもはや読者のものなの。どんな荒唐無稽な解釈でも、個人が抱いた個人の感想は全て正しい。そこに作者が介入する余地なんて存在しねーの」

「ミステリーだと思う人はミステリーだし、ホラーだと思う人はホラーだと」

「そういうこと」

「それって逃げじゃない?」


ジョーさんが苛立ち交じりの声をあげた。


「どこがだよ。だいたい、全ての作品をジャンル分けしようって考えが浅はかなんだよ。いいか? 物語というのは神が与えた一つの奇跡だ。それを全部理解した気になって区分けしてる時点でそいつは終わってる」

「分かった分かった。この話はもういい。どうせ堂々巡りだ」


僕はため息をついた。

ふいに、心に飛来したのはあの時の出来事だった。


「……最後に出て来てくれて、助かった」


あの時。

ジョーさんが僕を演じて、彼女の夢を聞き出したあの時。

僕は初めて、自分の役割が分からなくなった。


ニヒルで、論理的で、情や憐憫を感じない僕は、それを徹することで役割を担ってきた。

だから、あそこで僕が出て行かなかったことは正しいことだった。論理的に見れば、正しかったはずだ。

しかし、そう思えない自分がどこかにいるのも確かだった。

それはジョーさんの負担になってしまったという自責の類ではない。もっと個人的な感情だ。


あそこで彼女を夢と向き合わせたからこそ、彼女は救われた。そうすれば救われると、僕は知っていた。

なのに、僕はしなかった。しなかったんだ。


「……オレはあいつの手を掴んで心中するつもりなんてなかったぜ?」


ふいに、ジョーさんが言った。


「オレはあいつがあそこで死ぬのが、あいつにとってのハッピーエンドだと思った。けど、そう思わない奴だっている。……いや、そっちの方が多いかもな。あそこであいつを助けて、更生させて、その能力を他人を助けるために使うようになる。それが本当のハッピーエンドだと考える奴もな。

主人公が自分の抱えるテーマの答えを見つけることがハッピーエンド。それがオレの定義だ。そのためなら善良なモブキャラクターに罪を擦り付けることだって平気でする。あの時コナーにしてみせたお前の推理は、全員が幸せになる唯一の方法だった。それをお前は望んだんだろ?」


ジョーさんは僕を見つめた。


「夢よりも幸せを掴む世界。お前は、そんな夢を見たんだろ?」


そのまっすぐな瞳から、僕は目を逸らした。

ジョーさんはそれを見てため息をつき、椅子に凭れかけていた身体を起こした。


「お前はお前が思ってるほど冷たい奴じゃねーよ。笹草刑事が言うように、誤解されやすいだけでな」


この物語で主人公という役割を歪ながらもこなして、分かったことがある。

どれだけ存在感のない端役も、役割をこなすためだけに存在する道具のようなキャラクター達も、そのことに対する葛藤や忌避感、望みや希望があるものなのだと。


たとえ文章の中にそのことが表れていなかったとしても、僕だけはその価値を認め、僕だけは彼らを受け止める。

それはたぶん、僕にしかできないことだ。

そしてきっと、それがジョーさんの描く物語の端役として生まれた、僕の役割なのだ。



「でも、最後までよくわかんねー話だったな」


カタカタとパソコンを打ちながら、唐突にジョーさんは言った。

この人は、この物語を自分で書いていることを忘れているんじゃないだろうか。


「だってさ。この話って全てが曖昧で未確定じゃん?」

「え?」

「一応、証拠がねつ造される瞬間を目撃してるから、まあそれは本当だったとしてさ。あれがコナーの能力によるものだっていう確証がないんだよなぁ」


確証……?

何を言ってるんだ。コナーの言葉通りに事件が動いていたんだし、あの気味の悪い目だって……。


「つまりな? コナーが自分を名探偵だと思い込んだように、コナーを名探偵だと誰かが思い込めば、同じような状況になると思うんだよ」


……なんだろう。

なんなんだろう、この嫌な気持ちは。

そういえばジョーさんが冒頭で言っていたな。ええと、なんだっけ。

この物語のジャンルは──


「そういえばさ。コナーの懐に携帯を仕込む描写って書いたっけ?」


僕の方へと身体を向け、ジョーさんが言った。


「最後に名探偵になった奴って、誰だったっけ?」


じっと僕の目を見ながら、ジョーさんが言った。



グシャリ



そんな音が、窓の外から聞こえた。

それはまるで、何か重量のあるものが、地面に叩きつけられたような音だった。




Fin



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名探偵の倒し方 城島 大 @joo

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