第23話
「……そなたたちは、私たちの実の子ではありません」
桃太郎は言葉を失った。
「そして桃太郎や…… そなたとかぐや姫も本当の兄妹ではないのです」
その瞬間、桃太郎の眼には、今まで焼きつけてきた数えきれないほどのかぐや姫の姿が、湖面にひるがえる陽の光のように次から次へと甦った。
同時に胸を焦がす炎は青白い灼熱となって血の流れと共に全身へ広がっていく。
喉を込みあげてくる想いはかぐや姫を前にしたならどれほどの言葉に溢れるだろう。
先刻まで怒りだけを握りしめていた両の拳は、今や幻の彼女をすぐにでも力いっぱい抱きしめたいと訴えていた……。
二人に見守られながらぎゅっと双眸を閉じていた桃太郎は、しばしのちに深く深く息を吐くと顔をあげた。
「水江殿……父上と母上のことをお頼み申して宜しいでしょうか?」
水江は真っ直ぐな、しかし冷静な眼差しで若者を見つめる。
「無論です……が、まさかこのような闇夜に、しかも御身一つで飛び出されるおつもりか?」
「夜明けは待ちます。そうでなくては足跡も掴めません。ですが、都まで足を運び
そう言うと桃太郎は傍らに置かれているスサノオの剣に触れる。
彼の瞳に揺るぎない覚悟を見た水江は二の句が告げられなかった。
「桃太郎や……いかに其方といえども、たった一人であの化け物共からかぐや姫を救いだすことは叶わないでしょう」
重い沈黙を破ったのは母だった。
桃太郎がそれに抗弁する前に、水江が素早く口を挟む。
「お言葉ですが、桃太郎殿の武芸はまことに素晴らしく、都を支配していた鬼女ですら彼の前では成す術なく討たれるのみでした。それを目の当たりにした
それから微かに顔を曇らせる。
「……加えて、都はいま政の立て直しに全力を注がなくてはならず、賊の討伐に軍を発するには時を要することも確かです」
「都のことはまことに仰せの通りでしょう」
母は少し苦しそうに言葉を続ける。
「桃太郎の武芸ならば私はずっと見てきました。そしてあの鬼共の力も目の当たりにしたのです。ですから分かるのです。かぐや姫を抜かることなく助けだすには、強き者たちの助力がなくては……」
そこまで言うと彼女はひどく咳きこんだ。
「母上! お休みにならねば……!」
「……案ずるには及びません。桃太郎や、神棚のそばにある……小さな
桃太郎は壁に打ちつけられた神棚を見上げ、母の言うとおりにそれを下ろした。
中をあらためるように言われて従うと、そこには布で丁寧に包まれた珠が入っていた。白くて、僅かに透けている、ちょうど鷲掴みにできる大きさの珠だ。
「気をつけて扱いなさい……その宝珠は名を“
水江の顔色が血の気を失う。
「三王ですと……! まさか、荒神と怖れられるあの三王に!?」
「水江殿、それはいったい何者ですか? 俺は初めて耳にする呼び名なのですが」
「なんと、三王を知らないと申されるか。都の者たちがその名を口にすることすら畏れるあの荒神を……」
水江は躊躇いののち、勇気を振り絞るように語って聞かせる。
一つ……闇深き岳、深霊山に棲むという主、
深い岳に棲む全ての命を統べているというその王は智を司り、古来、山の神として畏れられてきた。万が一にも怒りに触れれば、裾野に生きる全ての人間の命が奪われてしまうと云われている。
一つ……死の古都を支配する獣、
遷都によってうち棄てられた嘗ての広大なる都を、人肉を喰う巨大な犬神が治めてしまっている。元からの住民達を恐怖の底へと突き落としながら、司るは仁であると云われている。
一つ……不死山の樹海に眠る
この世で最も危険な場所として人間が足を踏み入れない不死山の樹海。
水江が強張った表情で語り終えると、桃太郎は手の中の冷たい宝珠に目を落とした。
「そのような神か魔物か分からぬ者が本当に力を貸してくれるのか……」
冬の朝露のような汗が首筋を伝う。
「それはそなた次第ですよ、桃太郎…… 神に近しいものの助力を仰ぐことは、確かに大きな危うさを孕んでいます。しかし……人の力を束ねられない今、万に一つその力を得ることができれば……あの恐ろしい鬼の軍勢に立ち向かうそなたにとって、これ以上ない…… 味方に……なるでしょう……」
母の声がまどろみの中から紡がれるように頼りなくなっていく。
「鬼が……
神無月の十五夜までは
「かぐや姫を……愛するなら……」
「……眠ってしまわれた。やはり無理を押していなされたようです」
彼女の額に手を当てて、水江は沈痛につぶやいた。
「それで、如何なさるおつもりですか?」
桃太郎の眼差しは母の寝顔から左手のスサノオの剣へ、そして右手の帰毘の珠へと注がれる。
「夜明けを待ち……“三王”に会いにいきます」
その声には強い決意が籠められていた。今度は世のためでも、誰かの頼みでもない。
たった一人命を懸けて運命に挑む。
己が心より愛する、かぐや姫を救うために―――。
逢魔ヶ森。
深く、静寂に満ち、濃い霧が木々の隙間を埋めるように鈍く流れている。
葉と土を踏み潰しながらひたすらに進み続ける恐ろしき百鬼夜行。
行列の半ばに小さな籠が一つ、揺られながら鬼の担ぎ手に運ばれていく。
その中には一人の、誰もが目を
このおぞましき絶望の光景に囲まれ、為す術なき囚われの揺り籠の檻にありながら、娘は己以外の者を心から案じていた。
最後に見た、傷ついた父と母のことを。
そして、
「桃……」
愛しき兄の名を唇にのぼらせると、かぐや姫は天に祈るようにそっと手のひらを合わせた……。
序章 幕
Once Upon a Time 爪紅 @tumabeni
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