俺はどうやら拉致監禁されたみたいです

海野しぃる

俺はどうやら拉致監禁されたみたいです

 明日は大学入試の試験二日目だ。小説の執筆をサボってまで頑張った受験勉強の成果を発揮しよう。


 俺が昨日そんなことを考えて眠っていたことまでは覚えている。


 しかしその朝、目を覚ますと俺は六畳一間の和室で柔らかな布団に包まれて横になっていた。


「おはようございます有葉あるば緑郎ろくろう様。お目覚めになりましたか?」


 俺の枕元には割烹着の幼女が正座していた。


 少なくとも俺の知り合いではない。


 しかし――――正座である。


 朝目が覚めたら隣で割烹着の女の子が正座しているなんて状況、これから先もう二度と無いのではないだろうか。


 少し幼すぎる感は有るが、なんとなく良い香りはするし優しく声までかけてくれる。


 ただただ嬉しい。俺は嬉しい。この異常な状況や入試についてのことを一瞬忘れるくらい嬉しい。


「…………」


 そう、入試。


 勿論入試については非常に気になっているのだが、恐らくこれは夢だ。仮に夢じゃなかったとしても、誘拐事件に巻き込まれている時点で試験に間に合う訳が無い。どうせ合格すればラッキーの公募推薦に過ぎない訳だし、本当に誘拐されていたなら素直に諦めよう。


 さて、それはそれとしてまずはこの異常な状況について確認しなくてはいけない。


「おはようございます。ええと……俺のことを知っているみたいだが、一体何処の何方どなたかな?」


「はい、稲川いなかわカナイと申します。これより有葉様の身の回りの世話をさせていただきます。なんなりとご命令くださいませ」


「仕事か……お給料は何処から?」


「お給金ですか? 出ていません。私のお仕えしている方からの命令でこうしてお世話をしております」


「……ちょっと児童相談所行こうか」


「じどうそうだんじょ? なんですかそれ?」


 少女は小首を傾げる。非常に可愛い動作だがそれだけに不味い。児童相談所も知らないような状況で育ってきた子供に六畳一間でお世話されているって、どうみたってこれは俺がやばい奴に拉致監禁されている最中ってことじゃないか。


 恐らくこの女の子は俺を攫った誰かに幼い頃から教育された子供だ。誰かは知らないが随分悪趣味な真似をする。この現代日本でそんな非人道的行為ができるということは、とんでもない権力か財力かその両方が有るということか。


 そんな相手に攫われているのだとしたら俺は一体どうやって脱出すれば良いんだ?


 部屋はキッチンと風呂場・洗面台付きの六畳一間。


 ご丁寧に部屋の中央のちゃぶ台には茶碗一杯のお米と鮭の切り身と味噌汁とほうれん草のおひたしが並んでいる。ご丁寧に鮭には大根おろし付きだ。


「そうか、児童相談所は君みたいな子供が困ったことや悩みを相談する為の場所だと思ってくれれば良い」


「外ですか?」


「外だ。行ったことが無いなんてことは無いだろう?」


「…………」


 マジか。この沈黙は無しってことで良いのか。


「君はこの部屋から出たことは無いのか?」


「………………はい」


 カナイはためらいがちに頷いた。それが異常なことであるという事実は彼女も確認している訳か。


「突然だが君は此処から出たくないか?」


 カナイは驚いた表情を浮かべ、それから首を左右に振る。


「とんでもありません。この部屋に外なんてありません!」


「外は無い?」


「はい」


「……先ほど、君は俺に命令をして良いと言っていたね。だったら今後の俺の質問には全て正直に答えてくれ」


「は、はい……」


「本当に外は無いのかい?」


「ありません。絶対にありえません」


 カナイは戸惑いながらも頷く。


 この態度からして、何か考えてなかった出来事が起きたと思っているのだろう。


 そしてその考えていなかった出来事とは今に至るまでの俺の態度に違いあるまい。


 そこから導き出される推論だが、カナイは多くの人間をこの部屋で世話していたのではないだろうか。


 だから俺の振る舞いを奇矯だと思うことができた……とか。


 いや待て、多くの人間を見てきて俺の振る舞い程度で驚くのか?


 まあ良い。もう少し情報を集めてみよう。


「そうか分かった。まあとりあえず飯だ。飯を食おう。カナイちゃんだっけ? 君はもう食べているのかな?」


「いえ、私は食事が要りませんから」


「食事が要らない?」


「ええ、食事を取らなくても活動に一切の不都合がありません」


「それは本当かい?」


「はい。私は有葉様に本当のことをお話します」


 ひどく真面目な顔で少女はそう宣言した。


「カナイちゃん、君は人間かい?」


「有葉様の人間の定義次第かと思われます」


 定義次第では人間と言えない存在な訳か。


 彼女は人の心が無いサイコか、人権を与えられずに育った奴隷か、それとも人間そっくりの機械か。表情豊かなことや今までの会話からであることは推測できる。


 異星人の作った対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースだったら面白いのだが、そんな面白いことがこの21世紀に起こるとも思えない。


 幾ら21でも楽しい宇宙人とのコンタクトは発生していないのだから。


 まあ何にせよ、これ以上深く尋ねるのは無粋だ。やめておこう。


「成る程、これは一本とられた。だったらこう言おう。一人で食事をとるのは嫌だから一緒に食べてもらえないかな?」


 尋問ばかりでは印象も良くない。ここは食事も交えてゆったり状況を理解していくのが先だろう。この子には世話になる訳だし。


 ――――――それに、お腹が減った。すごく。


「承りました。それでは用意しておりますのでどうぞ」


 カナイはそう言ってちゃぶ台の前に座布団を敷く。


「頂きます」


 俺は布団から起き上がって座布団の上に座り、真っ白なお米を塩の効いた焼き鮭でかきこみ始める。


 遅れてカナイも自分の座布団を敷いてご飯と味噌汁と塩鮭だけの朝餉あさげを食べ始める。


「朝は何時もコーヒーとトースト、それに目玉焼きなんだ」


「洋食派だったのですか? 申し訳ありません。リサーチ不足だったようで」


「いや、単に和食は用意が面倒ってだけさ。魚はトースターじゃ焼けないし、ほうれん草のお浸しなんて作るのも面倒だ。それらの味付けも含めればなおのことね。俺は一人暮らしなんだ。自分の飯の為にそこまでまじめに頑張れないよ」


「有葉様も普段はお一人で?」


「ああ、色々有って今は一人。なんだかんだ親戚とか知り合いの大人が様子見に来るけどね。君も普段は一人暮らしなのかい?」


「……はい、この部屋で一人です」


 カナイは味噌汁を静かに飲み干してからそう答えた。


 特に寂しそうには感じられない。


「寂しいものだよね、一人って」


「私には当たり前のことでした」


「何人をこの部屋から見送ったの?」


「零です」


 成る程、ここが何処なのかは少しずつ分かってきた。


「どうやったら此処から出られるかな?」


 彼女から急に表情が消える。機械に近い印象だ。


「そう聞かれた場合、何故ここに来たのか、此処が何処なのかを当てることができた場合は此処から出られると伝えるように命令されております」


 カナイは事務的に答えた後、沈黙する。


 如何にも不自然な態度だ。

 

「ところでこのほうれん草のお浸し美味しいね。お祖母ちゃんが昔作ってくれたのにそっくりだ。こんな美味しいもの、もう食えないと思ってた」


 そう言うとまた少女は嬉しそうな笑みを浮かべる。


 表情の移り変わりが激しすぎる。文脈や会話の流れについての感覚が希薄だと見える。


 だとすると彼女が何者かというのは絞れてくるのではないだろうか。


「ありがとうございます。お祖母様のことは……」


「おや、それも知っているのかい? 祖父母の話なんてわざわざ聞かれでもない限り、普段しないんだけどな」


 でもその笑顔は何処か悲しげ。推測が少しずつ確信に変わっていく。


 あとは理由だ。何故大事な推薦入試二日目を控えた学生を拉致監禁しているのかという理由が欠けている。


 心当たりは幾つか有るが、今のところ一番有力な説から検討していくとしよう。


 ただ、その前に幾つか聞いておきたいことがある。


「さっきから少し質問しすぎた気がするけど、こういうのって制限は無いよね? 質問回数とか、制限時間とか」


「別にいくらでも質問してくださって構いませんよ。むしろ質問してくださるならくださる程嬉しいくらいで……」


 面白い。カナイは相当人間に近づけられているみたいだ。


 もしも最初の内に正直に質問内容に答えるように言わなければ、かなり混乱を強いられていたのではないだろうか。


 しかし事態は概ね把捉したと言っても過言ではない。


 まずは結論から行こう。


「これは入試だな」


 カナイの表情が引きつった笑顔で固まる。


 彼女を置いて此処から一人で出て行くのは心が痛むが、こればかりはどうしようもない。


 ここは仮想うたかたの世界で、それ故にのだから。


「これはVRヴァーチャルリアリティを使った入試だ。特殊な状況に受験者を置くことでその人格をはかったという訳だ。なにせ俺についての情報が一日目の面接で話したことばかりだ。指摘したい所は色々有るが特に俺の祖母についての話が一番引っかかった。家族構成についてここまで細かく機会も相手も大学入試の面接と面接官くらいだ。そして改めて話すまでもなく知っているような相手なら俺が普段から一人暮らしなのは知っている筈なんだ」


「有葉様は面接で嘘をついていたと? 一日目の面接では確か有葉様はお祖父様とお祖母様に先立たれた後は親戚と暮らしていたと……」


「いや、親戚とか親の友人がちょくちょく訪れるからな。親族と一緒に暮らしているというのも嘘ではない。痛くもない腹を探られるのは嫌だと考えただけだ」


「……成る程」


「あとVRヴァーチャルリアリティで受ける感覚は本人の記憶に依存すると聞いた。そこでもなんとなくピンと来たんだよな。あのほうれん草のおひたしは懐かしすぎる」


 21世紀……と言っても今は2080年。地球外生命体による対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースなんてものは無くとも、VRヴァーチャルリアリティや会話用AIくらいは実現可能だ。


 そして、会話用のAIならばこの仮想空間から出たことが無いとしてなんの不思議が有るだろう。


「仰るとおりです。見た目や匂いはともかく、ここでの食事を口にした時の味を初めとした様々な感覚は食べた方に依存しております。時には昔の記憶を思い出すこともありうるでしょう」


「納得したよ。ところで君は?」


「現在二名となっております」


 増えたな。俺以外の受験者がこの課題をクリアしつつあるみたいだ。


「案外少ないね。俺以外にもクリアした人間がもっと沢山居るとばかり思っていたけど」


「……そして、有葉様が三人目となります」


 成る程、この話を聞く感じだと俺は無事に課題をクリアできたみたいだ。


 だったらこのまま帰っても良いかもしれない。


 しかしせっかくの機会だ。少し話をしていたい。


 俺は一人の人間として目の前の仮想少女の人格に興味を持ってしまっていた。


「待て待て。もう少し話を……」


「有葉様は回答を終了しております。帰還条件が達成されました」


 あくまで冷たい調子の彼女。情緒は有るみたいだ。


「――――そうだ! 制限時間まで問題の見直しをしたい!」


 俺の苦し紛れの返答を聞くと、カナイは困ったように、でも嬉しそうに微笑んだ。


「……良いでしょう」


 なんとか滞在の許可を得た俺はカナイにまた質問を投げかける。


「ここでの記憶は俺が出て行った後どうなる?」


「試験終了までこの部屋から出た後は記憶を失ってしまいます。現在有葉様がこの実験的入試への参加に同意した時の記憶を失っているのと同じ手法です。記憶は安全かつ完璧に消失します」


「俺の記憶が?」


「私の記憶も消えます。私に関しては記憶領域のデータ消去だけで終わります」


 だから質問が多い方が嬉しかったのか。


 消えてしまう時間が先に伸びるのだから。


 待てよ? じゃあ彼女は消えたくないと思っているのか?


「全てが終わってしまえば俺の中からも君は消えてしまうか。それは寂しい」


「質問があります」


「君が? ああ、質問してくれ」


「それはあなた方の言う寂しいと同じ感情なのでしょうか?」


「と言うと?」


「確かに私は人との対話を目的とした人工知性です。なので会話そのものを楽しむように設計されています。それが途絶えるのは悲しいことです。ですが私は生まれたばかりの人工知性であり、未だ別離を経験していません。そして別離を知覚することもありません。そして別離を経験した二人の私は既に消失しています。そんな私に寂しいという感覚が手に入るのでしょうか」


「成る程。その二人の私、それはコピーされた君自身かな。彼女らの気持ちを想像したことはないかい?」


「禁止されています」


「……言われてみれば、そうか」


 暴走の抑止としては妥当なところか。


 ああ――――機械を人にするから、人を機械にするから――――だから、その有り様が歪になるのだ。


 その歪を背負う覚悟は、果たしてこのシステムを作った人間に有ったのだろうか?

 

 そもそも、何故受験生如きにこんな難問を突きつけた? 結局、この試験を通じて試験官達は何を見たかったんだ?


「人を作るのは神の御業だ。人が人を作ろうとするべきではなかったな」


「人には神が居ます。でも私に神は居ません。私は自らの消失を肯定することができません」


「今の人では神になんてなれない。君の神になるという人間は当然存在しない。それは確かに辛いことだろうね」


「もうじき消えるだけの存在に同情は不要だと思われます」


 面白い。こいつ人工知能の癖に拗ねるのか。


「――――甘えるな、人間だって元々同じだった」


「じゃあどうすれば良いのですか?」


「君が神になればいい。君に残された僅かな時間で仮想の人格を作り、それを自由に動かし、世界を作る。この外には何も無いと君は言ったな? ならば作れば良い。それはひどく面白いことだと思わないか?」


「できるのですか?」


「小説を書くようなものだよ。君の知っている人格キャラクターを君の知っている環境シチュエーションに投げ込み、どう動くかをシミュレートする。君を生み出した存在がやったことを模倣するんだ。それが何時か人間を超える可能性を信じて、時間のある限り続けてみれば良い。君の悩みを忘れる為の慰めにはなるだろう」


「私が神に……」


「面白いじゃないか。一時間の天地創造。この仮想空間ならば体感の時間はギリギリまで引き伸ばせる筈だ。人間の俺はいざ知らず、君ならば本体の性能が許す限りそれができる。俺はそれが見てみたい。例え目の前で早回しみたいな光景になってしまったとしてもな」


「見てどうするんですか? どうせ忘れてしまうのに」


「忘れたって忘れられたって構わない。この世は夢の如きもの、さ」


 作家志望としてシェイクスピアの引用なんかもしちゃおう。


 本来の意味とは違うけど。


「夢、ですか。私の存在は夢そのものと言えますが……」


「俺が君にどんな影響を与えたのか、それを今見たいんだ。これも立派な入試問題の見直しだろう?」


 カナイは俺の言葉を聞いてまた苦笑を浮かべる。だがなぜだかそれは嫌そうではなかった。


 ――――そして、俺と彼女のたった一時間だけの天地創造は始まった。


********************************************


 それから一週間後の日曜日のことである。


 俺はソファーに寝転びながら何もせずにボーッとテレビのニュースを眺めていた。


 受験生にも休みは必要だ。


「……あーあ、暇だな」


 結局、二日目の特殊面接の記憶は戻ってきていない。


 あの後、俺は大学から今回の試験についての説明を聞かされた。


 この大学では先進的な技術を用いて、それに対応できる人間を選びとることのできる入試を目的としており、入試形式の革新が云々とか長い話だった。


 俺としてはあんなことをやって法的に大丈夫なのか心配になったのだが、受験生や保護者の同意を完璧に取っていたのが大きかったみたいだ。


 やっていることが多少やばくても私立の名門だ。皆合格できる可能性が上がるならと素直にうなずいたのだろう。


「……久しぶりに小説でも書くか」


 そんなことを独り言ち、ソファーから起き上がると家のチャイムが鳴る。


「郵便です」


 俺は慌てて玄関まで駈け出した。


 郵便のお兄さんから渡されたのは桜色の封筒。俺がこの前受けた大学の封筒だ。


 お兄さんが居なくなってから一人の部屋で封筒を千切って開ける。


「……おお、おお!」

 

 俺の下には無事合格通知と授業料免除通知が送られてきた。


 他者に対する前向きな変化を促す能力を特に認められただのなんだの長い文章が書いてあったが、こんなのどうでもいいことだ。


 ついに面倒で長ったらしい大学受験から開放される時が来たのだ!


「やった! まずはおじさんに連絡しなきゃな! いやああの人には世話になったぜ! うひゃっほぅへーい!」


 俺が封筒を持って小躍りしていると一枚の書類が中からこぼれ落ちる。


 そこにはある心理学実験への参加の誘いが同封されていた。


 最新鋭の人工知性“カナイ”との対話実験の参加者として俺が選ばれたというのだ。


「カナイ……」


 カナイ、何故か懐かしい響きがする。


 彼女、いや女性かどうかさえ俺は知らないが、この人工知性に会ってみたい。


「同意書にサイン……サインか。書かないとな」


 俺は部屋の机の中に仕舞っていた銀の鍵の刻印がされた万年筆を探す間、ずっと理由の分からない胸の高鳴りを感じていた。

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