公務進行中

鳥海勇嗣

第1話

 男女二人組みの乗る、真っ白で簡素なハイエースが、練馬区を通る国道を走っていた。

「先輩、どうしました? 食べないんですか?」

 須川すかわは助手席に座る先輩・内籐がさっき買ったコンビニのおにぎりに手をつけてないのを見て言う。

「これから仕事だからね。あまり食が進まないのよ……。」

「へぇ、見かけによらず繊細なんですね」

「……見かけによらずとは何よ。だってそうでしょ、いつまでたってもこんな仕事慣れるわけないわ」

 二人はリクルートスーツのような暗く、単調なスーツに身を包んでいる。誰でもあって誰でもないような、匿名性をおびた格好だ。

「じゃあ先輩は、どういうモチベーションでこの仕事続けてるんですか?」

「そりゃあもう、“お国のため”よ」

 そう言って内藤が首を傾かせると、真っ黒なボリュームのあるボブが横になびき形の良い耳が顔をのぞかせた

「くっはぁ、頭が下がります」

「アンタいちいち突っかかるわね? そっちこそどうなのよ?」

「そりゃあ金ですよ」

「別にそこまで給料良くはないでしょ?」

「とはいえ、公務員ですから。このご時勢最強じゃないっすか?」

「もう唯一安定した仕事かもしれないからね。この国で」

「それに、妻が妊娠したっていうんですよ……。」

 須川は「へへへっ」と照れくさそうに内藤を見て小指を立てる。

「マジで? おめでとう~。そのジェスチャーの意味は分かんないけど」

「んで今日、安産祈願のお守りも買ってきたんです。ついでに先輩のも買ってきましたよ、ウチのとお揃いです」

 そう言って須川は胸ポケットから二体のお守りを取り出した。お守りだというのにショッキングピンクという中々のインパクトのある代物だった。

「ついでとか言うなよ。つか予定ねぇし! 男すらな!」

 二人を運ぶハイエースは国道を走り抜けていった。


                ※


 江崎は就職サイトを使っての職探しの休息に、まとめサイトを見ながら百均のパスタにこれまた百均で買ったふりかけをかけ、割り箸でうどんのようにそれをすすっていた。とはいえ、休息のはずのネット巡回の方が費やしている時間は長かったのだが。

 スレの内容は、近所の知的障害者とそのモンスターペアレントのような母親が迷惑だったので、論理的に説き伏せて「ぐぬぬ!」と反論できなくしてやったというものに始まり、障害者の福祉のためにどれほどの税金が使われているかという類のものだった。それを眺めながら、江崎の心は義憤というには粗末なムカつきに支配されていた。

 次に彼が閲覧し始めたのは、今年から施行された法律に関して起きた事件の報道だった。少子化や後期高齢者の医療費に対応する政策の一環として打ち出されたその法律は、現在の与党第一党が提出したものだった。その政策を熱烈に支持していた江崎は総選挙でその党に投票し、決して自分ひとりの力でその政党が選挙に勝利し議席を占めたわけではなかったが、彼はそれが施行されている様子を知る度に、大きな力と大きな流れにひとつになる感覚を味わうことができた。

「障害者なんかいなくなればいいんだ……。」

 独り言を言う江崎の口から、頬張ったパスタの断片がこぼれ落ちた。

 自分はたまたまこうしているだけで、一生社会の役にたたないこいつらとは違う。税金の無駄遣いなんてさせていない……そう考えながらキーボードの上に落ちたパスタをつまみ、丸めて机の上に置いてあったティッシュにこすりつけた。

 

                ※


「こんにちわ~赤ちゃん、わたし~が……ふんふふんふふ~ん」

 上機嫌に須川が鼻歌を歌う。

「そこごまかすやつ初めて見たよ。永六輔も天国で卒倒するわ」

 呆れて内藤が言う。

「でも歌の歌詞って難しくないですか? 俺、カラオケでも大体ごまかして雰囲気で乗り切りますよ。『ダカァベルベルゥエッスォエロノソアッシ~タァ歌う声は聞こえーへーへー』って」

「難易度の高低差ありすぎ。ほぼ直角じゃない」

 しかし上機嫌な須川は「ふふふふふふふふふふふふふ~ふん」と『忘却の空』のサビの続きを歌い続ける。

「もうすぐで現場つくから、気ぃ引き締めときなよ」

「お~すっ」

 内藤はビジネスバッグから、映画を観に行った時に特典でもらったアメコミヒーローのクリアファイルを取り出した。中にはある人物の個人情報が記載された資料が挟まっている。それを引っ張り出すと、何度も視線をその資料の、特に写真と今回の必要案件が書かれた箇所に往復させる。

「すぐに行動に移せるように、目に焼き付けときなよ? いちいち資料を見てる暇なんてないかもしれないんだから」

「アイアイサー」

 狭い住宅街を、白いハイエースが走る。到着前に事故を起こしては元も子もないと、須川は教習所の頃を思い出すように慎重に運転した。耐震基準などとうに違反していそうな建物が並ぶ安アパート群に入ると、ハイエースは表札をチェックするためにさらに減速していく。郵便受けが錆び付き、中から飛び出ているチラシが雨風にさらされヨレヨレになっている、もはや廃屋になっているのではないかという建物の前でハイエースが停まった。

「ここだね」

「あ~、今日の俺らの仕事って独居老人の安否の確認でしたっけ?」

「いずれそっちの方に転属願だすこと考えるようになるわよ」

 内藤が車から降りる。ドアの開放を知らせるアラームが「ピーピー」と、三秒ほど車内に流れた。


                 ※


 江崎は履歴書に書く職歴欄の項目で頭を悩ませていた。職を頻繁に変える彼はある意味、輝かしいレコードホルダーだった。清掃、警備、居酒屋、日雇い派遣での各種業務。だが、それらは細かすぎる上に短すぎて中々に書きづらかった。最短で2日の職場もあったからだ。長さは適当に誤魔化すとして、なぜ頻繁に変えたのか聞かれるのはまずい。清掃と警備の二つを長年やっていたということにするのはどうだろうか。江崎はあらゆるシュミレーションを行ったが、元々ネガティブに思考が行ってしまいがちな上、面接で手応えを感じたことのない彼にとっては、未来を想像する事自体が重労働になってしまうのだ。そして皮肉なことに、彼にとっての唯一の長所はこの想像力だった。

 自分の想像力に疲弊してしまった江崎は再び休憩に入った。目に付いたニュースサイトを見るとそこには、某弁護士のコラムが掲載されていた。それは今年から施行された法律が、人権侵害であることを訴えたものだった。

江崎はタイトルと最初の数行だけで読むのをやめると、呼吸を荒げて記事に対する反応を読み始めた。しかし江崎はその全てではなく、この記事に批判的なものだけの「詳細」をクリックし続ける。自分の思いを代弁してくれたり、自分の考えをより洗練された形で書き込まれた発言を読みながら江崎は次第に落ち着きを取り戻したが、胸のつっかえは取ることができず彼の休息時間はまた少し長くなるハメになった。まったく、人権擁護団体ときたら。あいつらは綺麗事が通用する時代じゃないって事がまだ分かっていないのだ。効率的な職場の形成、無駄な医療福祉費の削減、不景気が続く日本がこの政策によって救われるのは子供だって理解できるというのに!

 ふと、江崎は玄関から誰かの気配するのを感じた。こんなボロアパートにわざわざ平日訪問するのは、宗教の勧誘か不払いの光熱費の給止くらいだ。後者だったら名乗った時点でドアを開ければいい。それ以外は完全に居留守だ。予定外の訪問など、時間と金を奪いに来る奴に決まっているのだから。

 ドアの前の気配は最初インターホンを押したようだったが、数回押した後に故障していることに気づき、ドアをノックし始めた。

「江崎さんのお宅でしょうか? 私、区役所から来ました内藤という者です。大切なお話があるのでご訪問いたしました。開けていただけないでしょうか?」

 江崎は心臓が止まりそうになった。思い当たる節があるといえばある。国民年金、健康保険に区民税、手紙が月に数度来ていたが開封することもしていなかった。居留守を使いたかったが、もし差押さしおさえのような話なら無視するわけにもいかない。

「ひょっと待ってくだはい!」

 江崎は久しぶりに声を出したので上手く喋ることができなかった。急いでジャージに着替えドアの方へ向かう。ドアを開ける寸前、指にトイレットペーパーの屑がこびりついていたのに気づいたので、慌てて爪でそれを引っ掻いた。


                 ※


 内藤が待ち構えていると、正午過ぎているというのにシャワーを浴びていないために頭が寝癖なのか何なのか分からないことになっている江崎が顔を出した。一瞬引いたが、それを悟られまいと内藤は無理に口角を上げた笑顔を作った。

「江崎……正義まさよし様ですか?」

 江崎はというと、ドアを開放して室内が見られるのが嫌だったので、ドアを三分の一程度に開け体の半分を外に出して内藤に会釈をする。

「……ああはい」

「私、区役所から参りました内藤というものです」

 そう言うと内藤は名刺を差し出した。名刺には「練馬区特別福祉事務所 内藤洋子」と書かれてあった。

「……はぁ」

 何事か分かっていない様子の江崎に内藤は機械音声のようなガイダンスを始める。

「江崎様は昨年成立した、障害者に対する特定保護法をご存知でしょうか?」

「ああ、ええ……。」

 知ってるも何も自分はその支持者だ、と江崎は言いかけた。

「この法律は、障害を抱えた人々を人道的に保護し効率的に管理することによって、医療並びに福祉に対する経費削減、さらには減少する労働力の合理的な確保を目的としたものです。と……ここまでは新聞などでご周知のことかと思われます」

 新聞どころか、今時ネットで探れば簡単に分かる情報だ。何を今更と、江崎はもしどもることがなければこの女をまとめスレの体験談のように言いくるめてやろうかと思った。

「そしてここからが本題なんですけれども、私たち特別福祉事務所が本日お伺いしましたのは、江崎様、あなたが特別保護法の指定する障害を抱えているという報告があったからなんです」

「……え?」

「というわけで、まずは障害の程度を図る検査から始めますのでご同行願えないでしょうか? 準備にはお時間をかけていただいても構いませんが、大丈夫です。もし重度ということが判明した際は、後日、必要なものは私共の職員がこちらから施設へお送りしますので。因みに必要かどうかは職員の判断に委ねられます」

 テキパキと話す内藤に対して、江崎は混乱を隠せない。何か言おうにも、言葉が全く出てこなかった。素直に動いてくれそうにない江崎を見て、内藤はカバンから書類を取り出す。

「こちらが、執行許可の書類になります」

 江崎が渡された書類を読む。書類には練馬区の区長の判が押してある。特定保護法執行許可云々うんぬん、と書かれているが江崎は全てを読むことができず言った。

「……人違いじゃ?」

 上がっていた内藤の口角が、横一文字にピシャリと閉まった。

「失礼ですが江崎様、ご職業は?」

「あ……今は」

「こちらの確認で、江崎様は長いあいだ就労してらっしゃらないということが分かっています。しかもそれ以前から頻繁に職を変えてらっしゃっていて、お家賃の方も半年は払っておられないのではないですか? あと、こちらに関しては流石に身に覚えがあると思われますが……昨年の選挙の時、某立候補者に対してSNSで殺害予告をなさいましたよね?」

「いや、あれは……」

「一応、警察の方から注意ということでご連絡があったと思いますが、その件も江崎様をご判断する上での参考とさせていただいております。あとは……」

 そこまで言うと、会話の途中で脱力してしまったせいなのか、最初よりも開いたドアから部屋の中の様子を伺いながら内藤が言う。

「お部屋がとても散らかってらっしゃる」

 内藤は顔を傾け再び笑顔になった。

「お、俺が何の障害だってんだよ……」

「はい、あなたは『反体制的パーソナリティ障害』に分類されました」

「え? なに?」

、です」

「なんだ、それ?」

「反体制的と見なされる人格を持つ方のことですね」

「そ、そんな、きいたことねぇよ!」

「ええ、実は最近採用された基準の新しいパーソナリティ障害でして」

「ふざけるな!」

「おおっと大きな声を出しましたね。因みに、突然見ず知らずの人に対して大声を出すのも基準の一つです。他人との共感性に欠けるということですね」

「そんな、俺は障害者なんかじゃない……」

「この障害の特徴は、本人に自覚がないという所にあるんです。江崎様は時おり激しい自己嫌悪などに見舞われているのではないですか」

「そりゃあ、時には……」

「ですよね。本人が著しい苦痛を受けているというのは障害の特徴の一つです」

「はぁ!?」

「また、この障害の特徴の一つとして社会的な損失があるかどうかが重要となってくるのですが、現時点で税金を納められていない江崎様は、役所的には何も生み出していない人間ということです。要するに今のところゼロなのですが、江崎様の現状を鑑みて今後プラスに転じる可能性が限りなく低いと……」

「めちゃくちゃ言うなよ! お前らがやってるのは障害者を見つけてんじゃねぇ、作ってんだよ!」

 その瞬間、内藤の顔からあらゆる表情が消えた。カクンと首を爬虫類のように傾け不思議そうに江崎を見る。怒り狂っていた江崎も思わず息を飲んだ。

「……何言ってんの。それを皆で支持したんじゃない?」

「ぶ、ぶっ殺す!!」

 江崎は内藤におどりかかった。

「きゃあ!」

 悲鳴を上げたものの、内藤は綺麗に体の軸をずらし江崎が掴みかかるのを避けた。体勢を崩した江崎は、倒れるまいと内藤のスーツを掴んだが内藤はチラリと須川を見遣り「助けて~!」と叫ぶ。仰天したように内藤を見る江崎だったが、すかさずに須川が江崎の腕の関節を取りねじり上げた。

「何やってるんですか!」

 須川が大きくよどみない声を上げた。関節を決められた江崎の顔が、地面すれすれにまで近づく。

「お、おい、お前ら何の権限があってこんなことしてんだよ!」

「現行犯逮捕は一般私人でもできますから」

 内藤が江崎を見ず、玄関の窓ガラスを鏡がわりにして服を整え髪型を気にしながら言う。

「現行犯~?」

「警察行きますか?それとも私たちについてきますか?」

 内藤が江崎に向き直り、ダブルピースをして関節をクイクイッと曲げながら得意げに言う。

「ふざけるな! 誰がついていくかよ!」

 内藤はため息をついてうつむき、懐から携帯電話を取り出して「イチ、イチ、ゼロ」と言いながらボタンを押し始めた。

「わぁかったよ、ついて行けばいいんだろ? 警察はやめてくれ!」

「ご協力、感謝致します」

 この時初めて、内藤は江崎に本物の笑顔を向けた。


                 ※


 それから20分ほどで身支度を済まさせた江崎をハイエースの後部座席に放り込むと、「いっちょあがり」と言わんばかりに二人は得意げに顔を見合わせた。

 車に乗りこもうとした矢先、須川のスマートフォンが鳴り始める。

「勤務中はせめてマナーモードにしなよぉ」

「へへっ、コレがツレで」と、須川は小指を上げて腹のあたりを丸く書いた。

「逆やん」

 内藤は幸せそうな相方を見ながら悔しくも微笑ましい気分になっていたが、電話をしている須川の様子がどうもおかしくなっていることに気づいた。幸せ真っ盛りといった数分前に比べて、明らかに気落ちした様子になっている。

「そうか、そうだね。じゃあ……仕方ないよね」

 そう言って須川が電話を切った。

「……どうしたの?」

「今、妻から電話があって……子供堕ろすことになったって……。」

「なんで!? まさか……。」

「ええ、出生前診断で……その」

「ああ……何てこと」

「……仕方ないですよね」

「でも早めに分かって良かったじゃない。、補助金降りるんだから」

内藤が須川の肩を叩きながら言う。

「そうなんですけどね……本当にって意味のあることなんですかね?」

「あるわよ」

「……即答ですね」

「じゃないと私たちのやってることはなんなの?によって労働が効率化してGDPが上がって無駄な税金を使う必要が無くなって国が潤う、そういう話だったでしょ?」

「仮にもしそうじゃなかった場合は……」

「その時はその時だよ、また切り替えれば良いだけ」

「先輩の「仕事に慣れない」って言うのは……」

「キモイ奴と話すんだもん、生理的に気ぃ悪くもなるわ」

「……。」

 二人はそれ以上何も言わずに車に乗りこんだ。後部座席には江崎がいたが、二人にとってはもうそれは処理をされたものであり、呼吸をして動き、人権を備えているという以外は積み荷と大差がなかった。

 白いハイエースは役所に向かう。運転席の須川は無言で運転をしていた。内藤も無言で練馬区の流れていく景色を見続けた。退屈してきたので業務中はつけることを禁止されているラジオを内藤が回すと、ちょうどリスナーのリクエストでSadsの『忘却の空』が流れているところだった。

「……そういえばこれ、サビのところ「デタラメのダウナーかわしてる」って歌ってるらしいわよ?」

「マジっすか? ……どっちにしろ意味わかんないんですけど」

 だよね、と言って内藤がチャンネルを切り変えた。

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公務進行中 鳥海勇嗣 @dorachyan

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