進言地


「私たちを助けた方が良いですよ」

大森さんがそう語るのを私は聞いていました。新潟県の北東部に位置する釜水市は新たに「進言地」に指定された地域で、大森さんはこの釜水市の65代目の町内会長さんにあたります。


私が釜水市を訪れることになったのは全くの偶然でした。このブログを読んでいる方はご存知だと思いますが、私の所属する学生団体『シンビオウシス』は主に地域に根付いたボランティア活動に勤しんでいます。

活動のほとんどは東京近郊での慈善活動なのですが、釜水市での進災が大学の春休み期間だったということ、そして、2月に方来町の老人ホーム『やすらぎ』でおこなったバレンタインチョコプロジェクト企画(BCP企画)がひと段落ついたこともあり、学生団体『シンビオウシス』は総勢10名で釜水市へボランティアに伺ったのでした。


釜水市の状況は悲惨でした。進災には、当然ながら「震災」という側面もあります。もともと釜水市は林業で栄えた街です。そのため木造建築の建物が数多く存在していました。しかし、今回の「進災」でそのほとんどが崩壊してしまいました。住む家を失った住人の皆さんは近隣の小学校を避難場所とし、今もそちらで生活をしておられます。仮設住宅ができるまで数ヶ月、もともと自分の家があった場所に再び住めるようになるまで1〜2年ほどかかるそうです。


ただし、進言地における最も大きな課題は別にあります。私がそれを初めて目の当たりにしたのは、釜水市にやって来た最初の日、町内会長の大森さんとお話をした時のことでした。大森さんは避難所の運営やガレキ撤去をするにあたって人手が足りないという話をした後、次のように言いました。

「みなさん。私たちを助けた方が良いですよ。もっと私たちの身になって考えた方が良いですよ」

進言地について最低限の知識は備えて来たつもりでしたが、大森さんの発言に私はめんくらってしまいました。

「釜水市さんは今、大変ですもんね」

なんとか私はそう返しましたが、大森さんは私の発言にゆっくりと首を横に振り、そしてこう答えました。

「大変かどうかは問題ではありません。みなさんにとって、私たちを助けた方が良いと言っているんですよ」


これこそが進言地の特徴です。


【進言】上の者に意見を申し述べること


辞書を引きますとこのような説明文が出てきます。釜水市に住む皆さんの症状を表す言葉として、これ以上のものはないでしょう。そう、これは症状なのです。進言地に住む人々は、他人に対して進言するような口調でしか話せなくなってしまいます。

これが想像以上に厄介な問題でした。前述した通り、自宅に戻れなくなった住民の方々は小学校の体育館で寝泊まりをしています。私たちボランティアはそこに常駐し、日夜、お手伝いできることがないか探すわけです。

釜水市にやってきた次の日、足の不自由なご婦人が、私の団体の先輩を捕まえてこう言いました。

「私に、炊き出しの食事を持ってきた方が良いですよ」

先輩は炊き出しの列に並び、言われた通りご婦人に食事を持っていったそうです。するとご婦人は先輩を横目でチラリと見て、そしてこう言ったそうです。

「もっと早く持って来たほうが良いですよ」

「食事を運ぶときは容器を傾けないようにしたほうが良いですよ」

「ペットボトルの水も一緒に用意したほうが良いですよ」

繰り返しになりますが、これは一種の病気です。ご婦人に悪意があるわけでも、彼女が偏屈な人柄というわけでもありません。自分の意図と関係なく、進言地の人たちは進言口調で話してしまうのです。私は、皆さんが不憫に思えてなりませんでした。しかし、先輩をはじめとする他のメンバーの意見は違いました。

「正直、ありがとうの一つも言われないって辛くない?」

一人、また一人と、『シンビオウス』のメンバーは東京へと戻っていきました。


このことは私に大変なショックを与えました。というのも、私が『シンビオウシス』に参加した理由と大きく結びついていたからです。

私は常々、資本主義的な経済圏、つまりは富める者はますます富み、貧する者はより貧していくような社会の仕組みに疑問を持っていました。困っている人に対して余裕のある人が手を差し伸べる。そんな優しい社会こそが理想だと思っていたのです。


『シンビオウシス』がおこなう慈善事業はそんな私の理想に合致するものでした。『シンビオウシス』のプロジェクトに関わっている間だけ、私は資本主義世界から離れ、自らの理想の世界にいれる気がしていたのです。


ですが、どうやらそれは勘違いだったようです。『シンビオウシス』のメンバーは、いえ、ボランティアに精を出す人というのは、確かに資本主義的な考え方はしていないのかもしれません。しかしそれは、彼らが無償で働くという意味ではありませんでした。彼らはお金とは別の報酬を求めていたのです。その報酬は「感謝」と呼ばれており、彼らは、それがなければ働く理由を見失ってしまうようでした。


釜水市に来てから2週間が過ぎました。『シンビオウシス』で残っているのは私だけです。

私は、ここでボランティアを続けています。


ここまで偉そうなことを語っておきながら、こんな私でも、どうしようもなく辛くなる時があります。朝から晩まで働き、心身ともに疲れきっている時など、住人の方から「もっと頑張ったほうが良いよ」と言われてしまうと、たまらなく心がざわつくのです。もちろん、それはダメなことです。私は、私の理想を実現しなければなりません。お金という報酬も、感謝という対価も求めず、目の前に困っている人をただ助ける。そうでなければならないのです。


先日、私はこの町に移り住むことを決めました。住民票を写し、本日付で釜水市の正式な住人となっています。

これは私の覚悟であり、決意表明です。困っている人を助けることは人間にとって自然なこと。そのことを、私は自分の身をもって主張していきたいと思っています。このブログで、私は釜水市の情報を発信し続けます。


しかし大変だとは思いません。大変かどうかは問題ではないのです。そしてこれを読んでいる読者の皆さんにお伝えしたいのとがあります。


この記事をシェアした方が良いですよ。


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