動物園評論家


動物園の嗜み方というのは実に奥が深い。無数にも思える組み合わせの中に、間違いなくルールというものが存在する。


そもそも動物園という概念が日本に持ち込まれたのは1866年。福沢諭吉著書「西洋事情・初編」にて言及されていたのが始まりだ。やがて1882年に上野動物園が建設され、記念すべき日本初の動物園になったことは賢明なる読者であれば委細承知の事実だろう。その後は実に数多の人間が動物園を訪れ、その数だけ動物園の嗜み方が生まれた。時に奇天烈な手法が注目を集めることもあったが、歴史の選定の中でたちどころに廃れていった。


動物園評論家としての私のキャリアは比較的長い方だと思う。日本中の動物園を渡り歩き、いかに動物園という娯楽を味わい尽くすかを幾星霜もの間、研究してきた。そんな私が辿り着いた動物園に関する真理。ずばりそれは『シンプルに動物を見る』ということである。


何をわざわざと思うかもしれない。しかし存外、これが出来ていない者が多いのだ。

例えばカップルや家族連れでくる輩がそうである。動物園が単なる手段となっており、互いの会話を盛り上げ、思い出を作るためのツールに成り下がってしまっている。


動物園とは『動物を見るための園』。動物を見ることが唯一絶対の目的でなければならない。


ただし、複数人で動物園を回ることが必ずしも不許可という訳ではない。良き理解者との鑑賞は動物園の面白さを何倍にもしてくれる。重要なのは嗜みであり、節度であり、気品だ。かくいう私も本日この動物園に単身で来てはいない。パートナーのミキと一緒だ。理性的で、慎み深く、器量も良し。三歩下がってついていく、という言葉が似合う美しい女である。まさに共に動物園を回るのに適した人間と言えるだろう。


さらにもう一つ。動物園を嗜むポイントとして欠かせないのが『いつ行くか』ということである。こちらも答えはシンプルだ。平日である。土日、祝日は当然ながら人が多い。長期休みともなれば最悪だ。人、人、人。動物を見に来たはずなのに人間ばかりを見ることになる。何度も言うが我々が動物園に行くのは、動物を見るためなのである。また、初心者には少しハードルが高いかもしれないが、近隣の学校の創立記念日や遠足の日程を調べておくのも良い。平日を選んだにも関わらず子供でごった返すことを避けられる。


さて。一通りの諸注意を終えたところでさっそく今回の動物園を見て回ろう。まず注目すべきはパンフレットだ。大抵は園内入口で渡されることが多いだろう。カバンにしまっていけない。そんなことをするのは愚の骨頂。粗忽者のすることである。

園内パンフレットを侮ってはいけない。アレには我々が思っている以上の情報が載っている。広報部だけではなく、飼育係の意見が取り入れられていることも多い。まずは彼らがオススメする動物に注視するのが良いだろう。自分なりの嗜み方を生み出すのは悪くないが、あらゆるオリジナルは基礎の上に生まれる。先人の意見は尊重して然るべきだ。


ということで、私とミキはパンフレットに則りつつ、入り口付近の動物たちから順番に見ていくことにした。なるほど、キジ、鳩など鳥類を中心に構成され、リス、ビーバーなどの齧歯類で飽きがこないようにしている。そうだ!ここで重要なことを伝えておこう。園によっては入口と出口が全く別の場所に用意されているというケースも珍しくない。そうとは知らず『あの動物は帰りに見よう』などと飛ばしてしまうと、結局は元の入り口に戻ることが面倒でそのまま帰ってしまうなんてこともある。動物たちとの出会いは一期一会。視界に入ったら考えるよりもまず見るこそ。それこそが動物園の定石でありセオリーだ。


当動物園の最初のエリアにはジャイアントパンダがいた。パンダといえばかつての動物園の人気者。来場者の園内回遊率を上げるため、大抵は園の奥に配置されることが多いのだがこの動物園では早い段階で見せているようだ。


悪くない。『つかみ』としてはバッチリだろう。ウーパールーパー、アザラシ、レッサーパンダ。人々の嗜好は時代と共に移り変わる。かつての人気者を敢えて一発目に持ってくるその心意気や良しだ。


1つ目のエリアを過ぎると道が大きく二手に別れた。左と右。動物園初心者であればどちらに進むべきか大いに悩むだろう。しかしここは右一択である。

この動物園は4時の方向から10時の方向へと反時計回りに移動する構造になっている。つまり最短ルートは『常に左の道』となるわけだ。それゆえ、この動物園を堪能するには右を選ぶ必要がある。理由は明白。遠回りをした分だけ多くの動物を見ることができるからだ。また、このような遠回りルートは最終的には最短ルートへ合流することが多い。最小限の労力で楽しみたいのなら『動物園は急がば回れ』なのである。


私の判断は正解であった。ふくろう、カワウソと相次ぎ、ライオン、トラと男の憧れとも言える動物を目の当たりにした。テナガザル、ゴリラを見たところで元のルートへと戻る。ちょうどそこにはゾウがいた。その巨大さに圧倒されながらホッキョクグマ、ペンギンを見る。さらに、オオアリクイ、カンガルー、キリン、サイ、カバ、カピバラ、アイアイ、ワニ、カメなど非常にたくさんの動物がいた。


「素晴らしい…」

できうる限り自然に近い状態で管理されているのだろう。都会に飼いならされた我々のような哺乳類が忘れてしまっていた『野生』を、彼らから十分に感じることができた。興奮冷めやらぬまま、我々はついに最後のエリアへと足を踏み入れる。果たして鬼が出るか蛇が出るか。ごくりと私は生唾を飲み込む。

「これは」

そこにいたのは一匹のレッサーパンダだった。なるほど。レッサーパンダを目玉として据えてきたか。まぁ悪くない

「悪くはないのだが」

とはいえ少しだけ拍子抜けもした。まぁ嘆くほどのことではない。レッサーパンダだってかつては世間を騒がせたスター選手だ。だが、欲を言えばもう一つ、もう一つだけ大きなサプライズが欲しかった。本当にこれで終わりか?わずかな期待をかけて今のエリアよりも奥へ視線を向ける。

そこには出口専用のゲートがあった。やはりこれ以上のモノはなさそうだ。

「待て…」

そこで私はあることに気づく。違う、違うぞ!私はもう一度、ゲートを見る。あれは出口専用じゃない!

「入り口ゲートだ」

いや、厳密には入り口にも出口にもなるゲートであった。我々のような来場者が帰るための場所にもなれば、そのゲートから園内にやってくる者もいる。

「となれば話は変わってくるぞ!」

あの入場ゲートを利用した来場者にとって、このレッサーパンダは最初の動物、いわば『つかみ』の動物になる。彼らは10時の方向から4時の方向へ時計回りに園内を巡り、そして最後に目にするには私たちが最初に見た動物、そう!ジャイアントパンダだ!

つまりこの動物園は2種類のパンダを軸とし、どちらの出入り口からきた客にも『つかみ』と『目玉』を用意していたのだ。

「やられた」

素晴らしい!なんと計算し尽くされた動物園だろうか。


満ち足りた思いで私は出口ゲートへと向かっていく。と、そこで私はゲートのすぐ近くに小さな柵で囲われた空間があることに気づいた。

案内板には『ポメラニアンとのふれあい広場』と書かれている。

「はんっ」

私は思わず失笑した。ふれあい広場。はっきり言って邪道だ。しつこいようだが動物園とは動物を『見る』ためのものである。いわば動物はキャスト、我々は観客だ。どんな舞台でも観客がキャストにベタベタと触れることはない。幕を降ろせ、ショーはもう終わっている。


悠然と私はふれあい広場の横を通り過ぎる。その時、一匹の雌のポメラニアンが私の目に入り込んだ。

「なんと…」

思わず私は感嘆の声を漏らしてしまった。

なんという愛らしさだろう!そのつぶらな瞳が私の心を捉え離さない。


触れたい。

触れ合ってしまいたい…。

いっそのこと、触れてほしい…!


私の中に強い衝動が沸き起こる。理性とは反対の、野生としての本能がうずき出した。

ダメだ、耐えられない!私は地面を強く蹴り、激しく尻尾を振りながら彼女の元へと走っていく。


「こら、ポチ!」

ミキが慌てた様子で後ろから追っかけてきた。


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