復活クラブ
復活クラブが入っている建物の前は大盛況だった。
「こんなに混むのかよ」と眉をしかめる翔太の横顔は、初めてのデートでリニューアルしたばかりの某遊園地を訪れた時と同じであり、2年前の私は彼のこういった反応を「正直な人だなぁ」と好意的に解釈していていたことを思い出した。
「別の日にする?」
私が尋ねると翔太は少し悩み、
「でもせっかく来たんだし」
と答えた。私は彼がそう言うのを知っていて、「だね」と返した。
復活クラブができたのは最近のことだ。もう少し正確に言うのなら、私たちが住む愛知県豊橋市にそれができたのが最近のことである。
「東京じゃ、8割以上の人が復活経験者だよ」
居酒屋の個室でそう発言したのは同級生のミカだ。彼女は大学進学と共に地元を離れたのだが、中学時代の友人が結婚するとかで今週はこっちに戻ってきていた。その場に集まっていた6人のうち、ミカ以外は地元組で当然ながら復活の経験はない。
「なんか怖くない?」
一人の友人が口にすると、ミカは「全然そんなことないよ」と笑った。その顔には優越感のようなものが滲んでおり、めざとい私たちはすぐさまそれを察した。
「死ぬって言っても一瞬のことだし、っていうか、むちゃくちゃ気持ち良いから」
ミカはこのように主張したのだが、私たちは「でも怖いよね」と顔を見合わせ、夜のバスで東京に戻るとミカが店を出て行った後も「やっぱり怖いよね」と結論づけ、そして1週間後、私はこっそり彼氏の翔太を連れて復活クラブを訪れた。女子の友情など、その程度のものである。
「お、思ったより早そうじゃん」
翔太の声で、私は自分が並ぶ列の先に目をやった。列の先頭にいた2人組の若い女性が清潔感のある真っ白な建物に吸い込まれていくところだ。
「どうぞ、こちらをお読みください」
スタッフらしき男性が1枚のチラシを私たちに渡す。そこには復活クラブについてのコース別料金表だとか、諸注意だとか、そういった情報が書かれていた。
「復活クラブは臨死体験をご提供するサービスです」
小学生の朗読のように翔太はチラシの一文目を大袈裟に読み始め、「面白いっしょ」とでも言いたげに私を見る。私は静かに微笑み返す。絶望的につまらないと思いながら。
それから10分もかからないうちに私たちの番になった。私は翔太とは別の部屋に案内され、係の女性から復活についての説明を聞く。
「お客様の体を一度、仮死状態にいたしまして、その後、すぐに生き返らせます」
復活というのは言ってしまえばこれだけのことらしい。私はミカの言葉を思い出しながら、本当にこんなことが気持ち良いのだろうかと思った。もちろん翔太と違ってわざわざ口には出さない。どうせ体験すればわかることだ。
言われるがままに入院着のような服装に着替え、棺桶の形をしたカプセルの中に入ってひとり横たわる。
蓋の裏側には14時21分15秒と現在時刻が表示されていた。
「それでは、復活を実施します」
機械的な音声がカプセルの中に響いた。どうやらもう始まるらしい。
「5秒前」
目を瞑るべきか開いているべきか。勝手がわからず私は視線をキョロキョロとさせる。
「3、2、1」
途端、心臓が一気に氷のように冷たくなった。全身が凍りついたような感覚になり、脳の奥底がキーンと冷やされる。息ができず苦しい。
あ、死ぬ。
そう思ったまさにその時、体の奥底から、具体的には子宮のもっと奥の部分から、なにかが込み上げてくるのを感じた。その高まりにあわせて手足がピンと伸び、腰が自然と上下に動き始める。込み上がってきたそれは体の中で絶頂を迎え、同時に体がびくんと大きく波打った。これまで感じたことがないほどの快感が身体中を駆け巡り、そして、何かが自分の中から抜けていく感覚に襲われた。
「お疲れ様でした」
音声が聞こえ、カプセルの蓋がゆっくりと開いた。
「すごかったね」
待合室にいた私を見つけると、翔太は開口一番そう言った。顔が紅潮している。
「うん」
私も興奮していた。
「すごかった」
「でもさ……その」
珍しく翔太がなにかを言い淀んでいる。だが、彼の言わんとしていることはなんとなく分かった。忘れがたいほどの快楽と同時に、言いようのない背徳感も感じていたのだ。生命を冒涜し、倫理的に許されないようなことをした後ろめたさとでも言うべきか。
「ま、アレだね。1回、経験できて良かったって感じかな」
翔太はそう言って笑った。
「だね」
私は答え、彼が来る前に作ったポイントカードをこっそり財布の中にしまう。
初めて私が復活クラブを経験して半年が経った。復活クラブの人気は日に日に高まり、今では世界中で大流行しているらしい。
『性行為で示される通り、人が何かを喪失する時には快楽が発生する。ならば、死という最大の喪失は最大の快楽をもたらすのではないか』
これが復活クラブの元になった仮説である。そしてその仮説通り、人々は『死という最大の快楽』に飲み込まれていった。
もちろん批判的な意見がないわけではない。
「人間の道理を犯している」
「死は神聖なものだ」
「決して軽々しく扱って良いものではない」
しかし、世の中には依然として麻薬が出回っており、タバコや酒は定番の嗜好品として存在し、アダルト商品は国の経済の大部分を占めている。気持ちよさの前ではどのような正論も力を持たないのだ。ましてや、私にように性行為で果てたことのない人間にとっては……。
昔から子供が欲しいと思っていた。ミカみたいに東京に出ようと思ったこともあった。しかし子育てのことを考えると、家賃も安く、親が近くにいる地元が最も適していると思えた。
大学4年の時、就職説明会で出会った翔太と付き合った。人生で3人目の彼氏。地元の銀行に就職が決まっていて、この人と結婚しても良いと思えた。
彼との性行為で心の底から気持ち良いと思ったことは一度もない。彼の愛撫は自己中心的で、こちらの気持ちを汲み取ろうという意思はほとんどなかった。そのことを伝えるべきか悩んだこともあったが、復活クラブの体験によって私は割り切ることができた。
彼との夜の営みは子供を作るための手段。そこに快楽は求めない。「子作り」と「快楽」は必ずしも両立される必要はないのだと。翔太との行為は単なる作業。快楽は、復活クラブで補えば良い。
それからさらに1年が過ぎた。私は翔太に隠れながら復活クラブに通い続けた。交際は順調で互いの両親への挨拶をおこない、その半年後には式を挙げ、私たちは籍を入れた。高層マンションの20階。ファミリータイプの部屋を借り、本格的に子作りに励んだ。しかしなかなかタイミングに恵まれない。積極的に妊活をおこなっていたのだが、子供を授かるまでには至らなかった。この時期、私は復活クラブに週1〜2くらいのペースで通っていた。
さらに2年が経ち、私は26歳になった。私よりあとに結婚したのに妊娠した子がちらほらと出始めた。焦る私とは裏腹に翔太との行為は徐々に減ってきた。今まで積極的だった翔太が滅多に誘ってこなくなったのだ。
「浮気じゃない?」
たまたま帰省していたミカに相談してみた。地元組に話せばあっという間にあることないことが広まってしまう。こういう時、遠くに住んでいる友人はありがたい。
「あり得ないと思うんだけどなぁ」
私はミカに答える。もちろん浮気の可能性を疑ったことはあった。しかし翔太の仕事場には男しかおらず、得意先の会社の女性は年配の方ばかり。彼の同僚から聞いていたことだから間違いのない情報だった。
「じゃ、あれだよ。キャバとか風俗」
その日の夜。翔太が入浴している隙に私はこっそり彼の財布を開いてみた。牛丼屋のクーポンやレシートに混じって、一枚のカードが目に入った。それは、私がよく知っているポイントカードだった。
「ちょっと話があるんだけど」
お風呂から出てきた翔太を呼びつけ、私は翔太の復活クラブのポイントカードを机の上に置いた。一瞬、翔太の顔に動揺が走ったが、すぐに「それがどうかした?」と答えた。「別に浮気しているわけでも、風俗にいってるわけでもない」と。
その通りだ。
「うん。通ってること自体は別に良い」
私だって行ってるし、と心の中で思う。問題はそこじゃない。
「最近、回数減ってるよね。このポイントカードの発効日がだいたい2ヶ月前。翔太から誘ってくることが少なくなったのも同じくらいの時期じゃない?」
翔太が黙る。
「私、子供が欲しいってずっと言ってたよね?」
翔太は目を伏せ、そして申し訳なさそうにこう言った。
「復活クラブの方が気持ち良いんだよ」
私は首を傾げ、
「だから?」
と尋ねる。
「だから、なに?」
翔太が言葉に詰まった。
「だからえっと、お前とする気がなかなか湧いてこないっていうか」
「いや、湧いてこないかどうかは関係ないよね?」
翔太が目をパチクリとさせる。
「湧いてこなくてもしないとダメでしょ。問題はそこじゃないでしょ」
「どういうこと?」
「だからさ、私が言ってるのは子供を作るための作業に支障を出さないでってことじゃん」
「作業?」
「うん。子供を作ることは結婚する前から決めてたよね。夫として、その義務を果たしてくれないと困るっていう話でしょ」
翔太が眉をひそめた。
「義務っていう言い方はおかしくない?」
「言い方の問題じゃない。私としてくれないと困るって言ってるの」
「でもそういう気持ちになれないんだって」
「だから、気持ちとかそういうことは言ってないじゃん。気持ちとは別にセックスをしてよって言っているの!」
「気持ちとかの話だろ。気持ちがないのにセックスするのかよ」
「は?」
今度は私が黙る番だった。
……この人は何を言っているんだろ。
「するでしょ。普通に」
「…なんで?」
「だから言ってんじゃん。子供を作るためだって」
「それは、結果的にできるものだろ。互いが互いを求めあって、その結果として授かるものだ」
「なにそれ」
思わず私は笑ってしまう。
「子供ってのはそういうものだ」
「翔太の理屈を押し付けないでよ」
「押し付けてるのはお前だろ」
翔太はそう言うと、自分の財布を取って立ち上がった。
「ちょっと」
彼の腕を私は掴む。
「どこいくつもり?」
「しばらく距離をおこう」
「は?」
私は翔太の腕をさらに強く握る。
「なに勝手なこと言ってんの?」
爪が彼の手首に食い込んだ。翔太が苦痛で顔を歪ませ、反射的に私の手を払った。その勢いで私は尻餅をつく。
「待って。待ちなさいよ!」
逃げるように玄関へ向かう翔太を私は追いかけた。
ミカよりも良い大学に進む道もあった。翔太と付き合っている時に他の男性からアプローチされたこともあった。でも子供が欲しかった。だから翔太と結婚した。
「ダメだからね。許さないからね」
翔太の足に私はしがみつく。
「なにがだよ!」
「今さら許さないからね!私がどれだけ我慢したと思っての!」
「やめろって」
翔太が大きくバランスを崩し、その体が戸棚にぶつかった。ドンと大きな音が鳴り、引き出物でもらった置物が翔太の頭上から降ってくる。
フローリングの床の上で倒れている翔太がいた。
私はスマホを取り出し、「人殺し 刑期」と調べる。実刑で5年以上、執行猶予はつかない。ただ、自首をすれば3年未満になるケースもあるらしい。3年で出てくるとして29歳。未婚の前科持ち。
「結婚は無理かなぁ」
静かになった翔太を見る。真っ赤な血で濡らされた彼の顔は、今まで私が見たことがないほどの光悦な表情をしていた。開きっぱなしの彼の目線を追うと、彼の復活クラブのポイントカードが落ちている。
私との性行為は、復活クラブの臨死体験に負けてしまった。命を作るための行為より、命を失う行為の方が気持ち良いとはなんて皮肉な話だろう。
ベランダに向かって窓をあける。涼しい夜風が部屋の中に入り込んできた。
手すりに足をかけ、20階からの景色を見下ろした。ふっと息を吐き、私はゆっくりと前に倒れる。
重力に従って私の体はベランダから投げ出され、水の中にいるような浮遊感を感じた。ぐんぐんと地面が近づいてくる。同時に、復活クラブのカプセルの中にいた時のように、世界のスピードがゆっくりになった。周囲の様子がよく見える。近くの公園を散歩しているご婦人。仕事から帰ってきたであろうサラリーマン。管理人さんが丁寧に手入れをしていた花壇。
気づけば地面が目と鼻の先になった。額がコンクリートに触れる。頭蓋骨が割れた音がした。鼻がポキッと潰れてしまった。眼球が外に飛び出ていく感覚があった。
そしてその時。全身を未だかつてないほどの快楽が駆け巡った。それは復活クラブで体験したものとは比べ物にならないほどだった。性行為は避妊具をつけない方が気持ち良いというが、それと同じようなものかもしれない。首が明後日の方向に曲がる。脳が周囲に飛び散る。ぐちゃぐちゃになった顔のまま、私は笑いを堪えきれなかった。
あぁ。気持ち良い。
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