第3話 契約
「何だ、お前。見ない顔だな」
櫓の集会中、一人の男が声を掛けられた。男は、きょとんとした顔をして、首をひねった。
「お前、誰付きのもんだ?」
問い質されると彼はやだなぁ、と苦笑した。
「神前ですよ、神前小太郎。ご存じでしょ?
櫓の舞を司る男はグッと押し黙ると、彼を睨み上げた。
「神前様が、弟子を御取りになるわけないだろう」
「そう言われましても…」
彼は苦笑を崩さずに頬を掻くと、舞守を見返した。
「なら、確認を取ってはいかがですか?きっと、神前様は否とは申しませんよ」
「…それで僕が呼ばれたわけねぇ」
神前は目を細めた。朝から舞の練習に呼び出されることが滅多に無いため、舞守と小太郎を除く櫓の人間は皆、恐縮しきっていた。
「全く迷惑だね、僕にとっても櫓にとっても。…せっかくの全体練だっていうのに、もったいないなぁ?舞守」
「…ハ、」
舞守は首を垂れる。しかし、完全な師弟制度の敷かれるこの裏日本において、誰との師弟関係があるのかを明らかにしておくことは、裏日本の存在を外部に漏らさないために何より重要であるので、舞守の判断は間違ってはいない。神前は小さくため息をついた。
師弟制度。
裏日本を支配する決まりであった。
神楽櫓、陰陽寮、刀舎の人員は、内部の人間が外部の人間を勧誘、もとい、半拉致することによって増える。勧誘した者を師、勧誘されたものを弟子として、彼らの技は脈々と『相続』される。師弟と銘打たれたその関係は、まるで家族のようにして広がっていくのである。
逆に、裏日本の中において、血縁にて繋がる者は、唯一、帝のみである。
この裏日本に、女性は常にたった一人しか存在しないのだ。
帝の『母』と呼ばれる女を除いて、この世界に女性はいない。
「…神前様、お久しぶりです」
きらきらと輝く瞳で、彼は笑った。神前は彼を見やると、クッと笑った。
「やぁ、柊くん。元気そうでなにより」
「それはもう!ピンピンしてますよ、師匠!」
ひらり、と、櫓の最高責任者に対するとは思えぬ態度で手のひらを振って見せた小太郎に、舞守は眉を寄せた。その様子を目の端で捉えると、神前は肩をすくめた。
「ここじゃあなんだから、ちょっとおいで?」
神前が小太郎を連れてきたのは、朝靄のかかる庭だった。靄は薄い魔力を帯びていて、外界からの探査を阻む役割を負っている。その特性により、この靄の中での会話は外には漏れにくいことを鑑みての事であった。
「…さて、柊小太郎君。何を思ってあんなことを?」
神前の言葉に、小太郎は朗らかに笑った。
「だって、
「妙に自信があるじゃないか、あの場で僕が『こいつは弟子ではない』とでも言ったらどうするつもりだったんだい?」
神前はそのあまりの楽観に、おかしそうに笑った。しかし小太郎も笑みを崩さない。
「実際、あなたはそんなことを言わなかったし、こうして僕の話を聞いてくれるじゃないですか?予想通りでしたけど、」
神前はその言葉に目を細める。
「…何を、根拠に?」
「だってあなた、この組織が嫌いでしょう?」
小太郎はほう、と息をついた。
「…いろいろ調べたけれど、篠崎さんを引き入れたのは小野さんで、小野さんを引き入れたのは神前さんだ。所属を超えて師弟関係を築いたあなたたちの所以は、あなたを除いて明確です。ただ、どこをどう調べても、あなたの出自はどうしても出てこなかった。…あなた、どうしてここにいるんですか?」
そう小太郎に問われて、神前は吐息を漏らした。次いで、控えめながらも心から楽しそうな笑い声が立てられる。
「神前さん?」
「いや、ふふ、そうだな。確かに、僕はこの組織が嫌いだよ。…なるほどねぇ、それで?君の要求は?」
笑いながら神前は、小太郎に問いかける。小太郎は訝しみながら、言葉を繰る。
「…僕をあなたの弟子にしていただきたい、ここで活動するのに、安全な身分が必要なので、」
「僕のTAKEは?」
「この組織を潰す、手駒になりますよ」
神前はふぅん、と小太郎を見遣る。この場に潜り込んできた時点でその技術は高いことは読み取れる上、唐突に自分の弟子を名乗る度胸も十分である。
「価値はあるかぁ」
「ありますよ、僕は!使いこなせるかは神前様のお次第で!」
にんまりと笑う小太郎に、神前は穏やかに笑って頷いた。
「君を雇おう、柊小太郎。僕の姓を使ってどこまでやれるか、見せてもらおう」
小太郎は恭しく一礼を奏した。
「仰せのままに、お師匠様」
「どういうおつもりですかぁ、師匠」
烏がガァ、と鳴きついた。神前が腕を伸ばすと、そこにふわりと舞い降りる。
「どうもこうも、面白いだろう?彼。何をやると思う?僕の心に、この世界の闇に、気づくと思うかい?」
烏はふん、と鼻を鳴らした。
「どうですかねぇ、無理じゃないですか?一応手掛かりは全部、念入りに、この僕が、潰しているんですからね」
傲慢な術者に、神前はくすくすと笑う。
「嫉妬かい?孝明。僕に弟子ができたからって」
「そうじゃありませんけどぉ」
心持ちむくれた烏は、つんつんと嘴で神前の肩を突く。痛いよ、と笑いながら、神前はその頭を撫でた。
「大丈夫さ、僕だって、…君も、篠崎もいるだろう。多少のイレギュラーは楽しんでいこう?」
不満げにグァ、と鳴くと、烏はばさりと飛び去った。
「…、参ったな」
四畳一間の小さなアパートの一室で、一人の男が正座をしながら、和紙にしたためられた書簡を見つめ、困り果てた顔をしていた。その書簡は開かれていないが、男には内容が既に知れている。というのも、同じ内容のものが何通も届いているからだ。
『宮の御付として裏日本へ戻れ』
その書簡を前に、彼はただただ、眉を下げるのである。
「俺には、もう、宮をお守りする力も、能力も、資格もない」
ぽつりと呟いて、傍らにある刀を撫でる。篠崎鎬は、大きなため息をついたのだった。彼の体は、今も呪詛に蝕まれていた。その呪詛は明確に『人を殺す』ためのものであり、受けたのが鎬でなければ、また、早急な小野の手当てが無ければ、助かることは無かったものである。
と、インターホンが鳴った。
「やぁ、鎬。元気そうで何より」
「…小野、」
小野はずかずかと部屋に入り込むと、どっかと部屋のど真ん中に腰を下ろした。
「何しに来たんだ、治療は向こうでしかやらんだろう」
「何もなきゃ来てはいけないと?冷たいですねぇ、師匠に対して!」
その騒がしさに鎬は頭をガシガシと掻いた。それでも小さな冷蔵庫から冷えた麦茶を出して差し出すあたり、彼の根の優しさが窺える。そしてその麦茶を躊躇いなく飲み干すあたり、小野の胆の太さが窺えるようである。
「…宮様から、書簡が届いたでしょう?戻れ戻れと、あの人も難しいことを言いますよねぇ」
小野の口ぶりは常に一定のリズムを持っており、普段話しているだけでも呪の一つのようである。そして、その内容もまた、魔法のように相手を見透かしたものであるのだ。鎬は重いため息を付くと、床に放ってあった書簡を小野に手渡す。
「俺を戻して、どうする気なんだ?」
「宮様はお前への罪悪感に押しつぶされそうなんだろう、お優しい方ですからねぇ。お前を御付で連れ戻して、大金で甘やかして真綿でくるむようにして優しく優しく罪滅ぼしをなさるおつもりなんですよ」
おお怖い、とけらけら笑う小野を刀の鞘で小突きながら、鎬は再び、ため息を付く。
「…宮様の所為ではないし、俺の所為でも、もちろんお前の所為でも無いんだがな」
「僕は史上最低の冠を頂きましたよ?表向きの悪役は僕ですが」
鎬はきつい瞳で小野を睨むと、すぐに目を伏せた。
「お前に呪詛を命じた人間がいる」
小野は静かに笑っている。
「文字通りの雲隠れを決め込むその御方を、いつまで庇いだてしなきゃならない?」
その言葉に小野はくすくすと笑って、口を開いた。
「裏に戻れ、鎬。今お前が抱えてる靄も何もかも、晴らすなら向こうでしかありえない」
「…戻って、どうする?」
「変えるんだよ、今のあの世界を」
小野は床に置かれた刀を持ち上げた。その重みはずっしりと手に乗る。この重みを、この痩身が抱え、振りぬくのだ。
「行こう、鎬」
小野が差し出した刀を、鎬は受け取った。
そうして一つ、静かに頷いたのだった。
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