第2話 裏日本
魔法がこの世から消えたのはいつのことであったろうか。
王が消えたのは、帝が消えたのは、貴族が消えたのは、いつのことであったろうか。
世の中を民主主義が支配し、科学が台頭し、世界は合理性に満ち溢れた。
しかし、何を隠そう、『魔法』は実在したのだ。
世界には不可思議が満ちており、人は、それを使いこなしていた。
しかし、人々はやがてこの力を恐れるようになった。簡単なことだ、人は、自らの理解を超える出来事を、恐れる。そういった空気に押し流され、魔法は世界から姿を消し、代わりに科学がその任を担うようになった。
と、思われている。
しかしながら、それは正しくはない。
確かに存在した魔法を、権力者は手放そうとはしなかった。
利害は一致した。
それぞれの国は『裏国家』なるものを組織し、その中でのみ、魔法の使用を許すこととした。つまり、使用する対象や場所を、その裏国家の内部のみに限定したのだ。それだけでなく、非人道的とされた暗殺技術や、祈祷などの技術もまた、その世界に閉じ込められた。
当初、裏国家を組織した者たちの建前は、『技術の保存のため』というものだった。しかし、そのような力を持った世界を有して、何もしないはずがない。
世界はすぐに魔法と暗殺による殺伐とした外交を行うようになった。
そういった裏国家の趨勢は、もちろん、表世界の外交にも影響した。
いくら裏の世界でのみと限定されていたとしても、規定違反を叫ぶ者ごと殺されれば?そも、暗殺であると、魔法であると気づかれなければ?
自然と、強力な魔法を持つ国は優遇を受け、力のない国は劣位に甘んじざるを得なくなった。
そして、現代。
裏国家が国家としての形を留めるものは少なくなった。裏警察と名乗らせる国、教会と名乗らせる国など、さまざまである。
その中で、日本は未だ裏国家を留めていた。
帝を頂点と置き、その下には政を執り行う貴族。そして、その周りに、裏国家を名乗るだけの資格ともいうべき兵力が侍っている。それらは三つの組織に分けられており、それぞれの系統でもって継承、存続がなされている。その三つとはそれぞれ、『神楽櫓』、『陰陽寮』、『刀舎』である。
神楽櫓の歴史は最も古く、宗教でいうところの神道を本流に持つ。その名の通り、神楽の舞が主な役割であり、神前や、客前で奉じることを重要な仕事としている。戦力としての働きは舞による魔力的支援もさることながら、ここに所属する人間のほとんどが、古来の体術を習得しているため、戦場へと出ることや、舞手として敵地に侵入し、暗殺業務をこなすことも多い。帝や貴族の拠り所となることも多いため、裏日本の支柱というべき組織となっている。
陰陽寮の歴史は櫓に次ぐ。その名も平安時代、希代の陰陽師と言われた安倍晴明がいた頃から変わっていない。主な仕事は呪いによる工作と、敵国の工作の妨害に加え、星読みや卜占による政への助言も担う。また、櫓の者ほどではないが、陰陽術の一つとして舞を身に付けている者も多い。
刀舎の歴史は最も浅く、古くは豪族を起源とする。その役割は刀術による攻撃と、屋敷の見張りである。刀舎はその起源と、歴史の浅さから、その他の組織から見下されている節がおり、そのことは刀舎の表記にも表れている。舎の発足当初提案された表記は『刀社』であったのだが、櫓・寮がこれに反発。
その成り立ちはどうあれ、それぞれの組織は裏日本の国家内に一つずつ、屋敷を与えられている。その中で、構成員たちは集団生活を送り、帝への奉公を行っている。
そもそも、裏日本とはどこにあるのか。
裏日本の敷地は、櫓と寮の術を以って、現実の日本と重ね合わせるようにして、開かれている。故に、裏日本のある場所へたどり着くのは容易なことではない。術者の招きがなければその入り口にも立つことができないのである。これを無理に開くのは屈指の術者でも困難とされている。ひとえに、これは裏日本の魔術が『守備』に特化しているためであるといえよう。そしてその都は、古に習い、京に据えられている。その敷地には先述した通り、枯山水の庭や竹林、池が配置されているが、それは古来の技術を残す目的が強く、その美しさは比類ない。
また、裏日本を代表する特徴と言えば、やはり、毎夜花開くといわれる優美なる舞女の存在があろう。その存在を目にしたものは皆、それをこの世の者とは思えないと口を揃える。特にその中でも舞桐と名乗る舞女は天女と見紛うという。その噂は裏国家を超え、表の世界にも知れ渡っており、近頃ではこの舞女に会いたいがゆえに国の権力者になろうとするものも多いという。
裏日本は、『美』に囲まれていた。それも、人が我を忘れるほどの美に。まるで、その奥底に潜む生臭を隠すかのように。
一人の青年が、宮の書庫で書類を読んでいた。鼻歌を歌わんばかりの上機嫌ながらも瞳は真剣そのもので、書類の一ページ一ページを、物凄い速さで読み進めていく。時折、文章に指を滑らせ、嘆息する。
裏日本の書庫には、表で消失されたとされる貴重な文献が数多く収められていた。最古の物語、美麗なる十七音の集まり、英雄の秘められた恋の手紙など、その種類は多岐に渡る。もし古来の文学や歴史に造詣のある者が見れば、垂涎を通り越して失神でもしそうな勢いである。
「…何を読んでいるんだい?」
と、書庫の入り口から声がかかった。青年ははた、と顔を上げると、そこに立っていたのは、時に『史上最悪』とも称される神楽櫓の頭領、神前一であった。
「神前様!俺、ああいや、僕は神楽櫓の新入りで、
初々しさを残した青年は快活に笑って、書庫をぐるりと見渡した。神前はおかしそうに笑うと、彼に歩み寄ってその手から書類のフォルダを取り上げる。
「あっ」
「コレは、たいそう面白かったんだろうね?」
柊は、悪戯が見つかった少年のように笑うと、実は、と切り出した。
「俺、実は、前回の襲撃事件の時に鐘番をしてて」
神前は眉を上げる。
「あの鐘は君が?」
「はい、よく分かんなくてやたらめったらに鳴らしちゃったんですけど」
ほう、と応じると、彼は勢い付いて話し出す。
「
「何か、面白かったかい?」
神前の問いに、彼は大きく頷いた。神前は笑みを深めて、書類に目を通す。
神前一。入塔年不明。不明者の紹介により入塔。僅か五年で主要の神楽を身に付けると、そのまま戦闘必須の体技まで身に付け、一線に出撃。神に奉ずる舞をも担当すること夥し。その舞軽く、なれども貴く。その技重く、なれども跡を残さず。誰もが認めるところの男。現在神楽櫓棟梁の任を果たしている。その銘、称して、『史上最悪』。
小野孝明。入塔年不明。神前一の紹介によって入塔、のち、神楽と体技の修了試験を合格し、陰陽寮へ入寮。「小野」を名乗る。陰陽寮でも類い稀なる才能を発揮し、宮の側仕えとして役を戴いた。しかしながら三年前の乱事によりあらゆる任を剥奪された。宮の特赦により命は奪わず、永久に裏日本からの追放を命じられている。その銘、称して、『史上最低』。
篠崎鎬。入舎年不明。小野孝明の紹介によって入舎。入った組織が異なったことから、小野ではなく、当初から「篠崎」を名乗る。東夜流を習得していたこともあり、刀舎の筆頭として数えられた。裏独国警察への視察を終え、若宮の教育係としての任を受けた直後に三年前の乱事に巻き込まれる。重度の呪詛を負い、刀舎としての任を果たすことはできないと判断され、現在無期限の休養を言い渡されている。その銘、称して、『史上最強』。
そこまで読むと、神前は顔を上げた。
「基本的なことしか書かれてないねぇ、当然だけど」
神前の言葉に柊は不服そうに唇を尖らせる。
「当然なんですか?資料としての役割を成していないような」
神前はおかしそうに笑うと、フォルダを閉じた。
「随分気になるようだね。何か僕らに気になることでも?」
その言葉に、彼は瞳を輝かせる。
「そりゃもう!お三方の入国年が明らかにされていないのはなぜですか?本来組織ごとでなされるはずの師弟制度をここまで無視できるのはなぜですか?三年前の乱事ってなんですか?篠崎様の裏ドイツ視察って何ですか?舞桐様って誰ですか?」
神前は目を細めた。確かに彼は自分たちのことを調べてはいるが、その主眼がそこにないことは明白である。面白い、と唇を、きゅっと吊り上げた。
「面白いな、子鼠くん。君の目的は何だい?」
柊は、悪びれることなく笑った。
「やだな、俺は櫓に入っただけですよ。その目的はって聞かれたら…そうだな。知りたかったんですよ、この世界のこと、世界中のこと。そして俺はその秘密にあんたら三人と、舞桐って女が関わってるって確信を持ってる」
神前は一つ頷くと、フォルダを柊に手渡した。
「君が何を掴んでも、君はここからその情報を持ち出すことはできない。好きに嗅ぎ回って、櫓の糧になるんだね。あとは精々、死なない方法を考えることだ」
柊はフォルダを棚にしまいながら、意外そうに首を傾げた。
「殺さないの?ここで、俺を」
「僕がやる意味も、指示も無いからねぇ」
なるほど、と納得した様子の柊に微笑むと、神前はくるりと背を向け、そうだ、と言葉を次いだ。
「死なない方法については、早急に考えたほうがいい。ここじゃあいろいろと、壁に耳あり障子に目あり、だからね」
思わせぶりにそう囁いた神前は、軽い足取りで書庫を後にした。
後に残された柊は、小鼻をひくつかせると、その甘いような、苦いような残り香に、唇を舐めた。
「いいんですかねぇ、あれ。絶対放っておいちゃまずいたちの輩ですよ。何せ経験則がありますから、ほら、僕にそっくりだと思いませんか?」
神前の肩にとまった雀が、似合わない、男らしくよく通る声でそう述べた。
「鳥が好きだね、お前も。いいんだよほっとけば、どこまでやるか見物だろ?」
神前は悪戯っぽく笑って返し、懐から大豆を取り出して雀に与えた。ちゅん、と可愛らしく鳴いて、豆をつつく。
「――どうするんですか、あのことがバレたら」
豆をつつく雀から、真剣な声が響く。その様子に思わず噎せた神前は、気の済むまで一しきり笑ってから、涙を拭った。
「どこまで使えるか、見てやろうじゃないか。一応、お前の方でも見張ってやってくれ、魔術的な感性はほとんどないはずだ」
その言葉に、はぁい、と気の抜けた声を上げると、雀は飛び去った。
神前はその後を目で追った後、何も塗られていないはずの唇を、親指でグイ、と拭い上げた。
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