その3

 「クマの子供かなにかですよ。野生動物です」

 フォレストはそう言った。

 「たまたま野生動物と出くわしたんでしょう」

 「だが、人間に見えた」

 「人間が畑からビーツを抜いてそのままかじるんですか」

 フォレストはそういって笑う。彼がウソをついているようにも見えなかった。おそらく、彼は何も知らなかったのだ。この時点では。

 「そこまで我々は飢えていませんよ。それより夜中に何を?」

 「ああ、ソーセージ……」

 おれがソーセージ、とつい口をすべらせると、フォレストはびくりとした。

 「あ、いや、カメラのバッテリーを車に置き忘れただけだ」

 「な、なるほど、そうでしたか」

 フォレストの様子が急におかしくなった。

 「わ、わたしはちょっと用が、のちほど戻ります」

 フォレストはそそくさと立ち去った。

 彼がソーセージという単語に反応したのが気にかかった。おれがソーセージを持ちこんだのを知っているのか? と不安になった。

 だが、べつに違法行為じゃない、この土地の暮らしに反するとは言え、しょせんソーセージだ。部外者のおれがソーセージを持ちこんでも大した問題じゃない。そう思い直した。

 フォレストがいなくなって幸いと、おれは施設を撮影して回った。いろいろな野菜が植えられた農場や、大温室、ソーラー発電の施設や、チーズ工場など、どれもなかなかしっかりした設備だった。機材も新しく、写真映えする。

 出会う住人たちはみなフレンドリーだった。陽気すぎでちょっと異様なぐらいだ。平均年齢はわりあい高いのだが、若者のようにはしゃいだり声をあげたりするのだ。どちらかというと落ち着いた土地柄のはずなのだが……。

 理由を訊いてみると、みなだいたい似たような事を言った。

 「あのヨーグルトがいいんですよ!」

 「あなたもいずれわかります!」


 その日の夕食はカレーだった。ベジタブルキーマカレーとでもいおうか。ココナッツベースのカレーソースに砕けた豆腐とナッツが入っているものだった。スパイスはひかえめだ。

 食事はきのうパーティを行っていホールで食べていた。そういう習慣らしい。このコミュニティにいつも住んでいるのはだいたい百人といったところだと聞いていた。おれがカレーを食べているときにはその半分ぐらいしかいなかった。

 そしてヨーグルトが出てくる。

 ドクターがヨーグルトを運んでくると、まるで養魚池にエサを放り込んだみたいになった。みな奪い合いにならんばかりにヨーグルトをとりあう。

 いつの間にか会場にいる人数が増えていた。どうも、ヨーグルトの出る時間にあわせて来た人間がいるらしい。彼らは会場に入るとまっすぐにヨーグルトのところに来る。

 なぜあんなにヨーグルトに群がる? タンパク質が不足しているのだろうか?

 「そんなにこのヨーグルトに魅力が?」

 「食べれば分かりますよ」

 戻ってきていたフォレストがおれになみなみと注がれたヨーグルトをわたす。

 おれはヨーグルトを食べながら、中身を調べてみた。ざらついた食感がして、やはり粒のようなものがある。それはナタデココにいくぶん似ていた。ナタデココも発酵食品だが、何か関係があるのだろうか。

 「菌のなかには、セルロースを生成して自ら寒天のように固まるものがあります。ナタデココもそうです」

 昨日と同じようにドクターが解説してくれる。

 「これで粒ができるメリットはふたつあります。まず菌のグループが安定することです。この粒を種菌としてつぎのヨーグルトをつくることができます」

 「なるほど、もうひとつは?」

 「昨日も申し上げましたとおり、これでヨーグルト菌が生きたまま腸にたどりつき、そこに住みついて、腸内環境を変えるのです」

 「それを聞いて考えたんだけど」

 おれは疑問を口にした。

 「それって、感染性があるって事じゃないのかな?」

 「もちろん、そういう言い方もできます。本質的には、菌が身体に住みつくわけですから。それを感染と呼べばそうなります。身体にすみつく菌に病原性があれば感染症になります。有益な性質があれば体長改善、菌の性質によります」

 ドクターはさらりと答えた。この種の応答に慣れている感じだった、いちおう筋は通っていた。

 「ドクターはこの菌を開発したのですか?」

 「いや、採取しました。モンゴルからです」

 「モンゴル」

 「わたしは乳酸菌の研究者として、モンゴルに注目していたのです。モンゴルのとくに少数のとある部族だけが、この菌株を持っていました。」

 「少数部族ですか」

 「ええ、文化人類学者か現地の人でなければ存在も知らないような、ごく少人数の部族です。彼らがこのヨーグルト株……仮にモンゴリアン・ケフィアと呼びましょう。それを代々伝えていました」

 「モンゴリアン・ケフィアですか」

 なかなかキャッチーなフレーズではないか。健康食品に興味がある人間が好みそうな異国情緒とストーリー性がある。

 「おそらく、東ヨーロッパの発酵技術が何らかの形で伝わったか、あるいはその逆なんだと思っています。とにかく伝統的なモンゴリアン・ケフィアは馬乳で作られます」

 ドクターは思い出深そうな顔をする。

 「それまでの私は、かなり調子が悪かった。気分も不安定で、そこにモンゴルの厳しい環境があいまって、死にそうになっていた。それを知った先住民がわたしにそのヨーグルトを飲ませてくれたのです」

 彼はそこで、感きわまったような声を出した。

 「すべてが変わったのです」

 「変わった?」

 「体質が激変したのです。薄い空気に慣れたとか、そういったことではありません。帰国したあとも、体調はいいままでした。体質そのものが変わったのです」

 フォレストが満足げにうなずいている。

 「わたしは自然に野菜や発酵食品を多く摂取するようになっていました。自然に好みが変わったのです。胃腸も丈夫になり、活動的になりました。わたしはふたたびモンゴルに向かい、そのヨーグルトを持ち帰りました」

 「それが、これ」

 「そうです。現地と違って牛乳で作っていますが、見てください」

 ドクターはおれを振り返らせる。

 コミュニティの人々が、みな満面の笑顔で騒いでいるすがたが目に入ってきた。みな、まるで学生のパーティのように和気あいあいとしている。歌ったり踊ったりしている人もいる。

 「彼らもここに来たばかりのときはあんなに陽気じゃなかったのです。モンゴルで寝込んでいたときの私と同じ状況だった」

 「ドクター。まさに夢のヨーグルトですよ!」

 フォレストは博士を賛美する。

 おれは多少いぶかしい気持ちで部屋に戻った。

 まあ、多少のうさんくささはこの業界にはある。

 彼らは何か隠している。そう感じていた。

 ノートパソコンを立ちあげて、撮影した写真のファイルをコピーし、見栄えよく加工ソフトで調整した。

 作業しながらソーセージをバクバク食った。どうも食わないと落ち着かない。

 残りのソーセージは5本になった。もっと買っておけばよかった。


 翌朝、朝食を食べにホールに向かうと、異常な状況になっていた。

 コミュニティのメンバーたちが、全裸で四つん這いになり、手づかみで野菜サラダをむさぼり食っていたのである。

 床には千切りのキャベツやミニトマトが散らばり、全裸の住人たちがそこをはい回っていた。ボウルに顔をうずめてサラダを食べたり、オレンジの皮をかぶったりしながら、サルのような奇声をあげながら反復横跳びしたりしていた。

 彼らはみなひどく汗をかいていた。まるでシャワーを浴びてそのままホールに来たみたいだ。みな異常なほど楽しそうな顔をしている。女性もいたが、老婆だった。なんにせよ怖いという感情しかわかなかった。

 とはいえ全員がおかしくなっていたわけではない、全裸で異常な行為を行っているのはおよそ十人ぐらいだ。ほかのメンバーは部屋のすみに逃げ、困惑したりおびえたような表情をしている。笑っている者もいるが、大半はおれと同じように恐ろしがっていた。

 「一体どうなっているんだ?」

 おれはフォレストを見つけて問いただす。

 「分かりません……ですが、とにかく下がっていましょう」

 「警察を呼んだらどうだ」

 「いや、それは困ります」

 他のメンバーも警察を呼ぶ気はないようだ。地元と問題を起こしたくないのだろうか。それとも何か隠し事があるのか

 「たんにちょっとハメを外しているだけですよ、彼らは」

 フォレストは怒ったように全裸の住人たちを弁護する。

 「ちょっと変わった朝食の趣向です」

 「もの食うってレベルじゃないぞ」

 おれは抗議したが、同調する者はいなかった。おれはこのコミュニティでは部外者なのだ。フォレストをはじめとした住人たちに、強引に部屋から追い出された。

 「今日のところは部屋にいらっしゃってください。食事はのちほどお持ちします。代表から改めて今回の件についてご説明させていただきますので、なにとぞ気を静めてください」

 まるでおれが暴れたような言い方をされて腹が立ったが、あまり荒事にしないほうがよさそうだと感じた。へたに反抗したら回りをすべて敵にしてしまいかねない。

 むしゃくしゃしたおれはソーセージを3本束にして食った。

 残り2本。くそ、ソーセージにまでバカにされているような気分になる。

 ふてくされて寝ていると、フォレストが気まずそうにサンドイッチを持ってきた。

 彼らの望みどおりしばらく部屋にいると伝えると、彼らは安心したようだった。

 異変が起こったのは翌朝の明け方だった。

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