オーガニック死霊のはらわた
まくるめ(枕目)
その1
町は菜食主義ゾンビに占領された。武器となるサラミは二本しかない。
おれの状況をひとことで言えば、まあそんなところだ。
そうとしか説明しようがない。
ないんだよ。
いま、おれは菜食主義的なゾンビの群れから身を隠している。
ゾンビは理性を失っていて凶暴だが、ここにいるゾンビはみんなベジタリアンだから野菜しか食わない。噛まれたり食われたりはしない。ただ捕まるとはがいじめにされて健康的な食生活を強要される。やつらの弱点はソーセージだ。
意味が分からない?
おれもそうだ。おれ自身、状況がよくのみこめないでいる。
わかっていることはただひとつ。もう時間があまりないってことだ。
早く治療しなければならない。おれも感染してしまった。時間がない。このままではゾンビになってしまう。一刻も早く解毒剤になるものを見つけなければならない。解毒剤になるのは、今のところソーセージしかない。
そんな状況だった。
そうとしか説明しようがない。
ないんだ。
ばり、ばりとしめった音がする。
ゾンビがうなりながらラディッシュを食っているのだ。
ああ、はやくしないと。朝が来てしまう。
朝がくる前にソーセージを見つけなければ。
健康的な朝日なんて浴びてしまったら、おれは。
***
ここは、ヨーロッパのとある小国だ。
人口はほとんど白人で構成され、とびきり発展した国というわけではないが、世界的に見たら裕福な地域ではある。その国の山あいに作られた、小さなコミュニティにおれはいる。
そのコミュニティのある土地は、市街地から遠く離れている。ほとんどは手つかずの原生林だ。魚のいる川があり、野生の大型獣もいる。ハンティングもできるような土地だ。とはいえ、このコミュニティの住人にハントをするような者はいない。彼らは、すべて菜食主義かそれに近い生活を送っているからだ。
おれはソーセージが大好きな人間だから、彼らとは違う。おれは肉を食わない日はほとんどないし、ピザもフライドチキンもバクバク食う。菜食主義に近いか遠いかでいえばかなり遠い方に入る。
そんなおれがなぜ菜食主義のコミュニティにいるかというと、仕事だからだ。
おれはライフスタイル雑誌「ベジバリアン」の記者なのである。
ベジバリアンの内容は、おおむね自然派で健康志向のライフスタイルってところだ。自然食品と環境の話はかならず毎号乗る。緑色のページがやたらと多い雑誌だ。肌色のページがやたら多い雑誌も世の中にはあるから、バランスはとれてるんだろう。
ベジバリアンは読者層が安定していて、買うやつは毎号買うし、買わないやつは鼻もひっかけない。そういうタイプの雑誌だ。広告主の顔ぶれも毎回ほとんど同じ、サプリとかアウトドア用品とかパワーストーンとかだ。
おれはここの仕事が気に入っていた。
わりあい払いもいいし、なにより安定しているからだ。
おれはプロのライターだから、仕事に私情ははさまない。割りきって書く。ケチャップとマスタードをドバドバかけたホットドッグをほおばりながら『牛肉を食べるのをやめて豆腐を食べればこんなにたくさんの人が飢えから救われる』なーんて書くわけだ。仕事ってそんなもんだろ。
だから、このコミュニティへの取材旅行の話も、喜んで乗った。
ベジバリアンの編集長から呼び出しのメールが来たのは、ちょうどピザの3切れ目に口をつけたところだった。テレビでは「スパイダーマン」をやっていた。
これまで、編集長からメールが来たことは数回しかなかったから、ちょっと気になった。仕事を切られでもするのか? なんて思った。
編集部に顔を出すと、彼女にランチでもどうかと言われた。場所はとあるショッピングビルのレストランだった。高すぎておれだったら行かないところだ。
「あなたのことが心配なのよ」
彼女は言った。ちなみに編集長は女性で、中年期もほぼ過ぎたぐらいである。
「あなた、不健康な生活してるでしょう」
「まあ健康的とはいえないですかね」
「そんなんじゃ、ダメよ」
そう言って編集長はおれのために追加でサラダを注文した。
「肉は体内で毒素に変わるのよ。とくに大量に食べた場合はね」
「でもソーセージの何本かぐらい」
「だめよ。ソーセージなんて。加工肉はとくによくないの」
編集長はまるでおれがドブネズミでも食べたかのように言う。
「体内で毒素に変わるのよ。猛毒よ猛毒」
彼女はバリバリの菜食主義者で、しかも布教の情熱を持っていた。そしておれの「不健全なライフスタイル」を前々から改めさせたがっていた。ようするにソーセージにかじりつくのはやめてセロリをかじれって話なのだ。
「ソーセージの有害性をおれに教えるために、メールを?」
「ちがうちがう。たしかにそれも伝えたいことだけど。取材旅行の話があるの。号をまたいだ企画は本当にひさしぶり」
そこでおれが持ちかけられたのが、ヨーロッパの菜食主義コミュニティの取材だった。彼らは肉をいっさい食べず、かなり自給自足に成功している。その状態でそれなりに長い時間コミュニティを維持し、人数も増やしている。
これは言うほど簡単じゃない。自給自足コミュニティの多くは失敗する。生きていくのに必要なだけの物資や資源を得られなかったり、近隣住民とトラブルになったり、最悪の場合はカルトみたいになることもある。
「そういう事にはならない。住民の多くは裕福層で、お金もあるし、それに平均年齢が高いからね。なにより彼らは、マネジメントってものを心得てるの。つまりヒッピーたちとはちがうってことよ」
彼女はそう言う。編集長はヒッピームーブメントの功罪については一家言ある。大学院の論文もそれだったらしい。つまり話すと長くなるってことだ。話題を変えよう。
「そこでおれは滞在して取材をってわけですね。ソーセージ抜きで」
「彼らと同じようにしたほうがいいわね。同じ食べ物を食べたほうが新しいコミュニティに入っていくにはいいから」
「なるほど、動物性タンパク質とはおさらばだ」
「いいえ。彼らのほとんどは厳密な菜食主義ってわけじゃないわ」
彼女は少し非難めいた主張になる。
「略奪農産物を食べてるわ」
「ああ、なるほど」
略奪農産物というのは、ちょっとした業界用語のようなものだ。動物を殺しはしないが、動物からとった農産物のことだ。例えば牛乳とか羊毛などがそうだ。あるいはハチミツや……ニワトリの卵を入れるかどうかは微妙なところになる。
「彼らは牛乳とかは飲むの。だからヨーグルトは手に入るし、チーズも多少は作ってるらしいわ。まあ、コミュニティを運営していくためにはあまり厳し過ぎても難しいところがあるからね」
編集長は完全菜食主義であった。彼女は動物愛護から派生したタイプのベジタリアンに属する。羊毛の服も着ないし、ゼラチンのカプセル入り薬は使わない。
「完全菜食主義を何年も続けられる人は、現実のところ多数派ではないから」
「なるほど、なんにせよ。ピザは口に入るわけだ」
「ベーコン抜きでね」
おれはその話をうけた。
彼女は、おれがコミュニティの人々に触発されることを期待していたようすだった。おれが彼らに触発され、ホットドッグに何も考えずにかぶりつくようなライフスタイルを自らやめ、まあせいぜいヨーグルトでがまんすることを期待しているのだ。
彼女とおれはビジネス上とはいえ、雑誌の初期からの長い付き合いである。雑誌の傾向にふさわしくないおれのライフスタイルを改めさせようと思っても無理はない。くり返して言うが、彼女には布教の情熱のようなものがあるのである。
つまらない反発をするつもりはなかった。それぐらいなら、ヨーロッパでほどほどに過ごして「編集長のおかげで心が洗われましたよ」とでも言っておいた方がずっといい。費用も向こう持ちなんだから。
そう思っていた。
「そこには乳酸菌の専門家がいて、特殊なヨーグルトの研究をしているの」
「バイオ研究?」
「遺伝子組み換えなんかはしてない。どちらかというと育種ってこと」
「なるほど」
「あとで資料を送るけど、その特殊なヨーグルトの乳酸菌は、人間がセルロースを消化する能力を上げるらしいの。つまり、干し草みたいな食物繊維でも消化できるってこと。そのコミュニティがうまく行っているのもそれが理由のひとつらしいの」
「干し草を消化するって、ウシみたいに?」
「そう。草食動物が植物をうまく消化できるのは、体内にそれを分解してくれる微生物がたくさんいるから。もしそのヨーグルトに効果があれば、同じことになるわ」
彼女はそれに強い期待を抱いているようだった。人間が干し草を食べられるようになれば、世界は変わる。飢えも解決、と思っているようだった。
「記事の中心にできるかも。専門的なところもあるけど、あなたなら分かるように書けるでしょう」
「たぶんね」
その日の夕方には資料が送られてきた。
現地に着いたおれは、山奥のコミュニティに向かうまでに、行きがかった食品店でソーセージを3パック買った。そしてそれをかばんに詰めて持ちこんだ。ホットドッグ12本分だ。
編集長に悪いと思わないではなかったが、ソーセージはおれにとって一種の必需品というか、ないと不安になるものなのである。まさか、その野太いソーセージがおれを邪悪なヨーグルトの影響から守ってくれるとは、夢にも思わなかったのだが。
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