きっと神様になるあなたへ、少しだけ先輩の、私から。
糾縄カフク
Forget our gods New get any gods.
「おーすげー!いた!いた!」
不意に子供の声がして、私はふと振り向いた。きっと多分、その時の私はさぞ嬉しそうな顔をしていたに違いない。
ここは町の外れの社。ずっと昔、幕府とやらがあった時代には、湯場や銅山として栄えたらしい。私はその頃に生まれ、世間一般で言う神として崇め奉られたのだ。
しかし時は過ぎ、神輿を担ぐ者も居ない祭りは終わり、やがて神主すら都会に出た結果――、今ではこんな風に、オンボロの崩れかけた木造の社が、私と一緒にぽつんと残されているだけという悲惨な有様だった。
こんな事を言っても信じては貰えないだろうが、昔は神様ってヤツは確かに存在したのだ。現に神たる私も、姿を持ち人と話し、そうして交友を持っていた。
だが何がどこでどう変わったのか、人々が神を必要としなくなった頃からか、私の姿は人の眼には次第に映らなくなっていった。
* *
最後に誰かと話したのはいつだったろう。
確か大きな戦争が終わった後、故郷に戻る少年が、私に別れを告げに来たあの日だったろうか。
疎開とやらでこちらに来た彼は、周囲が物珍しかった所為か私を知覚できた。
というのも、見慣れた路傍の
* *
「俺、帰らなくちゃいけなくて」
「いいのよ。話してくれてありがとう。お姉さん、嬉しかったわ」
本当はとっくにおばあちゃんの年齢だったのに、私はそう言って嘘を付いた。
「また、俺来るから、大きくなったら、戻ってくるから」
「ふふ、待ってるね。でも無理はしなくていいんだよ」
少年が二度と帰ってこない事ぐらいは、私だって分かっていた。
たとえ子供の頃は見えていても、世間で言う常識の鎖に縛られて、人はやがて私を見る術を失っていく。
だから慣れていた。何度も何度も自分にそう言い聞かせて、気がつけばもう五十年以上が過ぎていたのだなと思い返す。
こちらから人は見える。見えるけど、見ている私は気付かれない。そんな空気の様に透明な半世紀。或いは生きていれただけ奇跡だったのかも知れない。
なにせ拠り所である社がなくなってしまえば、私はそのとき名実ともに死んでしまうのだから。
* *
「はい? なんでしょうか?」
そうして私は、私のほうに駆けてきた少年に満面の笑みで以て答える。殺す様に抑えて来た感情が、みるみると息を吹き返すのが自分でも可笑しかった。
「ぜってーレアだよ。これでアイツらに勝てる」
だけども少年は、私の答えとは無関係な言葉で、手にした小型の機械を操作しているだけだった。確かアレは、カメラとでも言ったろうか。
「あー、駄目だ。弾切れだ。おいお前、待ってろよ、明日もまた来るからな」
言うや少年は踵を返すと、元来た方に去っていってしまった。
「そうだよね……気のせいだよね」
私は独りごちると、また縁側にちょこんと座って天を仰いだ。悲しいかな、きっと何かの勘違いだったのだ。こういう事もたまにはある。その度に冬眠の様に心を押し殺して、また空気の中に周囲に埋もれて時を過ごす。――そうだ、またそうしようと、私が諦めてふと視線を落とした時、そこには見慣れない生き物が寝転んであくびをしていた。
「……もしもし?」
恐る恐る問いかける私に、むくりと頭を上げた生き物は、赤いほっぺをぷくりと膨らませ「なに?」と答えた。
「私が見えるの?」
「いや、アンタこそオレが見えてるんだろ? しかし驚いたな。スマフォも無しに良く認識出来るもんだ」
ネズミ、いや狸か。鮮やかな黄の色彩のその動物は、私には理解できない単語を幾つか繰り出す。
「スマフォ……?認識……?」
「スマート・フォンだよ。さっきのガキが持ってたじゃないか」
「ああ、うん、そう……かな」
多分あの機械めいた何かだろうと憶測はするものの、相変わらず釈然としない私に業を煮やしたのか、その生物は腕を組んで講釈を始めた。どうやら彼は、二足歩行も出来るのらしい。
「ああそうか。アンタ、このゲームを知らないんだな。まあざっくり言うとだ。あのガキが持ってる機械で、あちこちに現れたオレの様な生き物をだな、捕獲して回るって遊びなのさ」
なるほど確かに、二十年前ぐらいだろうか。ここと同じ縁側に座った子どもたちが、機械同士をケーブルで繋いで遊んでいた時に聞いた気がする。しかしそれからずっと生きているって事は、動物にしては神に値するぐらいには長命なんだなと私はふと思った。
「と言ってもオレも今日ここに飛ばされたばかりでさ。良かったら聞かせてくれよ。この辺の話をさ」
――鞠ぐらいの大きさの癖に、やたら態度だけは大きいこの生物と私との、こうして奇妙な日々が始まったのだった。
* *
「へえ、つまりはアンタは神様ってヤツなのか」
翌日もこの動物を捕まえる事が出来ず、悔しそうに去っていった少年の後、縁側にふんぞり返ってそれは言った。
「そうね。でも神様って言ったって、祈ってくれる人がいなければやがて消えてしまう。大した存在じゃないわ」
私はボロボロになった着物の裾を振りながら言う。昔はこれでも、もっと綺麗な召し物を纏っていたのだ。
「ならオレたちと同じだな。その信者ってヤツをユーザー、神主やら社を運営って置き換えると実にしっくり来る。オレたちもまた、信者と神主、そして社が無ければ消えてしまう存在だからな」
相変わらず私には分からない単語を並べる狸めいた何かだったが、なんとなくの印象だけはそろそろ掴めた。要するにさっき私が言ったのと、多分にだいたい同じ事だ。
「ふうん、そうなんだ……じゃああなたも神様だね」
ざっくりと纏めた私に、赤い頬をさらに赤らめたその動物は「やめて欲しいぜ。そういう不確かなものに縋りたくは無いんだ」と顔を背けた。
――私はその動物の名を、たぬきちと呼ぶ事にした。彼の本当の名が余りに呼びにくかったからだ。
そして一層に怒る彼の姿を見て、私は久しぶりにこの世界に生きている実感を噛み締めていたのだ。
* *
次の日は雨だった。流石に来ないだろうと思っては居たのだが、余程の負けず嫌いなのか少年は懲りずに来た。
たぬきちの曰く、お金を使えばあっという間に捕獲は終わるのだそうだが、少年にその財力は無いのだろう。悪い視界の中で手を滑らせたのか、とぼとぼと肩を落とし帰っていった。
「まあ。ああやってさ、皆が群がってくるうちが花だよな」
雨漏りすら防げなくなった廃社の縁側で、ごろんと寝転がったたぬきちが言う。
「そうだね。きっと私みたいになっちゃう」
「そういう意味では、オレたちはまだ幸せなのかもな。忘却がやがて死を齎す以上、悠久の時を悲しみと共に生きる必要は無い訳だから」
やたら小難しい事を宣う小憎らしい小動物に、ふと笑みが溢れて私は笑った。
「この社が崩れてくれたら、私も晴れて死ねるんだけどなあ」
続いてぼそりと呟いた私に「やめてくれよ。そうしたら今度は、オレの寝床がなくなっちゃうだろ」とたぬきちは返した。
* *
「――そろそろ捕まってやらないとな」
少年が足繁く通い、そして四日目が過ぎた頃、たぬきちは唐突にそう言った。
「そうだね、ちょっとかわいそうかも」
相槌を打つ私に「おいおい少しは寂しがれよ。オレが居なくなったら、またお前はひとりぼっちだぜ」とたぬきちが返す。
「仕方ないよ。というか五十年ぶりにお話に付き合ってくれてありがとう。こんなおばあちゃんにね」
私は見栄を張ってくすくすと笑ったが、今度はたぬきちが哀しげな表情を顔に浮かべた。
「まあ少し待ってくれれば、次のオレが来るからさ。ここ、そういうスポットになってるみたいだから。だから、ほら、死ぬとか言うなよな」
ぽりぽりと頬を掻くたぬきちは「さて、時間だな」と、照れ隠しの様に正面を向いた。案の定、いつもと同じ少年がとてとてと走ってくる。
「じゃあな、
そう言って
「さようなら、たぬきち」
たぬきちと同じ
「そうだねえ、あなたが覚えていてくれる間は、私も死なない様にしないとねえ」
それは誰に言うでもなく吐いた言葉だった。
(――神様は居るよ)
そんな事、さっきの少年も含めて、今この世に生きる誰もが信じてはくれないに違いない。
(――だけれども、居るんだよ)
私はもう一度心の中で独りごちる。
たぬきちの様に、見える者には見える様に、かつて見える者が沢山居た世界では、見えていたんだよと。
そうして天に掲げる手が太陽を覆って、ああ、やっぱり私はまだ生きているんだと反芻する様に頷いた。
「――私は、それでも私はここに居るよ」
答える者の居ない空に、ひぐらしの合唱だけが響く。
そのとき頬を伝った温かい何かが、涙だったのか、或いは夕立の名残だったのかは分からない。
ただ、これから生き続けるあなたが、どうか末永く愛されますようにと、遠い祈りめいた何かが、すうっと胸に去来していた事だけは確かだった。
――忘れられし神は祈ろう。移ろう世と子と、君の為に。
きっと神様になるあなたへ、少しだけ先輩の、私から。 糾縄カフク @238undieu
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