第23話 天国に一番近い嘘

 アオとヒメがさしすせ荘を出たのは、それから一週間後のことだった。

 あれから例の男たちの仲間が、ヒメを狙いにくることはなかった。もちろん、アオとサンゴも無事だ。もしあの男たちにまだ仲間がいたのだとしても、ひとまずしばらくは安全と考えていいだろう。ギンが手を回してくれて、『幽霊』が警備をしてくれていたようだが、特に怪しい者が近づく様子はなかったよいう。

 ニンゲンの『命令』がどこまで有効なのかは疑問が残る。ただ、ニンゲンを崇拝している彼らにとってみれば、ヒメに全否定されたことはそれなりの痛手ではあったのかもしれない。あちらの派閥だって、全員が本当に死ぬ危険を冒してまでニンゲンに従おうとまでは考えなかった者はいただろう。

 穏やかに時は流れて、アオはその間に、まだニンゲンが生き残っている可能性が高そうなシェルターの場所を調べていた。

 ニンゲンが増えれば、ヒメの立ち位置も変わって来るだろう。

 いずれもっとニンゲンが増えて、ヒトとニンゲンが主従ではなく共存できる未来がくることが理想だ。

 アオの隣室にはギンが帰ってきた。アオに『天国』の中でも「話がわかる方」の派閥である『幽霊』の伝手を教え、ヒスイにどやされて結局よて亭でギターを弾いたりもする。今のところ半死半生といったところだ。そのうち完全に生き返るかもしれない。

 アオは自分の荷物を完全には片付けていかなかった。ヒスイもそれを許した。

「ギンという実例がいるもの。私はこいつの住民登録、削除してないわよ。絶対にいつか戻ってくると思ってたから」

 ヒスイがそう言った時のギンの顔は、なかなか傑作だったと思う。

 それが、アオがよて亭で過ごした別れの前夜のことだった。



 アオが出て行った翌日。よってっ亭は通常営業である。まだ昼営業の前である。

 よて亭でシオンが手品のリハーサルをしている。今日は彼が昼の部のステージ担当だ。

 サンゴはダンスの練習をしにきたはずなのに、ずっとカウンターに座って呆けている。彼女は昨晩アオとヒメを見送って以来、こんな感じで心ここにあらずだった。

「ルビィは、もし昔のニンゲンのこと思い出したらどうする?」

 サンゴの様子に思うところがあったのか、シオンが電動鳩を飛ばしながら急にそんなことを言いだした。

 対するルビィは、フフンと鼻を鳴らす。

「おや、シオンはあたしがいなくなるかもしれないって不安なのかなー?」

「別に、そういうわけでは……少しは、あるかもしれないけど」

「大丈夫、あたしはシオンをおいていかないし、行く時はあんた連れてくから」

「ちょっと、一気に従業員減らすのやめてよ」

 ヒスイが皿を磨きながら小言を言い、ルビィは「はぁい」と気のない様子で返事をする。その間も、サンゴはぼけっと虚空を見つめている。

「そういえば、サンゴ。ハカセから通信入ってたわ。アオ、昨日はあの人の隠れ家に寄っていたみたい。だから、遠くに行くのは今日の午後だって」

 突然、ヒスイが話を振って来たので、サンゴは目をぱちくりとさせながら「そうなんだ」と適当な返事をする。それを見て、ルビィは彼女の肩をばしばしと叩いた。

「もー! そうなんだ、じゃないでしょ!」

「え、だって? うんと、アオが今日カイセイを出発したって?」

「まだ! まだ午前! 出発するの午後だから!」

 ルビィは時計を指差して力強く主張する。

「そうだね。まだ間に合うね」

 と、シオン。

「今後はシオンの手品が売りになるのかしらね」

 とヒスイ。

 ここまでくると、さすがにサンゴも三人の言わんとしていることが理解できる。

「え、ちょっと待って、よて亭から出てくなんて話はしてないよ、私」

「別にいいじゃない、出て行っても。アオだってそうしたんだし」

 ヒスイはこともなげにそう言った。

 看板娘のような扱いだったのに、さらりと解雇通告にちかいことを言われて地味にショックをうけかけたが、彼女の言葉には続きがあった。

「ギンだって生き返ったんだし、アオやサンゴだって、気軽に『天国』に行って、気軽に生き返ればいいのよ。私たちは成長しないから、成長した後のヒメがどうなるか見たいしね。だからたまには帰ってくるのよ?」

「アオひとりじゃ女の子のお世話無理だと思うんだよねぇ。ほら、センスがさぁ」

「おみやげ、楽しみにしてる」

 ルビィとシオンにも後押しされて、サンゴは顔をあげる。

 いつでも帰ってこられる、優しい家族のいる場所。

 それは、アオはもちろん、ヒメにとってもそうであればと思う。

「私、行ってくるね!」

 サンゴは立ち上り、店を飛び出した。

 ヒスイが追いかけるように店先まで出てきて、叫ぶ。

「アオにヒメの食事代と病院代、ツケのままだからねって言っといて!」

「わかったっ!」

 丘を駆けあがってさしすせ荘へ。急いで三階の自分の部屋に上り、お気に入りの服数着と、大切なものをいくつか鞄に詰め込んで、ものの数分で家を出た。

 ――向かった先は、カイセイのモノレール駅。



 駅でヒメと一緒にモノレールを待ちながら、アオは空を見上げる。

 今日もカイセイの街は、街の名に違わぬ快晴だ。アオの髪と同じ色の空が広がっている。

「ヒメ、今日は大人しいね」

「アオ、別にヒメはそこまでさわがしくないよ」

「そうだっけ?」

 旅立ちを決めてからの一週間、ヒメは少し大人になったように思える。今までが歳の割に言動が幼すぎたので、歳相応になったと言うべきだろうか。

(少しずつ、記憶が戻っていくのかもしれないな)

「アオはちょっとだけ変わったよ?」

「ん? どこが?」

「ヒメにしゃべる時、サンゴお姉ちゃんたちと同じ風になったね」

「……そういえば」

 旅立ちを決めてから変わったのは、自分もだったようだ。いつのまにかヒメに対する敬語癖がなくなっていることに気が付く。

(俺の中で『お姫様』と『ヒメ』が完全に別の扱いになったから、かなぁ?)

 無意識でヒメに重ねていたかつての主人の姿を、アオはもう追い求めなくなったのだ。彼女はもうどこにも眠っていない。そのかわり、いつでも取り出せる記憶情報としてきちんと存在している。二度と圧縮されることはないだろう。

「ヒメはね、サンゴお姉ちゃんたちみたいにお話できる方が良かったから、ちょっと嬉しいよ」

「そっか。なら、このままでいこう」

「うん!」

 元気なお返事だ。

(行く前にもう一回よて亭に行くべきだったかな)

 ぼんやりそう思って、しかしすぐにその考えは否定した。

 別れを惜しんだ分だけ、離れがたくなる。

(サンゴのことはちょっと気になるけれど)

 彼女も昔の記憶が戻っているだけに、今後この社会で折り合いがつけられなくなった時に困ることがあるかもしれない。

 よて亭メンバーの通信機は残してあるが、あまり遠くに離れすぎると通信自体ができないのだ。ギンには『幽霊』が作った遠距離通信回線を教えてもらったが、そこまで頻繁に使えるものでもない。

(サンゴは連れてきた方がよかったかな。でも、危ないかもしれないし、よて亭の皆がいればきっと――)

「アオーーーー!!」

「はぁ、心配しすぎてサンゴの声が聞こえてきたし」

「あ、サンゴだっ!」

 ヒメがはしゃいで走り出す。

「へ?」

 アオが驚いて振り返ると、ちょうどサンゴがヒメと抱き合って、くるりと一回転したところだった。

「え、さ、サンゴ? どうして?」

「私も『天国』に行く」

「え? え? よて亭は?」

「シオンが手品で何とかしてくれるでしょ?」

「そんな適当な……」

「いいのよ。私も、アオと一緒に『天国』が見たい」

 ヒメと仲良く手を繋いで、ホームで隣に立ったサンゴは空へと手を伸ばした。

 彼女のかつての主人も、今はもう空の上だ。本当の意味での『天国』にいる。恐らく、彼女の相方だったというアンドロイドも。もっとも、アンドロイドに魂があればだが。

 あればいいと思う。悲しみにくれて『天国』にいったアンドロイドが、少しでも救われていればいい。

「苦労するかもよ」

「アオだけの方が苦労すると思うよ。服選びとか」

「そ、それは反論しづらいけど」

 思わずしどろもどろになると、サンゴとヒメは顔を見合わせて笑う。

「ヒスイ姉さんがね、気軽に生き返りにきなさいって。あと。ヒメの食事代のツケと病院代のことも言ってたわ」

「うっ、そこを突かれると……うーん、でも、簡単に言うよなぁ」

「いいじゃない」

「そうだぜぇ、アオ、帰る家ってのは必要だぜ。特にニンゲンのことを思い出したやつらにはなぁ」

 いきなり女性の声で口の悪い横やりをいれられて、アオとサンゴは揃って振り向く。そこには虹色の髪の女性――ハカセが立っていた。

「何でここに!?」

「俺もしばらく『幽霊』の世話になることになったんでね。まぁ、旅は道連れって奴だな」

「えーっ、ハカセが一緒なのぉ?」

「おい、サンゴ。何が不満だ。俺は役に立つぜぇ? アオだって両手に華で嬉しいだろ」

「あっ、悪いけど俺の両手はヒメとサンゴでいっぱいなんで」

「てめえ、しばくぞ」

 女の身体で低い声を出さないでほしいものだ。ヒメがきょとんとした顔になっている。

「ま、俺がお前らの役に立つだろってのは本当だ。色んな意味で俺はお前らよりだいぶ先輩だからなぁ」

 彼はそう言って笑い、アオは少しばかり複雑な顔になる。

(ハカセ、やっぱ記憶あるよなぁ)

 しかし、きっと真相は教えてもらえないのだろう。共に行動していれば知る機会もあるかもしれない。

「はぁ、ついてくるなって言ってもついてくるんだろ。利用したおしてやる」

「ツケにしとくぜ」

「お前も金取るのかよ」

「アオ、借金まみれね……」

「アオ、大丈夫? お金ある? ヒメも手伝う?」

「もう、お前らが金の話するから、ヒメが変な方に心配してるだろう!?」

 三体のアンドロイドと一人の人間が、青い、青い空の下。

 ヒメが、近づいてくるモノレールに気づいて歓声をあげる。

 彼女の楽しそうな様子を二人で見つめ、アオとサンゴはどちらともなく笑った。ハカセですら肩をすくめて「平和だな」と笑って見せた。

 この世界で、ヒトはニンゲンに夢を見る。

 ニンゲンを真似る。

 ニンゲンを求める。

 ニンゲンと再び共にありたいと、願う。

「ねぇ、アオ」

 サンゴがアオの手をとる。人間にはありえないピンク色の髪が風に揺れて。

「アオが作りたい『天国』を、私にもみせて欲しいんだ」

「そうだね、いつか……」


――いつか、この偽りだらけのネバーランドが、天国みたいな場所になりますように。


 願うアオの元に、今ゆっくりとモノレールが到着しようとしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

≒ネバーランド 藍澤李色 @Liro_A

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ